サルバドル捕囚
しばらく学院を休むことにしたライオネルは、トゥーランの南、キドニアス王国の北に位置する、サルバドル教国へ来ていた。
この国は規模こそ小国で、国土が大国の大都市ほどの規模しかない。だが、倫光教の聖地として崇められている国であり、毎日各国から多くの巡礼者がこの地を訪れる。
馬車から降りたライオネルとロランは、倫光教の総本山である聖エルンスト大聖堂へと向かっていた。
白い僧服を着た聖職者、白いガウンを纏った巡礼者を多く見かける。この国に住む一般市民も勿論見かけるが、それ以上に目を引くのが、首輪をつけた人の存在だ。
その首輪は魔力封じの首輪で、奴隷の証だ。
この世界には当たり前に奴隷制度がある。奴隷になる人は、犯罪奴隷だったり、食い扶持を減らすために親から売られた子どもだったり、借金を返しきれなくて自ら奴隷になったり、事情は色々だ。
理一達は当初この奴隷制度には驚いたものだが、奴隷にしてみれば逆らわず仕事をしていれば、衣食住が確実に保障されるので、露頭に迷うよりは遥かに優れた制度だった。
奴隷には市民権は与えられないが、それなりに生活の保障をする義務が、雇い主には課せられている。
労働環境は雇い主次第だが、良い雇い主に当たった奴隷は、農村で貧しい暮らしをしている親兄弟よりも、遥かにいい生活をしている。
だがそれは、奴隷が人間だった場合の話だ。
ライオネルとロランが多く見かけた奴隷は、獣人族や魔族、エルフ族が多くを占めている。
「予想よりも多いですね……」
「あぁ、これはリヒトや織姫様には見せられないな」
原則、倫光教は人間の宗教だ。だから、人間が最も尊いとされていて、人間以外の種族を差別的に扱っている。
その風潮はどの国にもあって、こと、倫光教の総本山であるこの国は、それが特に顕著だ。
人間に施しをする一方で、人間以外の種族の奴隷を多く買い入れている。恐らく、扱いもよくはない。
少なくとも、ライオネルが知っている獣人奴隷の扱いは、決して良いものではなかった。
ひどい場合は、獣人族の村を襲撃して誘拐し、奴隷商人に売り飛ばすような真似をする賊もいるという。
ライオネルの知る獣人奴隷は、そうして奴隷になったと言っていた。
「僕は織姫様や黒犬旅団に感化されたのかもしれません。いい気分ではありません」
「私もだ。今までは何の疑問も持たなかったが、なぜ人間は、人間だけが尊いと思ってしまうのだろうな」
今までは人間以外の奴隷を見てもなんとも思わなかったし、それが当たり前だと思っていた。
だが、ライオネル達は色々と経験する中で、この点に疑問を持つようになってしまった。
それは良いことなのか、果たして悪いことなのか。
少なくともテンションが下がったのは事実で、二人は浮かない顔で大聖堂へと足を運んだ。
その頃、大聖堂の奥にある大司教の執務室で、大司教が額に青筋を浮かべていた。
「中止だと! 冗談ではない! 聖堂騎士団もいる! 各国に呼びかけて軍備も整えてもらう手はずになっている! それを今更怖気付いたか!」
「やぁねぇ、勘違いしないで? 創神魔術学会は、解散することにしたのよ。だから、貴方達を不老不死にはできなくなっちゃったの。ごめんなさいね?」
「私も本日限りで退職する。さらばだ」
大司教に向かい合っていたのは、反抗者のヴァネッサとジョージだ。
大司教や枢機卿達に取り入って、ある計画が進められていた。だが、創神魔術学会の悪評が広まったことで、脱退する貴族が相次いだ。
大司教は各国に援軍要請しているようだが、息のかかった貴族や国家が減ってしまったし、今はどの国もトラブルを避けたい。
実行できるかも不透明だし、できたとしても成功確率も曖昧。なにより創神魔術学会
は、解散することが確定している。
これまでのように王侯貴族に取り入って、戦争や紛争などの犠牲者を利用した召喚魔法で、余所者を呼び出す必要がなくなってしまった。
戦力となり得る余所者を招くことができないのは悩ましいが、今は蕾のように次の機会を待つ時期だと判断したのだ。
