最早落ち芸
そうしてしばらく洞窟を進んでいくと、先がどんどん細くなっていき、仕舞いには人が通れないほど狭くなっている。
それでも風の通りは感じられたので、魔法で壁を崩しながら進むと、大峡谷の断崖へと抜けた。
上を見上げれば切り立った崖と青い空。下を見れば切り立った崖と、こんなに晴れているのに深すぎて底が見えない谷。
試しに園生が飛び降りてみるが、やはり一メートルほどで下降が遮断されてしまい、眉を寄せながら園生が跳躍して戻ってきた。
「むぅ、やっぱり邪魔されてるぅ」
「反抗者は意地悪だね。仕方がない。順当に進もう」
理一が見つけたのはつり橋だ。誰がどう頑張って設置したのか、この数百メートルもある谷幅に、ロープとボロボロの木材でつり橋がかかっている。
そのつり橋を見て、全員が怪訝そうにする。
「いや、あれは無理だろ」
「そうね。一歩目で落ちそう」
「ですが、反抗者が落下防止してくれていますし」
「そんなに都合のいい魔法をかけてくれるかなぁ」
色々と意見を交わすが、このつり橋以外には、先に進める方法が見当たらなかった。
ならば、つり橋を補強するしかない。
「園生、できそう?」
「崖しかないからどうだろうねぇ? とりあえず、やってみるねぇ」
自信無さげにした園生が手のひらを崖に着いた。すると、そこから草が伸びてきてつり橋に絡みついていく。
つり橋は緑色の草に覆われたが、それは小さく細い飼い葉のようなもので、強度という点では中々頼りない。
「木属性でこの環境だと、これが精いっぱいだよぅ」
「そうか。でもありがとう。あとはおつる、頑張れるかな?」
「おつるに声をかけるのが遅いの! 任せるの!」
かたやおつるは自信満々だ。おつるの姿変えの魔法を解くと、元の蜘蛛の姿に戻った。糸を飛ばして風に乗って宙に舞う。
おつるは空中から糸を飛ばして、つり橋に糸を巻き付けて補強していった。
しばらくすると、つり橋はおつるの糸で鈍色の光を反射している。おつるがつり橋の上でジャンプして、その強度を証明してくれているようだ。
ゆさゆさ揺れてはいるが、崩れる様子はない。
ここは言い出しっぺの理一が足を踏み込む。ギシリと草と糸の中の板が軋むが、割れたりはしていない。
硬度と弾力をもつおつるの糸が、しっかりとカバーしてくれている。
一歩目の感触に安心した理一が、手すりのロープに掴まって歩き始める。十メートルほど進んだところで、大丈夫そうだと振り返った拍子に、ブチブチっと嫌な音が響く。
「あ、わわっ!」
「やー! リヒトにーちゃん離すのー!」
慌てて掴んだのはおつるの糸。バランスを崩した理一とおつるは、谷底に真っ逆さまに落ちていった。
谷底をそっと覗き込む黒犬旅団。
「理一さーーん! おつるぅぅぅ!」
「落ちるときはオッケーなのね。事故だから?」
「かもしれんけどよ、なんでいつも落ちるんだよ。アイツ芸人でも目指してんのか?」
「ジョブに芸人って出てるかもよぉ。今日はおつるちゃんとコンビだねぇ」
「今回はおつるも道連れか。哀れな」
「なんで落ち着いてるんですかぁぁぁ!」
安吾は半泣きだが、他はやれやれと言った様子だ。
「まぁ、理一だしな」
「どうにかなるでしょ」
「この高さでどうにかなるのは、雄介くらいですよ! もし魔法が使えないように阻害されていたら、どうするんですか!」
「それはどうしようもなかろう」
「ふざけるな!」
安吾は腹を立てて谷底に飛び降りたが、やっぱり阻害されているようで、空中で地団太を踏んでいた。
「あーもー! なんなんだよ!」
「落ち着け安吾」
「とりあえずぅ、理一が谷と相性が悪いのはわかったねぇ」
「うむ、今後は奴を先行させるのはやめるとするか」
「問題は、私達がどうやって降りるかね」
三人と一匹は終始落ち着いた様子で話し合っていなかったが、安吾は全然落ち着いていなかった。
「オラァァッ!」
安吾が刀でガンガンと空中に――魔法陣に――に斬りつけている。一同はやれやれとそれを見守りつつも話し合いを続けていたが、ビキリと音が響いた。
「うおぉぉぉ!」
安吾が怒涛の魔力を込めて魔法陣を叩きつけると、バキバキと魔法陣に亀裂が走って、ガラスが割れる様に魔法陣が砕け散った。
そして砕けた魔法陣に足元が崩れた安吾が、鉄舟達に向かってドヤ顔で親指を立てつつ落下していった。
「安吾、どんだけぇ……」
「普通、魔法陣は剣で斬れるものではないのだが……」
「安吾は日を追うごとに、俺らの知る安吾じゃなくなっていくな」
「しょうがないわね。あたし達も行きましょう」
やっぱりやれやれと首を振りながら、鉄舟達は谷底に飛び降りた。
その頃、理一は魔力障壁を蹴りながら、空中散歩を楽しんでいた。糸を手繰り寄せて、腕にはしっかとおつるを抱いている。何しろ安吾の愛娘だ。おつるは大事。
「おつる、人型になる?」
