受けてきた虐待
虐待は主に父親から受けてきました。
幼いころは、身体的虐待をよく受けていました。殴る・蹴るなどの暴力です。私には2歳年下の弟と6歳年下の妹がいて、主に私と弟が暴力を受けていました。私よりも弟の方が、受けていた頻度は高かったと思います。
よく覚えているのは、私が小学生になるかならないかくらいの頃、横断歩道の真ん中で父親が弟を地面に押し付け、怒鳴りつけていた光景です。まだ赤ちゃんだった妹を抱いた母と呆然とそれを見ていました。
子供が成長するにつれ、子供への精神的虐待も増えました。元から父親から母親への精神的虐待はあったため、もしかしたら物心つく前から受けていたのかもしれません。
母親への精神的虐待としてよく覚えているエピソードは、母親がある日、電話で父親に怒られ泣き出したことです。当時幼稚園児だった私とそれより幼かった弟は、電話口から聞こえる怒鳴り声と、目の前で泣き出した、頼れるはずの存在である母を目の前にしました。どうしたらいいかわからずティッシュペーパーを差し出しました。ごめんね、ありがとう、といいながら泣き続ける母を見て、漠然と「父親に怒られるのは面倒だな」と思っていました。
私と弟が幼く、まだ妹が産まれていないころ、まだ子育てが良く分かっていなかった母も私たち二人に手を上げることがありました。しかしその後必ず謝ってくる母と、それよりも痛いことをしてくるのに誤ってくれない父親との間に確実な差を感じていました。
妹が産まれ、六歳になり小学生になった私は、父親からよく「お姉ちゃんなんだから」「もう小さい子供じゃないんだから」という言葉をかけられるようになりました。褒めてもらえるのは勉強ができた時だけしか覚えていません。相変わらず暴力は続き、「お姉ちゃんだから」と我慢を強いられることが増えていきました。
しかし、私への暴力はある日を境にぴたりと止みました。
小学4年生のある夜、寝室で私と弟が喋っているのを聞きつけて、父親が「うるせえ」と怒鳴りながら私たち二人を蹴り飛ばしました。その時母親が
「女の子のお腹を蹴っちゃだめでしょ」
と父親に抗議しました。苦しくて息ができなかった私はぼんやりとそれを聞きながら、「弟はいいの?」と思っても口に出せずにいました。
その日から、私への暴力はなくなりました。代わりに、弟への暴力だけが残りました。妹は可愛がられて成長しても殴られることも精神的虐待を受けることもなく、弟への暴力は今でも残っています。
話は変わりますが、高校生になった時、父親による男女差別のようなものに気づき始めました。例えば家の工事をしたとき、家の名義が弟になっていた。私は公立の高校に進学したのに弟は私立の高校に進学した。私の友人関係や成績には一切干渉してこなかったのに、弟にはしつこく干渉した。面倒ごとが減って弟が可哀そうだと思う反面、自分は女にうまれてきてよかったと思ったり、私よりも圧倒的に金や時間をかけてもらえる弟の存在が時に妬ましくなったりすることもありました。