暗躍する者
その日の夜半になって、安吾はようやく目が覚めた。おつるが安吾を心配して、ずっと看病していたそうだ。今は疲れたのか、安吾の横で蕾のようにうずくまっている。
安吾は特に体に異常はないそうだが、自分が3日以上も寝ていたことには驚いた様子だった。
「3日も鍛錬をサボってしまうとは……」
まず気にかかったのはそこらしいが、次いでフィンチ領の状況を尋ねられたので、鉄舟達やエリザベスが守ってくれたので大丈夫だと伝えると、安心した顔をした。
「よかったです。自分が倒れた甲斐がありました」
「それみんなの前で言ってはダメだよ。僕はベスにもみんなにもすごく怒られた」
「はは、とうとう怒られましたか」
その内誰かに怒られるだろうと、安吾は思っていたようだ。それを聞いて、気になって尋ねた。
「安吾は僕に怒らないの?」
「そうですね。慣れたと言うのもありますが、こちらに来て理一さんは生き生きしているし、それを邪魔したくないと言うのもありますね。心配でもありますが、自分やクロがフォローに回ればいいと思っています」
「大きな力を得て、僕が調子に乗る心配?」
「理一さんに限って、その点の心配は全くありませんね」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
「長い付き合いですので」
互いに小さく笑いあった後、安吾がベッドから出てストレッチを始めた。理一が倒れたせいで姿替えの魔法が解けたおつるも起き出して、安吾の隣でわっせわっせと腕立て伏せのような動きをしている。
それを眺めながら、安吾に血の女王を使った感想を聞いてみた。
安吾はぐっと大腿四頭筋を伸ばしながら、唸って答える。
「そうですね、あれは諸刃の剣です」
安吾によると、体感で七割がた魔力を持っていかれたらしい。しかも、それで発達したスキルは一時的なもので、今はもう元に戻っている。
それだけ莫大な魔力を消費しておきながら、一時的な作用しかない。相手によってはそれでも勝てない可能性はあるし、残存魔力量によっては、血の女王を発動した時点で勝負が決するリスクもある。
「しかも消費魔力が、一定なのか個人で違うのかもわかりません。もし一定であれば、理一さんなら序盤で使えば効果は絶大なものでしょうが、そうでない場合は問題です」
「そうだね、そこは近いうちに弱い魔物で検証してみよう。だけど、園生は飽食の悪魔について、そんな事は言っていなかったよね」
「おそらく飽食の悪魔は、常時発動型の魔法なのだと思います。食事のたびに園生は力を手に入れますが、同時に常に多量の魔力を消費しているのではないでしょうか」
「なるほど。道理で園生は戦闘では消極的なはずだね。園生は進んで無茶をする人ではない」
「ええ。常に残存魔力が多くないため、園生は意識的にか無意識にかわかりませんが、魔法の行使を避けているのでしょう」
安吾の言う通り、確かに諸刃の剣といえる。とにかく魔力消費が莫大な古代魔法は、強力であるがゆえにリスクも高い。とくに理一のように魔法を大盤振る舞いして
魔力切れを起こす常習犯にはリスクが大きすぎる。
園生とクロは既に二つの古代魔法を獲得しているが、常時発動型の古代魔法を複数獲得した場合は、日常的に消費する魔力が、あまりにも大きすぎる。それだといざと言う時に備えられない。
古代魔法は、弱い魔物相手に実験的に使用するか、余程切羽詰まった状態にならない限りは、あまり使わないほうがよさそうだ。
ところで、とおつるに視線をやった。
「おつる、人型と蜘蛛型は、どちらが過ごしやすい?」
おつるが筋トレをやめて、理一のところにトコトコやってきて、わっさわっさと手を挙げた。喋れるようになっても、おつるはジェスチャーが豊富なので、とても話が伝わりやすい。
「おつるは人の姿がいいの」
「話し方が上手になったね」
「ご主人様が強くなると、おつるも強くなるの。だからおつるも少し成長したの」
「なるほどね。じゃぁ少し大きくしようか」
「嬉しいの!」
おつるが万歳している。確かに少し成長したようで、やや大きな中型犬くらいのサイズになっている。ついでに鑑定してみたら、シャドウウィドウだったのがダークウィドウになっていた。
おつるに姿替えの魔法をかける。以前は四歳くらいの姿にしたが、本人の希望もあるので七歳くらいにした。
黒いストレートロングの髪に、おつるの母であるアラクネに似せた顔。こちらの世界の人に馴染みやすいように、テラコッタ肌に青い目。
人型になったのを確認したおつるが、ぷぅと頬を膨らませて、腰に手を当てた。
