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いざという時の為に大事に取っておいたトワイニングのティーバッグにカビが生えてました
「よく見たらスタイル良いですわね、あの全身触手スーツのSM嬢。マニアックな趣味趣向を持つアーサー君の好みドストライクではなくて? 今から遊んで貰ってきたらどうかしら??」
「マリアおばさんのような無駄に胸や尻が大きいだけの下品なメス豚体型ではありませんしな。いやはや、確かに中々の
「アーサー君?」
「事実でございましょう?」
二人揃えば罵り合い。それがマリアとアーサーのお約束だ。だがそんな二人のやり取りが荒んでいたウォルターの心を癒し、いつもの笑顔を取り戻させていた。彼の顔を見てルナは優しく微笑み、持参した新しい魔法杖を彼に手渡す。
「ふふふ、やっぱり貴方はその顔じゃないと。はい、新しい杖よ」
「はははっ、僕から笑顔を取ったら何も残らないからね……ありがとう」
「杖はもっと大事に使ってあげてね、ウィーリーちゃんが悲しむわ」
「……わかっているさ」
魔人は隙だらけのウォルターに向けて再び数本の触手で攻撃を仕掛けるが、ウォルターは魔法杖を両手に持ち、笑いながら自分に伸びてくる触手に狙いを定めた。彼の魔力に反応し、シリンダー状の小型機関は白い光を放ちながら回転する。今まさに魔法を放たんとした時、彼は自信に満ちた声で言った────
「言っておくけど」
右手で構える杖から放たれる衝撃の魔法。ウォルターの前方に発生した衝撃波は向かってくる触手の群れを弾き飛ばし、触手が弾かれた瞬間を狙って間髪入れずに左手の杖で魔法を放つ。バレル状の杖先から放たれた魔法はまるで光の槍のように黒い触手を突き抜け、魔人の右肩を貫く。
「!!」
「両手に杖を持った僕は」
魔人の注意が右肩に空いた風穴に向いた、その隙を見逃さずにウォルターは両手の杖で魔法を連射する。魔人は黒い触手をしならせて彼が放つ魔法を弾こうとするが、逆に衝撃の魔法でその勢いを殺がれた上に弾き飛ばされ、攻防一体の触手のガードが緩んだ瞬間を狙って放たれる貫通性の高い槍状の魔法は魔人の体を的確に穿っていく。
「……ッ!!!!」
「殊更なく、手強いぞ?」
先程までとは逆に追い詰められていく魔人は動揺し、大きく取り乱す。魔人の注意はウォルターだけに向けられており、それを好機と見たクロとマリアは同時に駆け出した。クロとマリアが間合いを詰めたのを見計らってウォルターは攻撃の手を止める。
「!?」
魔人が二人に気づいた時には、既に彼女達の距離となっていた。
「遅えよ」
「遅いですわ」
クロとマリアは魔人の腹部に向けてピッタリのタイミングで鋭い蹴りを放つ。防御する間もなく二人の足は深々と魔人にめり込み、その黒い不気味な体は前のめりに折れ曲がった。
「────ッ!!!!」
「ははっ! いい蹴り心地じゃないか!!」
「ですわねぇ、虐めがいがありますわ!」
再び魔人は後方に吹き飛ぶ。だが吹き飛ばされながらも触手で反撃し、黒い鞭による強烈な乱打が二人に襲いかかる。
「いっ……てぇなあ! はははっ、この野郎!!」
「あらあらあら、意外と効きますわね……これは確かに癖になりそうッ」
魔人は地面に触手を突き刺し、数m後退りながら踏み止まった。クロとマリアも触手に弾き飛ばされて地面に背中をつくが、何故か嬉しそうであった。
「何だか嬉しそうよ、あの子たち」
「そのようですな、いやしかし見事な鞭使いで
「アーサー君も受けてみたらどうかな。見た目以上に強烈だよあれ」
「私はノーマルでございますので。アブノーマル変態眼鏡大帝たる旦那様の境地にはとても辿り着けません」
「はっはっはっ、若い頃のアーサー君程じゃあないさ」
触手の魔人からは徐々に余裕がなくなっているように感じられた。如何に異界の化物でも、この街が誇る特級危険因子たる迷惑集団『畜生眼鏡と愉快な仲間達』が一堂に会しては分が悪いようだ。退き時と感じたのか、魔人は彼等に背を向けて薄暗い路地の中に姿を消した。
「あはははっ! 待てよ、もっと遊ぼうぜ!!」
クロは逃げる魔人を笑いながら追いかけていく。強い相手を見つけたら、遊ばずにはいられないのが彼女の困った癖だ。緊張の糸が途切れ、よろめくウォルターをルナは抱き止める。
「あの子は?」
「……」
「そう……。もう、他の子に任せていいじゃない」
「駄目だ、キャロルは僕が殺さないと……」
