第11話 有休消化とスローライフ
タイミングよく、わたしの元に総務部からの電話が鳴った。
「総務の真嶋です。今月中に消化されなければ、自動的に消滅する有給休暇が二十日間あります。ご確認ください」
仕事が好きなわたしは、これまで最低限の休みだけで十分だった。消滅する有休など、真理の扉に放り込んで捨て、代わりに「達成感」や「やりがい」を錬成しているくらいの気持ちだったのだ。
だが、今のわたしの心境は違っており、少し考えて部下たちに問う。
「ちょっとだけ、スローライフして来ていい?」
***
もちろん、20連休する気などない。土日と繋げて月曜日に有休を取り、わたしは二泊三日の旅行──と言っても、スタートイ株式会社が所有する保養所に泊まりに行ったのだ。
そして、旅の連れは営業部長の古川。彼は、わたしの急な誘いに乗ってくれただけでなく、保養所の予約や交通機関の手配も率先して行ってくれるという、いい友達っぷりを発揮してくれた。
「部屋は別やしな? 俺、一人やないと熟睡できひんねん」
「意外と繊細だね、古川」
「お前と同室は嫌やって、オブラートに包んだったのに。……ま、とにかく今回は誘てくれてありがとうな。俺も一回行きたかってん。嫁とか子どもとかいいひんと、行きにくいやん。スタートイ島」
古川はフェリーの上から海を眺めながら、明るく笑い飛ばす。
だが、わたしの見立てでは半分本当で半分嘘だ。少なくとも、わたしの知る彼は、スタートイ島とあだ名される保養所には興味がない。
スタートイ島は、美しい海に囲まれた島ではあるが、港以外は断崖絶壁ばかりでビーチはない。とくに観光場所もない。名産もない。ただ、宿泊施設があるだけという離島のはずだ。
わたしは以前、古川から「スタートイ島て、何がおもろいねん?」と直接聞いているので、彼は間違いなくスタートイ島に行きたかったわけがない。
だとしたら。
だとしたら、優しいんだろうなぁ。古川は。
わたしの動揺を察しつつも何も言わないでいる古川に感謝の念を抱き、空と海を見つめる。
今日の日本の空も、蒼くて澄んでいる。海に負けないくらいに。
わたしがぼんやりとしていると、フェリーの速度が分かりやすく緩んでいった。スタートイ島の港に到着したのだ。
そこは、何もない穏やかな島──の、はずだった。
***
スローライフに明確な定義はない。ただ日本人たちは、自給自足で食料を調達したり、物資を手作りするような漠然として似たり寄ったりなイメージを持っているらしい。
わたしが数々の面接で見てきた異世界スローライファーたちは、
「日本での趣味を生かして、異世界で石鹸を作って販売しました!」
「土魔法を使って、畑作を超効率化しました!」
「錬金術でポーションを作りました!」
などなど、生産の楽しさを嬉々として語ってくれたものだ。
もっとも、わたしがいた異世界には優れたハンドソープや帝国重工並みの農業機器メーカーが存在するので、ラッキーな異世界にトリップした子たちなんだなぁ……と、思ったものだ。
失礼。話が逸れてしまった。
そして、そのスローライフだが、日本ではとても流行っている。どれくらい流行っているかというと、たくさんの日本人が、わざわざ田舎の古民家や山や離島などを購入してしまうほどだ。
その現象が、このスタートイ島にも起こっていた。
「港、魚釣りしとる奴らでいっぱいやったな」
「気持ちは分かるよ。わたしだって、ただひたすら釣りに没頭してしまって、ラストダンジョンに行きたくなかったから」
「異世界の話ちゃうよな? 他社のゲームやんな、それ」
わたしが大きく頷くと、古川はやれやれと肩をすくめた。
だが、彼の「やれやれ」は実のところ、わたしではなくスタートイ島に居住する島民たちに向けられていた。
穏やかで何もなかったはずのスタートイ島の港には、必死になって竿を海に投げ込む日本人たちで溢れていたのだ。
「うおー! 晩飯釣ったらぁぁぁっ!」
「焚き火の前で焼き魚するぞぉぉっ!」
「旅館のメインディッシュにするわよぉぉっ!」
「魚拓取るぞぉぉっ!」
なんともすごい熱量で、たくさんの日本人が釣りをしている姿は見ものだった。もしかして魚釣り大会でも開催されているのではと思ったが、そんなこともない。最近のスタートイ島にとっては、ごくごくいつも通りの日常らしい。
港から少し歩いた何もなかった平地もそうだ。そこには、せっせと農作業をする日本人が右往左往していた。
「大量収穫だぁぁぁっ!」
「品種改良したウチのが一番んんんんっ!」
もはや、トラクターが走り回るレース場と化した田畑ゾーンに、古川は「なんやこれ」とぼやいていた。
誠に同感である。明らかに農業に不慣れな者たちが、なぜか争うようにして農業をしている様子が痛々しい。
