第9話 前世思い出し社員の社内恋愛
僕の名前は、白峰奏太。日本のゲームメーカー株式会社スタートイの勤務年数三年目のバリバリの平社員。二十五歳。
突然、語り手が部長じゃなくなってすみません。今日は、部長の部下の僕の話です。番外編、スピンオフ、外伝……、そんなかんじです。
ここで一つ前置きさせてもらいたいのが、僕のいるスタートイは本当にすごい一流企業だということ。
異世界トリップしまくりの世の中では、ゲームというコンテンツは基本的に廃れている。画面越しの美しいグラフィックも、オープンワールドも、フルボイスも、多様な分岐ルートやシナリオも、ホンモノの異世界には敵わない。
「ちまちまレベルなんて上げてられない! 俺はスキルで無双する!」
「推しキャラの見たことない表情……。尊すぎ!」
「エンディング後の世界を自由に生きるぞ!」
そう、異世界には自由だ。たくさんの出会い、冒険、戦い、ロマンス、ライフスタイル……、それらはトリップした人の数だけ存在し、日本人たちを魅了して止まない。
だけど、スタートイは、そんな異世界至高主義者の予想をはるかに超えるゲームを作り続けている。
RPG、アクションゲーム、シュミレーションゲーム、シューティングゲーム、アドベンチャーゲームなどなどたくさんあるけども、「若者が選ぶトリップしたい世界ランキング」のトップテンを独占してしまうほど、魅力的な世界を表現しているわけだ。
僕も、スタートイのリズムゲームの世界にトリップしてみたい。トリップして、可愛い歌姫たちのプロデューサーになりたい。
うん、今はそれはいいか。
とにかく、みんなが憧れる会社に僕は勤めているんだけども、世間での扱われ方は雑。すごく、つまらない奴。むしろ、なヘイトを集めがち。その最大の理由は、僕の人生そのものにある。
僕は、異世界トリップ未経験。【異世界童貞】なのだ。
◆◆◆
「【異世界童貞】って言葉、単なるネットスラングだと思ってたけど、すっかり浸透しましたね。流行語大賞の最有力候補って……、笑っちゃう」
ある日の昼休み、ランチ帰りの道中のこと。
家電量販店の店先で垂れ流されるテレビ番組をチラッと見た灰原藍里さんは、隣を歩く部長に共感を求めるように肩をすくめる。
「アニメがヒットしたからですかね? 【異世界童貞】の六つ子のやつ」
「灰原さん、それは本当の童貞のやつだよ。間違えたら、養ってる人たちに怒られるよ」
藍里さんはアニメに詳しくないため、部長の発言にピンときていない様子だった。形のいい顎に指を当てて考える仕草をするが、彼女の頭の引き出しには、それ以上の童貞ニートたちの情報は入っていないのだから仕方がない。
藍里さん、ゲームばっかりでテレビ見ないからなぁ。
僕がなぜそれを知っているかというと、お恥ずかしながら、藍里さんの彼氏だから。
藍里さんは、二十八歳で人事部の先輩社員だ。ブラウンアッシュの長い髪が綺麗なお姉さんで、控えめに言ってもとても美人だ。モブみたいな見た目の僕にはもったいない。
だけど、交際を申し込んで来たのは、驚くことに藍里さんからだった。しかも、僕が入社してからわずか一週間足らずで。
当時の僕は、「もしかしてドッキリ? 罰ゲームさせられてます?」と藍里さんを心配していたのだが、そんな必要はないくらい順調な交際が続いて今に至る。