ウォルターはまだキャロラインを追うつもりだ。既に立っているだけで精一杯でありながらも、彼は何かに突き動かされるように歩き出そうとする。ルナは彼の腕を抱き寄せ、もう何処にも行かせまいと強く引き止めた。
「行かせてくれ、僕がやらなきゃいけないんだ。ロザリーだって、本当は教え子たちにあの子を殺させたくないはずだ……僕が
「……たまには誰かを頼っていいじゃない」
「駄目だ、僕が……
「貴方の心に抱え込んでいるものは、私たちも背負ってあげる。誰も貴方一人に、辛いことを押し付けたりしてないんだから……」
ルナの言葉を聞いて、ウォルターは店長の言った台詞を思い出した。両脚の力が急に抜け、そのまま地面に膝をつく。
「貴方は、一人で頑張りすぎなのよ……」
ルナもウォルターの隣に座り込み、彼の頬にそっと手を触れて血の滲んだ額にキスをする。マリアとアーサーは二人の姿を何も言わずに見つめていた。
「……後は、任せてもいいのかい?」
「ええ、旦那様。お疲れ様でした……後はアーサー君が頑張ってくれますわ」
「おばさんは頼りにできませんからな、では私も少し追いかけて参ります。私たちが来た道を戻りますと、いつもの車が停めておりますので……それでは」
軽く頭を下げ、アーサーもクロの後を追う。マリアは少し考えた後、溜息を吐いてアーサーの後に続いた。しかし今のウォルターに車を運転できるかどうかは怪しいところである。邪魔になるから車の中で大人しく待っていてくれという事だろうか。
「……本当に、情けな
「ウォルター?」
「冗談だよ」
過去は昨日で終わった、未来は今日から始まる。何処かの気障なオッサンは言った。
妙に耳に残ったのか、不意に口ずさむようになった台詞だがウォルターはその意味を深く理解してはいなかった。理解するつもりもなかったのかもしれない……。
彼は、過去を振り切れる程に強くはないのだから。
自分ではキャロラインを救う事が出来ないという無力感。そしてマッケンジー家を救えなかったという後悔が、今日のウォルターの思考を蝕んでいた。友人を失い、彼の素敵な家族も死なせてしまった。ならばせめて最後に残された彼女を救うのは自分で無ければならない。この事件に関わる内に、何時しかそのような妄執に囚われてしまっていた彼にはその役目を 誰かに託す という選択肢など浮かばなかった。
そしてウォルターは、今日も昨日の自分と同じ事を行おうとしてしまったのだ。
彼はキャロラインを殺そうとした。それが彼女を救う事になると、自分に言い聞かせながら。しかし本当は彼女を殺したいのではない、この呪われた運命から救い出したいだけなのだ。だが自分では救えない……その事実を認める事を拒んだ。だから言えなかった。
キャロラインを庇い、救おうとする者達に……どうか彼女を助けてくれと
それに気付くと同時に、今までの行動が間違っていたのだとようやく理解したウォルターは思わず手で顔を覆い隠す。ルナはそんな彼に静かに寄り添った。
「……ははっ」
「大丈夫、今は休んで……誰も貴方を責めたりしない」
「僕は……」
「貴方は自分が思っているほど、強い人じゃないんだから」
「キツイなぁ……」
「だから、今は泣いてもいいのよ……ウォルター」
小さく震えるウォルターを抱き寄せ、ルナは優しい声で言った。クロ達が魔人を追いかけて駆け込んだものとは別の路地からスコットがやって来る。彼に続くように、意識を取り戻した魔法使い達も続々と現れた。あの後、スコットは何とか気を取り直し、仲間を連れてウォルターの助太刀に来たようだが……どうにも肝心な時に出遅れる男である。
「助けに来たぞ、ウォル……あれ?」
「どうしました!?」
「あら、スコッツ君。遅かったわね」
「……本当に、どうして君はいつも変なタイミングで現れるんだ」
「……悪い、邪魔したな」
スコットはその一言を残し、ルナの柔らかく温かな胸元に顔を埋める畜生眼鏡に背を向けた。
協会所属の魔法使い達もその光景を見て、無言でスコットと同じように背を向ける。そして何も言わずに彼等は薄暗い路地に走り去っていった。この日から暫くの間、スコットはウォルターとは顔を合わそうともしなくなったという。
「……ルナ君、やっぱり僕も」
「駄目よ?」
「いや、何かこう……うん。やっぱり駄目かな?」
「駄目よ、行かせないわ」
時刻は午後1時前……、キャロラインから新しい絶望が産声をあげるまで残り2時間。畜生眼鏡は戦線を離脱し、リンボ・シティと彼女の命運はついに彼以外の者達に任された。
リアルに目から紅茶が溢れました