シャバハの夜に向けて
シャバハの夜に備えて、村では準備が進められていたのだそうだ。シャバハの夜の事はこの地域の領主も知っているので、近辺の町や村には、既に兵士が派遣されている。この村にも派遣されているのだが、その数はたったの1人だった。
「他の村は兵士数人に加えて、魔法使いも派遣されたりします。ですがこの村は光魔法を扱える人間が何人かいるので、ある程度自衛する事は出来ます。この村に派遣されてきた兵士の方の仕事は、被害状況を調査報告するくらいです」
少し苦笑気味にフェリスが教えてくれた。フェリスの話の中に、気になるキーワードがあったので質問する。
「亡霊たちは光魔法という魔法で撃退できるんだね?」
「はい。とは言っても、私たちが使える光魔法は、そんなに強い魔法ではありませんが。結界を張っておいて、結界の内側に入ってこられた時に、治癒魔法をぶつけるくらいです。腕に覚えのある人もいますから、多分スケルトン数体なら魔法なしでも倒せるとは思います」
「へぇ。それじゃぁ、スケルトンという亡霊相手なら、安吾が助太刀できるかもしれないね」
安吾に水を向けると、安吾は腰の剣に手を添えて、敬虔な調子で頷く。安吾が剣士なのは見てわかるので、フェリスもお願いしていた。
それにしても、やはりこの世界には魔法もあるようだ。他の村では光魔法が使えないと言っていたことから、それなりの素養も必要なのかもしれない。
「フェリスも魔法を使うんだね?」
「と言うよりも、魔法自体は誰でも使えますよ」
その言葉に理一たちはびっくり仰天した。どうやらこの世界は、みんな大なり小なり魔力があって、魔法が使えるのが普通らしい。
得意な属性は人それぞれ違うので、扱える魔法に限りはあるが、薪に火をつけたり、風で髪を乾かしたりと言う事は、だいたいの人が日常的に行なっている。文明が未発達な分、魔法で生活を補うようだ。
「理一さん達のいた世界では、魔法が使えなかったんですか」
「そうだね、魔法のない世界だったから、僕たちも使えるかはわからない」
「使えると思うわよ」
理一とフェリスの会話に、菊が割って入った。
「あたしのステータスには風と光の属性があったもの。わざわざそんな風に書いてあるってことは、魔法が使えるってことなん……え、なによ」
菊が話を区切って、なぜか後ずさる。菊に向かって、フェリスが両手を組んで潤んだ瞳で見つめていた。
「光属性、お持ちなんですね! 是非手伝ってください! 教えますから、さぁこっちに!」
「え、ちょ、理一も」
「わっ」
フェリスが菊をぐいぐい引っ張って、菊は道連れに理一の腕を掴んで、2人はフェリスに強制連行された。
それを見送って、置き去りにされた3人は顔を見合わせる。
「ひとまず自分は、村の警備担当と打ち合わせに混ぜてもらおうと思います」
「そうだな。俺も同行しよう。武器がくたびれてたら、打ち直してやらにゃ」
「私はぁ、魔法が気になるから、あの2人を追いかけるねぇ」
安吾と鉄舟は村長のところへ、園生は理一と菊を追いかけた。
小走りでやってきた園生が追い付いた頃、理一たちは村の中の岩山に面する場所にある建物の中に連れてこられていた。この建物はシャバハの夜のことを想定して建てられた詰所だ。10人以上の人がいて、その一角にフェリスは向かう。
フェリスが何事か話して、少しすると中年の女性を連れてきた。どうやらこの村の魔法使いの筆頭らしい。
ラズと名乗ったその女性は、手のひらに乗るくらいの水晶玉を持っていた。この水晶は、その人間の魔力を測定できる器物らしい。早速菊が手に取る。
透明だった水晶に光が満ちる。光は白と緑色の光が混ざり合って、光の筋を作って菊の顔を照らしていた。それを見てラズの顔色が変わる。
「本当に光属性があるんだね。それにこの光量……しかも2属性……」
「え? なんかマズイの?」
「そんなことはないわ。えらいことではあるけどね」