そして、極め付けは商店街だ。
噂では、保養所にくっついている売店くらいしか店はなかったはずなのに、海岸近くの林が開拓されて石畳みの一本道が誕生していたのだ。
「寄ってらっしゃい~! 異世界石鹸と言えば当店ですよ~っ!」
「しゃーせーっ! ウチの野菜は異世界でも大評判だよ! 買いな買いなっ!」
「冒険者の旅のお供に石鹸はいかが? 日本でも使えるよ!」
「異世界で大ヒットした豆腐を再現! 美味しいよ!」
「異世界に革命を起こした石鹸で~す! 安いで~す」
「誰でも作れる石鹸やろ? いらへんわ。なんで、離島に来てまで石鹸買わなあかんねん」
古川は、やたら多い石鹸屋にうんざりとしながら商店街を大股で歩いて行く。たとえ、客引きにまとわりつかれても、ガンとした態度で断り続けている。
さすが、古川。白峰君だったら、何か買わされてるだろうに。
一方わたしは、観光地に来た気分で牧場のミルクソフトクリームを食べている。この島のどこかに牧場があるという驚きと、驚くほど想像の域を出ないソフトクリームの味にがっかりしながらだ。
「異世界人もびっくり⁈ ってキャッチコピーだったのに、これは詐欺かもしれないよ」
「誰も、異世界人がこないな離島に来るとか思わへんやろ。……それよか、なんやねん。スタートイ島のこの状況は⁈」
「ゲーム脳ならぬ、【異世界スローライフ脳】のせいかな?」
わたしの見解はシンプルだ。
「わたしたちは、この島のことをスタートイ島と呼んでいるけど、実際はスタートイが土地の一部を買い上げて保養所を建てただけ。残りの土地は、離島スローライフを送りたい人たちがどんどん購入しているんだと思う。だから、島人が増えた」
「は? 土地買うんはええけど、どこがスローライフやねん」
釣り大会のような魚釣りに、レースのような農作業、風俗店のような客引きは、わたしだってスローライフと認めてよいものか悩むところだ。なんだか歪んだスローライフに感じざるを得ないのだ。
「単純に、自然に根ざした生活だとか、ゆったりとした生活がしたいわけじゃないんだろうね。異世界での成功体験を、日本でもまた味わいたい……。自分は、異世界でこんなに素晴らしいスローライフを送っていたんだと、みんなに知らしめたい……、ってところかな?」
「ふぅん、なるほどな。それが【異世界スローライフ脳】か」
「うん。人事部用語だけど」
「でも、そんなん本末転倒ちゃうか? 承認欲求ダダ漏れで、スローライフなんかできひんやろ」
古川は、また一人しつこい客引きをいなしつつ問う。
元商人としては、こんな浮ついた客引きが許せないのだろう。古川の表情は、どんどんと険しくなっていた。
「スローライフには明確な定義はないからね。SNSに写真をアップしてもいいし、スローライフマシンを作ってもいいし、ハーレムを作ったっていい。石鹸だって作り放題だ。投げ出すくらいなら、なんでもやってみるといい」
わたしは、通りすがった古民家の庭で、花壇の手入れに飽きてしゃがみ込んでいる若者を見かけて、思わずクスッと笑ってしまった。
「作業感を感じてしまうと、急に飽きてしまう人もいるから」
「借金返してからが本番やしな。家をカスタマイズするんがオモロい」
「それ、タヌキの店舗が出てくる森のゲームのこと?」
「どやろなぁ」
「絶対そうだ。わたしには分かる。古川は、とある森の村人だ」
わたしは探偵のキセルをふかす真似事をしながら、断定口調で言った。
すると、古川は
「見抜けてるんやったら、大丈夫やわ。スキルに頼らんくても、お前にはええ眼があるやん」
と、不意に真剣な眼差しを向けてきた。
「なに? ゲームの話で真面目な顔して」
わたしは、肩をすくめてクスクスと笑う。だが、本当は古川が何を言いたいのか理解していた。
やはり、彼は気が付いていたのだ。
わたしが、【暴露】のスキルを使えなくなっていたことに。
こんな、なんの根拠にもならない話題から、不器用にわたしを励まそうとしてくれるところが古川らしくて好きだ。
「ありがとう、古川。鋭い君には、隠せないとは思っていたよ」
「別に、鋭いとかちゃう。ダチやから分かんねや」
わたしは、古川の“ダチ”という言葉が素直に嬉しかった。自分も彼を友人だとは思っているが、相手から言われると、また違った感じがする。
「ありがとう。せっかくだから、話を聞いてもらおうかな」
たくさん聞いてもらおう。なにせ、二泊三日もあるのだ。話す時間はたっぷりあるのだから。
だが、次の瞬間、わたしの時間は止まってしまった。
ガードレールを突き破り、蛇行しながら高速で迫るトラックの前から古川を突き飛ばし、痛みも苦しみも感じぬままに──。




