理一の苦悩
オキクサムで狩った魔物達を、冒険者協会に持ち込んで換金。災害指定魔獣がいたことで冒険者協会は大騒ぎになり、その日のうちに国王権限でSランクに昇格してしまった。
Sランクになれば、いい宿に割安もしくは無料で泊まれるとか、立ち寄った国の貴族や王族から招待されて接待を受けられるとか、そういった特典がある。だがその特典というのは、「ウチはSランク冒険者と繋がりがあるんだぜ」と自慢したい勢力が多分にいるわけで、そういう圧力を特典と言い換えているだけだ。
事実、黒犬旅団がついにSランクになり、ミレニウ・レガテュール連邦に拠点をおいたというのは、近隣諸国に瞬く間に広まった。
ただでさえ大国だったこの国が、Sランク冒険者を擁しているというのは、近隣の諸国にとっては嫉妬と憎悪の対象になり得る。
それでも国王が理一達を欲しがったのは、その辺の小国が戦争をふっかけてきたところで、ちーっとも怖くなかったからだ。
軍事演習に参加していた安吾に聞いたが、この国の軍人は非常にレベルが高いらしい。種族特性と、それを活かした戦法を持って仕掛けてくる。適材適所を見極める能力を持った指揮官がいる以上、軍人が人間だとしてもこの国は強かっただろうとは安吾の言である。
また、この国は軍事強国でもあるが、経済大国でもあり、産業国家でもある。この国から輸出される製品は、世界各国から熱烈に支持を受けている。
そう言った経済基盤を欲しがる国家もいるが、なにせ強すぎて勝てないので、それなら貿易相手として素敵なお付き合いをしていた方が美味い汁を吸えた。
事実この国は、王位を交代してから他国に侵略したことはない。他国から侵略を受けない限りは、自分から戦争を吹っかけることなどなかった。だが、他国が侵略してきたときは、容赦無く皆殺しにした。
攻めれば滅ぼされる。手を伸ばせば握り返してくれる。国王の考え方は非常にシンプルだった。
普通に考えて、寝た子を起こすような愚を犯す者はいない。この国が対外的には友好的だということがわかった時点で、近隣国は概ね友好国として付き合ってきた。
スパイを送り込んでいることも、スパイが消されていることも、それは暗黙の了解としてだ。
だから国王が理一にこう言った。
「お前に人を殺す度胸があるか?」
人を殺したことなどない。魔族もエルフも獣人も、もちろん人間も手にかけたことはない。力量的には可能だろう。最早理一の力は一軍に匹敵する。
だが、その度胸も覚悟もない。
「恐れながら申し上げます。私は人を殺すことを望みません」
「貴様の希望など聞いていない。出来るか出来ないのか」
「出来ません」
「何故だ」
「私の矜持に悖るからでございます」
国王の悍ましくも美しい顔が歪む。口角の端を上げて笑うような、いやらしい微笑は、国王の威圧感を高める。
「矜持という言葉は嫌いではない。お前の矜持はなんだ?」
「人に貢献することでございます」
「相手が敵でもか?」
「私に敵はおりません」
「お前の近しい者を害する相手でもか?」
「近しい者を守りはしますが、相手を殺しはしません」
「絵空事だな」
「そうでしょうか? 私が殺さずとも、そのような者はいずれ誰かに殺されますので」
「ふっ、はははは!」
何が面白いのか、国王は唐突に笑い出した。よく見ると太政大臣まで苦笑している。
「なにか?」
「くく、いや。お前が思っていた以上に小賢しいやつで、面白いと思っただけだ」
「……そうですか」
「まぁ良い。お前を最前線に送り込んでやろうと思っていたが、今回は勘弁してやろう」
「……」
食客を最前線に送り込もうなどと、やはりこの国王は暴君である。
しかし、今の話は聞き捨てならなかった。
「戦争が起きるのですか?」
「あぁ、クリンダ王国が宣戦布告してきた」
クリンダ王国は、大迷宮に入る前に通過した国だ。ここからは天嶮クロスト山を越えた向こう側。確かその向こう側のトキソ王国とも冷戦状態だったはずだ。
「何故クリンダ王国のような小国が、この国に宣戦布告を?」
「簡単な話だ。クリンダ王国の宿敵であるトキソ王国と、我が国が同盟国だからだ。トキソ王国は我が国の助力もあって、クリンダ王国の進撃に徹底抗戦している。クリンダ王国は一度も戦勝することはなく敗退し続けた。次は何を思うか?」
「腹いせに、同盟国であるこの国を攻撃する?」
「その通り。ただの嫌がらせだ」
「馬鹿馬鹿しい」
「そうでもない。攻撃されれば、我が国はクリンダ王国を攻撃する口実が生まれる。トキソ王国は何もしなくても、我が国がクリンダ王国を滅亡させるのを待てば良い」
「では、此度の戦争は」
「トキソ王国の、あの無礼な豚が画策した余興に過ぎぬ」
無礼な豚というのは、おそらくトキソ国王のことだろう。
なんにせよ、ここまでわかっているのなら、素直に戦端を開く必要はないように思う。
だが、理一は考える。もし自分がクロスト山の麓の住人だったらどうだろうかと。
