第6話 異世界急行トラック発車します
わたしは、日本の大手ゲームメーカー、株式会社スタートイに勤めている。
出勤はバスと徒歩。雨の日はバスがよりいっそう混み合うため、辟易とした気分になるが、今日も今日とて面接が控えているために、張り切って出勤しているのである。
〈皆さんは、どのようにして異世界にトリップされましたか?〉
わたしの気分を上げてくれるはずのラジオが、なんてことないトピックをイヤホンから耳に流れ込ませてくる。
音楽が聴きたかったのに。どのようにトリップって、だいたい分かるじゃないか。しょうもない、とまでは言わないが、今更興味を持つ日本人がいるのだろうか。
いや、落ち着けわたし。世の中には、「異世界転生前はどうでもいいから、本編に早く突入させろ!」などと言うテンポ重視の視聴者や読者が多いらしいが、それはメディアの話。面接官のわたしがそれを言ってはいけないだろう。
異世界トリップの理由や方法は、人それぞれ。個性があって然るべきなのだ。
例えば、『儀式召喚』、『巻き込まれ召喚』。『扉を開けると』、『目を覚ますと』。『過労死』、『病死』、『神様手違い死』といったものは、面接でもしばしば耳にする。
そして、なんと言っても極め付けは──。
〈『事故死』! 今年も不動の一位でした~!〉
うん、知ってた。とくに、トラック事故でしょ?
ラジオ番組の司会者の明るい声を聴き、わたしはため息をつく。愉快に話す内容でもないはずだが、彼も仕事だ。仕方がない。詳しく聞いてやろうではないか。
〈リスナーの皆さん。日本のトラック事故って、異様に多いんですよ。バイクや普通自動車と比べたら、びっくりするくらい! 理由、分かります?〉
知っている。
異世界に行きたくてたまらない人間が、わざとトラックに轢かれに行くからだ。
ひと昔前のこの世界では、首吊りや農薬、銃による自殺が多かったのだが、現代──、とくに日本では自殺の手段に「トラック」が踊り出る。異世界でやり直したい、異世界に逃げ込みたいといった気持ちが、自殺希望者をトラックの元に走らせるのだ。
彼らが、その後異世界にたどり着いたかどうかは確かめようがないのだが、「トラック事故で死ねば、異世界無双ライフができる」などという思想を肯定する宗教じみた団体も存在するらしく、わたしとしては胸糞が悪い。
異世界は極楽浄土ではないし、逃げ場でもない。ましてや、故意にトラック運転手を自殺に巻き込むような人間が、異世界で幸せになってたまるか。行き先は、地獄一択だ!
わたしは、ラジオの内容と自分の知識に相違がないことを確認しつつ、このテーマはグループディスカッションや論文で出したら面白い解決策が出てくるかもなぁと、静かに思考を巡らせる。
だが、追加で〈与党は異世界トラック規制法案を提出し──〉という話が始まると同時に、ギギギーッという、タイヤが道路に擦れる音と、激しい衝撃がわたしを襲った。
乗っていたバスが前のめり気味に急停止したのだ。
なんだなんだ。何事だ?
吊り革にしがみ付いて事なきを得たわたしは、隣で転んでしまっていたリクルートスーツの女性に手を貸しながら、運転席に視線を飛ばす。
すると、なんとバスの運転手が一人の大柄な男にサバイバルナイフを向けられ、運転席から引きずり下ろされていたのだ。
「おら、どけっ! ぶっ殺すぞ!」
大柄な男は、安っぽい金髪に染まった短髪と、よく日に焼けた肌が目につく若者で、乱暴にバスの運転手を床に放り投げていた。なんとも酷い。
一方、運転手は転がるようにして前方のドアに移動し、そこから降りようとしたが、ドアは開かない。大柄な男は、運転手と乗客が逃げることを許さなかったのだ。
「お前ら全員人質だ! オレがこのバスで人を轢き殺しまくるとこを黙って見とけ! 邪魔したら刺す!」
男の怒号の後に、あちこちから悲鳴が聴こえるかと思いきや、シン……とバス内は静まりかえっていた。
さすが、日本人は奥ゆかしい。感情を押し殺して地蔵のように固まることは、わたしには真似できない。
「バスジャックってやつか。初めて見るな」
「ちょ、何呑気なこと言ってるのよ! 目立ったらダメなんだから……っ!」
わたしは、隣にいる若い女性乗車客に小声でドヤされるが、気に留めなかった。
目下の悩みは、会社に遅刻してしまうことであり、面接に間に合わないこと、そしてたくさんの人がこのバスに轢き殺されてしまうかもしれないこと、さらには最終的にこちらまで殺されてしまう可能性があるということだ。
