思惑
留学期間も、残すところあと僅か。時季は巡って卒業とバカンスのシーズンを迎えようとしていた。
理一達は各地を転々としていたので、あまり季節感を感じることはなかったが、一年近くトゥーランで過ごして、僅かながら季節の変化を肌で感じていた。
もうそろそろ雨季に入るので、気温はやや下がり始めている。短い雨季の間は学院も休みになり、新たに入学する学院生や、卒業する学院生はこの時期に準備をする。
雨季が晴れたらまた学院が始まり、エリザベス達は今度から二年生。エリザベスは正式な学院生なので、理一達とはここで一旦お別れになる。
雨季の到来を予感させるような、土砂降りのスコールが窓を打っている。理一と安吾は、なんとなくそれをボーッと見ていた。
明らかに落ち込んだ様子の理一が、深くため息をつく。
「雨季か。この季節が来るのが、こんなに嫌に感じるのは初めてだよ」
「エリザベス様と、離れ離れになってしまうからですか?」
「うん。まぁ、空間転移で時々は会いに行くけど」
じゃぁそんなに落ち込まなくてもいいのでは、と安吾は思わなくもないが、理一にとってはそういう問題ではないのだろう。
「彼女のことが心配ですか?」
「心配だねぇ。ベスは美人だし、優しいし。変な男に取られたりしないかな……と、思ってる自分が情けない」
「はは、気にしなくても、誰でもそういう経験はありますよ」
「そういうもの?」
「そういうものです」
理一はまともに恋をしたのがエリザベスが初めてで、自分の中の感情の揺れに、多少なりと驚きがある。
だが、何人か恋人を作ったあと妻と結婚した、ごく普通の恋愛をしてきた安吾がそう言うなら、こういう気持ちは普通なのだろう。
ちなみに、以前鉄舟にも軽くこの手の話題を振ってみた。
「俺ぁバツ五だから、お前みてーな真面目なやつの参考にはならねぇな」
と言われてしまった。あの時は反応に困った。
ある意味参考になるかもしれないが、理一には確かに参考にならなさそうだ。
鉄舟は男三人の中では一番モテるので、何か参考になるかと思ったのだが、鉄舟は釣った魚に餌をやらないタイプらしく、全然参考にならなかった。
そんなこんなでしんみりとしたまま卒業の時期を迎えて、エリザベスやアマンダ、ライオネルやロラン、マシュー王子やルーシー達沢山の平民の学生に、涙ながらに送り出された。
と言っても、理一は今現在フィンチ領に来ているのだが。
バカンス時期で一旦エリザベスが里帰りしたので、理一も国王に頼み込んで、フィンチ領にバカンス中滞在させてもらえることになったのだ。
来ているのは理一だけだし、一応緊急連絡用の魔道具も持たされている。
それを手に取ったエリザベスが、珍しそうにしげしげと眺めている。黒い四角形の、身分証より一回り大きいくらいのサイズのもの。
「これが、電話というもの?」
「うん、陛下に持たされたんだよ。本当はあの国の閣僚しか持ってないらしいんだけど、名誉職とはいえ僕も伯爵になったから、持たせてもいいってことになってね」
この世界には電気もないので、当然電話もない。だが、あの国の学者達は、魔道具として電話まで発明していたのだ。
見た目にはスマートフォンと変わらないその電話は、自分の魔力を初期動作時に登録すれば、自分しか使えない。魔力電動率の高い金属を使用されていて、魔力を流して使う。
相手の魔力をこの電話に登録しておけば、その相手に連絡が取れるというものだ。
基本電話しかできないし、一度相手に魔力を流してもらわなければならないので、本物のスマートフォンよりは性能は劣るが、この世界においては画期的な発明といえる。
それがあの国の大臣クラスの閣僚にしか持たされていないのは、この電話の製造が非常に難しいのと、素材が非常に高価なので、ものすごくコストパフォーマンスが悪いからだ。
エリザベスは電話を欲しそうにしていたが、その値段を聞くと、大きな目が溢れそうなくらい、目を見開いた。
「これが白金貨十枚もするの!?」
「そう。それ一個で一千万。もっと研究が進まないと、量産化は無理だね」
金額を聞いたエリザベスは、傷をつけないように恐る恐る電話をテーブルに置いた。
伯爵令嬢とはいえ、白金貨十枚はやはり高額だ。
下手をすれば貧乏な小国の国家予算より、電話の方が高い。
そんな高額な電話は、滞在中も時々鳴って、理一は呼び出しに応じつつも、エリザベスとの楽しい時間を過ごした。
このバカンスが終われば、エリザベスとはあまり会えなくなる。
二人はちょっと意地になって、思い出づくりをして楽しんだ。
エリザベスは新学期が始まるので、また馬車に乗ってフィンチ領を出て行った。それをフィンチ一家と見送った後、理一も挨拶をしてミレニウ・レガテュールに戻った。
「ただいま戻りました、陛下」