「また子どもなの! リヒトにーちゃんはロリコンなの!」
「ロリコンって、そんな言葉をどこで覚えたんだい?」
「ご主人様がロリコンには気を付けなさいって言ったの! リヒトにーちゃんには気をつけるの!」
「その必要はないよ……」
少し悲しくなりながら、理一はそばで笑いを噛み殺している安吾に振り返る。
「安吾、僕は大丈夫だって言い聞かせておいてよ?」
「ははは、すみません」
仮にも黒犬旅団の団長なのに、仲間から危険人物扱いされたくない。子どもの躾は大事だ。
一応理一達のことは、にーちゃんねーちゃんと呼ぶように躾ているようだ。ちなみにクロは「クロじぃじ」「フレッサおじちゃん」と呼ばれて、なんとも言えない顔をしていた。
安吾はおつるを娘のように可愛がっている。前世では、安吾に娘と息子がいたはずだ。おつるは安吾に、娘の幼い頃を思い出させるのかもしれない。
理一にはエリザベスが、安吾にはおつるが、大事な人がいる。その相手を悲しませるのは、やはり良くないと思った。
それに、目覚めてから気づいたのだが、寝ている間に日程を消費してしまったせいで、フィンチ領に居られるのは残すところ四日になってしまっていた。
殆どの日程を訓練で消費してしまったせいで、バカンスらしい事をあまりできていない。
最後にもう一度締めの訓練をして、その後は家族サービスに充てよう。
そう考えて提案すると、おつるがとても喜んだ。キャッキャとはしゃいで、海に行くのだと言って安吾におねだりしている。その様子に、やっぱり子どもじゃないかと思って可笑しかった。
「水着はおつるにお任せなの!」
「いつもありがとう。女の子達の水着は、あまり肌が出ないようなものを作ってくれるかな?」
「デザインはもう考えてるの! 任せるの!」
「さすがだね。よし、任せよう」
仕立て屋おつるはとても優秀である。機能性も抜群だし、デザインも流行のものを勉強したりと余念がない。
いつもおつるが毛皮などの素材を欲しがるので、安吾が常に素材をストックしているし、おつるの裁縫スピードなら、2日もあれば全員分作ってしまうに違いない。
おつるがこれほど張り切っているので、最後のバカンスはリゾート地らしくビーチで遊ぼう。
理一達がそんな話をしている頃、菊と園生と鉄舟は、クロのいる離れに集まっていた。クロも魔法が解けてしまったので、そのまま本館に入るとメイド達が卒倒するということで、離れの部屋を与えてもらえたのだ。
クロ本人は厩舎でいいと言ったが、伯爵側がどうしてもと言うので離れにいる。馬を食べられる心配でもしたのかもしれない。
それはともかくとして。四人で集まって話しているのは、理一に言いそびれている案件である。
色々言いはしたが、彼らは理一が魔力切れで倒れることには既に慣れてしまっているので、理一が寝ている間にも動いていた。
「海だけかと思ってたんだけどねぇ、山の方も魔物が増えてるみたいなのぉ」
園生が取り出したのは、伯爵家やフィンチ領の冒険者協会に寄せられている、魔物の討伐依頼件数を数値化した書類だ。
前年度と比較して、山や森では約二十パーセント、海では四十パーセントも増えている。
「協会の人はなんと言っていたの?」
「冒険者協会も、魔物が増えたと思ってたみたいだねぇ。私とクロが調査した結果を教えたら、真っ青になってたよぅ。すぐに調査させるってぇ。フィンチ卿は?」
「フィンチ卿も異常は感じてたみたいだぜ。伯爵命令で冒険者協会に依頼を出して、軍も動かすってよ」
「それにね、近頃妙な噂が流れているそうなの」
「妙な噂とはなんだ?」
フィンチ伯爵に聞いた話だと、その噂はここ数ヶ月で囁かれているものだそうだ。近頃、貧民街の浮浪者が数を減らしている。子どもも高齢者も関係なく消えている。どこからか流れ着いた悪い魔術師が、生贄にしているのではないか。そういう噂だ。
「ふむ、以前リヒトとアンゴが受けた依頼も、似たようなものがあったな」
「ええ。もしかしたら、ただの噂ではないのかもしれないわ」
「それにしてもぉ、その話をフィンチ卿が知ってて動かないって、どうなのぉ?」
「しゃーねぇだろ。こっちじゃ浮浪者は、居ない者扱いなんだからよ。魔術師もそれ分かってて浮浪者狙ってんだしよ」
「こういう社会通念にはギャップを感じるわね。この点はあたし達にはどうにもできないわ。それよりも問題は、その噂が事実だった場合よ」
もし、その噂が事実だったら。誰にも顧みられることのない浮浪者達が、忽然と姿を消していく。そしてなにかの魔法に使われて、魔物を呼び出しているのでは?