不思議そうにする菊から水晶玉を取り上げたラズは、今度は園生に持たせた。園生が持った水晶玉は、青と黄色に輝いた。
「水属性と……木属性とはまた珍しいね。あなたもこの光量……あなたたち、なんなの?」
「なんなのと言われてもぉ」
困った顔をする園生から水晶玉を取り上げたラズは、今度は理一に持たせる。理一が持った水晶玉は、赤、青、黄色、茶色、緑、白、紫と色とりどりに輝いていて、「ミラーボールみたいだねぇ」と園生が言っていた。
呑気に水晶玉を見ていたが、なんのコメントも得られないことを不思議に思ってラズを見ると、ラズは目を見開いて絶句している。
「虹色の、魔力……初めて見たわ……」
「実在するなんて」
フェリスとラズがゴクリと生唾を飲み込んで、理一の持つ水晶玉に見入っている。そういえばステータスには全属性と書いていた気がする。それがちゃんと光ったと言う事は、全部の属性の魔法を、それなりには扱えるようになると言うことなのだろう。
「僕も光魔法が使えるみたいです。僕らに手伝えることがありますか?」
未だにどこかに意識を飛ばしていたフェリスとラズに声をかけると、ラズが水晶玉ごと理一の手をガシッと掴んだ。
「山ほどあるから、しばらくこの村にいなさい」
「まぁ、数日でしたら」
一瞬考えてそう返事をすると、ラズは理一に獲物を見つけた捕食者のような目を向ける。こわい。
「とりあえず光魔法を教えてやるよ。こっちにおいで」
ラズに引っ掴まれて、やっぱり強制連行された。
連れてこられたのは詰所から村の外に出た、岩山を臨む場所だ。これから教えてもらう光魔法は、人に害を及ぼすようなものではなかった。
だが、初心者によくある魔力の暴走が、村の中で起きてしまったら大変なことになる。なので、村の外に出て練習をすることになった。
「魔法にも理論だのなんだの色々あるんだけど、時間がないから魔力の流し方と呪文の詠唱だけ教えるよ」
そうして肩幅の広さで立ったラズが、すっと両手を正面に突き出す。
「まずは力の流れをイメージする。体の中の魔力が、手に集まっていくように。それが出来たら、詠唱を始める」
すぅっと小さく息を吸うと、ラズが諳んじた。
「光の魔力をもって壁をここに示し、我を守れ。“光壁”」
手のひらに集まった魔力が光の幕を形成し、ラズの前に光の壁がそびえ立った。白く光る壁に、理一たちは口を開いたまま見上げた。その間の抜けた顔がおかしかったのか、すぐにラズは光壁の魔法を消して、理一たちに促した。
言われた通りに立って、手のひらに魔力を流すイメージを思い浮かべる。
魔力というのがどこに宿るのかは、よくわからなかった。だが、理一の中でなんとなく身体中を循環している気がした。
だから理一は、上大静脈、下大静脈から帰ってきた魔力が心臓を経由して、大動脈から体循環へ流れていくイメージをする。心臓から血液循環によって運ばれた魔力が、細胞ひとつひとつに招き入れられて、細胞内の回路で反応を起こす。細胞間隙に流れてしまったら魔力が無駄になってしまいそうだったので、気をつけて細胞だけに流し込むイメージ。心なしか、手のひらが暖かい。
そして、詠唱する。
「光の魔力を持って壁をここに示し、我を守れ。“光壁”」
ヴォンと音を伴って展開される光の壁は、理一の周囲を球形に包み込んでいる。その光はあまりにも眩しくきらめいて、よほどの厚みがあるのか、外側からは理一の姿がうっすらとしか視認できない。
魔力を流すイメージを体循環にしたのは、理一が医術を齧っていたからだ。人間の体内の構造について、理一は造詣の深い方だから、こういう考え方ができるが、おそらくこの世界にはそう考える人間は少なかったのだろう。
「理一すごいじゃない」
「そっかぁ、自分の周りをぐるっと守っちゃえばもっと安全だねぇ」
「彼もすごいけれど、アンタも十分すごいわよ。本当にアンタ達なんなの…」
