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黒犬旅団の異世界旅行記  作者: 時任雪緒
サルバドル教国
111/115

悪役令嬢は健在です

 誰かの足音が耳に届いて、エリザベスは目を覚ました。目の前には自分の金髪が散っていて、頰をこする感触は、艶やかな絹のシーツとフカフカのクッション。


 何故自分は寝ているのだろうかと思いながら、体を起こす。そして自分が桃色の制服を着ているのを見て、あの瞬間のことを思い出した。



 馬車でトゥーランに向かっていた道で、エリザベスとメイドの座る馬車の中に、御者席からどさっと何かが倒れる音が聞こえた。

 異常を感じたエリザベスがすぐに魔力感知を使うと、その反応に血の気が引くのがわかった。


 理一をも超える、圧倒的な魔力を持つ何者かが、御者席にいる。御者席を覗こうとしていたメイドを慌てて引き止めて、荷物から剣を引っ張り出した。

 そして剣を振るってドアを吹き飛ばし、身体強化を使って未だ走り続ける馬車から飛び出した。


 それに驚いた馬が嘶いて馬車が横転し、御者が放り出された。手綱が外れたのか、馬はそのまま逃げてしまった。


 ゴロゴロとメイドと地面を転がって、エリザベスはすぐに起き上がって剣を構えた。

 エリザベスの前には、金髪を綺麗に後ろに撫で付けて、高価な衣装を身にまとった男がいた。


 その男から発せられる魔力は、まるで猛獣の顎門を目の前にしているかのよう。その男が目の前にいる、それだけで気が遠くなりそうだ。


「お、お嬢様!」

「ブリジット! 逃げなさい!」

「そんな、お嬢様を置いていけません!」


 メイドのブリジットが、なんとかエリザベスと共に逃げようと縋るが、エリザベスはそこを動かなかった。


 きっと逃げても無駄だ。すぐに追いつかれる。

 フィンチ領の領民が強いことなど、この辺りではすでに知れ渡っている。だから、フィンチ領を行き来する馬車への強盗事件発生率も、ほとんど起きなくなった。

 強盗ですら、フィンチ領を敵に回すのは割に合わないとわかっている。


 それでもこの男は、たった一人でここにいる。エリザベスよりも遥かに高い力量を持って、そこに立っている。


 きっと逃げられない。それどころか、死ぬかもしれない。


(あぁ、リヒト……ごめんなさい)


 朝別れる時に、とても名残惜しそうに見送ってくれた。いつも愛情を素直に表現する理一と違って、自分は恥ずかしくて中々言えなかった。それが今更悔やまれる。


 せめて最期に、一度だけでも、愛していると伝えたかった。



 自分の死期を悟って、悲観したエリザベスの剣を持つ腕が下がった。それを見て、その男はクスリと笑った。


「随分勇敢なお嬢さんだと思ったが、もう終わりか?」


 その言葉にハッとした。自分はまだ何もしていない。この男の力量に圧倒されて、それだけで戦意が喪失した。


 もし、こんな時理一ならどうする?


 彼ならきっと、諦めない。たとえ勝てなくても、彼はきっと生き延びる。エリザベスにそう約束してくれた。

 だから。


(わたくしはここでは死ねないわ! せめて、一矢報いるまでは!)