「うぅっ……、せっかく三次面接まで来たのに……」
リクルートスーツの女性が、涙目でお守りを握りしめる姿が目に入り、わたしの腹は決まった。正直、無茶をするのは「らしくない」のだが、就活生が面接を受ける機会を奪われることを許したくなかったのだ。
「バスジャック犯さん。あなたのお名前は?」
わたしは、両手の平をメガホンのようにして叫ぶ。凍ったようなバス内に突然響いたわたしの声に、誰もが驚き耳を疑っていることをヒシヒシと感じる。だが、わたしはバスジャック犯だけを見つめていた。
「なんでオレがお前に名前なんて……、安村翔吾だ! ハァッ⁈」
自分の口から出た意図していなかった言葉に、バスジャック犯──安村は驚愕する。まぁ、予想通りのリアクションだ。
「安村さん。わたしの前では、嘘偽りは述べられません。恥ずかしいことを暴露させられたくなかったら、すぐにこのバスを降りることをお勧めします」
「あぁん? お前、もしかして異世界人か? ふざけたスキル使ってんのかよっ⁈」
わたしは、安村の問いには答えなかった。今、質問するのは、わたしだけでいい。
「なぜ、バスをジャックしたのですか?」
「このバスで、バカどもを異世界送りにしてやるんだよっ! 異世界に飛べる乗り物は、トラックだけじゃねぇって分からせてやるんだ! ……チィッ! 喋っちまう。まぁ、冥土の土産だ。何でも聞けよ!」
開き直る安村。
どうやら、わたしは冥土に送られる予定らしい。それは困る。仕事があるのに。
「バスに恨みでもあるのですか?」
「ねぇよ! オレが恨んでんのは、この日本だ! オレの仕事は運送業、トラック運転手だ! 大事な積荷運んでるってのに、トラックってだけで酷い扱いだ。“吸血車”とか“異世界転送装置”とか好き勝手言いやがって! オレは毎日、自殺目的で飛び出してくる馬鹿共を避けるのに必死なんだ! ゴールド免許だ、馬鹿野郎! オレは普通に仕事がしてぇんだ!」
サバイバルナイフを振り回して叫ぶ安村に、わたしはうっかり同情してしまった。
バスをジャックし、たくさんの人の貴重な時間を奪っていることを差し置くと、真面目に仕事をしたいだけの彼が晒されている状況は、非常に気の毒だ。
ただ普通にトラックを走らせているだけで、殺人マシーン扱いされ、異世界に行きたい者たちが死ににやって来るなんて、とんでもない!
そして、とんでもないついでに、近日中に国会で、かなり過激な法案が可決されるのではと噂されているのだ。
「安村さんは、『異世界トラック規制法』がきっかけで、ヤケになってしまったのかな?」
それは、世間で物議を醸している案件──、日本の人口が異世界に流出していることが少子高齢化を加速させていると考えた政治家による、「トラックの運転を禁止すれば、異世界トリップ者は減少する」という、なかなかぶっ飛んだ理論に基づく法案だ。
馬鹿馬鹿しい。トラックの代わりに新しい貨物車を開発するとか、中型車を増やして荷物を小分けにして運ぶとか、考えるべきはそんなしょうもない事ではないだろうに。
安村は「それだ! 許せねぇ!」と叫ぶ。
「馬鹿げてやがる。これ以上、トラック運転手を苦しめてどうすんだ!」
「たしかに酷い話だよ。わたしも抗議したいね。あの法案は、トラックの重要性と貢献を無視している。トラックがなければ、日本の経済の損失になるというのに」
「なんだ、アンタ。分かってんじゃねぇか!」
わたしの共感を得たためか、安村の表情が和らぐ。
安村さん、ちょっとチョロいかも。このまま落ち着いてもらえれば、バスジャックを止めるように説得できるかも。
スキルのおかげで、安村の本心を理解したわたしなら、この後の会話で状況を打破できるかもしれない。そう思い、わたしは笑顔で話を続ける。
「安村さんのようなトラック運転手さんたちがいるおかげで、わたしたちは生活できているからね」
「おう! そうだぜ! それを異世界脳の奴らは分かってねぇ!」
「現場を知らないとはこの事だ。政府の努力の方向はおかしい」
「そうだそうだ!」
「政府が取り組むべきことは、トラックを消滅させる事じゃない。日本をより魅力ある国にしていく事だと、わたしは思うよ。国民に『異世界に行きたくない』と思わせ、異世界人に『日本に行きたい』と思わせるような。例えば、社会保障、医療、教育──」
わたしは、つい饒舌になってしまい、思っていたことをぺらぺらと喋りかけ、キョトンと棒立ちしている安村を見て我に帰った。
いけない! 安村さんを置いてけぼりにしてしまった!
