お出かけ準備 2
その頃鉄舟は、1本の刀と睨めっこしていた。その相手は安吾の愛刀である。安吾から頼まれたのだ。普段から安吾は自分でもメンテナンスしているし、自分が見る分にも刃こぼれなどは全く見受けられないが、鉄舟というプロに見てもらいたいと言われて預かった。
それで鉄舟が預かってメンテナンスをしようとしているのだが、刃こぼれどころか少しのスレやキズも見当たらない。柄や鍔にもだ。
この刀は鉄舟も知っている。明治初期の刀剣金工師にして人間国宝、十河正真の作品、大業物「花軍」だ。確かにこの刀は優れた刀だ。刀のコレクターが見れば、数千万という金をポンと差し出すような逸品で、本来ならどこかの美術館に飾られていてもおかしくない。
だが、鉄舟の鑑定結果では大業物ではない。
■打刀
銘:正真
名物:花軍
等級:1 アーティファクト級
属性:無属性
特性:不可触
何度も見たが、やはり鉄舟は唸る。これは明らかに、あのテンションの抑揚の激しい女神に手心を加えられている。
(大体、不可触ってなんだよ。敵の武器や攻撃は花軍には届かねぇ上に、これで攻撃されたら両断されるのが確実ってことじゃねぇか。こんなもん聖遺物レベルじゃねぇか)
この刀と安吾の剣技を持ってすれば、その内鉄でも魔法でも斬ってしまいそうである。大体不可触という特性があるので、打ち直す必要もないので鉄舟の出番がない。
鉄舟は分解していた刀を元に戻して、そっと置いた。よし、菊の薙刀の打ち直しや、みんなの為にナイフでも新調しよう。
精神活動においてエコロジストな鉄舟は、さっさと思考を切り替えて作業を始めたのだった。
その頃の理一は、ロベルタに案内されて城の執務殿に来ていた。目的地は執務殿の奥にある書庫だ。伯爵に聞いたところ、なんとこの城には図書室があるというではないか。政治関連の書物が多いが、写本ではあるが魔法関連の書物も蔵書があるということで、お願いして見せてもらえることになった。それでロベルタが案内してくれたのである。
図書室の広さは、学校の図書室と同じくらいの広さがある。この世界では原本にしても写本にしても手書きであるというのに、これだけの量をよく集めたものだ。
「伯爵様や御家族が代々少しずつ集めたものだそうです。いくつか、先代や先先代の伯爵様がご自筆で写本されたものもあるそうです」
この世界の本の流通というのは、例えば魔法使いが魔法の教本のようなものを書いて誰かに売るなりあげるなりする。それを写して写本が人の手に渡り、また誰かが写して写本が手に渡りと広まるのが一般的だ。なので内容が原本と比べると省略されていたり、図案や挿絵がないものもある。
それでも魔法関連の書物は非常に貴重なので、割と原形をとどめているようだ。というのも、魔法使いや魔術師は、自身の魔法をあまり外に出したがらないので、数自体が多いわけではない。内容としては魔法基礎に留まっている物が多いらしいが、それでも一般からすれば得難い貴重な知識だからだ。
今は基礎で十分。それ以上に、基礎が最も大事だろうと理一は考えて、一冊を手に取る。タイトルは「魔法の構成の書」。基本中の基本といったタイトルで安心できる。椅子に腰掛けて、どこか黴臭いような、本独特の匂いのするそれを開く。
魔法陣の核となるのは、中心に描く紋章である。これは魔法使い自身が考案した花押が使用される。その花押を用いることで、その魔法はその人の魔法となる。
花押を囲むように2周目に描かれるのは、その魔法の属性。水なら水の、火なら火の魔法言語を入れる。3周目はサイズ。どの規模に魔法を展開するかを指定する。これも魔法言語を使用する。4周目は使用する魔力量。5周目は規模と魔力量からどのような構造にするかを指定する。これが魔法陣の基本中の基本。
これが熟練した魔法使いや魔術師になると、魔法に対する干渉を防ぐ術式だとか、二つの属性を複合した術式が使えるのだそうだ。
(2属性複合の魔法? そんな魔法があったのか)