終業後に二人で飲みに行ったり、家でゲーム対決をしたり、出雲に旅行に行ったり……。あぁ、僕は幸せ者だ。
だけど、職場の人たちには秘密にしている。同じ部署の二人が付き合っていると知られたら、きっと仕事がしづらくなるだろうから。
もちろん、我らが部長にも言っていないし、バレないように僕はなんて事ない顔をしながら、今も部長と藍里さんの数歩後ろを歩いていた。
そして、話は【異世界童貞】に戻る。
なんて事ない顔をしていた僕だけど、この話題だけはそうもいかなかった。だって、僕がそうだから。
僕は、話題を変えたくてスマートフォンのニュースアプリを起動させたが、そこでとんでもないトピックを見つけてしまった。
〈ニュース速報! 総理大臣が【異世界童貞】という事実を隠していたことが判明。野党からは、国のトップに相応しくないと辞任を迫る声や、『給料泥棒』や『詐欺師』などと叫ぶ過激な国民たち。総理官邸に爆破予告まで届き、警察が動いている〉
わ、わわわ! なんて物騒なんだ! 【異世界童貞】は、人の上に立ったら爆破されちゃうのか⁈
怖すぎる。総理、可哀想。おじいちゃんなのに。まぁ、老人も異世界トリップする時代ではあるけど。
僕が震えながらスマートフォンをポケットにしまっていると、部長がくるりと振り返って口を開いた。
「灰原さんと白峰君は、【異世界童貞】をどう思っているの?」
僕がそうであることを知っていて、部長が尋ねてくる。もちろん、僕は藍里さんにも伝えているけど、あまり触れてほしくない部分なのだ。
だって、うっかり広まっちゃったら、僕も爆破されちゃうかもしれないじゃないか。
うわ、やだなぁ逃げたいと、僕は食べたばかりのアジフライ定食がお腹の中で暴れ出すような感覚に陥る。
【異世界童貞】とは、異世界にトリップしたことがない人のことだ。この異世界トリップ乱発の日本では、むしろ希少価値があるのだが、その単語が指す意味は侮蔑的なものだ。
選ばれない人種、運がない人、適応能力なし、頑張ったエピソードなし、井の中の蛙、頭でっかち、モテない、マザコン……。
そんな根拠のない酷いイメージのせいで、僕の学生時代は暗かった。合コンの自己紹介で「私の名前は〇〇です。□□の異世界で△△してました」なんて言うのが当たり前の世の中なんだから、仕方がない。
だがら、なぜ藍里さんが僕を選んでくれたのかが、本当に謎なのだ。
そして、もちろん就職活動も難航した。企業説明会の段階で先方に嫌な顔をされたり、そもそも募集要項に「異世界トリップ経験必須」と記載されていたりするのだ。門前払いとはこのことだろう。
そして、もう本物の(異世界)童貞ニートになるしかないのかな、なんて絶望しかけていた僕に手を差し伸べてくれたのがスタートイ。
二度目のなぜ。なぜスタートイみたいな大企業が、【異世界童貞】の僕を採用してくれたのかは分からないけれど、捨てる神あれば拾う神ありというところだろうか。感謝してもしきれない。
「私は、【異世界童貞】なんてバカらしい考え方だと思います。だって、異世界に行けるかどうかは運次第なんだし。行かなくったって、優秀な人はたくさんいますよ。むしろ、人格が歪まなくて済むんじゃないですか?」
僕が自分の半生を振り返って一喜一憂していた数歩前で、藍里さんは淡々と辛口な意見を述べていた。だがそれは、僕にとっては救いの言葉だった。
ありがとう、藍里さん。さすが、僕を選んでくれただけある……!
