判例:フィンチ領における、魔術師による虐殺事件
劉が意識を取り戻して、勢いよく飛び起きた。自分に手足があることを確認して、夢だったのかと荒い呼吸を整える。
だが、夢ではなかった。
劉がいたのは地下牢の独房の中。床の上に直置きされた毛布と、便器だけの土蔵。その独房の鉄柵の向こう側に、理一が立って見下ろしていた。
この程度の独房なら、魔法で壊して脱獄してやる。ついでに小賢しいこの日本人も巻き込んで殺してやる。
そう考えた劉が魔法を詠唱して、理一に向かって手を突き出した。
しかし、何も起こらない。
「な、何故……」
繰り返し魔法を使おうとするが、それでも魔法が使えない。劉が自分の掌を見て懊悩しているのを、理一は睥睨していた。
「死なれても困るから、手足をくっつけて止血もしてあげたよ。ついでに君の魔力回路を遮断してやった。君はもう、魔法を使えない」
「貴様!」
劉が鉄柵に掴みかかり、理一を睨んでいる。それでも理一は変わらず続けた。
「あのままだと君は死んでいたんだ。手足をくっつけるのもすごく苦労したよ。安吾が綺麗に切断してくれていなかったら、くっついても多少の麻痺は残ったはずだ。癒着もないし綺麗な出来だろう? 助けたお礼くらい言ってもいいんじゃないか?」
「礼だと! ふざけるな! 俺から魔法を奪いやがって!」
「人の命を奪っておきながら、自分は奪われるのが許せない? ふざけているのは君だ。因果応報だよ」
言いたいことを言って、理一は背を向けながら告げた。
「明日は君の裁判だ。僕が通訳をしてあげるから、そこで言いたいことを言うといい。ちなみに弁護士はいないよ、この世界にはね。それなりに自己弁護できるように、ここで頭を冷やすんだ」
理一が立ち去る地下牢の廊下に、劉の絶叫が響き渡った。
(やれやれ、あの様子じゃ裁判でも何を口走るかわかったもんじゃないな)
理一が溜息をつきながら地下牢を出ると、入り口で地下牢に案内してくれたフィンチ伯爵が待っていた。
そしてフィンチ伯爵が、おもむろに頭を下げた。
「トキノミヤ卿、此度の働きに感謝する」
「いえ、僕は特に何もしていませんし、今回劉に遭遇したのは偶然です」
はぁ、とフィンチ伯爵も溜息をついた。歩き出した理一に、フィンチ伯爵も歩みを揃える。
「今回の事件は、私の責任もあるな。貧民街を放置したツケが回ってきた」
「貧困は犯罪の温床になりえますから、今後政策を見直せばよろしいかと」
「そうだな。トキノミヤ卿のように優れた魔術師がいる一方で、ラウのような魔術師もいるのだな。この件で魔術師や魔法使いに風評被害が出ないといいが」
「どれだけ情報操作したとしても、人の口に戸は立てられませんから、多少は諦めるしかないでしょうね。ですが彼のことですから、裁判で余計なことを口走って、色白差別に拍車がかかるに留まるでしょう」
理一の言葉に、フィンチ伯爵が足を止めた。そして少し言いにくそうに、口を開く。
「君はそれでいいのか? その、君も色白だ」
魔術師と色白に対する差別、この流れはきっと止められない。それは理一もフィンチ伯爵もわかっている。
心配してくれているフィンチ伯爵に、理一はにっこりと笑い返した。
「ええ、僕らは問題ありません。僕らは肌の色ではなく、実力で信頼を勝ち取ってここまで来ました。見ている人は、ちゃんと見てくれていることを、僕は知っています。フィンチ卿、あなたのように」
フィンチ伯爵は少し面食らったようだが、「そうだな」と言って小さく笑みをこぼし、再び歩き出した。
「開廷する」
フィンチ伯爵の言葉で、劉の裁判が始まった。日本の裁判のように、傍聴人や陪審員などはいない。
政治や法の専門家が集まり、関係者の証言を聞いて判決を下す。原則裁判長はその自治体の長が務めることが多いが、それは市長だったり村長だったりが主で、領主が引っ張り出されると言うことは、ほとんど最高裁と同じ扱いだ。
それだけこの事件は、重大事件として扱われている。
まずフィンチ伯爵が、この事件の概要を述べた。そして理一を伴って、劉が前に連れ出された。
