ストーカーと喧嘩友達
織姫は勉強もできるし、剣の覚えもあるようで魔法剣士学でも優秀だし、穏やかで親切で、加えて美人なので、学院内の織姫人気は相当なものだ。
織姫が王族なので、不敬にならないように遠慮されているのが救いで、織姫とお近づきになりたいが、遠巻きにしているという人が圧倒的に多い。
だが、周りが遠巻きにしているのをいい事に、これ幸いと近づいてくる人間も、少数ながらいる。
織姫と同格の王族子女や、侯爵などの高位貴族の子女達がそれだ。
元々ミレニウ・レガテュールの同盟国などで、織姫と面識のある相手なら、そう警戒する必要もないかと思っていたのだが、ある時エリザベスが神妙な様子で理一のところに来た。
話があると言われて、理一とエリザベスは街に連れ立って出た。学院内では人が少なくても、どこに耳があるかわからないと言われたからだ。
学校の外に広がる首都の町並みは、スチームパンクという言葉がよく似合った。魔術技巧を駆使した工場などが多く立ち並んでいる。この国は魔法を活用した第二次産業の発達も目覚しかった。
そんな町並みを歩きながら、物珍しそうにあたりを見回す理一に、やはり神妙な様子でエリザベスが口を開いた。
「トキノミヤ卿は、二年生のマシュー王子殿下をご存知?」
「あぁ、知っていますよ」
織姫に挨拶に来た王子の一人に、確かにマシュー王子という人物がいた。やたら仰々しく跪いて織姫に礼をし、やれ、幼少のみぎりに出会った頃から織姫は美しかっただの、また会えて感激しただの、織姫の美しさは満点の星空も敵わないだの、砂糖を大量に吐きそうな言葉を並べ立て、普段から褒められ慣れているはずの織姫も反応に困っていた相手だ。
「マシュー王子殿下がなにか?」
「ええ、少し小耳に挟んだ程度なのですが、織姫王女殿下との婚約を狙っているとの噂ですわ」
「は? 殿下は既に婚約していますよ」
「それを不当だと訴えるつもりのようです」
「なんですって?」
エリザベスによると、マシュー王子はどうやら織姫の婚約が、政略結婚で無理矢理結婚させられるものだと思い込んでいるらしい。
その思い込みが更に暴走して、権威のために好きでもない相手と結婚させられる哀れな織姫を救えるのは自分しかおらず、自分を覚えていてくれた織姫はきっと自分に気があって、ならば織姫は自分と結婚するべきだ、という思考に飛躍してしまったらしい。
「完全にストーカーの発想ですね。殿下の結婚は、周囲も当事者も納得しているものですのに」
「そうなのですか?」
「ええ。もちろん政略結婚としての側面もあるでしょうが、織姫王女殿下と太政大臣閣下は大変仲睦まじくいらして、二人の結婚は恋愛結婚なのですよ」
「そうなのですか。でしたら、完全にマシュー王子殿下の勘違いですわね」
話がひと段落して、二人で深い溜息をつく。
「エリザベス様、貴重なお話をありがとうございました」
「いいえ。ですが、王族のストーカーなど、対処に苦労しそうですわね」
「全くです。既に先が思いやられますよ。国際問題にならないうちに、織姫王女殿下にも忠言申し上げます」
「そうなさるのがよろしいでしょうね。わたくしも何か新しい噂があれば、お伝えしますわ」
「ありがとうございます」
礼を返したものの、やはり理一は小さく溜息をつく。
王族で、しかもストーカーなどと、面倒くさいトラブルが降って湧いたものだ。これなら街中でチンピラに絡まれた方が百倍マシだ。
とりあえずこの件は、定期報告時に太政大臣に報告した方がいいだろう。国を経由して、あちらの国王からマシュー王子に忠告してもらえればベストだ。
あちらの国王もミレニウ・レガテュールを敵に回したくはないだろうから、こちらからお願いすれば引くように言ってくれるはずだ。
