チアゾリッジ誘拐事件1
前半はチアゾリッジの独白形式です。
今、俺は誘拐されている。その誘拐犯に廃屋に監禁されて、手足を縛られているので、手ずから飯を食わせてもらっている。飯を食わせると言うことは、俺を殺す気などないわけで、その証拠にそいつは俺を誘拐するために、最近金を溜め込んでいたのだと言っていた。誘拐してきた俺を養うために、ご苦労なことだ。
俺を誘拐したそいつは、ほとんど一日中ここにいた。ボロボロになった椅子の上で膝を抱いて、俺をじっと見ていたり、何か考え事をしていたりした。何がしたいのかよくわからない。そもそも何故俺を誘拐したのか、その理由を尋ねたが教えてはもらえなかった。とはいえ、俺にそれを言ったってしょうがないだろうってことはわかる。
俺は何もすることがないので、寝かされているベッドの上でゴロゴロした。とりあえず日がな一日中ゴロゴロした。天井にあるシミとか数えてみた。窓から聞こえてくる、外の人間の話し声なんかも聞いてみた。俺の話題は全くでない。部下やインスリーノ達が上手く立ち回っているようだ。
俺は手足を縛られているが、抜けようと思えば抜けられた。口を塞がれているわけでもないから、呼ぼうと思えば助けを呼べた。そうして誘拐犯を無力化しようと思えば出来たのに、俺はそれをしなかったし、する予定もない。
何故なら俺がこの誘拐犯に感情移入してしまったからだ。なんだかそう言う名前の病気があった気がするが、名前を忘れた。それはまぁいい。
なんにしても、俺はこの状況に飽きていた。先に言ったように、誘拐犯を攻撃する気はない。だから俺は起き上がって、後ろ手に拘束されていたロープを引き千切って、足のロープも同様に外した。
同じ部屋にいるのだから、誘拐犯はすぐに気づいた。俺に攻撃されると思ったのか、誘拐犯は素早く俺に飛びかかってきて、俺を殴ろうとした。ちゃんとみるのは初めてだが、すごい身のこなしだ。椅子から俺のいるベッドまで3m近く離れていたと言うのに、気づいたら目の前にいて拳を振りかぶっていた。
そういえば、こいつに捕まった時、後ろからすごい勢いで殴られて昏倒したんだった。あれは中々効いたなと思いつつも、俺は向かってきた誘拐犯の腕を取ると反転して、ベッドに抑え込んだ。
そいつは暴れ出して俺を引き剥がそうとするが、俺の方が体格がデカイし、こいつが多少強くても俺を押し返せないようだった。
悔しそうに俺を見上げてくるその瞳の色は、珍しい紫色だ。どこかで見た気もするが思い出せない。
「いい加減飽きた。そろそろ俺を誘拐した理由を教えてくれたっていいだろう?」
誘拐犯はしばらく暴れていたが、諦めたのかついに暴れるのをやめた。そして相変わらず紫色の目で俺をじっと睨んだ。
「何か事情があるのは見りゃわかる。俺に出来ることなら力になってやるから、事情を話せ」
「大した事情なんかない。金だ。お前の身代金を町長に要求するんだ」
「その割には、何も動きがないみたいだが?」
俺を睨む目つきが鋭くなる。やはりコイツの目は見たことがある気がする。どこでだったっけ。俺は以前にもコイツからこんな風に睨まれたことがあったはずなのだが、どうにも思い出せない。歳は取りたくないものだ。
誘拐犯は俺の質問に答える気がないのか、はたまた答えられないのかわからないが、黙り込んでしまった。だから俺が答えを言ってやった。
「お前が欲しいのは、金じゃなくて俺なんじゃないか?」
誘拐犯は紫色の目を大きく見開く。わかりやすい反応には好感が持てる。自分が素直に反応したことに気づいたのか、すぐに視線を逸らしたが。
「自惚れるな。お前を攫ったのはいいけど、それを町長に伝える手段がないんだ」
「手紙でも送ればいいだろう」
悔し紛れに言ったのかと思えば、それも嘘ではなかったのかもしれない。誘拐犯はやっぱり俺を睨んで、明らかな怒りが混じってる。それで気づいた。
「そうか、字が書けないのか」
「書けないどころか読むこともできねぇよ! お陰様で浮浪者なもんでな!」
「…そうか」
