閑話 黒犬旅団のその後を聞いた、あの人この人
理一達がミレニウ・レガテュールのお抱えになったという話は、近隣諸国に瞬く間に広がって行った。
その話を聞いたある一団は、飲み屋で顔をつき合わせていた。
「聞いたか?」
「あぁ、聞いた。どうやら本当らしい」
「王家のお抱えになっちまうなんて、出世したな」
「王家のお抱えか。もう俺たちみたいな庶民が、菊ちゃんの歌を聴くことはできないんだろうな……」
菊を想って溜息をこぼすのは、レオザイミまではついてきた菊の親衛隊である。雄介と出会った時点で、今後の旅は危険なものになるからと、菊から別れを告げられていたのだ。
菊が無事であったことは嬉しいが、大国の王に気に入られてしまったのでは、もう二度と彼女の歌を聴くことはできないだろう。そう考えて彼らは悲観していた。
その時、飲み屋のドアが乱暴に開いて、親衛隊長が走りこんできた。
「みんな、これを見てくれ!」
勢い込んでテーブルにぶつかりながら、親衛隊長が差し出したのは、一通の手紙だった。
親衛隊長と親衛隊の皆様へ
皆様、いかがお過ごしでしょうか。私は皆様のおかげで元気に過ごしています。
この度、我々黒犬旅団はミレニウ・レガテュール連邦の王宮に留まることになりました。こうして私の無事を知らせることができるのも、王宮にて筆を取るいとまを得られたからになります。
私のことを応援してくれていた皆様が、涙ながらに送り出してくれたあの日のことを思い返さない日はありませんでした。
私は数年の間はこの国に留まる予定でございます。王城からの外出許可も得ておりますので、もし、皆様がこの国に立ち寄られた際は、是非お知らせください。
キク=ニノミヤ
「菊ちゃん……」
「俺たちの事、覚えて……」
菊からの手紙を握りしめて、「うおぉぉ」と感動にむせび泣く親衛隊。飲み屋の周りの客がドン引きしながら見守る中、涙を流した隊長が言った。
「泣くんじゃないっ、俺たちがすべきことはこんなことじゃないはずだ!」
「はっ、そうだ!」
隊員達も顔を上げて、涙を拭った。
「こうしちゃいられない」
「すぐに宿に戻って荷造りをするんだ」
「明日の朝一で出かけよう」
「そうだ、菊ちゃんの待っている、あの国へ!」
「あの国へ!」
菊ちゃん待っていてくれと一斉に店を飛び出した親衛隊達に、他の客はポカンとしながら背中を見送ったのだった。
時を同じくして、一人の少年が新聞と睨めっこしていた。
「えっと、セーファ、大……何? を、えーっと、ナントカした黒犬旅団が、えーっとナントカカントカ……」
「お前全然読めてないな」
「うるせーな! 俺にはまだ新聞は早いんだよ! オヤジ読んでくれよ!」
「しょうがねーな」
新聞を読むにはまだ早かったらしいジークが、チアゾリッジに新聞を突き返す。チアゾリッジは苦笑しながらそれを受け取って、ジークの代わりに読み始めた。
「セーファ大迷宮を踏破した黒犬旅団が、ミレニウ・レガテュール連邦に入国。その後、災害指定魔獣トゥガーリンを討ち取り、冒険者ランクSに到達。その功績をもって、ミレニウ・レガテュール連邦において、国王に国賓として招聘される」
「……どゆこと?」
「つまり、超強い魔物を倒して、お偉いさんに気に入られたってことだよ」
「へーっ、リヒト達ってすごい冒険者だったんだな!」
「そうだな」
肯定で返したものの、チアゾリッジには理一達がその状況を喜んでいるようには思えなかったが、喜んでいるジークに水を差すのも憚られて、それは口をつぐんだ。
「サイガイシテーマジューって?」
「国を滅ぼすレベルでヤバい魔物だな」
「リヒト達そんなの倒したのか!?」
「そうみたいだな」
「すげーっ!」
やっぱりジークはこの手の話が大好物のようで、理一の話をしてやると子どもらしくキラキラした顔をしている。やはり子どもはこういう顔をしているのが一番いい。
「リヒトに憧れるか?」
「悪くねーな!」
「はは、お前素直じゃねーな。冒険者になりたいか?」
「うーん」
少し考えて、ジークはぱっとチアゾリッジを見上げた。
「冒険者のリヒトはすげーと思うけど、俺が冒険者になるのは違うんだよな。俺、リヒトにオヤジみたいになるって言ったから、冒険者はいいや。俺はこの街で、オヤジみたいにこの街を守る」