そんな風に考えながら歩いていると、工業区を抜けて商業区に出ていた。多くの商店が立ち並んでいて、少し離れたところには市も出ており、出店や屋台も軒を連ねている。
エリザベスがそれを珍しそうに見ているのに気がついた。
「屋台が珍しいですか?」
「ええ。普段は商人との取引しかしておりませんので」
普通貴族というのは、家に商人を招いて買い物をする。なので、自分が店に足を運ぶことなど基本的にはないし、屋台などはしたないと思われるので、見る機会もほとんどないはずだ。
実際理一も前世では、商店街など仕事でしか行ったことがなかった。常に皇室御用達のお店が直接商品を卸していたのだ。
それを思い出した理一は、屋台を指差してエリザベスに振り向いた。
「行ってみませんか?」
「ですが、あのような店に行ったと知られたら、なんと言われるか……」
「知られなければいいんですよ。ほら、あそこの衣料品店で服を買って、それに着替えて市民に変装すれば気づかれませんよ」
「ですが……」
「きっと楽しいですよ。ほら」
「あっ」
エリザベスは迷っていた様子だが、嫌がっている様子ではなかったので、理一はエリザベスの手を取って、半ば強引に衣料品店に連れて行った。
店員にお任せで普通の服を選んでもらった。
理一は白いシャツの腕をまくって、黒いズボンを履いた。何かの職人にでも見えるように、少し伸びた髪を革紐で後ろにまとめて結んだ。
エリザベスは質素な若草色のロングワンピースを着て、派手な縦巻きロールの金髪を隠すように、三つ編みにして流してもらっていた。
お互いにその姿を見て、小さく吹き出した。
「どこからどう見ても平民ですわ」
「どうせなら話し方もそれらしくしよう。敬語は禁止。僕のことはリヒトと」
「では、わたくしのことはベスと呼んでちょうだい」
「いいね。じゃぁ行こうか、ベス」
「ええ、リヒト」
さっきまで迷っていたのはなんだったのかというくらい、エリザベスは浮かれた様子でニコニコしていた。いつもは高飛車だが、こういうのは少女らしくて可愛らしかった。
しばらく二人で市を散策してみた。アクセサリーを売っている露店や、小物を売っている店、珍しい料理屋が立ち並んでいて、エリザベスは物珍しそうにキョロキョロしている。
「あれは何かしら?」
エリザベスが指差した先の出店では、串に刺さった大きな肉が、熱された鉄柱からの輻射熱で焼かれ、焼けた部分から削ぎ落とされている。ドネルケバブのお店のようだ。
「行ってみよう」
「ええ」
三人ほど並んでいる列に並んでいると、肉汁の香りが漂ってきて、じゅうじゅうと焼ける音が耳を楽しませてくれる。しばらく待つと順番が回ってきた。
髭を生やした体格のいいおじさんが肉を削ぎ落とすのを眺めながら、理一が尋ねた。
「これは何の肉だい?」
「フォレストジビエの肉さ。逢魔の森で捕まえた奴を、今朝方締めたばっかりで美味いぜ」
「美味しそうだね。二人分頼むよ」
「あいよ」
焼けたばかりの削ぎ落とされた肉が、薄焼きの白パンに包まれる。脂が沁みないように蜜蝋に浸けられたワックスペーパーの上に乗せらて、ケバブサンドが二人の前に差し出された。
それを受け取り代金を払って、屋台の前から離れた。
歩きながらパクついてみると、塩と胡椒だけのシンプルな味付けが、肉の味を引き立てている。肉汁がパンにも染み込んでいて美味しい。
「まぁ、歩きながら食べるなんて」
「周りを見てみなよ。みんな僕のようにしているよ」
エリザベスが周りを見ると、確かに串肉を頬張る人などもチラホラ見かけて、エリザベスが「まぁ!」と驚いているのが面白かった。
「エリザベス=フィンチってバレちゃ不味いんだ、ここは平民になりきるんだよ」
「くっ、わかってるわ」
