「死ね」が「死にたい」になったとき
小さいときは毎日、自分を傷つける大人に死んでほしいと、そうでなくても自分に危害を加えない場所に行ってほしいと思っていました。
そしていくら自分が呪っても他人は変わらないと気づいたとき、絶望しました。
他人である父親を呪うことが、父親が悔しがるのを見るために努力することが私の原動力でした。口喧嘩で黙らせたい。父親が行けと指示する高校よりも偏差値の高い高校に入りたい。そのために勉強をして、論理的な話ができるように売られた口喧嘩は全て買うようにしました。学校の先生に虐待の相談を持ち掛けて、父親の社会的地位を下げてやれないかと思いました。
全ては父親に「死んでほしい」という思いから来ていました。肉体的な死ではないにしろ、社会的な死や精神的な死を望んでいました。
しかし父親は娘である私のことなどどうでもよく、学校の先生たちはろくに取り合ってくれませんでした。結局どの形でも父親は死んでくれませんでした。
小さなとき、世界で一番嫌いな人は父親でした。しかしどんなに嫌っても努力をしても、何も自分を取り巻く環境は変わりませんでした。
憎しみから生まれた努力が無駄なら、それ以外の努力をすればいい、自分のために生きればいい、と考えられると思います。しかし私は気づいたら自分のことを嫌っていました。嫌い、やがて興味が失せ、自分の人生や思考がこの世で最も「どうでもいいもの」に成り果てました。
わがままが今度は自分に向かってきて、早くこの世界からいなくなってしまえばいいと思い始めました。やがてどうでもよくなりました。生きていてもいなくてもどうでもいい。何をしようが興味もない。
私が毎朝起きている理由はあまり良く分かりません。どうして食事を無理やり口に入れるのかも、ろくに眠れもしないのに布団に入る意味もあまりわかりません。
今日も私は「死にたい」と口にしながら大学まで歩いて行きます。課題やテストの存在にストレスを覚え、病院からいただいた薬を飲み、努力している友人たちの目の前で休んでしまいます。家賃を払ってもらっている一人の部屋で買い与えられたテレビを付けて、薬を飲んで眠ろうと努力します。
「まだマシだろう」と思うことがあります。
ある日「自殺しようとしてたんだ」と電話してきた友人のこと思い出します。誰にも「死にたい」と言わず自殺の準備を進めていて後は実行するだけだった友人と比べ、私はこの場で死んでしまいたい願望を連ねています。