高校生活と受験期
進学校に入学して、勉強漬けの3年間が始まりました。
初めのうちは多すぎる課題に苦しみながらも、これが高校生活だ、これが青春なのだと楽しむように心がけていたと思います。
しかし一年生の夏、入学してからわずか数か月で限界が来ました。
毎日、笑っていればどうにかなると思いました。私はとにかく何でも笑いました。課題が多くても、親に嫌なことを言われても、眠れなくても、明るく振舞っていればいいのだと自分に言い聞かせました。なんにでも興味のあるふりをしていれば将来は明るいと信じていました。
今となっては、その頃から躁鬱病の症状が現れていたのだと思います。
一年生の秋、寒くなってきた季節、私の体に異変が起こりました。
まず、毎日微熱が出るようになりました。それから風邪もひいていないのに咳が出て止まらなかったり、体がだるかったり、常に頭痛や吐き気に悩まされるようになりました。何度も病院を受診して検査していただきましたが原因は分かりませんでした。
だんだん私は学校を休むようになりました。不登校呼ばわりされるほど、高い頻度で学校に行けないほど体調が悪い日が続きました。
高校二年生が終わるまで、確かずっと休みがちな生徒だったと思います。その頃の記憶はあまりありません。
父親からの虐待が原因であるかと思い、父親には内緒にして、平日に母親と心療内科を受診しました。何度も話をしたはずですが、「勉強が大変なんだね」「お父さんも精神科に行くべきだね」と言われたことしか覚えていません。薬は処方されることなく、ただお金と時間だけが取られていくような気がしました。通う意義を感じなくなり、通院を諦めました。
高校三年生になり、私は毎日学校に行くようになりました。二年生の時に参加した大学の企画でいい成績を収めたため、推薦を出してもらえるかもしれないと言う話があったからです。しかし高校三年間での欠席が10日以下でなくてはいけないと言う決まりがあり、「三年生の時に毎日登校したら出せるかもしれない」という先生の言葉を信じて、どんなに体調が悪くても毎日登校するようになりました。
気づけばすぐに受験期を迎えていました。躁鬱病のせいか文章を良く読むことができず、十分な思考力も無かったため、周りの生徒と比べて地道で、効率の悪い受験勉強をしてきたと思います。
私にとって受験は「夢を叶えるための努力」ではなく、「実家から逃げるために仕方なくやらされること」でした。
センター試験が終わり、周りよりも成績が悪かった私は、担任の先生に勧められた大学を受験することになりました。推薦入学の話は無かったことにされていました。
受験にはなんとか合格することができました。
しかし、全くもって嬉しくなかった、喜べなかったのを覚えています。