「申し開きはあるか?」
理一の同時通訳で話を聞いていた劉は、初っ端から声を荒げた。
「俺は悪くない! 悪いのはこの世界の人間だ! 肌の色が違う、言葉が通じない、それだけで俺を差別した! この世界の人間のモラルが低すぎるんだ!」
「と、申しております」
ギャンギャンと劉が喚く一方で、理一は淡々と通訳をする。そのギャップにフィンチ伯爵は少し唸りながらも、質問を続けた。
「差別的な風習については、君に同情を禁じ得ない。この世界はと言ったが、君は余所者か?」
「余所者という、その言い方も気に入らない! いつまで経っても受け入れないと言っているようなものだ!」
「それは失礼。では話を戻すが、君は別の世界からやってきたのか?」
「そうだ!」
「何故?」
「そんなことは知るか! ある日突然この世界に連れてこられて、言葉も何もわからない俺に、この世界の人間は誰も優しくしなかった!」
「そうか。君の状況には確かに同情すべき点がある。だが」
一旦言葉を切ったフィンチ伯爵は、射抜くように劉を見つめた。
「受け入れて欲しかったのであれば、君はもっと努力するべきだったのでは? 君の横にいるトキノミヤ卿は、君と同じように色白差別を受けてきた。だが、彼は語学にも堪能であり、自力で伯爵位まで手に入れた。そして人々からの信頼も篤い。同じ色白でありながら、君とトキノミヤ卿にこれほど差が生まれたのは何故だろうか? 私は努力の差だと思っている。ラウ、君は自ら歩み寄る努力をしたか?」
「何故俺が歩み寄らなければならないんだ! 困っている人を見つけたら、助けるのが筋だ!」
「それは違う。困っているなら助けてくれと言うのが筋だ。君は些か依存的だな。自らアクションを起こさないで、他人のアクションを求めるのは甘えだ。少なくとも、この世界では」
この世界は実にシビアで、困っている位では誰も助けてくれない。助けを求めたとしても、助かる確率は五分五分。劉は前の世界の概念を引きずり過ぎている。
自分からは何も行動を起こさないでいて、誰かが助けてくれるのを待っているなど、白馬の王子を待つ女と同じだ。
白馬の王子など現れない。それを待つくらいなら、自分で白馬を駆った方が早い。
だが、甘えていると指摘された劉は激高した。
「俺は県知事の息子だぞ! こんな扱いは許されない! 裁判など冗談じゃない! これは不当な裁判だ!」
「では君の罪状を述べよう」
浮浪者及びフィンチ領の市民の、ここ半年間での行方不明者は、判明しているだけで九十八名、黒犬旅団及び魔術師による魔法陣の検分により、人を生贄にした召喚魔法の行使の証拠、その製作者が劉であること。
更に、召喚されたと思しき魔物から、劉の召喚魔法の痕跡が見つかったこと。
「君が生贄にした人間のみならず、君が召喚した魔物による被害者も列挙すれば百五十名を降らない。確かに君には同情すべき点がある。色白差別というのは、この世界の汚点かもしれない。私がそう思うようになったのは、トキノミヤ卿に出会ってからだ。彼に出会って、私は肌の色でなく、個人で人を見ることの重要性を知った。だが、君のような存在と出会った事で、色白差別に拍車がかかるであろうことを、私は非常に残念に思う」
そしてフィンチ伯爵が主文を述べる。この事件においては、判決理由も罪状認否も不要だとされたのだ。
「主文。ラウ・シゥインを、死刑に処する」
絶叫して暴れ出した劉を、理一が押さえつける。その理一に比較された劉が、食ってかかった。
「何故だ、何故お前だけが!」
「勘違いしないでくれ。僕だけじゃないよ、この世界で頑張っている余所者は、僕だけじゃない。誰からも愛される村長になった人もいれば、大国を支配する王になった人もいる。魔王を打ち倒し勇者と賞賛された人もいるし、周りの助けを借りて、祖国に帰還した人もいる。劉、君にそれだけの熱意があったのか?」
理一に諭されて、ついに劉は泣き崩れた。せめて劉が理一達と早くから出会っていたら、こんな結末はなかったかもしれないのに。
そのまま裁判は閉廷して、この事件は劉の死刑ということで、幕を下ろした。