地下水道の調査
協会から中央劇場と話がついたと連絡が来て、指定された日に中央劇場の地下に降りた。中央劇場の職員用トイレの裏から地下にいけるようになっていたので、これはもしや下水道なのかと思ったが、幸いなことにただの水道だった。
元々あった地下水道のトンネルを、人の手を使って広げたような丸いトンネル。中央に踝ほどの水が流れている。自分と安吾の靴に防水の魔法をかけて水道に入ると、きんきんとよく冷えた水の温度が靴越しに伝わった。これではいざという時に足が冷えて動かないかもしれないので、温度を感じなくなるまで魔法を重ねがけした。
ぱしゃぱしゃと水を踏みながら進む。トンネルの広さは直径2mほどだ。人2人が並んで歩いても余裕があったが、安吾は高さに余裕がなさそうだった。これでは彼に飛んだり跳ねたりしてもらうのは難しそうだ。
話に聞いたのは水道の川下の方だ。真っ暗な地下水道に光灯の魔法をいくつも浮かべて、先にも飛ばしておく。地下水道にはゴミらしいゴミは見当たらず、葉っぱの一つも浮いていない。地下だからだろうかと考えながら進む。
途中途中、地上に出る道があった。あの道もどこに出るのか調査した方がいいかもしれない。
かなり歩いた。感覚としては3キロくらいだろうか。この距離なら地上では町の外に出てしまっている筈だ。その辺りになってようやく落ちているものを見つけた。水に濡れているそれを拾い上げる。誰かの靴だ。途中までは逃げられたという若者が、水を吸って重くなり脱げた靴をそのまま置き去りにしてしまったのだろうか。
遺品かもしれないので、一応取っておこうということになり、異空間コンテナに放り込む。
それから更に進むと、地下水道の壁に、明らかに斬りつけられたような傷が散見された。それは縦横無尽と言った有様で、壁のいたるところを傷つけている。その場所だけは少し広くなっていて、8畳ほどの部屋のように綺麗に成形されていた。
人の手で掘ったのではなく、綺麗に成形されていたのだ。
「これは魔法だね」
「そのようですね。見事な立方体です」
部屋の中を歩いて距離を測ったらしい安吾が答えた。何者かがここで魔法を使ったようだ。そしてその床には、雑に消された魔法陣と血の跡が残されていた。その魔法陣の跡を避けるように、水が流れている。
理一はラズにこう言った生贄を必要とするような魔法の存在を聞いたことはなかったので、これが人間の手によるものなのか確証はない。
だが、こんなこと?をしたのが人間でも他の種族でも魔物でも、害悪以外の何物?でもないのは確かだ。
しかし、魔法陣を消しているということは用済みということだ。おそらく犯人は目的を諦めたか、達成したかのどちらかだろう。だとすればここで再度同じことをするとは考えにくい。もしするとしても時間がかなり経過してからだろう。でなければここを放棄しない。
この部屋には魔法陣と血痕しかなかった。他のものは足がつかないように全て持ち去ったのだろう。
消されているし血痕で汚れてほとんど内容はわからないが、理一は一応その魔法陣をメモに書き写しておいた。
理一たちはもうしばらく奥まで歩いて調査を行ってみたが、奥の方はまたふつうの地下水道に戻っていて、何も見つかるものはなかった。
引き返してその部屋を通り過ぎ、今度は地下水道から地上に上がる道を探索することにした。ほとんどは人が通ることなど不可能なサイズの排水溝だ。人が通れるサイズの排水溝は大きめの建物の裏に繋がっているものが多かった。この地下水道の役割は雨水の排水が主で、水溜りで客足が遠のいては困る主要施設に排水溝が集中していた。しかしそれらの排水溝は、誤って人が入らないように格子をかけられていた。
その中で一箇所だけ、町の外れにぽっかりと空いている排水溝があった。気配感知で魔力を見てみたが、かなり時間が経過しているのか魔力の残渣は見当たらない。
その排水溝が開いていたのは花街の方で、商業エリアを抜けたところだった。周りに建物はあるものの、ほとんど町外れと言っていい。
