断崖の洞窟での戦い
理一達は断崖に洞窟があるのを見つけて、そこに足を踏み入れていた。長く続く洞窟は、糞尿と血が混じったような耐え難い空気を漂わせていて、その中に魔力の残渣が残っている。
慎重に周囲を警戒しながら進んでいくと、洞窟の中に一層魔力の濃い場所を見つけた。そこには描かれたばかりの真新しい魔法陣が描かれている。理一がその魔法陣を検分する。
「なんの魔法陣だ?」
「召喚魔法だね。呼び出す対象は魔物……じゃないな、これは、魔神?」
「魔神ですって!?」
顔色を青くするエリザベスの様子から察するに、ロクなものではないようだ。だが理一は落ち着き払って、エリザベスの背中を撫でた。
「大丈夫だよ、この魔法陣は欠陥がある。何度か召喚を試みたようだけど、魔神の代わりに魔物が出現したんだ」
「失敗したと言う事?」
「そうだよ。この魔法陣は決定的に不足している要素があるんだ。これを考えた本人は、それに気づいていなくて成功していると思っているから、実行したんだろうけどね。でも、そのせいで犠牲になった人の数は、十人や二十人じゃ済まない」
「なんてこと……」
エリザベスが悲壮な表情で口元を手で覆ったとき、洞窟の奥から物音が聞こえた。それは、洞窟の壁を手で叩くような音。
理一達は警戒しながらも、洞窟の奥へと足を運んだ。
奥に進むにつれて、その音は大きくなる。そしていくつかの呻き声も聞こえた。そして洞窟の最奥の壁は、明らかに魔法で作られた壁でできていた。
「鉄舟!」
「おう!」
すぐさま鉄舟が土魔法で、その壁を崩す。すると壁の向こう側には、老若男女問わず多くの人がおり、いずれも衰弱しきっていた。
そして一番手前にいた、壁を叩いていたらしい少年が、涙に濡れた顔を理一に向けた。
理一がざっとその人たちを見渡して指示を出した。
「全体に治癒魔法をかけた後トリアージする! 緊急性の低い人には、園生の作った回復薬を飲ませて行って!」
「わかったわ!」
理一が治癒魔法の光輪を発動し、全員にかけた後トリアージを開始する。園生が調合のスキルで作った回復薬を異空間コンテナから全部引っ張り出し、理一が緊急性の低いと判断した人にエリザベスと鉄舟が片っ端から飲ませていく。
その間に理一は緊急性の高い人に、集中的に治癒魔法をかけていった。
「理一! このバーさん意識がないぞ!」
「こっちに運んできて! 同時に治療する!」
「わかった!」
全員衰弱してはいるが、比較的若い人は体力があるので無事と言えた。だが、子どもや高齢者は死の淵を彷徨っている人もいる。糞尿も垂れ流しで、縛られて動く事もできず、食事も与えられていないようで、この環境に耐えられなかったのだ。
理一は最初に見ていた子どもと、鉄舟が連れてきた老婆を同時に治療し始めたときだった。少女に回復薬を飲ませていたエリザベスが、黒い人影に気がついた。
「リヒト!」
エリザベスが声をあげたのと同時に、黒い人影が炎弾の魔法を打ち込んできたのを、鉄舟が土壁で防いだ。理一は治癒魔法をかけながらも、その人物を鑑定して、エリザベスと鉄舟に言った。
「悪いけど、僕はそんな雑魚に構っている余裕はないんだ。二人でも十分対応できる。頼んだよ」
途端に興味を失ったように治療を再開する理一に腹を立てたのか、その人物は早口でまくし立てた。だが、その言葉はエリザベスには理解できなかった。
「な、何を言っているのよ」
「彼は無視するなと言っているんだよ。是那样? 劉秀英」
理一が中国語で語りかけると、その人物、劉秀英はフードを脱いだ。その肌の色は黄色人種の白めの肌色で、細く吊り上がった目をした中国人によくある顔立ちだ。
劉が中国語で語りかけてきた。
「俺の言葉が理解できると言うことは、お前は中国人か?」