国からの十分な防衛はされず、隣国に蹂躙された挙句、国は報復に出ることもない。それは国民感情としては許されることではない。
「戦うしか、選択肢がないのですね」
「そうだ。平和ボケした温室育ちの皇族のお前には、ぴったりの初陣だと思うがな?」
確かにそうかもしれない。これは防衛戦だ。理一の人の助けになりたいという言い訳もたつだろう。
だが、どうしても人を殺すということに対して、抵抗感を拭えない。
「しばし、考える時間をいただけるでしょうか」
「構わん。明日の夕刻までに返事をしろ」
「かしこまりました」
物憂げに退室した理一を見送って、国王は苦笑して太政大臣に呟く。
「羨ましいものだな。この世界においても、あの気質を失わずにいられるのは。幼少から人殺しであった私やお前とは、奴はまるで違う生き物のようだ」
「そうですね。私達と彼は違います。失望なさいましたか?」
「いや、初めからいないものと思えば、損失ですらない」
「左様でございますか」
「ただ、あまり織姫に近づけたくはないな。奴は日本人の国民性の象徴だ。織姫が感化されてはかなわん」
「お任せください。織姫様は私のものですので」
「何をいう。私のものだ」
「……」
「……」
人知れず静かに視線で喧嘩した。
ため息をつきながら、夕暮れの回廊を歩く。またしても国王に言いくるめられそうになっている自分が嘆かわしい。
人の助けになりたい理一と、人を守るために戦えという国王。
(人を殺さずに、戦いを終息させる方法があれば、僕が前線に出る価値はあるかもしれない。でも、どうやって?)
考えながら歩いていると、後ろから太政大臣が追いかけてきて、理一を呼び止めた。
「どうされました?」
「いえ、先ほどの話で、随分お悩みのご様子でしたので」
「お気遣いありがとうございます」
「いいえ」
連れ立って歩く。太政大臣の金髪が、夕日を反射している。彼も相当に強いと聞いた。
「太政大臣は、人を殺したことがおありですか?」
「ええ。数え切れないほどに」
「恐ろしくはありませんでしたか」
「初めは恐怖を覚えたのを覚えています。人を殺してしまった自分に恐怖しました」
「そう、ですか」
「ですが」
「はい」
「私は人を殺すことより、仲間を失うことの方が、よほど恐ろしかった。守れない自分の不甲斐なさが許せなかった。だから殺しました」
「……」
「人は戦いに赴く時点で、殺すことも殺されることも、大なり小なり覚悟しているものです。それは魔物討伐でも、戦争でも同じこと。こと、戦争においては、これは殺害ではなく政治的行為です」
「殺したことは私の罪ではなく、戦争責任であるとおっしゃりたいのですか?」
「そういう考え方もできます。卑怯と思われるでしょうが、そういうものです」
少し納得のいかない理一に、太政大臣は笑いながら言った。
「人が殺しを恐れるのは、人殺しの罪悪を背負うことを恐れているのです。殺害が罪ではないと誰かが言ったのなら、世界中で殺しが蔓延するでしょう。そして戦争は、その罪悪が払拭される千載一遇の機会でもあります」
「僕は、責任を負いたくないから、人を殺さないわけじゃない」
「本当に、そう言い切れますか?」
「……っ!」
人を、殺したくない。でも、それは何故なのか。殺したことで悲しむ人がいるから。悲しんだ人に、恨まれたくないから。戦争だったら、その恨みは国に向く。理一が恨まれるわけではない。
相変わらずの営業スマイルで、太政大臣が迫った。
「魔物は殺せるのに、人を殺せないのは何故ですか? 家畜を食べてもいいのに、人を食べてはいけないのは何故ですか? していることは同じなのに、人だけが尊いと思われているのは何故ですか? それはただの、欺瞞ではありませんか?」
太政大臣の問いに、返す言葉が見つからない。彼の言葉を反芻するたびに、自分の価値観が音を立てて崩れていく。
「僕は、ただ……」
「あなたは先程こう言いましたね。自分が殺さずとも、いずれは誰かが殺す。あなたの矜持に照らし合わせるなら、被害が拡大する前に、あなたが殺せば良いのでは? 誰かを守りたいのであれば、害悪は速やかに排除するべきだ」
「……」
「理一殿、あなたは恐れているだけだ。殺害の罪悪を。逃げているだけです、その責任から。あなたの逃避が新たな犠牲を生む可能性を、あなたは無視している」
一言も反論できずにいる理一に、太政大臣は変わらない営業スマイルで「失礼しました、良い夜を」と声をかけて、理一を置いて行ってしまった。
(僕は、逃げていただけなのだろうか)
太政大臣の言葉を反芻する。確かに彼のいうことも一理ある。理一が始末していればそれで済んだのに、放置したせいで被害が拡大する、そういうことが今後起きる可能性もある。
ならば自分は戦争に参加した方がいいのだろうか。それは本当に正しいのか。女神の意思に反しないだろうか。
わからない。わからない。
苦悩する理一を照らしていた夕日が姿を消し、無情な夜の帳が包んで行った。




