自重は大事
初代村長は絶対にアメリカ人だったな、などと考えながら理一は森を進む。
あのシャバハの夜を越えて、既に1週間が経過していた。本当はもっとはやくに村を出る予定だったが、ラズや村長を初めとした人員が、理一たちの逗留を熱望したので、勉強がてら滞在するのもいいだろうということで、未だに滞在している。
あれから、この世界の常識についてもさらに勉強をした。まず、普通は適性属性は一つしかないこと。鑑定や異空間コンテナは持ち合わせていないこと。ヘルプ機能ってなにそれ?ということだった。
黙っているべきなのだろうが、師としてお世話になりたいラズに黙っているわけにもいかず、理一達は自分が余所者だと明かした。その話を聞いて、ラズはむしろ納得した様子だった。
「道理で…余所者っていうのは常識を超える存在と言われているの。それは知識だったり、力量だったり様々よ。でも私は、最も突出しているのは、その思考の差異だと思うの」
この世界は、魔法があって当たり前の世界。そこに魔法が無いのが当たり前の存在が現れる。その存在が、魔法を得た時に、どんな思考をするのか。そのベクトルの差異が、余所者の恩恵でもあり、脅威でもあるのだという。
「私の故郷にも、余所者の恩恵はあるのよ。ただ、ろくなものではなかったわ。この世界においてはね。貴方達の世界では、どうだったのか知らないけれど」
ラズの語った余所者の恩恵というのは、正直な話、一部の人間に秘匿してくれていればよかったのに、それを公開してしまったから、悪評になってしまったような出来事だった。
「黒色火薬ですか。僕もそれは知っていますが、この世界にもあったのですね」
「リヒトも知っているということは、貴方達の世界ではメジャーなのでしょうけれど、こちらの世界では、戦線を覆すほどの大発明で、大問題でもあったのよ。何しろ、素人でも大魔法使いと遜色ないレベルで攻撃できるような代物だったのだもの」
戦時中において、火薬の威力は無視してはいけないものだ。そのことは理一にも理解できるが、女神から剣とファンタジーあふれる世界と説明されている以上は、その世界観を壊すのは、非常にもったいない気がする。
「この世界に、火薬だの銃だのというのは、無粋ですね」
「ジュー?」
「忘れてください。無粋な存在です」
そのままラズが何も言わなかったのは、理一達が余所者とはいえ、銃などという兵器を持ち込む人間ではないという信頼に基づいたと判断した。
たしかに銃や近代的な戦略兵器はこの世界の戦争事情を一変させかねない画期的なものだろうが、この世界の世界観を破壊したくなかったし、この世界の人間は、その人達のペースで発展してほしいと思うのだ。
そこに理一達が介入するのは、はっきり言って無粋だ。
その無粋な真似を堂々とやっている国家が、東の果てにあるのだという。
「そこには行きたくありませんね」
「行くとしても、今じゃないだろうね」
おそらくそこにも余所者がいるのだろう。文明の発展に貢献するのは良いことだが、それが軍事行動にしか貢献しないのは、正直愚物以外の何者でもない。なるべく関わらない方がいい。
冒頭の話に戻る。なぜ初代村長がアメリカ人だと思うのかというと、この村の名前が「ワシントン村」だったからだ。こんな偶然は絶対にないと言い切れる。
牧歌的なアメリカ人だった初代村長は、この村で農業を始めて、水車小屋を作り、調味料を開発し、鉄壁の守護でシャバハの夜から村を守り、人を呼び寄せ子供を多く作った。
異世界渡りをした人間のライフスタイルとして、結構理想的なモデルケースなのではないかと、理一は思う。
シャバハの夜を越えて、流通や交通が回復すると、この村にはそこそこ商人が訪れていた。なんでも、この村特産の調味料を愛してやまない貴族がいるので、その貴族のために定期的に購入しにくるのだとか。
その商人は村で調味料などを購入する代わりに、村には布や衣類などを販売する。
この世界では、どこにでも店があるわけではないし、ほしいものをいつでも取り寄せ出来るわけでもない。商人を使って、必要なものを必要な分、購入するのが普通なのだろう。