話について来れなくなった安村は、「馬鹿にしやがって!」と大きく舌打ちをすると、荒々しくバスの運転席に座った。癖なのか、律儀にシートベルトは締めている。
「待って、安村さん! 本気で人を轢き殺す気なの⁈」
「マジだ! オレは、国会にバスで突っ込んで、政治家共を轢き殺す! デスゲームの異世界に送ってやるんだ!」
わたしはスキルを発動させているので、彼の本気が伺い知れる。
まずい、まずい。国会なんかに突っ込めば、このバスに乗っているわたしたちも無傷ではいられない。あと多分、なんとなくだけど、政治家さんは異世界需要が低いから、普通に死んでしまうと思う。
と、同時にバスは火がついたかのように急発進し、荒々しく道路を爆走し始めた。雨のせいかタイヤが滑り気味で、右折や左折時に車体が傾き、このままでは国会にたどり着く前に、セルフ交通事故が起きてしまいそうな勢いだ。
ついに静まりかえっていたバスの乗客たちも、「バスを止めてーっ!」、「怖いよぉぉっ!」などと、悲鳴をあげて叫び出し、車内は恐怖でパニックに陥ってしまった。
「あぁ、わたしの力不足です。やっぱり、スキルで無双とはいきませんね」
わたしは吊り革にしがみつきながら、隣の若い女性に話しかけた。
彼女は「ちょ、落ち着きすぎじゃないですかっ?」と形のいい眉を釣り上げたが、それは一瞬のことだった。
「神様、助けてぇぇぇぇっ!」
バスに乗り合わせていた小学生が、泣きながら両手指を組んで叫ぶ。
その祈りの声が、わたしと隣に立つ女性の耳に飛び込んで来たのだ。
「だ、そうですよ。貴女ならどうにかできますよね?」
「はいはい! できますよ!」
女性は、ヤケクソ気味に言い放つ。それは、彼女の隠していた本心。わたしのスキルで引き出した答えなので、間違いない。
そして、わたしが「お願いします」と言い終わらない内に、女性は強引にわたしの手を掴み、引きずるようにしながら乗車客の頭の上を軽々と飛び越えて行き、運転席の安村に迫る。
驚いた安村は、サバイバルナイフを彼女に向けようとするが、間に合わなかった。
「我、サヴリナの名において、汝を亜の都へと送らん──。はい、ボンボヤージュ!」
女性の手の平から溢れる眩ゆい光が安村を包み込み、次の瞬間には、彼の姿は消え失せていた。
「安村さんは、どちらに?」
「デスゲームの世界よ。でも、職業【トラック運転手】がチート級に強いから、きっと楽しいわよ。ってか、私は日本で目立たないように暮らしたいのに! こんなことに力を使わせないでよ!」
消えた安村に代わってハンドルを握るわたしに、女性は腹立たしそうな眼を向ける。
容姿は若い日本人女性そのものだが、滲み出る神々しさは隠すことができていない。それこそ、後光がさしているのだから。
「目立たないようにしたいなら、就職活動より休暇を選ばれたら良かったのに」
立川あたりなら、休暇中の大物コンビに会えるかもしれない、なんて言葉は飲み込んでおく。彼女の勝気な眼を見ていると、余計なお世話だと悟ったからだ。
「だって、どんなものか知りたいじゃない。転生希望の自称社畜たちがどんなブラック企業で働いてるのか。体験してみないと」
「異世界の女神様は、言うことが違いますね」
わたしは、「世はまさに、女神による大召喚時代だわ」という台詞を残し、バスを意気揚々と飛び降りていった。
***
雨が止むと、傘が邪魔で仕方がない。
折り畳み傘にしておけばよかったと後悔しつつ、わたしはいつもより少しだけ遅れて通勤路を歩く。トラブルには見舞われたが、面接には余裕で間に合う。一安心だ。
そんなわたしの耳に、ラジオの司会者の明るい声が響く。
〈速報です! 与党が進めていた『異世界トラック規制法』ですが、議会で否決されたもようです! 世論の批判を受けたことも大きいのでしょうか? 繰り返します……〉
あぁ、このニュースを安村さんに聴かせてあげたかったなぁ。