2 体育科準備室
2 体育科準備室
噂は校内に広がっていた。暖房が切れた部屋に寒さがじわじわと溶け込んでいくかのように、ゆっくりと、着実に。体育教師の尾口に会うため体育科準備室を訪ねた俺は、たちまち同情の視線を浴びた。
体育科教師たちの机はコの字型に配列されている。真ん中のスペースには、練習試合等で訪れた客をもてなすためのテーブルと椅子が置かれている。そこに座った俺は、コの字の書き始めの位置に座る尾口を向き、これまでの経緯を説明した。
「美鈴は……来週の大会に出たがっています。僕としては……こうなった以上、出るべきではないと」
角刈りになった髪を上部に付け、日に焼けた顔がゆっくりと縦に動く。
俺にとって、尾口の存在は色々な意味で重要だった。尾口は長年野球部の顧問を務めていた。だが、バレー初心者な俺のサポートのため、バレー部の副顧問も引き受けてくれていた。俺が体調を崩した時、野球部と並行してバレー部の練習を見てくれたことが何度かあった。俺が美鈴とトラブルになった時、間に入ってくれたことは数知れず。
「瀬川さんは?」
「……はい?」
「瀬川さんはどうなの。大会に出させてやりたいの?」
「……はい、やっぱり、ここまで頑張ってきましたから」
冗談じゃない。バレー部から身を退く、願ってもいないチャンスだ。絶対に逃したくない。尾口への返答を考える少しの間、雪の結晶が舞うように、俺の脳裏にバレー部顧問としての生活が走馬灯となって流れていった。
教師になって約一年。俺はバレー部に苦しめられてきた。年に四回の公式大会に加え、準公式大会、学区主催のローカル大会。毎月大会があり、全ての引率を俺が担ってきた。
そして、美鈴はそれ以上のことを求めてきた。大会前の土日は必ず練習試合を組むよう俺に要求した。彼女の「勝つこと」への執念は凄まじく、犠牲となったのは俺の生活だった。結果的に、年間休日数は激減した。
教師になる以上、ある程度プライベートを削ることへの覚悟はできていた。それに、部活動の顧問になること自体に、否定的な考えを持っていたわけではなかった。だが、美鈴の態度が、俺の覚悟がゴムのように柔らかかったことを知らしめた。
自分たちは部活動を出来て当たり前。頑張っているのだから、当たり前。顧問なくして部活動などできないのに、美鈴はそれに気づくことはなかった。そして、何か気に食わないことがあれば、容赦なく突っかかった。
「何も知らないんだから余計なことしないでください」部員が足をくじいた時、スマホで検索しながら手当をしようとした俺に冷たく言い放った一言。
「先生、早稲田出てるんだからそれくらい出来ますよね」俺が主審にチャレンジした六月の大会で、線審だった美鈴が、試合の合間ごとに審判台まで駆け寄り、誤審を連発して冷や汗を流す俺にぶつけた暴言。バレーの大会は、各校の顧問が審判をやらなければならないという「暗黙の」クソルールのもと成り立っている。就任早々引率した四月の大会で、体育館のステージの上でふんぞり返っていた役員に審判ができないことを伝えたら怒鳴られた。それが悔しくて、練習試合で他校の先生に教わりながら、少しずつ審判のやり方を覚えていった。しかし、公式大会の雰囲気は「格別」だった。教わったことなど何もできず、ネットに身体が触れたなどの判別しにくい違反は副審のジャッジを見て笛を吹けばいいだけだったのだが、俺にはその余裕などなく、まさに独り相撲で試合を進めてしまっていた。
美鈴に暴言を吐かれた時、俺は怒らず、怖気づいた。いや、怒ることができなかった。どちらが教師でどちらが生徒なのか、もはやわからなくなっていた。普段の活動時も、俺がやることと言えば、体育館の隅っこでぼーっと練習を見るか、壁を相手にボールを打つか、それくらいだった。
「生徒と一緒に練習しなよ」
他の教師からのアドバイスに従い練習に混ざろうとしたが、美鈴に何を言われるかわからず躊躇していた。しかし、それでは存在意義が全くない。さすがにいたたまれなくなり、練習中に部員が逸らしたボールを拾う仕事に徹した。練習には必ず顔を出し、球拾いをする。続けていれば、いつかは美鈴に顧問として認めてもらえる。「一刻も早く顧問として認められる」という、ささやかな目標ができた。
今にして振り返れば、なぜあそこまで必死になっていたのかわからない。