 エリザベスの振るった剣から、激しい炎の渦が立ち上った。それが男に襲いかかった瞬間、エリザベスはブリジットの腕を掴んで走り出した。


「お嬢様!」

「ブリジット、このまま領まで逃げるわ!」

「はい!」


 二人は全速力で走った。エリザベスもブリジットも、理一の訓練のおかげで、身体能力は格段に飛躍した。

 この速度なら、あるいはーー。


 そう思って走った先に、見覚えのある人影が佇んでいた。金髪のオールバックに、高価な衣装を纏った男。


「何故!」

「お嬢様、お逃げください!」


 エリザベスが狼狽している間に、ブリジットはそのまま走り抜けて、魔法の杖を取り出して水矢の魔法を放った。


 その魔法は男に一直線に向かっていったが、直前で男にはたき落とされた。


「なっ……、魔法を手で弾いたですって……?」

「君の婚約者は、こういう事までは教えてくれなかったみたいだな」


 そしておもむろに男が手をかざす。足元に魔法陣が展開し、無詠唱で解き放たれる魔法が、黒い煙のようにブリジットに襲いかかった。


「ブリジット!」

「お嬢様、お逃げ……くだ……」


 煙の中で、かすかにブリジットが崩れ落ちたのが見えた。

 理一と同じように、魔法陣を使って無詠唱で発動された魔法。それがどれほど強力なものなのか、知らないエリザベスではない。


 しかもあの黒い煙は、恐らく闇属性の魔法。


「よくもブリジットを!」


 目尻に涙を溜めながら、エリザベスは怒りに任せて爆炎の魔法を放った。その炎は一瞬煙を取り込んだが、すぐに煙に押しつぶされて、黒い煙はもうもうとエリザベスを包んだ。


 最初は口を塞いでいたが、意識が遠ざかっていく。


(リヒト、リヒト……)


 瞼の裏に愛する婚約者の顔を思い浮かべながら、エリザベスは意識を失った。




 そこまで思い出して、エリザベスは周囲を見渡した。


 自分が寝ているのは、クイーンサイズはあろうかというベッドで、寝具も一級品。

 大理石の床に、白い壁。活けられた綺麗な花と、見たことのないテイストの家具。


(花も見たことがないわ。ここは西大陸ではないのかしら)


窓の外を見ると、この部屋は割と高い位置にあるのがわかる。丘の上の館、あるいは城や塔だろう。城下町とでも言うのか、真下の門の外には小さめの街が広がっていて、その周囲を森が取り囲んでいる。

森の向こう、遠くに望むのは水平線。ここは海岸近くの街か、島なのだろう。


もしここが島だとしたら、逃げる事は難しそうだ。


 とはいえ、牢獄や山小屋などではなく、こんな部屋に寝かされているということは、自分を悪いように扱う気は無いということだろう。



 そこまで考えたエリザベスの耳に、きしっとベッドが軋む音がして、自分が足音で目覚めたことを思い出し、後ろを振り返った。


「はっ!」

「お目覚めのようね。気分はいかが?」


 ベッドに腰掛けていたのは、艶やかで色気のある雰囲気の女性で、紫色のワンピースを着ていた。警戒は崩さないが、同性であったことに、どこかほっとした。


「愚問だわ。気分は最悪よ」

「あらあら、随分とご機嫌斜めね」

「当たり前でしょう。それよりもわたくしの剣はどこかしら。あれはミツクラ卿に打っていただいて、リヒトからもらったものなの。あなた達のような人間が持っていていい代物では無いわ。返していただけるかしら」

