今夜は月が綺麗ですね
近頃、理一は忙しい。
理一の魔法講義が話題になってしまって、あの訓練の時など、プロであるはずの治癒魔法師まで講義に加わって、あれこれ質問してきたりした。
それを見ていた怪我人だった学院生たちも、理一に色々と質問してきて、救護テントがあっという間に教室になってしまった。
理一の説明はとてもわかりやすく、実践的で画期的と話題を呼んで、理一に質問しにくる学院生が増えてきた。
講義の休み時間ごとに学院生が殺到するので、理一がそろそろ困ってきた頃に織姫が提案したのが、まとめて教えられる機会を作ってはどうかということだった。
「趣味のサークルを作っている人もいるそうだよ」
「サークルですか、なるほど」
確かにそういう活動をしている学院生もいた。スポーツのサークルだったり、商会の跡取りが集まる商業戦略クラブなどの職業特化型サークルだったり、色々ある。ちなみに一番有名なサークルは、魔法剣闘士会だ。次いで魔術研究会。
理一もサークルを設立し、そして誕生したのが「実践魔術部」である。日常生活や戦闘での魔術を、より実践的に追求することを目的としたサークルだ。
このサークルには入会希望者も多かったが、理一が声をかけて入会した人もいる。ライオネルや取り巻きのロランもそうだし、エリザベスもその一人だ。
しかし、エリザベスを誘った時は参った。あれは理一の最大のミスである。
昼食を済ませて食堂を見渡し、エリザベスを探した。理一たちと同じ貴族専用エリアのテーブルに、あの派手な金髪縦巻きロールはすぐに見つかった。エリザベスと同じテーブルにはアマンダもいた。最近気づいたが、アマンダはエリザベスの取り巻きだったようだ。
エリザベスのそばまで行って声をかけた。
「ベス、ちょっといいかい?」
特によく考えもせず、そう声をかけたら、振り返ったエリザベスが顔を真っ赤にしていて、アマンダ達取り巻きが驚いたり面白そうな顔をしており、周囲の貴族達が一斉に理一達に振り向いた。
(あれ? なんだろう……? そうか、しまった!)
周りの反応を不思議には思ったが、理一は失敗したと思って頭を抱えそうになった。
貴族同士は、平民のように砕けた言葉で会話したりしない。それをする相手は、余程親しい間柄や家族くらいなもので、愛称で呼ぶなどもってのほかだ。しかも異性の相手など、相当対象が限られる。
それが許される異性の相手などと言えば。
案の定、周りがヒソヒソし始めた。
「エリザベス様とトキノミヤ卿は、いわゆる、そういうご関係なのかしら」
「んまぁぁ、意外ですわね」
「きーっ、悔しいですわ! 私はトキノミヤ卿に憧れていましたのに!」
「あらっ、エリザベス様には婚約者がいらっしゃったはずですわ」
「素敵! 略奪愛ですわね!」
一瞬で噂になってしまった。しかもかなり飛躍した。嗚呼、数秒前の自分を殴りたい。この場から逃げ出したい。
しかし、今ここで逃げたら噂を盛り上げるだけだ。だから逃げてはいけない、頑張れ自分。
気合いを入れ直した後、こほん、と咳払いをして、改めてエリザベスを見ると、真っ赤になって俯いてしまっている。自分の不注意のせいで申し訳ない。
「大変失礼を致しました、エリザベス様。親戚の子どもと同じお名前でしたので、つい親しみを感じてしまいました」
「ご、誤解を招くような発言は、おやめいただきたいですわ!」
「申し訳ありません。以後気をつけます」
エリザベスとやりとりした後、チラリと周りの反応を見ると、誤解だったと残念そうにしている。多少噂に残るだろうが、大盛り上がりすることはないだろう。ひとまず安心。
エリザベスは気まずいだろうが、噂の払拭のためにも会話は続ける。
「少しよろしいでしょうか?」
「少しならよろしくってよ」
「サークルを設立したのですが、エリザベス様をお誘いしたいのです」
「何故わたくしを?」
「……以前試合をしたので、興味がおありかと思いまして」
単純にエリザベスがいたら楽しいだろうと思ったからなのだが、この状況でそれを言ったら、絶対噂に拍車がかかる。なので言えない。下手なことも言えない。
エリザベスがじっと理一を見る。聡明な彼女は察してくれたらしい。
「お噂はかねがね。確かに興味がありましたの。お誘いいただき、嬉しいですわ」
「では、是非」
「ええ、伺わせていただきますわ」
「私もよろしいでしょうか?」
「よろしければ私も」
「アマンダ様も皆様も是非」
「ありがとうございます」
アマンダ達も会話に入ってくれたおかげで、結局サークルの勧誘に来ただけだったらしいということで噂は落ち着いた。
この件に関しては、今でもエリザベスにチクチク文句を言われる。何度かデートに誘って断られ続けて、ようやくOKしてくれた折角のデート中でも、エリザベスに怒られている。
「変な噂を立てないでちょうだい!」
「悪かったよ……ところでベスの婚約者って誰?」
「今はおりませんけれど、それとこれとは別よ」
「今いないの? 婚約を破棄したってこと?」
「話を聞いていないわね。その件については話したくないわ」
「相手から一方的に婚約破棄されたから?」
「知っているなら突っ込まないでくれるかしら!」