顧問でありながら、部の練習に顔を出さない同僚はたくさんいた。それは悪いことではないと思う。厳密に言えば、部活を見ることは教師の仕事だと決まっているわけではない。職務を全うする観点で考えれば、部活を見る暇があれば授業準備に力を注ぐべきなのかもしれない。
だが、俺はバレー部の練習時間の大半を体育館で部員と共に過ごした。スーツからジャージに着替える手間を厭わず、縦横無尽に転がるボールを追いかけカゴに入れ、時にはボールを壁に打ち付け「球出し」の練習をして、目に見えない埃を舞い上がらせた。
このような情熱の根底には、「美鈴に認めてもらいたい」という気持ちもさながら、「他の教師の目」への恐れもあった。一年目にして未経験の競技の監督を任され、熱心に練習に参加していた俺を評価する教師は、正直に言って少なくなかった。
「最近バレー部頑張ってるね!」
「瀬川先生バリバリやっててすごい」
これらの賛辞は、不本意にも俺を励ました。前任の顧問の評判は最悪で、練習を見ることはおろか、大会の申し込みを度々忘れるような教師だったらしい。部員……とりわけ、美鈴から職員室に「クレーム」が相次いでいたと、尾口から聞かされていた。
「あの子らはな、一緒にバレーをやってくれる先生を求めているんだ」
結果的に、俺が就任したことで、バレー部は前年度とは段違いの活発さを見せた。美鈴の「言いなり」になって美鈴から信頼を勝ち取る……ただそれだけのために土日の活動日を増やしていただけだったのだが、
「前任者と違い、瀬川先生は熱心に部活を見てくださる」
という印象が、学校という組織の根っこに絡みついた。職員室でのちょっとした雑談や飲み会でバレー部の話題が出ると、前任者がいかに酷いことをしていたかという話題がよく出た。部活には全く顔を出さない、三年生の引退試合に遅刻しさらに試合の途中で早退した……それらの話題が出るたびに、
「ああいう風に言われたくない」
という気持ちが強く出た。
さらに恐ろしかったのが、その前任者はまだ俺の学校で勤務しており、前任者の陰口を言っていた教師たちが、彼に対して直接は仲睦まじく接していたことだった。直接叱咤されることがいかに幸せか……冷たい価値観が、俺の頭を突き刺してねじり込み、そのまま脳の一部となった。
美鈴に対する「期待」と、周りからの「期待」、美鈴と周りへの「恐れ」……これらが俺を追い込み、バレーへと紐づけた。期待は報われるし、期待されていれば応えなければならない。大会の会場で他校の顧問に名刺を配って周り、頭を下げて練習試合を組み、審判講習に出かけて審判の練習をして、また次の週の練習試合のセッティングのためスマホの電池を減らし……体育準備室で「調子はどう?」と問われれば「いやー先週の試合でセットを取れたんですよ」と、さも部のことを第一に考えているかのように応対をして……どうせなら、放課後は生徒からの英語の質問に応対したい、土日はしっかり休んで趣味や自己研鑽にあてたい、なんで俺だけこんなに……屈折した本音は溢れんばかりで、日々、汗を流しボールを拾っても、美鈴の気持ちは変わらなかったが、周りの教師からの数々の言葉が、「見てくれている人はいる」と自らを鼓舞することにつながった。美鈴に、バレー部に、ひたすら関わり続けた。そこまでで、怒涛の一学期が終わった。
一人の若手教師の殊勝な熱血は、ある日を境に、一陣の風で吹き散らかる砂のように脆くなり、音一つ立てずに儚く旅立っていった。うねるような暑さと烈火の如く照り続ける太陽と黒々とした影が混じって、不快な一日、夏休みの大会で大敗を喫した次の日。美鈴が進路指導室を訪ねてきて、大会参加費の精算の仕事をしていた俺に対してこう言い放った。
「コーチを雇ってください」
美鈴曰く、勝てるチームにするためには、指導者が必須。自分の知り合いの大学生で、コーチをやってくれそうな人がいる。給料は部費から出せ。夏休み中に面接をしろ、これが先方から預かった履歴書だ、面接までに読んでおけ。
俺は失望した。結局、どれだけチームに貢献しても、美鈴に認められることはない。それどころか、次々と無理難題をふっかけてくる。次はバレー部専用の体育館を作れと言ってくるだろう。
砂となった俺の気持ちはその一週間後、泥となった。約四十日ある夏休みでも、羽を伸ばせるのはせいぜい五日程度。そのうちの一日、俺は実家でのびのびと過ごしていた。