エリザベスにとっては恥ずかしい事のようで、少し苦渋の表情をしているが、遠慮がちにパクリと口にすると、大きな瞳がより大きく開かれた。
「美味しいよね」
「悔しいけれど、美味しいわ」
「はは、なんで悔しがっているのさ」
なぜか悔しがるエリザベスだったが、二人ともケバブサンドをペロリと平らげてしまった。
パンと肉の塩分で喉が渇いたので、今度は飲み物を売っている屋台で、ジュースを買った。
理一はオレンジっぽい果物を絞ったジュースで、エリザベスはブドウを絞ったジュースを買った。
「こういう時はお酒を買うものではなくて?」
「残念だけど、こういう出店のお酒はあんまり美味しくないんだ。酒蔵と違って品質管理が難しいそうだよ。その点、ジュースは新鮮で美味しいんだ」
「さすが冒険者ね、こういうことに詳しいのね」
「あの国に流れ着くまでは平民だったからね」
そんな話をしていたら、エリザベスがピタリと足を止めた。てっきり気になるお店を見つけたのかと思ったが、エリザベスは思い悩むような顔をして理一を見ていた。
「どうしたの?」
「いえ、そうよね。リヒトは元々は平民なのよね」
「そうだけど、それがどうしたの?」
「なぜかしら、わたくし、リヒトもほかのお仲間の方たちも、元から貴族のように思っていたのよ。話し方や立ち居振る舞いも丁寧で品があったから、そんな風に思ってしまったのかしら」
「そうかい? 僕らは国王陛下に礼儀作法の指導を受けるように言われたからね。ベスがそう感じたということは、練習の成果があったということだね」
エリザベスに前世のことなど話しても仕方がないので、適当に嘘をついたが、エリザベスはそれで納得したようだった。
「そうなのね。なんだか不思議だわ。わたくし、平民と関わることはないと思っていたけれど、あなたと話すのは嫌いじゃないわ」
「君のような淑女にそう言っていただけるとは光栄だね」
階級差別はあって当たり前の認識なので、彼女のこの発言も仕方のないものと受け入れて、理一は一応お礼で返しておいた。
でも一応釘は刺しておく。
「僕は確かに元平民だけど、今は僕の方が地位が高いんだから、口には気をつけた方がいいんじゃないかい?」
「まぁ! リヒトってそんな意地悪を言う人だったのね! これだから成り上がり貴族は嫌いなのよ!」
「僕の場合は叩き上げというんだよ。それに僕のことは嫌いじゃないと、さっき言ったじゃないか」
「ああ言えばこう言うのね! 今嫌いになったわ!」
「ははは、それは残念だね」
「ちっとも残念そうに見えなくってよ!」
噛み付いてくるエリザベスを適当に受け流しつつも、こう言う口喧嘩をするのも結構楽しかった。
からかうとエリザベスのリアクションが大きいので面白かった。
エリザベスに嫌われたのは、ちょっと残念だったが。
言い合いをしていると、夕日が少し傾き始めていた。そろそろ帰る時間だと考えていたら、エリザベスが足を止めた。
彼女が食い入るように何かを見ている。その視線の先にあるのは、露天商が絨毯の上に広げたアクセサリーの数々だった。
エリザベスが座り込んで、その一つを手にした。青い宝石の嵌められたネックレスだ。
「綺麗ね」
「嬢ちゃん、お目が高いね。それは一品モノのサファイアさ」
あれは、と理一はすぐに気がついたが、面白いので黙っていた。露天商のセールストークに、エリザベスは熱心に聞き入っている。
そろそろ理一が笑いをこらえる限界を迎えそうになったところで、隣の露天商のおばさんが口を挟んだ。
「お嬢ちゃん、そんなオッサンに騙されちゃいけないよ。そりゃただの色付きガラスだ」
「まぁ!」
「おいおい、せっかく鴨がネギ背負ってきたってのに、台無しじゃないか」
「まぁ! 騙すなんてひどいわ!」