「……あ、あなたねぇ」


 その女性は困ったように眉を下げて、小首を傾げてみせる。


「あなた、自分の立場がわかっているの? 人質なのよ」

「ええ、わかっていてよ。わたくしを人質にして、リヒトに何をさせたいのか知らないけれど、リヒトをうまく操りたいのであれば、精々わたくしのご機嫌を取っておくことね」

「今ここであなたを殺しても、彼は気づきもしないわ」

「残念だけど気づくわよ。そういう魔道具をリヒトは持っているもの」


 じっと女性が見つめてくるのを、エリザベスもじっと見返す。

 エリザベスは電話の話を聞いたときに、いつか電話が普及したときのためにと、理一の電話にエリザベスの魔力を流しておいたのだ。

 エリザベスが死ねば、アドレスからエリザベスの名前が消える。


 嘘では無いと理解したのか、女性は大きな溜息をついた。


「そうね……。あなたが死んだと彼が知れば、きっと要求なんて突っぱねるでしょうね」

「そうよ。それに我が領民達八万七千人は、みな一騎当千の強者なのよ。わたくしに無体を働いてみなさい。お父様はここに総攻撃を仕掛けるわよ」

「それは少し……困るわね。わかったわ、剣のことは相談してみるから」


 女性が本当に困った様子で折れてくれたので、エリザベスはにっこりと笑っておいた。


「そう落ち込まないで頂戴。リヒトが来るまでの短い間ですもの。お互い上手くやりましょ」

「それ絶対あなたの立場で言うセリフじゃ無いわ」


 女性はほとほと疲れた様子で、部屋を出ていった。




「ーーというわけなのだけれど」


 ヴァネッサから話を聞いて、ニコライは愉快そうに肩を揺すった。


「ははは、面白い娘だな。あぁ、剣くらいは返してやって構わない。剣一本あったところで、どのみちここからは逃げられないのだから」

「それはそうなのだけど、私、あの娘と上手くやっていく自信がないわ……」

「ヴァネッサは元々気が優しいからね。なにしろ相手は貴族の令嬢だ。丸め込まれないよう気を付けなさい」

「はぁ……」


 自分の方が立場は強いはずなのに、何故か強気のエリザベスに、ヴァネッサはすでに勝てる気がしなかった。


「何もあの娘を誘拐する必要はなかったんじゃない?」

「そうは言っても、私の大いなる野望のためだ」

「なにが大いなる野望よ……」


呆れた視線を向けるヴァネッサに、ニコライが苦笑した。


「ではお前が引き受けるか?」

「……お断りするわ」

「お前達がそういうのはわかっているから、彼女が必要だ」

「彼女をダシに黒犬旅団に押し付けようということね。まぁ……異存はないわ」

「そう言うだろうと思った」


 悪戯っぽく笑うニコライに、ヴァネッサが深く溜息をついた時、エリザベスのいる部屋から、ガッシャンガッシャン、どったんばったんと騒々しい音が聞こえてくる。


 建物全体にニコライの魔法がかかっていて、この中では魔法を使うことができないし、ニコライの仲間以外でドアや窓を開けられないようになっている。

 それに気づいたエリザベスが、椅子やテーブルを窓に投げつけて、大暴れしているのだ。


「あ、あの娘……」

「うーん……。普通の貴族令嬢なら、こういう時はさめざめと泣いているものかと思ったが……彼女は本当に貴族令嬢なのか?」

「ただの令嬢じゃ、なさそうね……婚約者の影響かしら……」


 いい加減辛くなってきたヴァネッサが、騒動をおさめようと部屋に向かうと、途中で静かになったので諦めたようだ。

 ヴァネッサが部屋に入ると、エリザベスが無事だった椅子の一脚に腰掛けていた。


 その床には、どんな怪力でぶつけたのか、テーブルや椅子などの家具の破片が粉々になって散らばっている。花瓶や花も飛び散って、床も水浸し。金貨八十枚分もする高価な燭台が、ボッキリいってしまっていた。


「また派手にやったわね」

「ごめんあそばせ。少し部屋を汚してしまったわ。片付けていただけるかしら」


 予想外の台詞に、ヴァネッサの口元がひくっと引きつった。


「え、な、なんで私が……」

「伯爵令嬢であるわたくしが、掃除なんてするわけがないでしょう。早く片付けなさい。貴女はわたくしのお世話係なのでしょう? ならば、わたくしの言う通りにお世話なさい」


 ムカつく。ヴァネッサは普段あんまりイライラすることはないが、今回ばかりは額に青筋が浮いた。

 だが彼女を今傷つけても意味がないし、男性ならともかく、女性を傷つけるのは気がひけるし、これだけ部屋を散らかしていると、自分も困るし。


「はぁ、わかったわよ……」

「それが終わったらお茶を淹れなさい。茶菓子はマカロンがいいわ」


 いい加減にヴァネッサがキレた。


「あなたねぇっ! いい加減にしなさいよ!」

「お黙り。淑女レディがはしたなく大声を上げるものではなくってよ。それとも貴女は淑女ではないのかしら?」

「淑女でなくて悪かったわね! どうせ平民よ!」

「平民なら平民らしく、平身低頭したらいかが? 貴女見た目は美しいし、上手くお世話できたら、ウチのメイドにしてあげてもよくてよ」

「余計なお世話よ!」


 腹が立つあまりにヴァネッサは部屋を飛び出して、またニコライに泣きついた。


「もう嫌よ! 私にあの娘の相手なんてできない!」

「ヴァネッサ……まだ一時間も経っていないじゃないか」

「無理よ! あの娘、すごく性格悪いのよ! ああいうのを悪役令嬢っていうのよ! リヒト=トキノミヤは、あんな娘のどこが良かったのかしら!」

「それを私に言われても……」

「あっ、よく考えたら、あんなに暴れる令嬢だって淑女とは程遠いじゃない! なんであの時言い返せなかったの! 悔しぃぃぃ!」



 ヤダヤダと駄々をこねて泣きつくヴァネッサを、困り顔で慰めるニコライ。

 かたやエリザベスは、「お茶はまだかしら」と頬杖をついて待っていた。

 

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