素麺に舌鼓を打ちながら、学校の様子を両親に話していると、スマホが鳴った。ディスプレイには勤務校の名前が。母親の「噂をすれば何とやらって、まさにこのことね」という悠長さが俺を幾分かは落ち着かせたものの、胸騒ぎは止まらなかった。箸を置き、リビングから廊下に出て、恐る恐る電話に出た。副校長からだった。間を置かず、耳元の皮をさかむけさせるような声が俺を責め立て始めた。
「先生、どこにいるんですか?」
「何、どうしたの」
「今日面接ですよね。高橋さんもう来ちゃいますよ」
思考が飛んだ。半秒後、面接というのはコーチの件で、高橋というのはそのコーチの名前だということがわかった。
コーチの話を最初にされた次の日、進路指導室で美鈴から高橋の履歴書を受け取った時、「空いてる曜日はいつですか?」と聞かれた。てっきり、俺は面接を二学期に行うものだと勘違いしており、部活がなく授業のコマもさほど詰まっていない曜日を二つ指定した。美鈴はどうやら、それを「来週のその曜日なら面接してもOK」と解釈したのだろう。奇しくも、俺が帰省したのはその曜日だった。
事情を話し、「自分も高橋も待つから今から来られないか」という野放図な頼みを必死に断り、なおも「確実に空いている日を教えろ」と迫るのにもお茶を濁し、何とか電話を切った。心配そうに顔を覗かせる母に「何でもないから」と微笑み、リビングに戻って素麺をすすった。一本一本が長いため一度には食べきれず、乳白色の麺の切れ端がポトリと汁に落ちた。千切れる素麺のように、泥となって細々とした情熱も、プツリと切れた。バレー部なんか見ていられるか。腹の底を閉ざした扉が勢いよく開いた。
結局、尾口にも協力してもらい、コーチを雇う話は潰した。部費から給料など払えるはずもなく(それを美鈴に伝えたら「部費を追加徴収しろ」と言ってきた)、また、件の大学生・高橋も、電話で話をした時に、無償でコーチをやることはできないと向かっ腹が立つような声で言い放ってきた。
美鈴はより一層反発するようになった。そして、俺の目標は、「一刻も早く顧問として認められる」から、「一刻も早く顧問から退く」ことに代わった。
他人の顔色ばかりを伺ってばかりいた俺は成長した。水面下で、根回しに奔走した。俺は大学では演劇サークルに入っており、演劇についてなら指導する自信があった。。各部の顧問に自らの専門性をさりげなくアピールした。
そして、努力は実った。演劇部の顧問は定年間近の女性教師だった。部活動にはほとんど顔を出していなかった彼女は、俺を歓迎した。
「いつでも瀬川さんに譲るよ」
その言葉を励みに、俺は踏ん張った。
「そうだね、もったいないよねぇ」
尾口のものではない声によって俺は現実に引き戻された。俺の位置の斜め後ろ…ちょうど、コの字一画目で直角に曲がる部分に座った別の体育教師が口をはさんだ。
「女バレはみんな頑張ってたんだしさぁ」
福原というその体育教師は、昨年までバレー部の副顧問だったらしい。なぜ今は副顧問じゃないんですか。聞きたくても聞けないその問いが、俺の前に壁を作った。
体育科準備室の窓の上に貼られたカレンダーを見上げた尾口が、伸びをしながら崩れた声を出した。
「とりあえず、もう一度部員を読んで話し合ったら?できれば一人ずつ……美鈴も同席させて」
「僕と、美鈴と、あとは一人ずつということですか?尾口先生は……」
「主顧問は瀬川さんなんだから……僕が口を出したらいけないような気がするけどなぁ」
「……わかりました」
気持ちが沈んでいくのを自分でも感じた。本音を話さなかったことを悔やんだ。しかし尾口は、俺が「バレーの大会に出られないかもしれないことを悲観した」のだと勘違いしたようだった。
「今回の件は、瀬川さんは悪くないからね」
薄っぺらな慰めは無意味だった。尾口に感謝してはいるが、教師になりたてだった俺に主顧問を半ば「押し付けた」ことは決して忘れていなかった。前任者のままで良かったじゃん。
福原も続く。
「今回の件で懲りてるのかもしれないけど……部活で悩んでるのって瀬川さんだけじゃないからさぁ。それに、せっかく縁があってバレーに関わることが出来たんだし、今後もバレーの顧問を続けなよ」
曖昧に頷いたが、聞かなかったことにした。椅子を必要以上に丁寧にテーブルの下に入れ、他の体育教師に会釈して、俺は体育科準備室をあとにした。
社会人として、言われたことはやる。だが、もうバレー部の顧問をやるのは御免だ。
誰一人、「やっぱりバレーを続けます」とは言わせない。
それができなかったら、美鈴を辞めさせる。
俺って最低かな。冗談じゃない。