五十嵐羽衣 1話
タッタッタッタッ
軽快な足音が駆けて行く。
五十嵐羽衣、15歳、中学3年生の女の子だ。
小さい時から走ることが好きで、小学5年生の時から毎朝欠かさず走っている。
中学で陸上部に入り、1500mや3000mの選手として活躍した。
残念ながら、大会での上位入賞はならなかったが、夏休みが終わり同級生が部活を引退しても、羽衣は部活に残り走り続けている。
走ることが好きだから。
風を感じ、風の中で、走ることが好きだから。
朝は約5kmのコースを30分程で廻る。
朝の空気はひんやりとしていて気持ちが良い。
折り返しは里山地区の坂道の途中、神社の階段の所だ。
(あれ?今朝はお出かけかな?)
階段の2段目にはいつも一匹の黒猫が座っていた。
彼(彼女?)に朝の挨拶をして、帰路につくのが毎朝の慣例だった。
羽衣は足を止めて、辺りを伺う。
ニャァゥ
奥の草むらから小さな猫の鳴き声が聞こえた様に感じた。
普通なら、鳴き声が届かない様な距離だ。
羽衣は草むらに入り数歩進んだ所で、地面に横たわる黒猫を見つけた。
黒猫はまっすぐに羽衣を見つめている。
どうやら下半身に怪我を負っているようだ。
「えっ、ちょっと、どうしたの?怪我してるの?」
屈みこんで、黒猫の頭を撫でる。
近寄って黒猫の身体を見ると、腹部から後ろ足にかけて大きな裂傷があり、地面が濡れているのが判った。
他の猫か、動物とケンカでもしたのか。
事故にあったのか。
確実に判るのは、黒猫の命が尽きようとしていることだ。
「ネコちゃん・・・」
羽衣は黒猫の頭を撫でてあげた。
黒猫は羽衣を見つめ続け、そして目を閉じた。
撫で続けた指先から伝わる死。
「さようなら。」
涙を拭い、黒猫の姿を見つめる。
(お墓、作らないと・・・)
周囲に落ちている枝で穴が掘れるか?
家に戻ってスコップを持ってくるか?
考えを巡らせていると、黒猫の体が動いた。
いや、動いた様に見えた。
黒猫の身体の輪郭がぼやける。
空気が揺らめいている様だ。
黒猫の身体が無数の小さな粒子となり、その原型を保てなくなる。
やがて、風に吹かれる様に粒子が飛び散る。
その粒子の塊の中から薄緑色に淡く光る球体が現れた。
球体は直径10cmぐらい。
ふわりと宙に浮かんでいる。
(ネコちゃんの魂?)
目の前の現象を、呆然と見つめる羽衣。
ゆらめく球体はゆっくりと羽衣の身体に近付き、そして胸の辺りに触れ、吸い込まれた。
(あっ!)
胸の中心部に温もりを感じた。
あたたかい、さわやかな風のようだ。
「ネコちゃん・・・」
胸に手をあて、目をつむる。
目を開け、あらためて黒猫の身体を見る。
かつて黒猫であった粒子は、その半分が既に風に吹かれてなくなっている。
残りの粒子もやがてなくなるだろう。
羽衣は立ち上がると、道路に戻り、家への道を走り出した。
「ばいばい、ネコちゃん。」
涙はもう出なかった。
ただ、淋しさがあった。
――――――――――
「ただいま。」
「おかえり。
今日はいつもより遅かったのね。何かあった?
朝ごはん用意できているわよ。」
羽衣が家へ戻ると、母が出迎えた。
帰り道は、少しペースを速めたが、それでも10分ほど、いつもより帰りが遅れた。
「うん、ちょっと。
いや、なんでもないんだけど。
シャワーの後で話すから。」
そう言って、浴室へ向かう。
顔には涙の跡が残っているだろうし、母親には嘘や隠し事はしたくないのだ。
シャワーの後、学校ジャージに着替え、リビングに戻る。
「おはよう」
「おはよう」
「おはよう」
父親は食事を終え、新聞を読んでいる。
3歳下の弟の翼は食事中だ。
羽衣もテーブルにつく。
母親が、ごはんとお味噌汁を持ってきてくれた。
「姉ちゃん、転んだの?」
「いや、転んでないし。」
弟が、興味なさげに聞いてくる。
どうやら父母の間の会話を聞いての問いかけか。
いや、父親から聞くように言われたのかもしれない。
父親は新聞を読んでいるふりで、聞き耳たてている様だし。
母親も席についているが、箸は置いたまま、羽衣を見ている。
「えっとね。
いつもの朝のランニングコースの途中で毎朝会う黒猫がいたんだけど、
その子が、今朝、怪我をしていてね。死んじゃったの。
お墓作ってあげたんで、遅れたの。」
そう、一気に話し、お味噌汁を飲み、ご飯をほおばる。
「そっか、残念だったね。」
と母親は気遣ってくれた。
弟は鮭の身を一切れくれた。
父親は新聞を畳み、羽衣の頭にポンと手を置き、部屋を出ていく。
置かれた昨日の新聞には、街で起きている騒動の記事と写真が載っていた。
土曜日はテレビでずっとニュースを流していたが、
日曜日からはテレビも止まってしまい、地方テレビ局だけが、街の惨状を伝えていた。
そのニュースも今朝は映っていない。
「俺も空を飛んだり、火を噴いたりしてみたいなぁ。」
「何を馬鹿なことを。」
「えー、でも、こんなに沢山の人が魔法使いになっているから、チャンスありそうじゃん?
母ちゃんはどんな魔法が使えたら良い?」
「えっ?うーん。なんだろうねぇ」
「ごちそうさま。行ってくるね」
「あら、もういいの?」
「うん、遅れてるし。」
「姉ちゃん、いってらっしゃーい。鮭は食っておくー。」
お弁当と鞄を持ち玄関へと向かう。
学校までは徒歩で10分ほどだ。
靴を履き終えた所に父親がやってきた。
父親の出勤時間にはまだ早いはずだが。
「羽衣、これを持っていきなさい。」
とお守りを手渡す。
交通安全のお守りだ。
「ありがとう。えっ、でも、なんで?」
「いや、きちんとするならお塩とか、線香あげたりとかなんだろうが。
とりあえず、な」
「うん、ありがとう。いってきます。」
「ああ、気を付けてな。」