「残念ながら違うよ。ただのマルチリンガルだ。君と同じ余所者ではあるけれどね」
「余所者でありながら、何故この世界の人に味方するんだ?」
「余所者だからと言って、敵対する理由がないからだよ。この世界の人にも、親切な人は沢山いる。僕らは友好的にしたいと思っているのに、君のような人間がいるせいで、余所者は白い目で見られる。いい迷惑だ」
「俺のせいじゃない! 先に迫害したのは、この世界の人間だ!」
「それは鶏が先か卵が先かという不毛な論争だね。君は狭量すぎるよ。どこの世界でもどの国でも、その土地の文化と言うものはある。それを受け入れる器がないのであれば、君に待つのは孤独だ。日本にはこう言う言葉がある。井の中の蛙。君のことだ」
エリザベスには理一と劉の会話が全く理解できなかったが、理一の挑発に乗った劉が怒り出したのは見て取れた。そして理一が時間を稼いでいる間に、鑑定を済ませた鉄舟が声をかけた。
「エリザベス嬢! 奴は風属性だ! 畳み掛けるぞ!」
「ええ! わかりましたわ!」
火属性のエリザベスと、土と火の属性を持つ鉄舟。風属性の劉の弱点属性である、火の属性を持つ二人であれば、看破することは可能なはず。
エリザベスが詠唱している間に、鉄舟が炎槍の魔法を作り上げて、それを劉に放った。だが、突如突風とともに現れた何者かが、炎の槍を切り裂いた。
残像のように揺れ動いていたそれが、人の形を取り戻す。それは、刀を納刀する安吾。
「おい、安吾?」
「誤解しないでください。ただ、この男は自分に任せてください」
いつになく怒気を漂わせる安吾、その動きは理一をしても捕捉できなかった。そして安吾が振り返り、刀に手を添える。
「俺のおつるを返せ」
安吾の言葉を聞いて、鉄舟とエリザベスはようやく気づいた。劉が纏う黒いローブの下に、誰かを抱え込んでいることを。
おつるが拐われた。だから、安吾はこれほど怒っている。安吾から溢れる気迫と殺意は、最早クロの威圧にも匹敵するものだ。
だが、劉は安吾がこちらの世界の言葉で話したことから、理解できなかった様子で、魔法を詠唱し始めた。それを見て安吾の殺意がさらに増幅したのを見て、エリザベスが声をあげた。
「サクラダ卿! その人は裁判にかけます!」
「承知しました。喋る余力は残します」
安吾が返事を返したと同時に、風刃の魔法が縦横無尽に襲いかかる。安吾は光速で移動しながら、その魔法を全て切り裂いて、劉に迫った。
「いくら魔法が使えても、俺のスピードに対応できないなら無意味だな」
最早残影すらも残さない、光速の斬撃。安吾の斬撃によって、劉は一瞬にして四肢を切り裂かれた。切り落とされた右腕から零れ落ちたおつるを、安吾がすくいあげる。
安吾はしっかりとその腕におつるを抱いて、四肢を切り落とされて達磨状態になった劉の喉元に、剣を突きつけた。
「殺してやりたいところだが、エリザベス様に免じて命だけは救ってやる。小物の分際で、俺を敵に回して無事と思うな」
ちゃき、と刀を返した安吾が、するりと刀を納刀する。失血によってぼんやりとした頭で、劉はそれを見ていた。
何故、余所者がこの世界の人間に味方する?
何故、日本人がこの世界の言葉を操る?
何故、魔法使いの自分が、剣士の足元にも及ばない?
何故。
あの方は、余所者はこの歪んだ世界を壊すために派遣されたと言っていたのに。
県知事の息子である自分が、このような迫害を受けることなどあってはならない。以前はもてはやされていた。なのにこの世界の人は、言葉の通じない色白と言うだけで、自分を迫害した。だから、壊すだけの理由がある。
そのために自分は魔神を召喚して、この世界を壊したかったのに。あの方が、その魔法を教えてくれたのに。
何故……。
疑問の渦巻く中、劉は意識を手放した。