枯渇した湖 トゥガーリン戦
魔術研究所長が元々知っていた転移魔法を、こちらの魔法にアレンジしたものを、理一がなんとか習得した。
それを聞いて早速国王から命令が下る。
向かわされたのはこの国の最北端であるオキクサム。地図を見る限り北海道くらいの緯度にあるのだが、太陽が三つもあるせいでこちらもそこそこ暑い。だが赤道直下に比べたら遥かに過ごしやすかった。乾燥した砂漠とステップのような土地。
オキクサムの話は理一達も初対面時に小耳に挟んでいた。今年は乾季の暑さが厳しすぎるので、死者の数が増えているという話だ。
国王からの命令もそれに関するもので、災害対策本部と連携して、水不足及び酷暑対策に協力しろというものだった。
元々乾燥しやすいこの土地に住む民は、遊牧の民で定住をしない。住んでいる建物も移動式のものばかりで、拠点となり得る市庁舎や病院などの官公庁のみが固定の建物だった。
まずは市庁舎にて災害対策に当たっている役人に、国王からの命令書を見せながら挨拶をした。役人は「ありがたい」と理一達を歓迎してくれた。落ち着いたところで話が本題に入った。
この土地で長年災害対策に当たっている、オキクサム支部長が、状況の説明を始める。
「この土地は首都などに比較するとかなり涼しいので、暑さには弱い傾向があります。確かに今年の乾季は酷暑だったのですが、それ以上に問題なのは、水源地がいくつかなくなってしまったことです」
「干上がってしまったんですか?」
「干上がったものもあります。ですが最大の水源地であるリエス湖までが消えてしまったのです」
支部長が地図を広げて見せてくれる。オキクサムの中に水源地は十八箇所あって、その中で最大の水源地は、隣市との境にあり千五百ヘクタールもの規模を誇るリエス湖。この巨大な湖が消えてしまったのは異常事態かつ死活問題。
「他の池は残っているのに、リエス湖が枯れてしまうなど信じられないことです。しかも、たったの一晩で水が全て消えたのです。何が起きているのか調べたいのですが、最近リエス湖周辺で魔物が出没するようになりまして、軍も派遣しているのですが、我々では手に負えません」
「わかりました。我々でリエス湖周辺の魔物を討伐して、調査団が入れるようにしましょう」
「お願いいたします」
話によると、出てくる魔物はサンドワームやサンドコブラなどの砂漠系の魔物が増えているということだ。理一達も水をたっぷり持って、リエス湖へと向かった。
近辺まで案内役でついてきてくれたのは、市の兵士で斥候役をしているというハーピー族の女性リッピだ。両腕が茶色の羽になっていて、その先についている鉤爪で器用に馬の手綱を引いている。
リッピは飛べるらしいが馬がいれば荷物を乗せられるし、いざという時に食料や囮にもなるので、馬はいた方がいいらしい。勉強になる。
リッピの乗る馬が嘶いて止まるのと同時に、理一の索敵にも反応があった。馬は臆病な生き物と言われるだけあって、魔物の気配にも敏感だ。こういう点でも馬は役立つ。
大きな岩かと思っていた灰色の体が動く。その巨体はクロよりも大きく、顔には三本のツノが生えたサイの魔物。
「デザート・ライノセラスだよ。皮膚が硬くて剣が通らないし、突進力があって正面から戦うのは難しい。倒すのにすごく手こずる、Bランクの魔物だよ。初っ端からこんな面倒な魔物に鉢合わせるなんて」
リッピが教えてくれたが、苦渋の表情をしている。確かにデザート・ライノセラスの肌は岩のように硬そうだ。あれでは普通の魔法も効かないだろう。
だが、こちらには優れた手練れがいる。
デザート・ライノセラスがこちらに気づいて地面を鳴らす。そして一気に突進してきた。
「安吾」
飛び出した安吾がデザート・ライノセラスの正面で構える。安吾は自身の肉体にも、刀にも何層にも渡って魔力を纏っている。それは最早魔力の鎧と呼べた。
濃密かつ緻密な魔力で補強された刀が、デザート・ライノセラスの硬い皮膚にするりと滑り込み、一撃のもとに首を跳ね飛ばす。突進の勢いのまま倒れてくる胴体も、正面から真っ二つに両断し、安吾の両側をかすめて、どしんと地面に倒れた。
「い、一撃……で」
「安吾にとってはあの魔物は強敵じゃない。安吾は鉄をも両断できる剣士だからね」
信じられないものを見るようにして、リッピは安吾と真っ二つになったデザート・ライノセラスを交互に見ていた。肉と素材は欲しいので、当然この魔物は頂戴した。