状況的に仕方がなかったとはいえ、ラズに魔法基礎を習えなかったのが悔やまれる。今からでもワシントン村に戻りたい。
なんて事を今更考えても仕方がないので、理一は本を読み進める。
魔法基礎の本を読み終わり、次に手にしたのは魔法言語の本。魔法言語は一般で使用される文字とは異なる。魔法の専門用語のようなものだ。言語干渉があるので魔法文字もすぐに理解できるとは思うが、なんとなく魔法言語はその意味や成り立ちも理解しておかなければならない気がした。
やはりその言語自体を扱うことは簡単だったが、理一は「魔法言語辞書」を読み進める。
それも読み終わって3冊目。「魔法陣図案集」。一般的によく使用される魔法の魔法陣が図解入りで解説されているものだ。とっても有難い。これは丸暗記する。なので何度も繰り返し読んだ。
「リヒト様。そろそろ日が暮れてしまいますよ」
ロベルタの声で顔を上げると、日が傾いていた。言われてみると、文字が読みにくい気がしていたのだ。夕方なので当たり前だった。理一はそっと本を閉じて、申し訳なさそうにロベルタに笑いかけた。
「すみません、熱中してしまいました。ありがとうございます」
「いいえ。それよりも、こんなに読まれたのですか?」
営業スマイルで尋ねたロベルタの視線の先には、テーブルに積み上げられた十数冊の本があった。ああ、と理一は気付いて質問に答えた。
「はい。僕は速読ができますので」
「速読ですか」
「訓練すれば誰にでもできますよ」
「そうでしょうか?」
ロベルタは首を捻っているが、実際理一は前世から速読ができた。物語や小説を読むのには向かないが、専門書や学術書を読むのには重宝する。これは訓練すれば意外と誰にでもできるが、あまり知られていないようである。
ロベルタは疑問が晴れないようだったが、さっさと片付けを始めた理一を手伝いながら、ストンと書架に本を仕舞う理一をちらりとみやる。
速読ができて、それを訓練することができたということは、理一は常に本を読める環境にあったということだ。この世界では本を読むのは、よほどの勉強家か金持ちくらいだ。勿論前者の可能性もあるが、ロベルタは違うと思っている。
活躍した冒険者が貴族にお呼ばれするのは、そう珍しい事でもない。招待する貴族側はそういう認識だ。だが、招待される冒険者はほぼ平民だ。だから大抵の冒険者は使用人に礼儀作法を教えてもらって、伯爵の前でだけどうにか取り繕ったり、最悪の場合礼儀作法も身につけないまま出たりして顰蹙を買うなんてざらだ。
だが理一達は最初から礼儀正しかった。流儀はこの国のものではなかったが、色白なら作法の違いがあっても当然だろう。それでも理一達は礼儀正しかったし、所作や立ち居振る舞いは品がある。品格というのは、一朝一夕で身につくものではない。長年の蓄積が、わずかな指先の動きにすら現れるものだ。だからロベルタはこう考えていた。
この世界は広いから、きっとロベルタが知らないだけで、色白の国家があるのだ。理一達はきっと、その国家の王侯貴族の子女で、なんらかの理由で国を出奔したのだろう。色白であると言うだけで信用し難いが、地位のある者が国を出るというのはやはりーー。
当たらずとも遠からずなロベルタの考察は、理一の視線で中断される。彼がじっとロベルタを見ていた。
「ロベルタさん? 僕の顔に何かついていますか?」
「いいえ、失礼をいたしました」
「いいえ」
考えながら理一を凝視していたようだ。メイド長としてあるまじきミスである。少し恥じ入ったロベルタに、更に理一は微笑みながらこう言った。
「色白の信用が低いのは理解していますが、僕らは立場をわきまえているつもりです。こうして厚遇していただける事を、僕らは感謝していますよ」
見抜かれていた。焦燥からロベルタの額がわずかに汗ばむ。それでもいつもの営業スマイルで「左様でございますか」と返せたのは、これはもはや職業病だとロベルタは自身にやや呆れたのだった。