「……そーか」
「ちょ、やめろよー!」
ウッカリ感動してしまったチアゾリッジは、それを誤魔化すようにぐしゃぐしゃとジークの髪を混ぜくった。
「お父様!」
いきなりドアを開け放って駆け込んできたフェリスに、今日もやっぱりワシントン村の村長は、書類に埋もれて泣きそうな顔を上げる。
「なんだい、フェリス。仕事を手伝ってくれるのかい?」
「違うわ!」
「違うのか……」
「リヒトさんのこと!」
「あぁ」
言われて村長は、今日やってきた隊商に聞いた話を思い出した。フェリスもどこかから、理一達の噂を聞きつけたのだろう。
「リヒトさんを取られちゃった!」
「取られたって、何を言っているんだ? その内また来ると言っていたじゃないか」
「その内っていつなの!?」
「それはわからないが」
「来ないかもしれないじゃない!」
「それもわからないだろう?」
「でも!」
なんだかやたらとフェリスは切迫した様子だ。一体何がそんなに心配なのか。
「だってあの国のお姫様って、すっごい美人だって言うじゃない!」
「あぁ、そういうことか」
つい笑ってしまった村長に「なによー!」とフェリスは顔を真っ赤にしている。
「心配しなくても、お姫様というのは、庶民とは結婚したりしないよ」
「え、そうなの? 本当に?」
「本当だとも」
「でも、お姫様がリヒトさんの事好きになっちゃったら?」
「それでも結婚はできないよ。お姫様は結婚相手を王様が決めるからね」
「そうなのね……」
ようやく落ち着いたようで、フェリスはホッとした様子で胸に手を当てている。我が娘ながら、一生懸命で可愛らしいものだ。
その内この娘も親の手を離れて、理一か誰かと結婚するのだろうと思うと、村長はすでに寂しくなった。
「慌てることはないよ。彼はまた来ると言っていたんだ。それを待ちなさい」
「うん。リヒトさんが私のことお嫁さんに迎えにきてくれるの、私待ってる!」
元気が出たらしいフェリスは、そう言って来た時のように慌ただしく出て行った。それを見送って、はて、と村長は首を傾げた。
理一はまた会いに来るとは言っていたが、嫁にするために迎えに来るなどとは言っていなかったと思う。これは、フェリスの中で妄想が暴走している。思わず村長は頭を抱えた。
(リヒト、来るなら早く来てくれ。娘が嫁き遅れかストーカーになりかねない)
娘の将来を思うと、ストーカーになるくらいなら普通に嫁に行ってくれと、村長は本気で願った。
その頃、猫の目亭のドアのベルがなった。
「まぁた来やがった、この破戒シスターが」
「お酒は禁止されていないもの。いいじゃない」
コリンが猫の目亭を訪れていた。シスターとなってからもちょくちょく来ているので、ここ最近破戒シスターなどと呼ばれている。
苦笑しながら店主がグラスを磨いて、磨き立てのグラスに酒を注いで差し出した。
「ありがと」
「リヒトの噂、聞いたか?」
「聞いたわ。なんだか、随分遠くに感じるわ」
「やっぱお前ごときの器に収まる男じゃなかったな」
「ごときって何よ、失礼ね」
ふんっと息を荒くするコリンに、店主は愉快そうに笑う。だが、どこか真剣そうな眼差しを向けた。
「お前さ」
「なによ」
「いい加減、リヒトのこと吹っ切れたか?」
「……まぁ、そうね」
「ならよ」
「なによ」
「俺の女になれよ」
「……は?」
グラスがコリンの手から滑って、カウンターにゴツンとぶつかる音が響く。
途端にコリンは顔が赤くなって、口をパクパクとさせた。
「な、な、何言って」
「俺は本気だぜ」
「そんな、急に、私」
「コリン」
「な、なに」
「帰れ」
「は?」
「今日は逃げてもいいけど、また来い。今日ここで潰れたら、俺に何されるかわかんねーぞ」
「な、ばっ、か、帰る、帰るわよ!」
「また来いよー」
コリンはやっぱり赤い顔をしたまま、椅子にぶつかりながらふらつく足取りで走って出て行った。あんまりにもコリンが慌てているので、店主はついに笑ってしまった。
「本当に帰ってんじゃねぇよ、ばーか」
そして店主はいつも通りに、看板に灯っている火を、風の魔法で吹き消した。