菊達は使えないが、理一は召喚魔法を習得している。だが理一は使わないと言っていた。何故なら、呼び出すものが強力であればあるほど、多くの生贄を必要とするからだ。
召喚魔法には犠牲が必要だ。何かや誰かを殺して、その対価をもって呼び出す。雄介を呼び出した時にかかっていた術式も、人間を生贄に使う術式が記されていたようだ。
クロが唸る。
「魔術師が実在しているとして、其奴は魔物を呼び出してどうする気だ?」
「さぁな。世界滅ぼし軍でも作るんじゃねぇか?」
「あ!」
園生が声を出して、周りの視線が園生に集まる。
「どうしたの?」
「たいしたことじゃないんだけど、思い出したことがあってね。ほら、前にエリザベス様が、初代フィンチ伯爵は余所者の勇者だったって言ってたでしょぅ?」
「魔王を倒したって話だな」
「そうそう。それでね、私は魔王ってなんだろうと思って、エリザベス様に後で聞いたの。まさか陛下のことじゃないよねと思って。でも違ったの。魔王って、魔術師の王って意味なんだって。魔術を極め抜いた人が、魔王って呼ばれるんだって。でも、魔術師の中にはいい人ばかりじゃないから、魔術でよからぬことを考える人の事を、そう呼ぶんだって」
「そういえば、初代フィンチ伯爵が倒した魔王も、魔物の軍勢を引き連れていたという話だったわね」
「魔術師が魔王の伝説を再現しようとしておるか、あり得ぬ話ではないな」
憶測ではあるが、可能性はあるだろう。その可能性を考えたから、フィンチ伯爵もその噂の話をしたのだ。
そして魔術師だった場合、それに対抗できそうなのが黒犬旅団しかいないからそうした。
「もう一度フィンチ卿と話してみるわ。伯爵領の漁師と海兵は魔力感知できるようになっているのだから、手伝ってもらわない手はないもの」
「そうだねぇ。それでも残りのお休みは返上だぁ」
「学校に戻るのが遅れるかもしれねぇな。織姫様とアマンダ嬢はこの件には関係ねぇから、先に戻ってもらうとして。エリザベス嬢はどうする?」
「そこは理一に任せましょ。理一と安吾は目覚めたばっかりで、こんなトラブルの話を聞いたらガッカリするでしょうね」
「本当人生ってうまくいかないよねぇ。バカンスは丸潰れだよぅ。大学以来久しぶりの夏休みなのにぃ」
ゲンナリした様子の園生につられて、菊と鉄舟も溜息をつく。クロが労わるように園生を尻尾で撫でて、園生はモフモフを楽しみ始めた。
菊と鉄舟には、それがやたら羨ましく見えた。
「園生はいつでもモフモフに癒されて羨ましいわ」
「俺にもモフらせろ」
二人も混ざってモフり始めたので、クロの横腹でゴロゴロする三人に、今度はクロがゲンナリした顔をする。
「おぬしら、わしをなんだと……」
「ペッペッ! 口ん中に毛が入った! ぺっ!」
「わしに唾を吐くな!」
三人は散々にクロをモフって、ちょっと癒された。
その頃、海岸沿いの洞窟の中に、一つの影があった。黒い魔法使いのローブを纏ったその人の手には、十歳くらいの少年が掴まれて引きずられている。
浮浪者の大人は単独行動が多いが、子どもは生きるために集団行動をしていることが多い。お陰で一度に数人手に入れることができた。
手足を縛られて猿轡をされた少年が、洞窟の奥に放り込まれた。数を数える。その場所にはすでに二十九人の浮浪者が集められていた。
「あと一人……」
小さく呟いたその人物は、土の魔法で壁を作ると、浮浪者達を再び閉じ込めた。
何度か実験しては失敗した。だが、次こそは。
術式も理論も完璧のはずだ。足りないのはきっと魔力量。
洞窟を出て海岸へと渡る。月がなくとも星明りで明るい。風が吹いてローブのフードが煽られて取れた。星明りに茶髪と白い肌が映る。
山育ちでも、エルフでも魔族でもない。それなのに白い肌をしたその人物は、人目もないのに深くフードを被りなおし、夜に紛れて消えていった。