商工協会からの依頼
この国の、特に首都の住民にはディアリ族という種族が多い。彼らは黒髪に飴色の肌をして、耳が尖っている。
非常に長命であるが、人間よりも肉体は脆弱。魔力は多いが得意なのは木属性と防御魔法で、至って温和で気が弱い。
この独特な種族は、およそ千三百年程前に発した。この地に侵略してきた悪魔族が、クロスト山に住んでいたエルフ族を追い立て、男は奴隷にし死ぬまで使い潰し、女を慰み者にした。
その結果として、悪魔族とエルフ族の合いの子として生まれた子どもたちが、ディアリ族という種族を形成するに至った。
クロスト山にかつて住んでいたエルフ族は、既に絶滅したとされている。
どれだけ時代が流れても、たとえ世界が変わっても、人には歴史がある。
開いていた歴史書を閉じて、理一は薄く目を閉じた。
(エルフは悪魔に追い立てられたというが、クロスト山には当時色白はいなかったのだろうか?)
色白なら山育ちだとこの世界で思われているのは、山の中なら木々に囲まれて平地程日光に照らされないから、肌が白いのだと思われている。
実際、山や秘境に住むエルフ達の多くはそのようだ。
そう思われたのがどれほど昔からかは不明だが、肌の色に区別がつくほどの年月は、千年や二千年ではないはずだ。
それこそ余所者だったり、余所者と交配でもしない限りは。
あとは吸血鬼のように、不老不死だから皮膚色の変質など起きないという場合もあるが、色白は人間のようだからこれも除外だ。
(いや、待てよ。雄介のような人間が、雄介だけとは限らないのでは?)
雄介はなんらかの原因で不死身になってしまった。無限に再生する細胞。もし、余所者の先達にもそういう人がいるのなら、色白のまま何百年も生きている人がいるかもしれなかった。
そう考えたりもしたが、何もかも想像の域を出ることはない。
理一は本を閉じて立ち上がった。
国王からも仕事は任されるが、直接依頼があった時も、可能な限り応じている。
今回は王室御用達のある商人から、理一達に直接依頼を持ち込まれた。商工協会を代表して来たらしい。
てっきり護衛か何かだと思っていたが、内容は討伐と言われた。
ロータス商会の会長であるセルゲイ=ロータスと名乗った、ディアリ族の青年が説明するには、ロータス商会は南のイボニス公国を経由して、クロスト山の西側に貿易をする商会とのことだった。
近頃戦争だのなんだのできな臭くなってはいたが、噂だけで終息して安心していた。
そんな折、隊商が強盗に遭遇する事件が頻発するようになった。ロータス商会も被害に遭い、商人も護衛の冒険者も全員死亡し、積荷は全て奪われた。そんな事件が幾度も起きた。
ロータス商会をはじめとする商会が、商工協会に被害を訴え、商工協会が南ミレニウ・レガテュールの領主に討伐を依頼するとすぐに兵を派兵してくれたが、領兵によると強盗達は山に隠れて姿を隠したり、イボニス公国の国境線を超えて逃げ回るなどし、ミレニウ・レガテュールだけでは手出しできない。
それでイボニス公国に商工協会からお願いしてもらい、こちらも派兵してくれたのだが、強盗は五十人から百人程の大人数で、しかも屈強だったので太刀打ちできなかったそうだ。加えて国境問題もあるのでお手上げだった。
困った両国の商会や旅人は、出発時期を決めて複数の隊商を寄せ集めて大集団で移動し、複数のパーティの護衛をつけて、なんとかイボニス公国間を往復できている。
南ミレニウ・レガテュールの領主が軍を派兵して国境線まで護衛してくれたり、周辺を警備してくれているが、それでも被害はゼロではなかった。
「賊は人数も多く、手慣れているようで軍人も太刀打ち出来ない程です。国境を超えた活動をしているため、この国もイボニス公国も動きを取りづらいのです。冒険者の活動に国境はないはずです。必要であればこの国の国王陛下にも、イボニス公国の大公陛下にも黒犬旅団参入の許可を頂いてまいります。ですからどうか、我々に、あのルートを使用する全ての商工会の為に、お力を貸していただきたい」
クロスト山を通るルートが整備されていない以上、イボニス公国を通過するルートが使えないのは経済麻痺を起こしかねない大問題だ。
「私どもだけでは返答致しかねますが、陛下にも上申した上で返答致します」
「何卒、何卒……」
よほど切羽詰まった状況だったのだろう。この首都に本店を持つロータス商会は、会長も従業員も殆どがディアリ族。脆弱な彼らは強盗に対応することなどできないのだ。
かと言って、沢山の護衛を雇っても経費がかさむばかり。それでも安全が保障されるわけではないのだ。
ロータスは、テーブルに額を擦り付けんばかりの勢いで懇願していた。
この事件は既に副国王経由で国王の耳にも入っていたようで、詳細を内務大臣のジョヴァンニが教えてくれた。
事件が起き始めたのは、ミレニウ・レガテュール連邦とクリンダ王国の戦争問題が、トキソ国王暗殺によってうやむやになった後。
クリンダ王国とトキソ王国の冷戦状態が崩れ、瞬く間に戦端が開かれたが、これもトキソ王国が勝利していた。