挨拶をしに国王のところに行ったら、「学院生活を満喫できたようで何よりだ」と嫌味を言われた。
確かにこの一年色々あったが、満喫していたと思う。学生の頃の一日は、大人になってからの一ヶ月に相当すると、前世で人に聞いた。
だから、理一はこの一年の思い出は大切な思い出にしている。
「はい、お陰様で貴重な経験をすることができましたし、将来の伴侶となり得る女性にも出会えました。これもひとえに陛下のお陰でございます」
嫌味に対して素直に礼を言った理一に、国王は相変わらずの綺麗な顔で、呆れたように溜息をつく。
「爵位を持つのも嫌がっていたお前が、更に爵位をねだってきた時は、何事かと思ったがな」
「あはは……、ご厚情、痛み入ります」
「まぁ良い。マーリンがお前の帰国を待っていたぞ」
「はい。すぐに魔術研究所に参ります」
挨拶をして国王の前を辞した後、理一は魔術研究所に足を運んだ。理一が帰ってきたことに、所長は大層喜んで大歓迎してくれた。
大柄な所長が、高齢とは思えない勢いでズカズカとやってきて、ガシリと理一の肩を掴んで揺さぶる。
「おぉ、待っておったぞ! トゥーランに行っておったそうじゃな! あの魔術の先進国の! 学院ではどのような魔法を習ったのじゃ? わしにも教えてくれんかの!」
「ちょ、所長落ち着いてください。教えますから……」
全くこの魔術オタクは。理一も周りからは魔術師と呼ばれているが、理一と所長は根本的に違う。
理一は力が欲しくて、知識を求めた。所長は知識を求めて、結果として力を得た。理一よりはるかに優れた魔法の力量を持っていながら、特に使い道がないそうだ。
所長が欲しいのは知識と、それを得るための時間と環境だけ。これぞ生粋の魔術オタク。少々呆れながらも、理一は新しく研究されている理論などを説明していった。
「防御魔法学において新たに研究されているのが、単に防御するだけに留まらず、その攻撃魔法の術式自体を解除する方法です。魔法陣に干渉して、花押を書き換えて自分のものとし、術式自体を解体するという方法です。これは理論上では可能ですが、実際の戦闘となると中々困難と言われているようですね」
「うむ、そうじゃな。攻撃が届く前に魔法陣の構成を見極め、そして干渉し書き換え解体するか。呪文による魔法になら対処できるかもしれんが、余程熟練の魔術師でなければ、それはかなり困難じゃろうな」
「ええ、高位の魔術師であればあるほど、干渉を阻害する術式も複数組み込んでいますからね。攻撃魔法以外になら、これまでも適用されてきましたが、攻撃魔法に対しては、未だ実現していないそうです。なので、机上の空論と呼ばれています」
理一も実戦経験があるので、この魔術解体の理論が、どれだけトンデモ理論かは理解できる。本気で追い詰められている時など、そんな事を考えている余裕など、これっぽっちもないのだ。
呪文を使用せず魔法陣を使用する魔法使いは、魔法陣の術式を施した魔法の杖や、武器などを使用することが多いので、戦闘を長引かせれば可能かもしれない。
だが、所長や理一の様に、魔法陣を完全に記憶して、無詠唱で魔法をぶっ放す相手には、この方法で対処するのは困難だ。
とはいえ、世の中の大半の魔法使いは、魔法陣よりも呪文に依存している。理一のサークルに所属していた数名は、理一の指導を受けて魔法陣を記憶し、無詠唱でいくつか使える様にはなったが、それも一年では二、三個が限界だった。
一般の魔法使いは魔法言語を使用しない。それを習得した上で、複雑な魔法陣をすぐにイメージするのは、余程頭の良い学生でないと出来なかったのだ。
この点、理一は学術スキルがあって、本当に良かったと思う。
だから黒犬旅団のメンバーの中でも、道具を使わず魔法陣を使用して無詠唱魔法を使えるのは、理一だけ。
菊ですら魔法陣を刻印された鉄扇を使用しているし、鉄舟と園生はイメージによる発動がメイン。
この点で考えると、理一や所長の様な魔術師と敵対することはかなり稀有なのだが、国家レベルになると、最初から魔法陣を組み込まれた戦略兵器などを持っている国もある。
魔法陣を使用した戦略兵器からの防衛を考慮して、この理論は研究されているわけだ。
所長によると、地球にも反対魔法と呼ばれる、魔法を打ち消す魔法の様なものはあったそうだ。
だがそれは、地球の魔法に対する魔法であって、この世界の魔法には適用できない。
「地球の魔法はの、自身の魔力と周囲の魔力を取り込む魔法が多いのじゃ。この世界の魔法は、原則自身の魔力のみで発動するじゃろ」
「そう言われてみれば、そうですね」
「外部魔力の吸収を阻害して、そもそも魔法を発動させないというのが、反対魔法の基本構造なのじゃが、この世界の魔法は内部魔力に依存しておるでの、それが通用せん。この世界は地球と比べて外部魔力が少ないでの、こういう魔法になったんじゃろうな」
