怒られた
覚醒した理一の目に最初に飛び込んできたのは、エリザベスの心配顔だった。それを見てヒュドラーとの戦いを思い出して、のそのそと起き上がる。
エリザベスの目がウルリと潤んだのを見て、心配をかけて申し訳ないと理一が謝ろうとした時、パァンと小気味良い音が響いて、理一の頰に衝撃が走った。
「ベス?」
「リヒトのしていることは誇らしいことで、我が領の為とわかってはいるわ! でも、あなたは一人ではないの! わたくしや皆様の気持ちも、少しはお考えなさい! 自己犠牲を否定はしないわ! でもね、あなたがどれだけ強くても、どれだけ高尚でも、わたくしにとっては……」
とうとう泣き出してしまったエリザベスに手を伸ばそうとしたが、エリザベスはそれを振り払って立ち上がった。
「リヒトは何もわかっていないわ。あなたが傷つくことで、傷つく人もいるのよ。神に近い人には、それすらもわからないのね」
そう言うとエリザベスは部屋から立ち去ってしまった。すぐに追いかけようとしたが、園生に止められて、代わりに織姫とアマンダが追いかけていった。
見ると、周りには黒犬旅団のメンバーもいた。
理一は周りを見渡して、ぽりぽりと後ろ頭をかいた。
「なんだか、恥ずかしいところを見られてしまったね」
「そーか? エリザベス嬢はいい嫁になるぜ。俺は言いたいことを嫁さんが言ってくれて、スッキリしたけどな」
「えっ?」
「え、じゃないわよ。あなたがいつも無茶してブっ倒れるたびに、あたし達がどんな気持ちでいると思ってんのよ」
「それでも理一に頼るしかない私達は、不甲斐ない自分も許せなくて、無茶する理一にも申し訳なくて、すごく悲しいの」
理一は仲間からの言葉に、俯いて考えた。理一は女神から力をもらったから、この力で誰かを助けるのが使命だと思っていた。そのために自分が傷ついたとしてもだ。でも、理一が傷ついて、誰かが悲しむ事まで考えていただろうか。
いや、それはわかっていた。わかっていたが、誰かが傷つくくらいなら自分が、と思っていた。どうせ死にはしないのだからと。
だが、死ななければいいと言うものではないし、百パーセント死なない保証もない。
それに、真面目な彼らに引け目を感じさせた。
「ごめん、反省するよ。たしかに僕は、いつも無茶ばかりしていた」
「でも、私達の力不足も事実だよ」
「それは今後どうにでもなるよ。それに僕こそ、みんなを頼りにしているんだから。みんながいなきゃ、死んでたかもしれない事だってたくさんある。それに、僕にはお金を稼ぐ才能がないし」
「伯爵様のくせによく言うぜ」
「領地なしの伯爵なんて、税収もないんだから今までと変わらないよ」
「待って、お金の話なんかしてないでしょ」
菊のツッコミに一同が笑って、少し空気がほぐれた。
それでふと理一が気づいた。
「安吾は?」
「まだ寝てるの」
「安吾も?」
「安吾も倒れたのよ。古代魔法を使ったみたいよ」
「そっか……」
普段慎重な安吾にまで無茶をさせてしまった。安吾が普段慎重なのは、理一が無茶をして倒れるリスクがあるから、自分だけは倒れてはいけないと思っているからだ。
その安吾にまで無茶をさせたことに気づいて、理一は心から反省した。
「あの、僕が寝てから何度砂時計を返した?」
「砂時計どころじゃねぇ」
「今日で3日よ」
「3日!?」
それは怒られて当然だ。ようやく理一はエリザベスが激おこしたのも無理はないと納得した。
「ついに魔力量に回復力が追いつかなくなってきたのか」
「そりゃぁ、あんだけ派手な魔法バカスカ打ってりゃ、そうなるだろうな」
「よく見えたね?」
「太政大臣が実況中継してくれていたのよ」
「太政大臣は千里眼使えるんだってぇ」
園生が織姫達を呼びにいった時、偶然にも太政大臣がいた。時々暇を見つけては太政大臣が来ていたらしく、エリザベスやアマンダもすっかり茶飲友達になっていたらしい。
それで太政大臣の空間転移で軍港まで戻って、太政大臣が千里眼で実況中継してくれたそうだ。しかも。
「おおっと、トキノミヤ卿が一気呵成に上昇していく! 彼は一体何をするつもりなのだろうか!」
と、スポーツ中継さながらの実況をしていたらしく、現場はものすごく盛り上がったそうだ。
それなら太政大臣が加勢してくれてもいいのにと思わなくもない。だが、彼はミレニウ・レガテュールのナンバーツーなので、太政大臣が助力したとなると、国家間の条約に抵触する恐れもあるので、それは無理だ。