「なぜこんなところに排水溝が開いているのでしょうか?」
「おそらくはここが犯人の出入り口だったんだ」
一旦意識を集中して、気配感知を行う。周囲の家屋には大抵人がいるが、近所で2軒ほど人がいない家がある。一軒は軒先を訪ねたところで、近所の人がその人は昼間仕事で出かけていると教えてくれた。もう一軒の家に行くと、これまた近所の人が、夜逃げでもしたのか最近見かけていないと教えてくれた。
御誂え向きに鍵もかかっていないその家に上がり込んだ。きちんと整理整頓されて、物が充実した家。この世界では家具や雑貨を揃えることも難しいから、夜逃げなら置いて行ったりはしない。
各部屋を見て回る。土間からリビング、浴室、トイレ、寝室。そして物置部屋の中に、ほとんどミイラ化したこの家の主人が、ひっそりとその存在を伝えていた。
「決まりだね。犯人はこの家の主人を殺害して、ここに潜伏していた。魔力の残渣を何も感じないということは、ここを放棄したということで間違いないだろう」
「この家の主人は、あの生贄の儀式のようなものには使わなかったのでしょうか?」
「あの場所に運ぶまでに人目につく可能性もあるし、自分が住む家の中を血で汚すのが嫌だったんじゃないか。随分整理整頓して、綺麗好きだったみたいだしね」
「なるほど」
その足でそのまま冒険者協会に行った。受付嬢に協会長がいるか尋ねると、協会長から予め言付かっていたようで、協会長室に案内された。
協会長に調査結果を報告した。地下水道の魔法陣や血痕、排水溝の近くで見つけた民家の遺体。そして描き写した魔法陣。それを見て協会長は難しい顔をする。
「私は魔法には明るくありませんので、これがなんなのか想像もつきませんな」
「僕はこう行った生贄のようなものを必要とする魔法は聞いたことがありません。協会長は聞いたことがありますか」
「あります」
これが何の魔法かはわからないらしいが、協会長はこういう行動をとる人間には心当たりがあるらしい。
「おそらく、魔術師です」
「魔術師?」
「リヒト殿は色白…ゲフンゲフン。世俗に疎いと仰っていましたね、ご存知ないのも無理はありませんが、普通に日常生活や商売道具として魔法を使う者は魔法使いと呼ばれ、一般的にも重宝される存在なのですが、自身の魔法を極めようと魔法研究に没頭する者を魔術師と呼び分けています。その魔術師の一部には、危険かつ高位の魔法を発動する為に、こういった行いをする者がいるそうです」
「なるほど、魔術師ですか」
そういった存在がいるのは初めて聞いた。よくよく考えると、魔法を道具としてつかっているから“魔法使い”で、その道を極めるなら師業という事なのだろう。
協会長の話によると、全ての魔術師がそんなに極悪非道なわけではないが、一部の魔術師がそういう行いをするし、他の魔術師も魔法を極める事以外に全く興味も関心も示さないので、普通の人からは疎遠にされがちな存在なのだという。
「変わった人達なのですね」
「そのようです。私も実際に会ったことはないので、噂程度の情報ですが。とにかく、魔術師らしき人物がいて、すでに去っているという情報を得られただけでも良かったです。その民家の被害者は、私から町長に報告して手続きをしてもらいます」
「はい、よろしくお願いします」
話を終えて、しばらく待合所で待たされて、会計窓口で渡された代金は金貨50枚。調査としては割高だと言える。死者が出た事件だったからだろう。
一応礼を述べて協会を出ると、若者の話が耳に飛び込んできた。
「今日は中央劇場で菊ちゃんの初ライブだったらしいな!」
「そうなんだ、俺どうしても行きたかったのに、チケットは即完売しちまって」
「それは残念だったな。最初は酒場で俺らのリクエストとか聞いてくれてたのにさ、なんか一気にスターになって」
「なんか遠い存在になったよなぁ、菊ちゃん」
青年たちはどこか寂しそうにそう語って、理一たちの前を通り過ぎて行った。
そんな話は初耳だった理一と安吾は、心の中でその青年たちに激しく同意で返した。