この騒ぎを聞きつけたのか、岩場の陰から沢山の目がこちらを見ていた。その視線に当てられて、リッピと菊と園生は、ビクリとした後腕で自分の体を抱く。無数の猿がこちらを見ている。特に女性を視線で舐め回すようにだ。
「何あの猿……」
「なんか気持ち悪いよぅ」
「あれはカクエイプ。人間の男は殺して肉を食べ、女は連れ去り犯して子供を孕ませる。一体の強さはCランク程度だけど、集団で襲ってくる上にとてもしつこい」
どうりで女子が気味悪がっている筈である。あの猿の無数の視線は女性三人に釘付けだ。下劣な視線に晒されている女子達が気の毒だったので、その視線から隠すように土壁のドームで三人を覆い隠した。もちろん空気穴は開けてある。
「理一!」
「大丈夫。菊達はそこにいて」
菊がドームの中から心配して声をかけてくるが、理一は笑ってそう返した。
かたや、女子を隠された猿達は怒り心頭と言った様子で、ギョロリと理一達を睨みつけた。そして五十匹程の猿が集団で、こちらに向かって投石し始める。
「うわ、地味に嫌な攻撃だ」
魔物なだけあって、その投擲力は凄まじい。カクエイプの投げた石は、バカァンと岩を砕いている。あれが当たってはたまらないので、光壁を張って防御した。
「素材になるとしたら皮かな?」
「うむ。あとは内蔵だ。肉は食えるぞ」
クロが食べられるというのなら食べられるのだろう。ならば傷は最小限で行くのがベスト。
理一が光陰の魔法を発動する。音もなく飛来した光の矢が、猿の眉間を撃ち抜いていく。仲間がやられたことに気づいて逃げ出そうとした猿は、鉄舟が遠隔で発動した土壁に激突して動きを止めたので、その隙に理一が撃ち抜いた。
魔力感知に反応がなくなったので、この辺りの猿は一掃しただろう。
土のドームを解除して女子達を出してあげると、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「よかった、ありがとう。魔物に連れ去られて……なんて、想像するだけで自殺したくなってたわ」
「気持ちは察するよ。でも多分菊達だけでも勝てていた敵だったけどね」
「そうかしら」
「そうだよ」
そんな雑談をしながら、猿の死体を回収。量的にはかなりの量だが、異空間コンテナはまだ底が見えないし、五人もいるのでまだまだ余裕だ。
少し進むとリエス湖が見えてきた。底の方に僅かに水が溜まっているのみで、広大な湖はほとんど干上がっていた。
この湖のほとりには小さな村の痕跡も多く見受けられるが、魔物の出現とともに住民達は避難したようだった。この点も含めて移動式の住居であることが多いのかもしれない。
このリエス湖は一晩にして干上がってしまったのだという。
前の世界でもそういう事例はあった。原因は明らかになっていないが、一説によると地殻変動によるものだと記憶している。
「最近この辺りで地震が起きた?」
「近頃は起きていない。数百年前に大地震が起きて、その地震の影響でリエス湖が生まれたとは聞いたけれど」
「なるほど、数百年前か。天文学に関するニュースは?」
「私は知らない。もしかしたらあるのかもしれないけど、ごめん」
「いや、大丈夫。少し興味があっただけだから」
調査は調査団に任せるとして、理一の仕事は魔物退治だ。
リッピと話している間に、なにかの気配が近づいていたのを察して、既に安吾が警戒態勢に入っていた。
干上がった湖の周囲は水分が枯渇して、ほとんど砂漠化に近い状態になっている。その砂を吹き上げて、サンドワームが飛び出す。サンドワームは全部で6体。
巨大な虫だが倒せなくはない。そうして理一が3体纏めて魔法で倒した時、湖のひび割れた地面に新たな亀裂が入り、そこから飛び出した何かがサンドワームに食らいつく。
その姿は巨大な蛇。あるいは竜とも言えたかもしれない。黒い鱗のそれが湖から生えてサンドワームを食い殺している。
リッピはガタガタと震えて、腰を抜かしてその場に座り込んでいた。彼女はこの魔物を知らないようだし、怯えていてそれどころではない様子だ。なので鑑定してみる。
■トゥガーリン
オキクサム地方の水脈に住む竜。時に竜人に化けて悪行を働き、地震や干魃を引き起こすとされる邪竜。災害指定魔獣の一体。
なんとクロと同格のヤバイ魔物だった。リッピがこれだけ怯えているのも、この地の伝承でしか知らないような災厄だからに違いない。
しかし、鑑定結果を見て確信した。
「今回の事件の犯人はトゥガーリンに間違いないみたいだね」
