あの男、再び
このメトホルの町は国境に近い町なので、旅人や商人の出入の多い町だった。決して規模の大きい町ではないが、宿屋を初めとした店が多いように見える。流通が盛んなので、農業より商業が発展していると言う印象だ。
菊をコリンの世話係に残して、みんな買い物兼市場調査に出かけている。一般的な物価や生活水準を把握しておきたいからだ。
園生とクロは調理器具と食材の買い足しに行き、安吾と鉄舟は武具や日用品を見に行った。理一は町の酒場まで足を運んでいる。
この町に入ったときに、一通りどこに何があるのかは聞いていたのだが、目的の一つだった図書館がこの町にはないと言われた。
と言うより、この世界で本というのは非常に高価なものだった。印刷術がないため、全て著者の手書きであり、専門書ともなれば1冊で金貨5枚もする。
そんな高価なものを集められるのは大金持ちか、首都クラスの大都市くらいだと言われた。
理一にはヘルプ機能があるので、なにかを調べるということは簡単にできる。だが、全く知らないことを検索することは出来ない。件の契約獣の件でそれを痛感したので、せめてこの世界で使用されている単語くらいは知りたいと思ったのだ。
この世界での慣用句に触れるなら、本が手っ取り早いと考えたのだが、本が手に入らない貴重品となれば、人に尋ねて回るしかないわけだ。それで人々が情報交換に使う酒場を目指しているのである。
2階建の建物に着く。看板には猫の絵が書いてあって、昼間だからか看板を照らすランプに火は無い。木造の建物の、少々古びたドアの中からは、数人の話し声が漏れ聞こえる。
ジモティーも旅人も、色んな人が立ち寄るような店はどこかと聞いて、案内人に教えてもらったのが、ここ「猫の目亭」だった。
ドアを開けて入ると、理一に気づいた幾人かからは、視線が絡みつく。ボソボソと仲間に話して、それで理一に振り返る人数が増える。少し覚悟していたが、これはなかなかに居心地が悪い。
失敗だったかと思いつつ、カウンターの空いている席に腰掛ける。店の主人も、理一に胡乱げな視線を投げかけている。
「色白に飲ませる酒はないぜ」
「流石に昼間からお酒は…僕はお茶で」
主人がずっこけた。
「そういう意味じゃねぇよ!」
「わかってはいるんだけど、一応様式美というか」
「おかしな奴だな…色白ってのは、どうしてこう変わり者ばっかりなんだか…」
早速色白差別の洗礼を浴びたが、主人は一応お茶を出してくれた。ぬるかったが。
お世辞にも美味しいと言えない茶をすすりながら、周りの話に聞き耳を立てようとしていた理一に、主人が話しかけてきた。
「お前さんも山育ちってやつか?」
「そうだね。色白は珍しい?」
「俺は商売柄、何人か知ってるがな」
「その人達も変わり者?」
「そうだな。なんでも、神を滅ぼすんだってな」
理一の脳裏には、あのテンションが異常な女神が思い返される。なんとなく彼女ならやっつけられそうな気がしなくも無い。
それでも彼女は神だし、彼女を滅したら並行世界全てに影響があるだろうし、それ以前にこの世界が壊れるだろう。
そして、そんな頭のおかしい思想には、毛ほども興味がない。いい人キャンペーンの普及という使命はあるが、それにはまず生活の安定が第一なのだ。今はその前段階の、常識を覚えるという所なので、すでに気が遠くなりそうではある。
「神を滅ぼす以前に、僕は自分の生活が破綻しないようにするのが精一杯だ」
理一の非常に現実的なコメントを聞いて、ついに主人は苦笑してしまったようだ。
「くっくっく、ちげぇねぇな」
「その色白の人達は、そんな事を考えられるくらいだから、さぞかし資産があるんだろう。羨ましい限りだね。僕にも分けて欲しいよ」
「お前さんは話のわかる色白だな」
「他の色白は話が通じない?」
「全く会話にならねぇよ。ありゃもう病気だぜ」
「それは面倒だね」
主人との会話を聞いていたのか、周りの人たちからの不快な視線も鳴りを潜めた。色白にしてはマトモだと認定してもらえたようだ。
それにしても、この世界の色白は何をしているのか。多分まともな色白もいるのだろうが、理一達にしてみればいい迷惑だ。
差別というのは往々にして、イメージの先行が原因だ。このイメージは一度流布すると、払拭するのは相当困難だと言える。現状はこういうものだと受け入れるしか手立てがない。
