王子と眼鏡の現状確認
「ルエイム、それはなんだ」
珍しく眉間にシワを寄せて書類を睨んでいる友に、エドワードは声をかけた。
「神器省からの報告書ですよ」
神器省が聖王国のすべての『聖遺物』を管理・保全する機関だ。
聖王国の政治は貴族院による議会制で成り立っている。
たとえ国王であっても貴族院の決定を覆すことはできず、場合によっては王の退位すら提言できてしまう。
そんな聖王国という組織の中にあって、神器省だけは国王の直轄であり貴族院も手が出せない。
なぜなら、女神がそう決めたからだ。
聖王国が所有する千を越える『聖遺物』を収めた聖宝具殿。
その扉を開けられるのは聖王国の国王だけである。
王が死ねばただちに聖宝具殿の扉は閉まり、次の王が擁立されるまでなんびとたりとも開けることはできなくなる。
超常の力を有する『聖遺物』とその使い手をどれだけ確保しているかが、その国の武力に等しいこの世界で聖王国の王が握っているものは国家間のパワーバランスそのものだった。
「やはり、多数の『聖遺物』が聖宝具殿から紛失していました」
「ちっ……お前が危惧した通りだったか」
エドワードは思わず舌打ちをした。
まさに大失態だった。貴族院に知られれば王権に傷がつくような事態になりかねない。
「幸い、紛失したのは最下級の代物ばかりです。それも戦時中のドサクサに紛れてということです」
「戦時中ということは先代、先々代の王の時代だな。貴族院も死んだ王に責任は問えんだろうな」
「むしろ、この件には『聖騎士』が関わっているとみて間違いありません。証拠を押さえておけばいざという彼らを黙らせることができる」
「ある意味、タイミングがよかったわけか……」
「リンデン司祭に感謝すべきかもしれませんね」
「俺を殺そうとしたやつに感謝などできるか」
冗談めかして言うルエイムに対して、エドワードはあからさまに嫌そういな顔をする。
もともとこの事態が発覚したのは、エドワード王子の暗殺を企てたリンデン司祭が多数の『聖遺物』を所持していたことからだった。
リンデンの経歴を辿っていくと、彼がかつて神器省の官吏だったことがわかった。
当時のリンデンを知る者によれば、彼は物静かで勤勉な男だったという。
信心深さは当時から変わらずだったが、その信仰心は女神の与えたもうた『聖遺物』へと向けられていたように見えたという。
「つまり、リンデンは最初から教会の指示で神器省に潜り込んだのか?」
「彼は男爵家の生まれだそうです。教会との繋がりは薄かったでしょうね。むしろ多数の聖遺物を持ち出し、それを教会に献上することであの地位まで上り詰めたのではないでしょうか」
聖王国では教会の地位はあまり高くない。
せいぜい、都の外に暮らす貧しい者たちの間で少しばかり信仰されているにすぎない。
「ですが、わざわざ神器官の地位を捨ててまで選ぶ道かというと疑問に感じます。おまけに聖王国の王子を暗殺しようとするなんて……」
「俺を……この国をよほど恨んでいたか」
「私は、彼の強い信仰心を他の誰かが利用したのではないかと思っています。確証も何も無いただのカンですが」
「めずらしいな。お前が憶測でものを言うとは」
「自分でも意外ですよ。でも、胸騒ぎがするんですよ。この世界に何か大きな変化が起きているのは間違いない」
「大きな変化か……」
“聖剣”の勇者が誕生したのと同時期に現れたズタ袋の魔王。
その魔王は、決して壊すことのできないはずの『聖遺物』を未知の魔法で塵に変えてしまった。
それは人間世界の根幹を揺るがす出来事だった。
「この状況に関係しているのかはわかりませんが、イルランドにも二〇〇年ぶりに“聖剣”の勇者が誕生したそうです」
「『湖の乙女』を受け継ぐ者が現れたのか。王都はさぞやお祭り騒ぎだろうな」
「ところが、それどころではないみたいです」
ルエイムは小さく笑って続ける。
「“聖剣”の勇者はただの平民。おまけに若い女性だったそうです。そして彼女には一人のドルイドが協力していた」
「なんだ、あの国の伝説通りじゃないか」
イルランド王都の北には湖がある。
そこには太古の昔より番人の怪物が住み着いており、勇者はその怪物の隙をついて湖の底から“聖剣”を引き抜いたという。
しかし勇者は自分ひとりの力でその遺業を成し遂げたわけではなく、自然の力を操るドルイドの協力があったと言われている。
先日イルランドで起こったことは、まさにその伝説通りの出来事だった。
「それが、そのドルイドは湖の水をすべてを凍らせてしまったらしいのです。勇者はなんの苦労もなく聖剣まで歩いて行ったとか。聖地である湖が凍りついたままでは、祝うに祝えないようです」
「……いろいろ台無しだなそれは」
「さらにこの勇者、叙勲式でイルランド王へ忠誠を捧げることを拒否したそうです。『自分は国や民のために戦うが誰かの奴隷にはならない』と言い放って」
「正気かその女は!?」
「実際、王は怒り狂いその場で『勇者を殺せ』と命じたそうです。ですが、誰も動かなかった」
「当然だ。“聖剣”に選ばれた勇者は大聖遺物を操ることができる。イルランドの国軍すべてが束になってかかってもかすり傷ひとつ負わせることはできないだろう」
「それに、あの国の騎士や良識ある貴族たちは今の王家にほとほと愛想が尽きているはずです」
「冠がすげ変わるのも時間の問題か。もしかすると王制そのものがなくなるかもしれないな。しかし、その勇者気に入った。俺の名で祝いの手紙を出しておいてくれ。“新しき勇者の決断を支持する”とかそういう言葉を添えてな」
「そう言うだろうと思って、もう手配済みです」
聖王国の王子からの祝辞。それも支持を表名するような内容ならば、王に膝を折らなかった勇者にとって大きな後押しになる。
相変わらず手回しの良い友にエドワードは満足げな笑みを浮かべた。
「ところでエド、このドルイドについて気になりませんか?」
「ああ、湖一つ丸ごと凍りつかせるなどとんでもない力だ。いったい何者──まさか、あいつか!?」
エドワードの脳裏にひとりの少女の姿が浮かんだ。
強い意志を感じさせる瞳に、不敵に笑う口許。
特別に見目麗しいというわけではないが、なぜか目を引かれる容姿。
なにより、遠い昔にあったあの少女にどことなく面影が似ていた。
「彼女、どうやらここ向かっているようです。ケインの報告ですから間違いないでしょう」
「聖王国の都にか? なんのために?」
「さあ、それはわかりません。でも、我々にとっては好都合です。例の件を前倒しにできそうです」
「例の件か……やはり本気なんだな」
その時、部屋の扉をノックする音がした。
「誰か」
エドワードが返事をすると若い兵士の声が聞こえてくる。
「ジェド・サルモン一等兵であります。出立の準備が整いました!」
「わかった。すぐに行くと伝えろ」
「はっ! 失礼します!」
エドワードは立ち上がると、無造作に立て掛けてあった“聖剣”を手に取った。
「“聖遺物”……俺たちはいつまでこんなものに振り回されるのだろうな」
「それを変えるために今できることをしましょう」
「ああ、そうだな。……いくぞ」
エドワードは何かを飲み込むように一度だけ目を伏せ、そして歩き出した。