新王に就任した現在のトキソ国王は暗君のようで、クリンダ王国の国王一族と有力貴族を処刑すると、クリンダ王国も支配下に置き反抗勢力は次々と処刑していった。
その処刑は国民に及ぶことこそなかったが、政府と関連の深かった豪商や騎士団もその煽りを食らった。そうして処刑を免れようと国外逃亡する者が、現在も後をたたない。
そうして逃亡した者の一部が暴徒化し賊に成り下がっているというのが今の所の見解で、数少ない生き残りの商人が、賊が人間だった、鉄鎧を着ていたと証言したことからも、その可能性が濃厚とされている。
現在把握できているだけでも、死者の数は二百三十七名にも及び、被害総額は億に届く勢い。流通は麻痺に近い状態に陥っており、この辺の交通の要衝であるイボニス公国は、近く正規軍を派遣して大々的に盗賊狩りを行う予定となっている。
こちらからも副国王から南方軍が派兵される予定となっていて、その準備が進められていた。
この問題に関しては、両国間で越境戦闘を一時的に許可することで合意が進められており、状況はほとんど副国王に一任されているようだ。
それなら軍に任せておけば、近いうちに解決しそうではある。この情報はおそらく商工協会も掴んでいるだろう。
だが、それでもロータスが依頼を持ってきたのは、それなりにわけがある。
「要は速度の問題でしょう。軍の強みは数による圧倒です。ですがその分、歩みが遅い。それに比べ、冒険者は人数が少なくともフットワークが軽い。商人にとって、国ののんびりした動きを待ってはいられないのでしょう。こういう時、国というのはどうしても動きが遅いものですからね」
国というのはどうしても広範囲に責任や権利が分散しているので、その分初動が遅くなりがちだ。しかも千人規模の軍を派遣するとなれば、その準備や移動も時間を要する。
商人が流通しているのが工業製品だけであればまだいいが、食品や生物、期限の定まった積荷もあるのだから、そんなに待ってもいられない。待っているだけで損害が出てしまうのだ。
「であれば、私は黒犬旅団がこの問題に当たるのは善策と考えますが、陛下はどのようにお考えで?」
ジョヴァンニの問いに、国王は飲んでいた血の入ったグラスをコトリと置いた。
「そうだな。商工協会から冒険者協会への依頼も正式に出ているようだし、お前達を派遣するのが妥当だ。だが、お前達に可能だとは思えない」
「それは、何故でしょうか?」
まさか国王からそんな回答が返ってくるとは思わず、尋ねた理一に国王は頬杖をついて、しっとりとした視線で理一を見た。
「私の下す命令はこうだ。山賊と思しき集団の幹部を数名捕らえ、残りは皆殺しにしろ」
「……皆殺し?」
「そうだ。国民を二百余名も殺害し、その資産を奪った者を、私は王として許しはしない」
「全員捕縛ではいけないのですか?」
「全くいけない」
「何故ですか?」
出来れば殺しは避けたい。そう考えている理一の問いに、国王の視線には徐々に怒りの色が浮かんできたのがわかる。
「お前には聞こえないのか、死者の声が。子どもの目の前で犯され殺された母親の悲鳴が聞こえないのか。志半ばで夢を絶たれた旅人の無念が聞こえないのか。努力と熱意で作り上げた品を無造作に奪われた職人の嘆きが聞こえないのか。生活を豊かにするはずの商売で、絶望に突き落とされた商人の祈りが聞こえないのか!」
「捕まえた山賊を生かしておくために、その金を払うのは誰だ? 国民だ、国民の税によって奴らは生かされる。家族や従業員を殺され、資産を奪われ、自分の払った税金で仇敵がのうのうと生きている。お前はそれを許せるのか? お前は加害者を庇護し、被害者を救済しないのか!? お前の矜持とやらの薄っぺらさには反吐がでる! 正義を語るなら覚悟を決めろ!」
国王の熱のこもった怒涛の弁舌に、理一は一言も返す言葉がなかった。
国王の言う通りだ。自分がしていることは、被害者感情を無視したものだ。偽善ですらない。この世界の全てを変えるとか、救うとか、そんなことは誰にも出来ない。
ならば、取捨選択する覚悟が必要なのだ。
国王に誘導されたとはいえ、ここに滞在する決断をしたのは理一だ。逃げることもできたはずなのに、そうしなかった。
それなら、理一はこの国の人々のことを考えて動かなければならない。味方でいなければならない。
この国で生きる人の味方であるためには、理一が手を汚すことも覚悟しなければならない。
太政大臣の言っていた通り、殺したくないと言う感情は、国という単位で考えるなら逃避でしかなかったことを理解した。
国王達と理一達の、ズレていた視点が、この時になってようやく交差した。
「私が間違っておりました。私は陛下の命に従います」
「出来るか」
「はい」
「受けると言った以上、逃げる事は許さんぞ」
「理解しております」
「わかった。ならば、征け」
「かしこまりました」
偽善と言われても仕方のなかった理一の価値観が音を立てて崩れ去ると、その後には新たな価値観が生まれていた。