だから彼は状況を周りに伝えるにとどめていたのだろうと推測する。そう思っておかないと、太政大臣が嬉々として実況していたようにしか思えない。
「あの人はつくづく、なんでもアリだね。まぁいいや。ベスに謝ってくるよ」
「そうしてあげて。すごく心配していたわ」
「うん、ありがとう」
理一が起き上がると仲間達も立ち上がって部屋を出て、理一は着替えてからエリザベス達の魔力を辿って歩いた。
エリザベスとアマンダと織姫の魔力は、伯爵家の中庭の東屋へと続いていた。その東屋で三人が話しているのを見て、理一は少し様子を見ることにした。
ぐすぐすと泣きながら、エリザベスが愚痴を零していたのだ。
「わたくしは、自分が嫌で仕方がありません。リヒトが目覚めるのを待っていたのに、あのような事しか言えないなんて」
「そんな、エリザベス様の仰った事は、間違いではありませんわ」
「でもっ、リヒトは命をかけてフィンチ領を救ってくれたのです。きっとフィンチ領でなくても、リヒトはそうした。きっと今迄もそうしてきた。その、彼のありようを否定したのです。わたくしは妻として失格ですわ」
「そのようなこと……あの方ならお分かりになるはずですわ」
自分の発言を後悔して嘆くエリザベスに、アマンダが狼狽しながらも慰めている。一通り話を聞いた織姫が、優しく微笑んでエリザベスの涙を拭った。
「エリザベス様、貴女の仰った事は間違いありませんわ。理一はね、国中の誰からも尊敬されていたけれど、深く付き合った人は、おそらく身内しかいないの。だからこそ、理一は公正で公平であるけれど、普通の人が感じるような感情を、中々経験できないうちに死んでしまったの。
前世の理一が治めていた国、あの国では理一達の一族は神格化されていたから。神の血脈を残す、唯一の一族と呼ばれていたから。
だからね、エリザベス様。貴女がそばにある事は、とても意味のある事なのよ。理一をひとりの男に、ひとりの人間にする。貴女の存在が、彼を人にする。貴女の言ったことは間違っていないし、貴女の存在はとても有意義よ。理一がこの世界で人であるために、貴女はなくてはならない人なの」
織姫の言葉に、エリザベスが涙に濡れた顔を上げた。
「わたくしは、リヒトの役に立てるのでしょうか? こんなわたくしでも?」
「ええ。あなただからこそ。貴女のように、理一に正面切って意見を言えるのは、クロと父上くらいなものよ。私も黒犬旅団の皆様も、理一を畏怖する気持ちが拭えなくて、言いたいことを言えないことがあるのよ。それを言える貴女を、私達はとても頼りにしているの」
「わたくしは、今のままで良いのですか?」
「ええ、そのままの貴女でいて。貴女だからこそ、理一は恋をしたのよ」
織姫のおかげで、エリザベスは元気が出たようだ。織姫の言うことは正しい。だが、今出て行っても元気になったエリザベスに怒られる気がする。
そして理一の前世について、織姫がリークしたんだろうと確信した。女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。この点について今更織姫を責める気は無いが、理一はやれやれと深くため息をついた。
それが織姫には聞こえていたのかもしれない。ピクリと反応して、織姫はにっこり笑ってアマンダを誘導した。
「エリザベス様は落ち着くまでこちらにいらして。アマンダ様、参りましょう」
「え、はい」
織姫達が立ち去ってから理一は東屋に足を運んだ。エリザベスは少し気まずそうにしていたが、理一が謝罪するとエリザベスも小さく謝罪して、怒ったりなどはしなかった。
二人で色々と話して、理一が最後に言った。
「多分、僕はこれからも無茶をしようとすることがあると思うんだ。その時はベスの顔を思い出すよ。君を泣かせるのは忍びないからね。だけど、どうしてもそうしなきゃいけないと言う時は、許してほしい」
「ええ、わかったわ」
エリザベスや仲間たちの気持ちを無視する気はないが、それでも理一が無茶をしてでも戦う必要が出てくる事はあるだろう。その時にまで遠慮する気は無い。
でも、それ以外ではみんなを頼らせてもらおう。今回もみんなのお陰で沿岸部は無傷で済んだようだし。
そして安吾が目覚めて回復するのを待ってから、再度海上訓練の最終調整に入ろう。
そんな話をする理一を、エリザベスは「真面目にも程があるわ」と呆れた目をして見るのだった。




