精神科の通院、治療
大学一年生のころ、実家でのトラウマのフラッシュバックが激しく、精神が安定していないことが多かったのですが、精神科のある病院を探す気力さえありませんでした。一人の部屋でパニックになっても、放っておけば治るものだと思っていました。
でもある日、このままではどうしようもないと気づきました。大学のカウンセラーの方にメールを送り、近くにある精神科を紹介してもらいました。そうして通い始めたのが今年の、大学一年生の2月です。
最初のうちは、フラッシュバックを消すための薬を出されました。しかしただ苦いだけで、怒鳴られる声の幻聴や人影の幻覚は消えませんでした。
最初の診断は「重度ストレス反応」「鬱状態」でした。
次に不眠を解消するために睡眠薬が処方されました。同時に精神を安定させるための薬が処方されました。
睡眠薬により寝付けるようにはなったのですが、日中も起きていられなくなりました。
また、精神がさらに不安定になっていきました。明るいときは周りに怒られてしまうほど無責任な言葉を発し、動きすぎて疲労にさえ気づかない日もありました。
診断名は「躁鬱病」に変わりました。
まずは薬を切り替えるために、以前まで飲んでいた薬の量を減らしていきました。その過程で「解離症状」と呼ばれるらしい、体から力が抜け、手足がしびれて立ち上がることが困難になる症状に苦しみました。コロナの状況下でしたが幸いにも大学に行くこともあり、スーパーなどにも買い出しに行かなければいけない。普通の人のように歩くことが難しく、百均で買った歩行用杖を十代なのに持ち歩くことになりました。
そして精神の波を小さくするための薬を、何種類も処方されてきました。まだ自分に合う薬は見つかっていません。意識が途切れたり、鬱状態が酷くなったり、眠れなくなったりして、10か月が経過しました。
これまでは週に一度通っていたクリニックでしたが、最近は二日に一度のペースになりました。私が四六時中自殺を考えるようになったためです。
今後のことは分かりません。ずっとこのまま改善が見られないかもしれません。最近は「もうここで治療できることはないかもしれない」と言われました。生まれてからずっと刷り込まれたトラウマやストレスがほんの数か月、ほんの数年でなくなってくれるわけがないことは分かっています。それでも、初めて薬を処方されたときは「やっとこれで救われる」と愚かにも考えていました。
世間の皆様が自粛で苦しんでいる時間を、私は何の進歩もなかった闘病に溶かしました。
今はもう不安な気持ちさえなく、絶望に近い状態で、将来のこともまともに考えられず生きています。周りと同じように勉強もできなければ、障害者(自分の症状は自分にとって「害」なので、ここではこの漢字を当てさせていただきます)として就職さえできないかもしれない。いつからこうなったのか記憶も定かではないし、この先も見えない。ならいっそ死んでやろうと何度も思うから、また通院費がかさむのです。自分を殴ってきた親に通わせてもらっている病院や学校、住まわせてもらっている家、それらをどれだけ無駄にすれば私は気が済むのでしょう。
私が悪いのでしょうか。もう生きるためではなく、通院も通学も、やれと言われていることだけをやっているのです。だんだん大切だったものや好きだったものを自分の手から離していき、自分の手元には何も残っていません。それでも私は生きていなくてはいけないのか、また何度もその問いに戻ってくるのです。