「そうね。神聖な竜なら考えものだったけれど」
「邪竜ならぶっ殺してもいいよな」
殺気に呼応するように、クロも一鳴きして、それにトゥガーリンが反応する。ぺっと食べかけのサンドワームを吐き出すと、トゥガーリンは口から炎のブレスを吐き出す。それを理一が光壁を張って防御した。
「竜の攻撃にも耐えられるなんて、理一すごいねぇ」
「ていうか、水棲の魔物がどうして火を噴くのかしら」
「さぁね。でも、地下の帯水層で炎のブレスなんて撃てば、水蒸気爆発を起こして簡単に地震が起きるね」
「それで地震を引き起こしているんですね」
「おそらく今回も、それで地殻変動が起きて、水が飲み込まれてしまったんだろう」
ブレスが切れたのを見計らって、理一が魔法を発動する。今回も最初からフルスロットルだ。
魔術研究所の所長に教えてもらった、水と風の複合魔法の最上位。
激しく吹き荒れる雨と風が暗雲を呼び、雲の中で電子衝突によって発生した光が、トゥガーリンに落雷する。いく筋もの極太の雷に打たれて、トゥガーリンは閃光の中で絶叫し、タンパク質の焦げる匂いが周囲に立ち込めた。
身近な距離で起きた落雷は鼓膜を震わせ激しい地鳴りを引き起こす。それに耐えながら、鉄舟と菊と園生も全力の魔法を打ち込み、最後にクロも風と火の複合魔法であるバックドラフトを放った。
雷に打たれ、水に切り裂かれ、土に押しつぶされ、炎の渦に巻かれたトゥガーリンは、絶叫を上げてその巨体でのたうちまわる。
その胴体に薙ぎ払われそうになり、理一達は辛うじて避けたが、掠った園生が悲鳴とともに吹き飛ばされた。
「園生!」
「しっかりして!」
呼吸はしているが、気を失ってしまった園生に、菊が治癒魔法をかけて理一が防御に回った。まだトゥガーリンは暴れ狂っている。
黒い大きな影が、ゆらりと理一達の前に立った。
「我が主人を害した罪、その命をもって贖うがよい」
主人を攻撃されたクロが、いつになく怒っていた。その怒気は殺気となって溢れ出た。普段は抑えられているクロの魔力が、一気に放出される。
禍々しい殺気を帯びた膨大な魔力に当てられて、周囲にいた雑多な魔物はそれだけで絶命した。
クロが火と風の魔力を纏い、トゥガーリンに突っ込んでいく。咆哮と共に放たれるクロの衝撃波とトゥガーリンの炎のブレスが衝突し、拮抗した魔法が大規模な爆発を引き起こした。
一旦着地したクロが、再度トゥガーリンに突撃し、爆風に煽られたトゥガーリンの首元に噛み付いた。
「ギュオアァァァァ!」
トゥガーリンの絶叫は、クロの強靭な顎で喉元を食いちぎられ徐々に掠れたものに変わる。喉から吹き出す多量の血液が、クロの黒い毛並みを濡らして地面に滴った。
食い込むクロの爪が、トゥガーリンの胴と頭を離さなかった。だが、トゥガーリンの首は、クロによってクロによって食いちぎられて、ドゥンと砂埃を上げて地面にその巨体を投げ出した。
ぺっと血を吐きながら、クロが戻った。
「主人は」
「大丈夫、少し気を失っているだけだよ。怪我ももう治っている」
「そうか」
クロが園生を労わるように、手の甲で優しく撫でた。それで園生が少し身じろぎをして、目を覚ました。
「クロ……」
「主人、無事か」
「うん。クロ、なんかベチョベチョだねぇ。ご飯の前にお風呂だねえ」
「……そうだな」
何か言いたそうにしていたが、クロは何も言わずにいつも通りに静かに園生のそばに座り込んだ。
ここで、クロが園生の敵討ちをしたなどと言ったら、クロが格好つけた意味がないので、あとでこっそり教えてやろう。
とりあえず園生には、元気になったらクロにご馳走を上げて欲しいと伝えておいた。
せっかくトゥガーリンを倒したというのに、リッピはまだ顔色が青かった。
「伝説の竜を倒すなんて、貴方達、なんなんだ……」
怯えられていたのはこっちだった。
災害対策支部に戻って報告。ついでに湖が干上がったことに対する、理一の見解も一応伝えておく。支部長は腕を組んで唸っていた。
「なるほど、トゥガーリンですか。実在していたとは思いもよりませんでした。であればリヒト殿の推量、想定に近いのでしょう。近く調査団を派遣したいのですが、その際も護衛をお願いできますか?」
「ええ、もちろんです」
数日後、調査団の護衛の仕事も済ませた。大体理一の推測?に近いことが原因だったと結論づけられて、それで一通りの依頼をこなしたと支部長に報告書を書いてもらい、理一達は首都アリストに戻った。