実は理一は、エリザベスの婚約者を知っている。そして一方的に婚約破棄されてしまったこともだ。
エリザベスの元婚約者は、織姫のストーカーで現在下僕と化している、マシュー王子、その人である。実のところエリザベスは、マシュー王子が織姫の尻を追いかけ回していたことに、随分前から難色を示していたそうだ。
だが、エリザベスの言うことも、取り巻きの言うことも聞こうとはしなかった。だから、理一にマシュー王子の話を持ってきて、どうにかしてもらおうと思ったのが本当のところ。
これでマシュー王子が改心してくれたのなら良かったが、理一達が手を打つ前に、マシュー王子はエリザベスに婚約破棄を言い渡し、王にもその旨を伝えてしまっていたらしい。
王家も困り果てて伯爵家に相談が来たそうだが、フィンチ家としては婚約破棄をされては困る。王子がいかにバカと言えど、エリザベスの今後に大きな影を落とすし、伯爵家の名にも傷がついてしまう。
だからエリザベスも伯爵家も婚約破棄を不当として王家に直訴し、王家も伯爵家寄りの姿勢ではあるのだが、肝心の王子が織姫のストーカーなのである。
しかも最近は、この手の話になると目から光が消え失せて「僕は織姫様の忠実な下僕だ」としか言わない。
エリザベスとマシュー王子の婚約破棄は公にされていないものの、二進も三進も行かない状況にあった。
理一はエリザベスにマシュー王子のことを聞いて調べた時から、エリザベスがマシュー王子にストーカーをやめさせるために動いていたのだと言うことを知っていた。
だから彼女に尋ねた。
「婚約の解消は、どうしても受け入れられない?」
「当然よ。我が家の名に傷が付くし、わたくしは一生笑い者ですわ! 織姫様に責がないのは理解しておりますのよ。でも、マシュー王子殿下の行いは、王族としての責務を無視したもの。あのような振る舞いは許されない。それを、あの方は……」
「何か言われた?」
「わたくしを、嫉妬に駆られた醜い女だと」
エリザベスは余程屈辱なのか、目尻に涙を浮かべていた。彼女が高潔で純粋で、貴族らしい淑女だと言うことを、理一は知っている。だから、理一は彼女の味方になりたかった。
だから、こう提案した。
「ねぇ、ベス。僕との噂を、本物にする気はない?」
「どういうことかしら?」
「僕と君が婚約すれば、君から婚約破棄をしたと言い訳が立つ。自分で言うのもなんだけど、僕はすでに英雄として扱われている。騎士爵だけど、フィンチ家が僕と言う名声を手に入れられるし、ベスから婚約破棄する事で発生する風評被害なんて消し飛ぶさ」
「……何を、言っているの?」
「わからないかな」
苦笑した理一は、くるくるの金髪の巻き髪から一房手にとって、その金糸のような髪に口づけをした。
そしてエリザベスの驚愕に大きく見開かれた瞳を見つめた。
「色々と御託を並べたけれど、結論はこうだ。どうやら僕は、君に恋をしたらしい。僕と結婚してくれないか? 」
「っ!」
途端にエリザベスは顔を真っ赤にして俯いてしまった。理一もかなり勇気を出して言ったので、そう赤くなられると、釣られて恥ずかしくなってきた。
その羞恥心を隠したかったのか、自分でもよくわからなかったが、いやに口が動く。
「ベス、僕は本気だよ。前に二人で平民に扮して出店を回った日のことを、何度も思い返した。僕はすごく楽しかったんだ。君と二人のあの時間を、僕はすごく幸せに感じたんだ。僕はもう一度、できればこれから何度も、君とそんな風に時間を過ごしたいと思ったんだ。僕が何度もデートに誘っている時点で、少しくらい気づいただろ?」
「でも、リヒトは冒険者で……」
「うん、僕は一つところにはいられない。伯爵としての職務を、僕は背負えない。でも、それでも、君と言う帰る場所があるなら、僕は必ず生き延びて君のところへ帰れる。君が僕の生きる理由になる」
「そんなの……わたくしには、受け入れられない。わたくしは、伯爵令嬢なのよ」
「帰る場所と言ったのは比喩だよ。正直なところ、僕は君を連れ回すつもりでいる」
「そんなこと」
「可能だよね? 君には優秀な兄がいるのだから、伯爵領の領地運営はゲオルグ様に一任できる」
「呆れた。そこまで計算高いのに、純愛を語るのね」
「真剣だからこそ、君のことを調べ上げた。本気だからこそ、君の立場も理解しているつもりだよ。ベス、返事はすぐでなくていい。実家と相談してからで構わない。だけど、本気で考えてほしい、僕との婚約のこと」
「……わかったわ」
それから数日して、フィンチ伯爵家が提示してきた条件は、理一が男爵家以上の爵位を得ること。それで太政大臣を通して相談してみたら、国王は二つ返事で領地なしの伯爵位を理一にくれたので、アッサリと課題をクリアした。
「僕は伯爵になったわけだけれど。僕と結婚してくれるかい?」
「仕方がありませんわね」
というわけで、正式に理一とエリザベスは婚約することになった。国王の囲い込みなどの思惑も絡んで、ゴリ押ししたような形になったが、理一は満たされた気持ちでエリザベスの前に跪いて、恥ずかしそうに赤い顔を背けるエリザベスに苦笑しながら、彼女の手を取って口づけをした。
 