菊は菊で、真っ白い光の壁が、同時に5枚展開されていた。ラズは頭痛でもするのか、こめかみを抑えている。
「まぁいいわ。じゃぁ次に行くわ」
なにかを諦めたラズの音頭で光壁を解除し、ラズになおる。
「次は対アンデッド用の攻撃魔法よ。と言っても、この魔法は普通は攻撃として使用することはない。普段は治癒魔法として使うんだけれど、これがアンデッドには弱点になる。治癒魔法は覚えておいて損はないし、しっかり覚えてちょうだい」
ラズの言葉に、理一と菊は真剣に頷いた。
それを見届けたラズは、先ほどと同じように立った。
「光の魔力を持って輪と為し、彼の者を癒せ“光輪”」
ラズの手のひらから現れた螺旋状の光の帯が、真っ直ぐに伸びていった。対象がいなかったので、その光は霧散していった。
相手がアンデッドなら、この攻撃を受けると動かなくなり、生者なら傷や病が治るのだという。仮に攻撃に使えなくても、けが人の治療に当たれるのなら、それは素晴らしい魔法だ。
理一も菊も意気込んで魔法を発動する。
そこで理一は少し考えた。怪我や病気というのは細胞の損傷や変異が起きている。それを癒すということは細胞の再生や増殖が出来るということだ。アンデッドは肉体を持つものも持たないものも、本当は死んでいるのに死にぞこなっている存在だ。細胞の再生や増殖が何故アンデッドに効果があるのか、その理由がよくわからない。
考え込んでしまった理一に、不思議に思ったらしいラズが声をかけてきたので、今の考えを質問すると、ラズはこう言った。
「そりゃぁ、アンデッドは闇の魔力で動いているから、光の魔力をぶつけたら相殺されるに決まっているじゃない」
「なるほど、アンデッドを動かしていた魔力が消えて、アンデッドは本来の死体に戻るということですか」
「そうだね」
つまりこの魔法は、アンデッド自体をどうこうするためのものではない。肉体を持たないアンデッドは、闇の魔力を失えば行くべきところへ行くし、肉体のあるアンデッドは、ただの死体に戻る。
アンデッドの中で循環している闇の魔力を効果的に喪失させるには、光の魔力を浸透させる方がいい。だから、肉体を癒す治癒魔法が攻撃として用いられる。治癒魔法の魔力は、体に浸透するように作用するからだ。
そこまで考えて、理一は別のことを考える。そういえば光治療という治療法があったはずだと。確か内科的な疾患に利用されていた。それを思い出したはいいが、その治療に用いられる光の種類をどうしても思い出せない。
(でも、浸透という点では放射線治療は有効なのでは?)
ガンの治療に用いられる放射線治療は、変異したがん細胞に放射線を照射して、その細胞のDNAを破壊し死滅させるというものだ。この浸透力は他の光線の比ではない。これは使えるはずだ。放射線治療のメカニズムをイメージしながら、理一は詠唱をアレンジしてみる。
「光の魔力とx線γ線をもって、彼の者を癒せ“光輪”」
ドーナツのような巨大な円柱が、内側に向かって光を照射しながら、下から上に上昇して消えた。
割と上手くできたかもしれないと、ほっと息を吐くと、園生が尋ねた。
「今のはなぁに?」
「放射線治療のイメージでやってみたんだ」
「ふぅん。それってぇ、被曝は大丈夫なのぉ?」
「あ」
言われて理一は顔面蒼白になった。理一の顔を見て、園生と菊は溜息をつく。
「ちょっと、被爆したらどうするのよ」
「ご、ごめん。考えていたら楽しくなってしまって、つい」
「使ってもいいけど、ちゃんと防御もお願いねぇ?」
「いや、これはやっぱりやめておくよ。鉛の壁なんて作れないし」
園生と菊にお説教されてタジタジの理一を見て、ラズは溜息しか出ない。古来からある魔法を知識と想像力だけでアレンジして、ほとんど新しい魔法へと昇華してしまう才能。教えたことを一発で習得し、並列起動や同時展開をしてしまう器用さ。
「本当にアンタ達、何者なのよ……」
ラズの呟きは、未だ続くお説教の声には勝てなかった。