4人の後期高齢者と1人の中年
ふと、理一は目を開けた。先ほどまでの喧騒と振動が嘘のように静まり返っていた。顔を上げようとして、自分の頬を布がこする感触がした。誰かが自分を抱え込んでいることを思い出して、顔を上げた理一に気づいたのか、その相手も慌てて離れて、理一の肩を掴んだ。
「陛下、障りはございませんか?」
「ええ、私は怪我ひとつありませんよ。君のおかげです、桜田くん」
返事を返すとその相手、桜田安吾は安心したようにほっと息を吐いた。
だがしかし、先ほどの喧騒と振動が突然消えたことに、安吾もきづいたようだった。理一から視線を外すと彼をかばうようにしながら、油断なく周囲を伺いーー、そのまま固まってしまった。
安吾の様子に理一も不審に思い、彼の陰から周囲をうかがう。それにやはり理一も硬直してしまった。
先ほどまで理一と安吾がいた空間は、ある式典の会場だった。天井からは大ぶりのシャンデリアがいくつもぶら下がり、赤い絨毯が床中に敷き詰められて、多くの人がその会場に立ち並んでいたはずだったのだ。
だというのに、今この場所は床も壁も真っ白で、だだっ広い空間が、視認できないほどの広範囲に広がっているのだ。
少しの間、それは数秒なのか数分なのかわからなかったが、2人は硬直した後、やはり安吾は警戒した様子で理一に言った。
「陛下、そのままお立ち上がりになれますでしょうか。背後にお気をつけください」
「うむ、わかったよ」
安吾に促された通り、理一も痛い腰をなだめすかしながら、背後を睥睨しつつ立ち上がる。とはいえ、理一の背後にも、ただひたすらに真っ白の空間が広がっているだけだったのだが。
この異常事態には安吾も流石に対応しきれない様子で、仕切りに首をひねる。
「これは一体?」
「せめて天国だといいのだがね」
苦笑まじりに理一が言って、安吾も少しばかりの苦笑で返した時だった。理一と安吾の足元が、急に白い光に包まれ始めたのだ。安吾が慌てて理一を背中にかばい、腰から剣を抜いて構える。その剣に反射する光は非常に眩く、安吾はなんとか薄目でその光の中心を視認する。理一もかろうじて安吾の陰からその光の中心を覗き見ていたが、その光が収束し始めると、その光の中心には誰かが横たわっているのが見えた。
ゆっくりと収束していく光の中に現れたのは、黒い礼服の和服に身を包んだ、白髪まじりの女性だった。その女性には、理一も安吾も見覚えがあった。
安吾が慌てて納刀し、その女性のそばに腰を落として、彼女を揺すった。
「二宮様! お気を確かに!」
「雅楽頭、大丈夫ですか?」
「う、ん?」
安吾に揺り起こされて、和装の女性、二宮菊はうっすらと目を開けた。それに理一と安吾と安堵のため息をつくと、理一の姿を見た菊は慌てて起き上がった。
「へ、陛下! お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」
「どうぞお気になさらないで。この非常時です。それよりも雅楽頭、お怪我はありませんか?」
恥じ入るようにしていた菊だったが、理一に言われて自分の体を確かめるように少し動かして、「お気遣いありがとうございます」と頭を下げたので、どうやら怪我もない様子だ。
その瞬間にまた床が光り輝き、またもう1人光の中から現れた。流石に二度目なので、安吾も理一も落ち着いていたが、びっくり仰天した菊を守るように、安吾がその前に立ちはだかった。
次に現れたのは、紋付袴を着た、日焼けした白髪の老人だった。彼もまた見覚えのある人物だった。その老人は安吾と理一が声をかける前に、うめき声をあげながら起き上がってきた。
「ぅう、イテテ。っったく、世も末だぜ。ついに俺も死んだか」
そんなことを言いながら起き上がってきた老人は、はた、と理一と目が合うと少し硬直して、何かを諦めるように額に手をやり天を仰いだ。
「陛下が崩御しちまうとは、本当に世も末だなぁ。この国終わった」
「何をおっしゃるんです、三蔵殿。皇太子もおりますのに」
「そうですよ、三蔵様。そのお言葉は不敬ではございませんか」
「そうだよ、アンタ陛下の御前であんまりじゃないかい?」
理一、安吾、菊と口々に言われて、三蔵鉄舟はバツが悪そうに後ろ頭をかく。
「なんでぇ、ただの冥土ギャグだろぃ?」
「悪いんだけど、高齢者の死亡ネタは笑えないよ?」
御歳89歳の鉄舟と、86歳の理一である。高齢者の自虐ネタはマジで笑えない。とはいえ、冗談を言う余裕があるというのは良いことなのかもしれない。幾分か彼のおかげで、空気も弛緩したようだった。
状況から考えても、確かに鉄舟の言った通り、おそらく自分達は死んだのだろう。だとすると、ここは死後の世界ということになる。話に聞いていたものとは違って、随分と殺風景だ。
そんなことを考えていたら、また床が光り輝く。流石に理一は、その光景に眉をひそめる。
「まだ、亡くなられた方がいらっしゃるのですね」
「そりゃぁ、あの規模の地震だ。数万人はくだらねぇだろう」
以前の地震でも数千人規模の人命が失われたのだ。今回の地震もかなりの規模に登るようだった。だとすれば、一体どれほどの人命が失われたのか。
自国民の被害者を思うと、胸が押し潰れそうだった。そんな思いを抱きながら、その光を見つめる。光の先に現れたのは、やはり和装の礼服を着て、真っ白の白髪をした、とても小柄な老女だった。その老女に菊が寄ってゆり起こす。
「家元、大丈夫かい? しっかりおしよ」
「雅楽頭、でしゅか?」
どこかおぼつかない口どりで言葉を返したその老女も、ゆっくり起き上がる。極度に曲がった腰を痛そうにさすりながら、周囲を見渡して、菊から理一に視線を移したあと、すこしキョトンとした様子で小首を傾げた。
「陛下? ご機嫌麗しゅう?」
「ふふ。四谷家元、ご機嫌麗しいようでなによりです」
若干苦笑気味に返す理一に、やはり四谷園生は不思議そうに首を傾げていた。小さくて腰が曲がっていて、プルプルと震えるたびに、垂れた頰の丸いお肉がフルフルと震えている園生に、わずかに安吾が「この婆ちゃん可愛い」とときめいた時だった。
かつてない閃光が、理一たちの視界を覆う。今度は一体なんなんだと思いながら、4人の高齢者と1人の中年は目を細める。その光が急速に消え去ったあとに現れたのは、真っ白の貫頭衣を頭からかぶった、ひとりの美しい女性だった。
波打つ亜麻色の髪、煌めく緑色の瞳、圧倒的な美貌を誇るその女性に、5人は息を飲む。その様子にその女性は満足そうにして、持っていたクラッカーをパーンと鳴らした。
「おめでとうございます! 貴方達は転生ルーレットで見事当選を引き当てました! よって、これからチート転生を行います! やったね!」
目の前の女性が何を言っているのか、一言一句意味がわからない5人は、ただただポカーンと口を開けた。