やれやれと溜息をついていると、やや乱暴にドアが開く音がした。かちゃかちゃと金属の擦れる音がして、同時に主人が「うげ」と顔を歪める。
「色黒の頭おかしい奴が来ちまった…」
心底面倒臭そうにする主人の前、つまり理一の隣に、その色黒の頭おかしい客が、これまた乱暴に座る。
「某にふさわしい酒を出すが良い!」
「へーいへい」
サービス業者が取るべきではない態度で、本当に面倒くさそうに店主は酒を作り始める。理一のとなりに座った男は、鼻息荒くカウンターに肘をついた。
「全く、いつ来ても態度が悪い…」
そう言いながら男が理一に視線を注ぎ、理一もそれに気づいて男に視線を送る。そして理一はパチクリと瞬きをし、男はワナワナと震え出した。
「あ、脳筋」
「きっ、貴様! あの時の魔法使い!」
なんと、ワシントン村でシャバハの夜の時に派遣されてきた、あの脳筋ことシルヴェスター=ランボーだった。
考えてみれば、脳筋は領主から派遣された兵士なのだから、領主のおひざ元の町であるメトホルにいてもおかしくなかった。
脳筋はガタガタと椅子を鳴らして立ち上がり、腰に差していた剣を抜いて理一に向ける。いきなりのことに、周りの人たちも驚いて距離をとる。
「ここであったが100年目! 騎士の名誉を汚した貴様を、この場で成敗してくれる!」
「騎士なら尚更、こういう所で乱闘騒ぎはどうかと思う」
理一の反応に、主人含め他の客も頷くが、脳筋は周りを威嚇して更に理一に唾を飛ばす。
「ええい、うるさい! 表へ出ろ!」
「嫌だ」
「断るな! 貴様に拒否権はない!」
「なんて理不尽なんだ…」
非常に理不尽なのだが、もしやこれが騎士の決闘というやつなのだろうかと理一も悩む。それに、どうにか場を納めないときっと脳筋は納得しないし、お店にも迷惑がかかる。
渋々理一は腰を上げて「わかったよ…」と立ち上がった。立ち上がったついでに、少し残っていたお茶を飲み干す。
「茶を飲むんじゃない!」
「…何故そこまで怒られなきゃいけないんだ…出されたものを平らげるのは礼儀じゃないか」
「いいから早く表へ出ろ!」
「マスター、お勘定」
心の底から面倒くさいよと主人に視線を送ると、主人はいい笑顔で親指を立てる。
「今日の茶代は勘弁してやらぁ。ドンマイ!」
「厄介払いができて良かったね…」
理一の味方は誰もいなかった。
流石にお店の前だと迷惑になるということで、町の外れの空き地に移動した。面白がったのか、猫の目亭から何人か客が付いてきている。
乾いた風の吹きすさぶ空き地。対峙する脳筋と理一。脳筋が高らかに言う。
「勝負は簡単だ! 先に相手に膝をつかせた者の勝ちだ!」
「わかった」
理一が勝負を了承すると、どこからともなく現れるレフェリー。
「レディ、ファイッ!」
最早突っ込む気力も起きないが、かたや気力十分な脳筋が剣を振りかぶって迫る。スピードも威力も申し分ない脳筋の攻撃は、確かに騎士として一定のレベルにあることがわかる。
だが、理一はクロからも「赤身の少ない男」と評されるくらいには、全く体を鍛えていないし、素直にチャンバラをする気はない。
「光壁」
ガキン、と理一の光壁が脳筋の剣を阻んだ。結界に揺らぎは見られない。ヒビもないしなんとかなりそうだ。
脳筋が何度も斬りかかるが、理一の光壁の前に全てが阻まれ、それどころか手が痺れた様子だ。
「おのれ、卑怯だぞ! ちゃんと戦え!」
相手が兵士だと言うことを考えると、理一から攻撃したいとも思わないし、そもそも理一が戦う理由がない。
「嫌だ、僕は痛いのが嫌いなんだ」
「軟弱者め!」
脳筋はついに距離をとって、炎弾の魔法をぶつけてくる。それなりの威力だったが、炎弾もなんとか防いだ。一応光壁を強化しておく。
そうして脳筋が何度も斬りかかり、魔法を打ち込みまくるが、理一の光壁は鉄壁だった。
「はぁ、はぁ、くっそ…」
がしゃん、と鎧が擦れる音がして、疲労の蓄積と魔力の枯渇によって、ついに脳筋が膝を折って倒れ込んだ。レフェリーが理一の腕を掴んで、天に掲げる。
「勝者色白!」
「勝った」
「お、おのれぇぇ! こんな勝負があってたまるか!」
「勝負は勝負。僕の勝ち。もう僕に絡んで来ないで。じゃ、お大事に」
爽やかに立ち去る理一の背後では、いつのまにか店主も混じったギャラリーが面白おかしく囃し立て、脳筋が一人喚いていた。