「はい、僕も! はい!」
僕も藍里さんに便乗して大きく頷くと、部長「だよねぇ」と声を出して笑った。
「あはは。人格が歪むかどうかは個人差があるとして、その考え方は上司として嬉しい限りだよ。大切なことは、何を学んだか、だから」
「そういえば、部長は僕の面接の時に『日本で学んだことは?』って質問をしてくれましたよね。……そっか。場所よりも内容を重視してくれたわけですね!」
「気づくのが遅いわよ」
部長に代わって、藍里さんがツッコミを入れる。
詳しくは教えてくれないのだが、藍里さんは異世界で魔王の秘書をやっていて、派手にクビになったという経歴を持っている。
【異世界童貞】の僕を気遣うための謙遜かもしれないけど、彼女は自分が異世界でたいそうなことは成せていないから尊敬には値しないと、機会があるごとに強調する。
だから、部長みたいな面接官になりたいって言うんだろうなぁ。
僕はまだまだ面接官経験は少ないけれど、追いつけ追い越せの精神で頑張らないと、藍里さんに釣り合う男にはなれないだろう。
「異世界にトリップしたことがなくったって、立派に働けるって証明します!」
「白峰君、そのいきだよ!」
「よっ! 未来のエース! 異世界至高主義に負けるな!」
「頑張りますっ!」
部長と藍里さんに持ち上げられ、僕は鼻息荒く拳を掲げる。
なんだか、今なら何でもできそう! 異世界でぶいぶいいわせてマウント取ってくる勇者だって、張り倒せそうだ!
ありがとう、とくに藍里さん! すごく好き!
だけど、その時だった。
現実は小説よりも奇なりと言うけれど、まさにそれだった。
もうすぐ会社に着くという交差点を曲がろうとした僕たちの目の前に、スウェット姿の青年が行く手を塞ぐようにして現れた。彼の手には、ギラギラした刃が剥き出しの大振りなナタが握られているのだが、それが真っ直ぐにこちらに向けられているのだ。
「コスプレ用ですか?」と訊きたいのは山々だったが、そんなことを口走ってはいけない状況であることは理解できる。
なぜなら、僕はその青年を知っていたからだ。
「えっと、西岡大和君……だったよね? 僕たちに何か用かなぁ……?」
「僕たち、じゃねぇよ! てめぇに用があんだよ、白峰ぇっ!」
西岡青年の怒号に、僕は震え上がった。部長と藍里さんは震えたり悲鳴をあげたりはしなかったけど、ジリジリとその場を後ずさる。背中を見せたらすぐさまズブリと斬り付けられそうで、迂闊に動くことができないのだ。
「白峰君が面接を担当した子、なのかな?」
「そうだ! コイツがオレを不採用にしやがったんだ! 恥かかせやがって、許さねぇぞ! ぶっ殺す!」
「僕だけで決めたんじゃないのに、そんな理不尽なっ!」
部長と藍里さんも頷くけれど、西岡青年はもの凄く怒った顔でツバをコンクリートに履き捨てる。
「白峰、お前の存在が許せねぇんだっ! 【異世界童貞】のくせに、勇者やってたオレを落とすだぁ? 可笑しいだろうがよ!」
「なっ、なんで【異世界童貞】って知って……」
「どうでもいいだろうが! このゴミ野郎!」
西岡青年は、僕の言葉を食い気味に吹き飛ばすと、ナタを手首のスナップでぐるんぐるんと回転させる。ゴミを粉砕するディスポーザーを連想させられて、ゾッとしてしまう。
そして西岡青年の怒鳴り声で、ようやく周囲もこの危機的状況に気がついたらしく、悲鳴をあげる人や猛スピードで逃げていく人たちの姿が、僕の視界を駆け抜けていく。
やばい、マジもんのピンチ。わぁぁぁ……、僕が【異世界童貞】だったばっかりに、逆恨みされるなんて! 藍里さん(と部長)まで危ない目にあわせてるし!
「や、奴の狙いはぼ、僕なんで、下がってくださいぃぃ!」
西岡青年の前に躍り出た僕は、背後を振り向く余裕もなく叫ぶ。
異世界にトリップしたら言ってみたかった台詞を、まさかこんな絶望的な場面で言うハメになるなんて。聖剣も鎧も盾もない。装備品はスーツと財布とスマホだけ。つまり、丸腰でナタの前に立っている。
「死んで、異世界トリップしようなんて思っちゃダメだよ!」
部長、僕そんなつもりありません!
こんなことなら、格闘技でも習っておくべきだった……と、へっぴり腰でファイティングポーズを取る。一応、いつでも昇龍拳を繰り出せる構えのつもりだ。
「部長! 念のために訊きたいんですけど、やばい奴を異世界に転送できるスキルとか持ってません⁈」
「わたしには【暴露】しかないよ!」
ですよね! それしか見たことないし!