この町は平民でも大体が読み書きくらいはできる。計算となると難しい奴もいるが。それでもこの誘拐犯が読み書きも満足に出来ないのは、貧民街の浮浪者として子どもの時分から生活しているせいだ。この辺は俺にも責任があることだよなぁと思うとため息も出る。
「なんなら俺が教えてやろうか?」
「はぁっ!?」
誘拐犯が大声で返した。馬鹿野郎、そんな声出したら外に聞こえるだろうが。
「だから、俺が読み書きを教えてやるから、それで脅迫文を書いてみろよ」
「…なんでお前が協力するんだよ」
誘拐犯の当然とも言える質問に、俺はなんだか面白くなって笑ってしまった。だって仕方がないだろう。こんなに面白い状況なんて中々ない。
「しょうがないだろう。いい歳こいてお前みたいなガキに誘拐されたなんて、インスリーノに笑われるに決まってる」
ついに笑い出した俺がそう言うと、その誘拐犯ーー黒髪に紫色の目をしたガキーーは、いかにも悪態といった態度で息を吐いた。
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正午になってインスリーノ町長の使いの老齢の秘書が、理一の宿泊する銀狐亭にやってきた。依頼を承諾すると伝えると、すぐにその場で状況の説明が始まった。
チアゾリッジが行方不明になったのは6日前。大体は彼の周りに人がいるのだが、彼はいつも早朝に飼っている犬に餌をやる。そして家に戻ってくるのだが、その日は庭から戻らず姿が消えていたそうだ。目撃者はおそらくいない。聞き込みが出来ないので、もしかしたらいるのかもしれないとのことだが不明。
その後一切の目撃情報なし。町の噂にすら登っていない。流石にチアゾリッジの手下の中には、姿を見かけないことを不審に思い始めた者もいるようだが、それだけだ。
まったく動向が掴めなかったが、今朝になって事態が動いた。犯人から手紙が届いたらしい。その手紙を見せてもらう。
インスリーノ町長
チアゾリッジの身柄は預かった。返して欲しければ「タイニー」千秋楽の夕刻に、白金貨10枚を白い巾着に入れて持ち、中央劇場の正面玄関前に一人で来い。
内容はありがちな脅迫文といったところだが、要求する金銭が白金貨になっているのは、中々考えている。金貨1000枚だと相当な重量になるが、同じレートの白金貨10枚なら、たいして嵩張らない。
「タイニー」というのは今中央劇場で公演中の演劇で、明後日が千秋楽だ。その日の夕刻なんて、人気演目の千秋楽を見にきた人でごった返す。一度見失えば、次に見つけるのは困難を極めそうだ。
「随分考えているね」
「犯人の中に知恵者がいるのかもしれません。町長はチアゾリッジのために、すでに身代金の用意は出来ています」
「では、この脅迫文の通りに?」
「はい。ですから当日は、あなた方には周囲を警戒して、町長を監視して頂きたい。そして犯人が現れたら、すぐに追跡をお願いしたいのです。単独犯ならそのまま逃げるかもしれませんが、複数犯なら仲間に連絡を取るでしょうし」
「そこを押さえるんだね。もし、その前にチアゾリッジ氏の身柄を確保できるならそれがいいと思うけれど、全く見当もつかない?」
「そう言うわけではありませんが、候補が多すぎると言うのが現状でして」
「下手に探りを入れて藪蛇になるわけにもいかないか。わかった」
「お願いします」
町長の秘書を見送った後、家の方に行ってみんなにも状況を説明した。当日は劇場周辺で全員待機。園生と菊は劇場に来た客を装い、鉄舟は劇場前に露店を出す。理一と安吾は劇場正面の建物の屋根から、町長を監視。
方向性が決まった後、ぽつりと園生が言った。
「今回クロの出番はないねぇ」
「そうだね。あぁ、警察犬でもやってもらう?」
「わしは構わんが、それだと即刻町から追い出されるだろうな」
「それは困る。やめておこう」
理一の軽口にクロも軽口で返した。正直な話、理一としては懸念もあって、チアゾリッジが今頃死んでいなければいいが。
(なぜ犯人は脅迫文を送るのに1週間近くも費やしたんだろう? チアゾリッジを殺したり弱らせるためだろうか?)
理一は想像の及ぶ範囲で色々と考えたが、まさか識字出来なかったせいだとは予想もつかなかった。




