ヒュドラー戦
怒涛の荒波がぶつかり合い、海が大きく荒れ狂う。理一とヒュドラーが大津波を発生させるものだから、強い引き潮が生まれて海岸線から海が大きく下がった。
それを見ていた鉄舟が、理一と安吾の加勢に行くという女子二人を引き止めた。
「仮に理一が勝っても、その余波で沿岸部に津波の被害がでるかもしれねぇ。俺らでそれを食い止めたほうがいい」
津波が起きるときに引き潮になるのは有名な話だ。理一が負けたら確実に津波は陸まで押し寄せるし、勝ったとしても多少の余波はあるだろう。
少しでも被害が出れば、あれを誘き出した理一達の責任も追求されてしまうのは明白だ。
「わかったわ。急いで陸に戻りましょう」
「織姫様たちにも手伝って貰った方がいいかもねぇ。私は先に戻って呼んでくるねぇ」
言うが早いか、園生が天歩で船から飛び立ち、縮地の速度も合わせてあっという間に陸地の方に走っていった。
園生を視線で見送った先には、陸地が見え始めていた。理一たちの津波も遠くに見える。とはいえ、陸地からはそう遠くはない海だ。
「クラーケンの出没といい、災害指定魔獣といい、この辺りの海域はどーなってんだ?」
「元々大型の魔物が多かったの?」
鉄舟と菊の疑問に、協会長は首を横に振った。
「まさか。どちらもお伽話でしか聞いたことがないような魔物だ。クラーケンはともかく、ヒュドラーの出没など聞いたこともない」
協会長の話を聞いて、二人は唸る。
「なんかおかしいな」
「そうね、生態系が乱れて近海に集まってきたのか、それとも人為的に呼び寄せられたのか……」
「いずれにしても、普通じゃねぇことが、この海で起きてんだろ」
「ええ。オキクサムで湖が枯渇した時も、トゥガーリンや魔物が増えたと言っていたし」
「災害指定魔獣が元気になってるってのは、いよいよこの世界が終わりに近づいてるってことか?」
「わからないわ」
自然現象によるものなのか、人為的なものなのか、それとも世界の崩壊がカウントダウンを始めたのか。それは今のところ全くわからないので、いずれ調べる必要があるだろう。
だがそれも、理一と安吾が戻ってからのことだ。
二人は唸りながらも、理一たちがいるはずの大津波に視線を戻した。
理一が津波を食い止めてくれている間に、安吾は足元の魔力障壁を蹴って飛び出した。飛び出した先で右足の下に新たな魔力障壁を張ってそれを蹴り、次いで左足の下に魔力障壁を張ってそれを蹴り、繰り返すことで宙を駆ける。
園生の天歩からヒントを得て、安吾と理一が二人で考えた方法だ。覚えたての技術がこんなにも早く役に立つとは思わなかったが、練習しておいて良かった。
空を駆けて津波を飛び越えた安吾が、その向こうにいるヒュドラーに狙いを定めた。だんっと強く障壁を蹴ると、衝撃で自分の魔力障壁ですら砕けて海面へ散っていく。それよりも早く安吾はヒュドラーの頭の一つに刀を振りかぶって、その首を切り落とした。
「ブォアァァァァ!」
斬られた首元が悶絶するようにのたうち、残りの首のいくつかが叫んで、安吾を視界に捉えた。そしてヒュドラーは津波を起こしながらも、三つの頭から安吾に向かって水のブレスが吐き出された。
「それぞれでの攻撃が可能なのか! くそ、厄介な奴だ!」
頭の一つでも斬り飛ばせば、津波が収まるかと思ったのにその勢いは衰えず、それどころか空中を逃げ惑う安吾を追いかけて水のブレスを乱発している。
今はやや距離があるので、ブレスを回避することが可能だが、近づけば集中砲火だ。中々近付くことが出来ない。
苛立った安吾が剣撃を飛ばす。それはいくらかブレスを切り裂いたが、押し負けてかき消された。
だが、ブレスを斬れた。多少でも安吾がヒュドラーの攻撃に耐えうる瞬間がある。ならば。
(持っていけ、血の女王!)
