不安と「死にたい」願望
大学生として、日ごろから課題が出されればその存在が不安の種となってしまうため、雑でもいいからとなるべく早く仕上げるようになりました。試験はあると分かっただけで一度体調を崩したり、ストレスで眠れなくなったりします。そこそこの点を取れればいい、単位さえ取れればいい、点が足りなくてもまた次がある、そう頭ではわかっていても体は言うことを聞いてくれません。
最近は将来についてよく考えるようになり、色々な場所の見学等のために数か月先の予定まで立てるようになりました。そのイベント自体は楽しみなのですが、その存在が私を不安にさせます。
不安になるとき、そして同じような予定のある友人が平気そうに毎日を過ごしていることに気づいたとき、私は「死んで楽になりたい」と思います。死んで考えることを放棄すればこんなことに悩んだり、肉体的に苦しんだりすることもなくなります。
なにも「死ぬ」ことだけが「楽になる」手段ではないと分かっています。
何の予定もいれず、何も考えず、不安になる種を作らず、周りを見なければいいのです。少なくとも今の私にはそのくらいの選択肢しか思いつきません。
それを一年前の夏休みに実行しました。精神疾患により自動車学校に通うこともできず、勉強にも手を付けず、友人とも会わず、ろくに食事もとらず、娯楽らしい娯楽も見つけられず、床で眠るだけの生活を送りました。その時の記憶はぼんやりとしていて、その時考えていたことはあまり覚えていません。
高校生のころまでの夏休みは、課題や部活に追われたりして休めた試しがありませんでした。初めてろくに休みらしい休みを取ることになりました。
その休みを終えて、精神は休まることはありませんでした。実家で殴られた記憶や怒鳴られた記憶がフラッシュバックして、幻覚や幻聴が現れるようになりました。
そして「私は休んだって楽にはなれないんだ」ということを理解しました。
そして最近は、「逃げるために死にたい」と思い始めました。日常を放り出して逃げることもしました。それでも楽になれないのなら、もう「死」しか手元に残っていない気がしたのです。
楽を求めて生きてきた私は甘く、未熟なガキだとよく言われました。
本当にその通りだと思います。
それでも、それがわかっていても、手元には何度も心を刺した透明なナイフがあります。今度こそと何度も刺して、きっと錆びているでしょう。