「おい、こら! ごちゃごちゃうっせぇぞ! 今、部長っつったなぁ? オレの無双人生を台無しにしやがった白峰も、クソ上司も斬り刻んでやるぜ!」
あれっ? 藍里さんは?
そう思った瞬間、両腕を広げて立つ僕に、西岡青年のギラギラナタが襲いかかる。ナタが空気を鋭く斬る音がして、僕は怖くて思わず目を閉じた。
***
「ひぎゃぁっ!」
叫んだのは白峰ではなく、地面に叩きつけられている西岡。
あまりの恐怖に気絶した部下に代わって、上司のわたしが語らせていただこう。
白峰と同じく部下である灰原藍里が、こっそりと西岡の視界から消え、背後に回り込んで格闘ゲームさながらの回し蹴りで西岡を地に沈めたのだ。そして、鋭く尖ったハイヒールのピンで手の甲を踏みつけ、ナタを奪った。
「あんたが不採用になったのは、あんたのせい! 勇者だから何よ! ゴミはあんたよ! 身の程知らず!」
灰原が烈火の如く怒り狂う様は、さすがに初めて見た。彼女が格闘技に長けていることは、初めて出会った面接で聞いていたのだが、これほどの威力とは思っていなかったので、素直に驚かされた。
正直に言って、普段のクールな雰囲気とのギャップが恐ろしい。
でもまぁ、当然か。
「大切な人を二度も失いたくはないよね」
気絶したままの白峰を膝枕しながら、わたしは灰原にそんな言葉をかけた。
「そう、ですね……。ちょっとトラウマなので。しかも、似たようなシチュエーション」
灰原は、駆け付けた警官たちに西岡を引き渡すと、泣きそうな笑顔を浮かべながら「奏太君、もらいます」と、膝枕の交代を進言した。もちろん、任せる。
わたしは、灰原と白峰が交際していることを知っていた。そして、二人が時と世界を超えて愛し合っていたということも──。
「私、部長には言いましたっけ? 私は異世界で魔王様に召喚されて、秘書をしてたって。魔王様、すっごく優しいんです。人間の国の侵略なんて、少しも考えてなくて。っていうか、ビビり屋さんで、可愛いくらい。……私は、そんな魔王様のことが好きになってしまって──」
「でも、勇者が攻めてきたんだよね」
「そう。そうなんです。酷くないですか? 悪いことしてないのに、魔王ってだけで討伐されるんですよ? 私も格闘術で戦ったんですけど、もう全然勝ち目がなくて。……魔王様、勇者に負けるって確信しちゃって、私をクビに──、日本に強制送還したんです」
わたしは、黙って頷きながら聞いていた。
魔王は、「来世でまた会おう」とか「愛している」とか、そんな言葉を灰原にかけたのだろうか。いや、中身が白峰君なら、そんな格好のいいこと言えないか。
そう。白峰の前世は魔王。彼の持病である勇者アレルギーは、おそらく前世で勇者に苦しめられたトラウマからくるものだろう。
だが、彼には何の記憶も残っておらず、再会したことに気が付いたのは、灰原だけたったという。
「瞳も、声も、笑顔も魔王様のまんまだったんです。私、会社で会った時は嬉しくてたまらなかった……! 私の魔王様がいるって!」
「うん。あの時の君、発狂しかけてた。『魔王様に前世の記憶を取り戻してもらう!』って、張り切ってたよね」
灰原は、照れくさそうに微笑む。
「えへへ……、そんなこともありましたね。でも、今は私……、奏太君が思い出さなくてもいいって思ってるんです。魔王様のことは好きだけど、白峰奏太君が大好きだから。二人で、現世を生きていきたいから」
あぁ、なんだか二人の過ごした日々が挿入歌と共にフラッシュバックしそうだ。
白峰君、今度こそ灰原さんを幸せにするんだよ!