話を聞いて理一は考え込んだ。この世界は地球と比べて外部魔力が少ない。だから内部魔力に依存している。
女神の言葉を、ふと思い出した。
「地球産の魂は高品質であり、質的にも量的にも飽和状態にありました」
「この世界の魂は、磨耗しています」
もしかして、この世界の人達と、自分達の内包する魔力量は、最初から決定的な差があるのではないか。
そして、魔力は自然にも存在する。ダンジョンにも、森にも、海にも空気中も。獣にも魔物にも人にも、生きているだけで僅かながら魔力を放出し続けている。
そして魔法を使った時には、魔力が爆発的に周囲に拡散する。
この世界の生物は魂が劣化していて、内包する魔力が少ない。だから放出される魔力も少なくて、この世界の外部魔力も、魂の劣化に伴い徐々に低下しているのではないか。
そしてそれが、この世界を緩やかに崩壊に導いているのだとしたら。
この世界の魂が、きちんと全世界の輪廻の輪に戻れる様になるまでは、どうにか劣化と魔力の低下を食い止めなければならないのだ。
だから女神は理一達を遣わした。
なのに理一は、決定的なミスを犯していたのだ。
災害指定魔獣が災害を引き起こす時、その大規模な災害によって膨大な魔力が放出される。それはこの世界の安定に一役買っているのかもしれない。
だとすれば、災害指定魔獣を倒したのは、女神の意思に反するということになる。
そこまで考えて、理一は頭を抱えた。
「うわぁぁ、やらかしたかも……」
「うん、どうしたのじゃ?」
「いえ、なんでもありません……」
絶望的に落ち込む理一に、所長が不思議そうにしている。なんでもないわけがない。
(ということは、劉のしたことは……)
劉のしたこと。魔物及び災害指定魔獣の召喚。
あれは人的な被害をもたらしたが、この世界という規模で考えるなら、彼の行いは正しい。
劉は復讐の為にやっていたことだが、彼は操られていた。
では、操っていた創神魔術学会は、一体何を考えて、そうさせたのか。
(ーーまさか)
理一はすぐに研究所を辞して、一人早足で王宮を歩く。その表情は強張った。
(まさか、まさか。嘘だろう?)
アクトー大峡谷の神殿を見た雄介が言っていた。
「この世界の神は他の世界から無理やり魂を引っ張ってきて世界の均衡を図るような真似をする悪神だから、倒すべきだって」
反抗者の目的は、神を倒すこと。彼らが神を許せないのは、他の世界から魂を召喚していることであって、この世界を許せないわけじゃない。
そのような手段で世界の均衡を図っているのが許せないだけでーー。
考えているうちに、徐々に速度が落ちていく。そしてついに立ち止まった。
「彼らは、世界を救おうとしている……?」
地球から誰かを召喚して、その人を操って、災害指定魔獣を呼び出す。国や貴族に取り入って、戦争を引き起こさせる。
人を人とも思わぬ所業。理一なら絶対にそんな手段はとらない。
だが、世界を救うというただそれだけを目的に、非情になれたとしたら。
「実に、有効な手段だ……」
災害や戦争によって生まれる、莫大な魔力。魂の劣化は止められなくても、魔力の補完ができる、実に有効な方法だ。
だが、理一は懊悩する。頭では理解できても、どうしてもそれを認めたくない。
創神魔術学会が世界を救おうとしていることも、非道な手段を取っていることも、理一は認めたくなかった。
しかし、もし理一の想像が正しいのなら、それを確かめる必要がある。目的が同じなら、敵対するべき相手ではない。
想像が誤っていることも勿論考えられる。そう言った手段でこの世界の人を根絶やしにしようとしている可能性だってある。
だがそれだと些か不自然なのだ。本当に滅ぼすつもりなら、劉に最初から魔神の召喚魔法を教えていれば、それで済んだ。でも、そうしなかった。
ふぅ、と理一は息を吐いて、廊下の壁にもたれる。気温は相変わらず高いが、壁は少しひんやりしていて、背中の熱を少しずつ奪っていく。
「いつか、ちゃんと話せるかな……」
対話はしたほうがいい。だが、その自信はない。なにせ創神魔術学会の件では、散々顔に泥を塗ってやったのだ。あちらは怒っているに決まっている。
やっぱり理一は頭を抱えた。
「あぁ〜、本当にやらかしちゃったなぁ……」
廊下の壁とスキンシップを取りながら、理一は激しく落ち込む。そんな理一の耳に、電話の着信音が届いた。
渋々取り出して見ると、相手は国王からだったので、理一は慌てて電話に出た。
「お待たせ致しました!」
「心して聞け」
「はい?」
国王が理一の挨拶を無視するのは今に始まったことではないが、いつになく重々しい声色だった。
その国王から告げられたのは、エリザベスが誘拐されたという知らせだった。