古代魔法、血の女王を発動。安吾の魔力がごっそりと引き抜かれる。その代わりに発達するスキル。
健康体→絶対防御
回復再生→不老不死
剣術→剣の達人
槍術→槍の達人
柔術→柔術の達人
格闘術→格闘の達人
縮地→瞬間移動
身体強化→金剛化
即死耐性→即死無効
暗闇耐性→暗闇無効
魔力操作→魔力支配
残された魔力は多くないが、ざっとステータスを確認した安吾は、瞬間移動を使って死角に回り、刀を振るって首の一つを切り落とした。その瞬間に生まれた剣撃が、ドパンと津波を割った。
安吾が強化されたことに、ヒュドラーも気づいたのか、それまでより威力の高いブレスを放った。残された七つの首のうち、四つが安吾を追い詰めようとブレスを放ってくる。
それを安吾は油断なく瞬間移動で回避して、さらにもう一つ首を斬り落とした。その余波で別の首も斬り飛ばされた。
残り五つ。その内三つが安吾を捕捉する。
「俺にばかり気を取られていいのか? 理一さんに押し負けるぞ」
安吾の言葉通り、首二つでは理一の津波に拮抗できず、大津波がヒュドラーを飲み込んだ。
遠洋へと向かっていく津波を見て胸を撫で下ろしていると、安吾のところに理一もやってきた。
「安吾! ありがとう! 大丈夫だったかい?」
「割とギリギリですが大丈夫ですよ。理一さんは?」
「僕も割とギリギリ。あんな大規模な魔法を、こんなに長く使ったのは初めてだよ」
ところで、と理一は海を見渡して、ヒュドラーの魔力を探す。ヒュドラーは一キロほど先の沖合に流されたようだが、流されたからといって諦めてくれるかと考えると、そうもいかないだろう。
ここで逃したら、報復にフィンチ領沿岸部が攻撃されるかもしれない。
案の定、海から浮上してきたヒュドラーが、怒りの咆哮を上げた。それを見て理一は深く息を吐く。
「多分僕は魔力切れを起こすから、後を頼めるかい?」
「わかりました」
とん、と宙を蹴った理一が、ぐんぐんと上昇していく。はるか上空まで登ってあたりは暗くなり、そして空気も薄く温度が下がっていく。
酸素ボンベとダイビングスーツを着ていて良かった。それでも補なくなり魔力で体を守る。
理一が到着したのはヒュドラーの真上。もはや酸素もわずかで温度すらも消え失せた成層圏の上空、中間層。水属性の魔物に有効な土属性の魔法を使えたら良かったが、大海原ではそうもいかない。
「でも、生物なら冷凍状態の中では生きられない」
理一が風魔法で中間層のマイナス九十度の空気をかき集めて、その凍てつく風を一気に海上に吹き降ろした。
はるか上空からマイクロバーストのような勢いで吹き降ろされる、マイナス九十度にも達する冷気。それは風の勢いを得て更に温度を下げて海上に吹き付ける。
安吾は絶対防御のおかげでなんとか凌いでいたが、瞬く間に海面が凍りつき、水に濡れたヒュドラーがバキバキと音を立てて氷結していく。
長く吹き降ろされるその氷結の風がやんだ時には、海洋の一面が氷原と化しており、凍りついたヒュドラーがまるで氷山のようにそびえ立っていた。
寒さに歯を鳴らしながらも、安吾は待つ。まだ理一の魔力を感じる。理一が上空から降りてきたが、すでに疲労困憊した様子だ。だが、それでも理一は氷原に手をついた。
海面なら使えない。だが、氷原なら使える、地震を引き起こす魔法。
真っ白い氷の平原が、大きく揺れ動く。激しい揺れに伴って氷にバキバキと亀裂が入り、その振動がやがてヒュドラーの氷山をも揺らす。いく筋も入った大きな亀裂が氷山に達し、ガラガラと音を立てて崩れていく。
そこに安吾がトドメの剣撃を放って、ついにヒュドラーを瓦解させた。
氷漬けになって崩れたヒュドラーの残骸を見て安吾がほうっと白い息を吐き出した時、隣にいた理一が崩れ落ちた。
言っていた通り、魔力切れで倒れてしまったのだ。それを安吾が支えて担いだ。
「全く、この人はいつも無茶をする」
苦笑した安吾は理一を抱えて、氷原から消えた。そして菊達の待つ軍港に瞬間移動で戻って、戻った瞬間に安吾も倒れた。