そこで、商人の出入りを見ていた鉄舟が、自分の打った武器を販売すれば、路銀になるのではないかと言い出した。
シャバハの夜の時に、鉄舟が打ち直した刀「5級:一流刀匠が遊びで作ったレベル」を1本、商人に見せてみると、商人は目を輝かせて、次は悶絶し始めて、最終的に「今は持ち合わせがないけれど、次に来た時に必ず買い取るから、それは誰にも売らないで」と懇願して帰っていった。
一応買取価格を聞いて、村長に相談してみる。
「この世界の通貨単位を聞いていなかったのですが、白金貨一枚で、何が購入できるのです?」
しばらく悩んで、村長が唸りながら答える。
「家かな」
「は?」
「私には高額なものが家くらいしか思いつかない」
商人が提示した白金貨一枚というのは、かなり高額ということになる。そりゃぁ普段の商売に持ち歩くことはないだろう。
100円 銅貨10枚=青銅貨1枚
1000円 青銅貨10枚=銀貨1枚
1万円 銀貨10枚=金貨1枚
100万金貨100枚=白金貨1枚
大商人や国家間の高額な取引のために、白金貨という通貨単位もあるが、一般に流通することはほとんどないらしい。だから、白金貨を見たことのない人も多勢いるので、白金貨を使うなら大都市の大店が良いと言われた。
それにしても、鉄舟が急拵えで打った5級の剣が白金貨1枚の値がつくのであれば、彼が本気で作った刀剣は、一体どれほどのものになるのかと考えると、少し怖い。その内聖剣とか作りそうだ。
鉄舟には、流通用には適当に手抜きしたものや失敗作を販売してほしい。職人としては許せないかもしれないが。
今は鉄舟もこの村の鍛冶屋に、この世界の刀鍛冶を教わっているが、その内自分の好きなように作り始めるのは目に見えているので、今の内に自重するように釘を刺しておく。
「こ、これが包丁…? 滑らかな鍛造、精緻な研ぎによって生まれる、この刃先の薄さ。こんなに切れ味の鋭い包丁は、見たことがないっ!」
鍛冶屋のおじさんが、鉄舟の打った包丁を見て、感動に打ち震えている。既に手遅れだったようだ。鉄舟と鍛冶屋のおじさんは、鍛造と研ぎは芸術でありロマンであると熱く語っている。
とてもではないが、理一が割って入れる空気ではないので、今回は諦める。
約束の時間になってしまったので、ラズの元を訪れる。そして、練習場として定着してしまった岩山の麓で、今日も魔法の練習だ。
「火の魔法と水の魔法は、日常生活でもよく使うものだから、まずは簡単なものだけ覚えよう」
「はい」
ラズが人差し指を、その辺に落ちている小枝に向ける。
「火の魔力を持って、それに灯せ。“着火”」
指から飛んだ火が、小枝に燃え移った。ライターのような魔法だ。これは初歩の初歩のような魔法なので、慣れると詠唱など要らなくなると言って、話しながらラズは火を出したり消したりして見せた。
理一もラズに倣って、しゃがんでそばにある小枝に指を指す。着火の魔法を唱える前に、少し考える。ラズの火はオレンジ色だったが、この世界にはやはり燃焼効率という概念はないのだろうか。空気中の酸素を取り込んで燃焼したら、温度も高くなって着火も早くなる。などと考えていたら。
「熱っ! あれ、なんで?」
指先がメチャクチャ熱くなっていて、慌てて指を振ってフーフーしていると、ラズが顔を引きつらせている。
「ラズ師?」
「あんたさぁ、早速無詠唱で着火するとか、やめてくれる? こっちの商売上がったりよ」
「え、すみません…? あれ、僕着火の魔法してました?」
「無意識に魔法を使うのもやめてくれるかしら! 危ないから、自重しなさい!」
「うぐ、すみません…」
全くもってラズの言うとおりである。無意識に火を付けてしまうのは普通に危ない。気を付けよう。
素直にラズのお叱りを受けた理一に、やれやれとラズは溜息をつく。
簡易な魔法とは言え、いきなり無詠唱で行使されるとは思わなかったし、青い炎など見たこともなかった。
理一の魔法の才能にも、知識の量も思考の方向性も、ラズには全く想像がつかなくて、それがとてもこわい。
「とんでもないのが弟子になっちゃった…」
「はい?」
「なんでもない!」
この弟子は、ちゃんと自重してくれるのだろうかと、初っ端から不安になるラズだった。