だがそんな事情をジョージ達は話す気などないし、話したところで大司教には関係ない。
「まっ、待ってくれ! 創神魔術学会がなくなるのは困る!」
「そんなことを言われてもねぇ。学会の噂のことは聞いているでしょう? 潮時よ」
「約束が違うではないか! 私に永遠の命を授けると言ったじゃないか!」
「あら、私の接待に随分と悦んでいたのに、まだ欲しがるの? たまには聖職者らしく、節制を覚えなさいな」
わなわなと怒りに震える大司教を残して、ヴァネッサはにこやかに手を振り、ジョージは振り返りもせずに大司教の部屋を出た。
ライオネル達が大聖堂に入った時、入れ違いに一組の男女とすれ違った。色黒の聖職者と、色白の妖艶な女性。
ライオネルがそれについ振り返った。男女は気付かずにすれ違って行ったが、ロランが足を止めた。
「どうしましたか?」
「あの二人の魔力……なんだか、リヒト達の魔力に似ていた」
「同属性ということですか?」
「いや、そうじゃない。なんというか、質のようなものが」
「質ですか?」
「自分でもよくわからない。忘れてくれ」
ライオネルもリヒトに倣って、できる限り魔力操作や魔力感知を発動できるようにしていた。
サークルの参加者の多くに訓練方法が伝授されていて、ライオネルを含めたサークル参加者の魔力量や魔力操作の技術は、驚異的に成長している。
だからライオネルは直感的に気づいた。この世界の人の魔力の質と、余所者の魔力の質が異なることを。
だが、理一達も先ほどの男女も、同じ世界からやってきた余所者ということには、この時には気付かなかった。
受付で手続きをして、しばらく待たされてから応接室へ通された。今日大司教と会う約束をしていたのだが、なんだか大司教がやたらと不機嫌だ。
「大司教猊下? ご都合が悪ければ明日でも構いませんが」
「いや、結構です。お話とは?」
とても結構には見えないが、本人がそう行っているのだからと、ライオネルは創神魔術学会の話を始めた。
「神の不在を訴える異教を、このまま捨て置いて良いのでしょうか。ご覧下さい、創神魔術学会の解散を望む署名が、こんなにも……」
ばさりと書類が飛び散った。ライオネルが差し出した署名の束を、大司教が右手で払いのけていた。
「大司教猊下? 何をなさるのですか」
「黙れ。貴様らか。そうか、貴様らのせいだったんだな」
「は……?」
大司教の行動と言葉に、ライオネル達は頭がついていかない。すぐに大司教は外に声をかけて、数名の聖堂騎士が入室してきた。
「その者達を捕らえろ! 暗殺者だ!」
「なんですって!?」
「大司教!? 何を!」
すぐさま聖堂騎士達が、ライオネルとロランを取り押さえた。反撃することもできるが、まずは誤解を解くのが先だ。抵抗はしない。
「私どもは創神魔術学会を異教認定していただきたいだけです!」
「黙れ! 貴様らのせいだ! 貴様らのせいで、私は死から逃れられない! 貴様が私を殺すも同然だ!」
「何をおっしゃっているのですか!?」
「うるさい! さっさと連れて行け!」
引っ立てられたライオネル達が、どんなに言い縋っても大司教は聞かなかった。そして、二人は地下牢に投獄された。
一体何が起きたのか、理解が追いつかない。ロランと二人で考えていると、大司教の言葉を思い出した。
ライオネル達のせいで、大司教は死から逃れられない。
大司教は確かにそう言った。
それを思い出して、ライオネルは頭を抱えた。
「そうか、すでに大司教猊下は、不老不死に取り憑かれていたのか」
「創神魔術学会を倒そうとする僕らが邪魔だったんでしょうか」
「そういうことだろう。最初から様子がおかしかった。恐らく、創神魔術学会に先手を打たれていた。もう少しタイミングが早ければ、追い返されるだけで済んだかもしれないが」
「あぁ〜、僕らはどうなってしまうんでしょうか……」
「わからん……ここまで不幸か、私の人生……」
当初の予定では、悪の組織をやっつけるヒーローになるはずだったのに、まさかの殺人未遂容疑で逮捕。
ついにロランは膝を抱えて突っ伏してしまい、ライオネルも途方にくれた。