恵まれていても、それでも死のうと思う毎日
よく眠れず、何度も目覚める夜中。その夜中を超えて、目覚ましの音で目が覚めるたび、私は「消えてしまいたい」と思います。
食事をするのにももう飽きてしまいました。料理もする気にならないので同じ冷凍食品を食べて、寝不足だからとコーヒーを流し込んで、薬を何錠も流し込みます。
一人でいると気が滅入ります。そしてすぐに死のうとしてしまいます。溜めている精神薬を一気に飲めば死ねるだろうか。アルコールをたくさん買ってきて、一気に飲めば死ねるだろうか。ロープはどこで手に入るのだろう。
だから平日はすぐに学校に行き、なるべく一人にならない状況を作ります。死ぬ手段のない場所に行きます。もうどこか遠くに行き一人で死んでしまおう、行方不明になってしまおう、と考える気も起きません。きっとロープを買うほどの気力も残っていないでしょう。
学校に来れば、幸いなことに優しい友人たちと優しい環境が待っています。ときどきそこで私は「生きてもいいかな」と思ったりします。それでも「いや、死んだほうが楽だな」と思ってしまいます。
最近はいつ死んでもいいように、周りの人にちゃんと感謝を伝えるようになりました。「生きていて偉いよ」「課題をちゃんとやっていて偉いよ」と、冗談に受け取られても仕方ないことばかりを口にするようになりました。また、毎日電話をかけて「死にたい」とばかり愚痴を言っていた相手と話すのをやめました。死ぬ前に一度家族と会うために先週、母と弟に会ってきました。自分は恵まれている環境にあるからこそ、感謝をしておかないとちゃんと死ねないと思うのです。
今日にでも死ぬ勇気が出て一瞬で死んでしまうかもしれない、明日限界を迎えてこの世から逃げてしまうかもしれない。そんな不安があります。だから今すぐ消えてもいいように、毎日なぜか生きています。
ある人には「この歳になって知り合いが死ぬとかいうトラウマを作られたくない」と怒られ、ある人には「遺品を整理する家族はどう思うんだろうね」と言われたりします。それでも死んでしまえば、私には関係ないことだから一切気にならないのです。
やっと繋がった自殺相談の電話の方には「辛いんですね」「そうですね」と言われるだけでした。何の意味も感じられなくなり電話を切りました。
精神科の先生には「自殺は絶対にしちゃだめですよ、すぐにまた病院に来てください」と言われ続けます。一人になりたくないからとたくさん入れた予定で病院に通う時間がありません。精神科の方に心配されてしまうほど「危ない状態」なのだと言われました。
かと言って自分にできることは何かが良く分かりません。周りよりも勉強に割く時間を少なくして、休む時間を多く作っているはずなのに、心はどんどん壊れていきます。
数年間ずっと好きだった趣味は何も手につかなくなりました。例えば、ここに載せていたような小説も書けなくなってしまいました。テレビ番組などは楽しむこともなくただ部屋で音を流すだけになっています。楽しいと思えることや娯楽はなくなりました。ただ目の前にある課題だけをやって、数か月先のやらなければいけないことにストレスを感じて追いつめられることしかできません。
「それでも生きなくてはいけませんか」とよく私は口にします。
こんなにどうしようもない状況なのに生きていなくてはいけない、と周りには言われ続けます。
それでも、これまでの人生の全てを諦めて生きていかなくてはいけないのでしょうか。まだそれが理解できません。