ついに我慢できなくなって、声を押し殺しつつも、憤慨するエリザベスに爆笑していると、怒りの矛先が理一に向いてきた。
「笑わないで頂戴!」
「ぶっくく、いや……ごめん、くくっ」
「不愉快だわ!」
「いや、本当にごめん。お詫びに何か贈るよ。ぷっ」
「まだ笑ってるじゃない!」
エリザベスは憤懣やる方ないという有様で、流石に理一も笑いすぎたと反省して、エリザベスに謝罪の品をあげることにした。
おばさんが非難がましい目で見ているので、おじさんもバツが悪そうだ。
理一は魔力感知と鑑定を使いながら品定めしていく。こう言う物品を買う時には便利な能力だ。
その中の一つに、異彩を放っているものを見つけた。
それはなんの変哲も無い腕輪で、金属製の古い物だったが、そのスペックはとんでもない掘り出し物で、尋常では無い質の魔力が宿っていた。
だが、おじさんはそれには気づいていないようで、「それなら青銅貨一枚でいいぞ」と破格だった。
それを買って、露店から離れてエリザベスに渡すと、エリザベスは古くて安い腕輪だったことが不満だったようで、頰を膨らましている。
「こんなものでわたくしのご機嫌をとるつもり? 安く見られたものね!」
「そう怒らないで。あの露店のおじさんは気づいてないみたいだけど、これはアーティファクトだよ?」
「アーティファクト!?」
「しっ、静かに」
理一の鑑定結果ではこうだった。
■魔王の腕輪
等級:アーティファクト
神代の魔王が作成した腕輪。魔王の護法が施されており、この腕輪をしていると魔物が近寄らない。
理一の説明を聞いて、エリザベスはまじまじとその腕輪に見入った。
エリザベスにも魔力を使ってその腕輪を観察するように言うと、彼女もその腕輪がとんでもない代物だと気づいたらしい。
「本物、みたいね。ただの露天商では、気づかないのも無理はないわ」
「おそらく、どこかの遺跡からの出土品が流れてきたんだろうけどね。君を騙そうとするから、代わりに騙してやったんだ。いい気味だろ」
「まぁ、あなたって本当に意地悪だわ。ふふっ、変な人。わたくしがもらってもよろしいのかしら? 冒険者のあなたの方が、持っていた方がいいのではなくって?」
「僕はいいんだ。魔物を狩るのも僕の仕事だし、魔物が出ないのでは商売上がったりだ。反面、君は女の子だし、女の子はいくらでも身を守る術を持っていた方がいい」
「そうね、じゃぁいただくわ。ありがとう」
まんまとご機嫌を回復したらしいエリザベスは、満足そうに魔王の腕輪を腕にはめた。
だいぶ夕日も傾いてきたので、そろそろ学校に戻った方が良さそうだ。
駄目押しにもう一つご機嫌とりをしておこうと考えて、理一がエリザベスに手を差し出した。
「どうぞ、お手を。女子寮までお送りしましょう、エリザベスお嬢様」
その手をエリザベスはパシンとはねのけて、理一を睨んだ。
「往来で男性と手を繋げるわけがないでしょう! やっぱりあなた、わたくしをバカにしているわね!」
「心外だな。僕は至って紳士的に振舞っていると言うのに」
「あなたのは慇懃無礼というのよ! それよりリヒト! あなた魔王の腕輪に気づけたのなら、あの色付きガラスにも最初から気づいていたのではなくって!?」
「あ、バレた?」
「んまぁぁぁ!! 気づいていてわたくしを笑い者にしたのね! なんて人なのかしら!」
「別に笑い者にしたつもりはないよ。とてもじゃないけど、ベスにはお使いは頼めないなとは思ったけど」
「頼まれたってやらないわ! わたくしを誰だと思っているの!」
「はいはい、エリザベスお嬢様。往来でそんなに大声をあげるなんて、淑女に有るまじき行為ですよ」
「誰のせいよ!」
最後の最後でエリザベスのご機嫌取りに失敗してしまい、結局寮に戻るまでずっと口喧嘩をしながら帰ったのだった。