「リヒトにーちゃんが余裕すぎて腹が立つの! 誰のせいだと思ってるの!」
「ご、ごめん……」
おつるに叱られた理一は小さくなって黙りながらも、おつるには魔法をかけておいた。
見えてきたのは水面。理一が光灯の光を山ほど先行させて谷底を照らす。岩礁にぶつからないようにだ。
谷底には広大な河が流れていた。アマゾン川にも比肩するほどの広大な河だ。
その水面に魔力障壁を張って着地する。おつるも足元に降ろした。おつるが理一と手を繋いだまま、クリクリした瞳で見上げた。
「谷底なの?」
「そうみたいだね」
「ご主人様、きっとおつるとリヒトにーちゃんを心配してるの」
「そうだね。ここで待とうか」
「うんっ!」
待っていれば安吾に会えると思ったのだろう。おつるがにぱっと笑う。可愛らしい笑顔だ。
少し移動して岸壁に寄った。ちょうど岩がせりあがっていたので、そこに二人で腰かけた。
「おつるは本当に安吾が好きだね」
「うん、大好きなの! あのね、ご主人様はね、強くてね、優しくてね、カッコよくてね」
「そうだね」
「だからおつるは大人になったらね、ご主人様のお嫁さんになるの!」
「そ、そっかぁー」
なれるんだろうか。魔物と人間だし。大人と子どもだし。安吾はおつるを娘のように思っているし。
小さな娘が「大きくなったらパパと結婚する」というノリと同じようなものだろうか。
理一が悶々としているのを気づいていないのか、おつるは相変わらずきらきらとした笑顔を浮かべている。
「おつるは蜘蛛型ならもう成体なの! だから人型も大人がいいの!」
「大人って、園生達くらい?」
「うん! 大人になるまで我慢しなさいってご主人様が言ってたの! 大人になったらご主人様と交尾できるの!」
「こ、交尾……あー……そっかぁー……」
「だからおつるを大人の女にするの!」
「あーうーん、そこは安吾と相談するね?」
「お願いなの!」
「で、できるだけ善処するよ……」
安吾の苦労を思うと居たたまれない。愛娘のように可愛がっていたおつるに、迫られて困っていた様子。安吾だっておつるのことは大切だし手離したくはないが、それとこれとは別だろう。
かといってそれを否定する権利は理一にはないし、この辺は要相談だ。
おつるも元は野生の魔物なのだから、成長が早くて当たり前だ。人間のように十年も二十年もたってから繁殖するわけではない。
その辺の動物だって、生後一年ほどで繁殖するのが普通なのだ。おつるだって繁殖期に入っていてもおかしくない。
「そっかぁ、おつるも大人なんだね」
そう思うと感慨深い。おつると出会ってから約一年半と言ったところだ。子どもの成長というのは早いものだ。
その流れで同時期に出会った雄介のことも思いだした。雄介がこの世界を旅立って一年と少し。
大学には合格しただろうか。もし合格していれば、今頃大学生になっているはずだ。
雄介の第一志望は、東清京大学。日本皇国の最難関の大学だ。頭のいい少年だと思っていたが、志望校を聞いて驚いたのが昨日のことのように思いだされる。
そして、雄介に聞いた漫画やアニメ、ラノベの知識も色々と思いだした。
「大体異世界に来た奴ってのは、試練とかの苦境を乗り越えて、ハーレム築いて世界最強になって、神レベルに到達するってのが、ラノベのデフォだな」
何故ハーレムを築く必要があるのかと聞いたら、どういうわけか強力な味方は異性ばかりになるというのが仕様らしい。
そして強力な味方となった異性たちが、主人公に何故かメロメロになってハーレムを築く。
さらに言うと、ラノベ主人公は傲慢で自分勝手で、時に感情的な行動をとりがち。
(契約獣が増えたら、安吾は主人公の才能があるかも)
いきなり女神の左腕を切り落とすし、安吾は敵と認識した相手には容赦しない。そしておつるのメロメロ具合。ゆくゆくおつるは正妻枠だろう。
などとどうでもいいことを考えている間にも魔物が襲ってくるので、理一は魔法でピチュンする。
ふと、思いついておつるに聞いてみた。
「鉄舟は好き?」
「好きだけど、テッシューにいちゃんは、女の敵だからやめときなさいって、キクねーちゃんが言ってたの」
その通りである。鉄舟は常に万年ハーレム野郎なので、マトモな女性から見れば女の敵かもしれない。
「僕は?」
「リヒトにーちゃんも好きだけど、ベスねーちゃんと交尾するんだよね」
「うっ、た、多分そのうち……」
「人間はいつでも発情期って聞いたの。仕込めるときに仕込んでおいた方がいいの」
「そうか、参考にするね」
魔物怖い。これが人との差だ。繁殖の手段としか思っていない。常時発情していると思われているなら、これは安吾も相当苦労していそうだ。
これ以上、この話を続けるのが精神的に辛くなってきた辺りで、おあつらえ向きに強めの魔物が襲ってきた。
ピチュンできるが、あえて戦闘を長引かせた。