12
台風で酷い目に遭いましたが、紅茶の加護で何とか持ち直しました。
「ぐああああああ……ッ!!!」
スコットが半狂乱で絶叫していた頃、ウォルターは全身を触手で締めあげられながら、路地を引き摺り回されていた。全身を襲う苦痛に耐え、途切れそうになる意識を必死に繋ぎとめてウォルターは再び現れた黒い触手の魔人を睨む。
「また、お前か……ッ!!」
「……」
路地を抜け、開けた場所に出た魔人はウォルターを拘束したまま正面にある建物の壁に勢いよく叩きつけた。
「がっ……はっ!!!!」
全身を強く打ちつけたウォルターは口から血を吐き、頭を垂れて動かなくなった。
「……」
魔人は触手の拘束を解き、無言でウォルターの様子を窺う……突然彼の右腕は地面から跳ね上がり、手にしている杖で魔法を放つ。しかし魔人の触手はいとも容易く光の弾丸を弾き落とした。
「……何なんだ、お前は」
「……」
「130年前の……あいつらの、敵討ちかい? 違うだろ」
ウォルターは苦しげに顔を上げ、その仮面のような顔を睨みつけながら魔人に語りかける。
「お前は……あいつが死にかけていても、あいつらが巣ごと焼かれても助けに来なかったじゃないか……」
「……」
「お前の目的は、一体何だ?」
だが、魔人は何も答えない。魔人の白い仮面のような頭部には亀裂が走り、その肉体も傷ついていた。流石の魔人もあの魔法の直撃を受けて無傷という訳にはいかなかったようだが、それでも魔人にはまだ余裕があった。対するウォルターの体は既にボロボロで、武器である杖も予備の一本しか残っていない……状況は絶望的である。
「ははっ、だんまりかよ。気に入らないなぁ……」
「……」
「何か、言ってくれよ。こんなに情けない僕を笑いたければ笑ってくれ……殺したいなら、殺しにかかってくれてもいいんだよ?」
「……」
「その沈黙は、憐れみか? 蔑みか? 何か言えよ……何か」
魔人は彼の問いかけに、冷たい沈黙で応えた。背中から伸びる触手が地面を叩き、まるでウォルターを挑発しているかのようだった。触手の魔人の態度に、ウォルターは奮い立った。
「何とか言えよ……ッ、この野郎!!!!」
軋む体を無理やり動かし、ウォルターは立ち上がる。
頭部や身体に受けたダメージが回復しきっていない状態で、更に強烈な叩きつけを食らった為に彼の体は限界に近かった。だがウォルターは杖を構え、触手の魔人と再び対峙した。
「……」
「喋りたくないならそれでいい。ただし……もう命乞いは聞いてやらないからな」
彼にまだ戦闘の意思が残っている事を確認した魔人は、背中から伸びる触手を広げて戦闘態勢を取った。伸びる触手は大きな黒い翼のような意匠を描き、その姿はまるで死を告げる黒い天使のようにも見えた。
この触手を何とか無力化しなければ、魔人にまともなダメージを与える事も出来ない。
130年前に戦った触手の獣ことデアヴォロソ・ケイルスは触手を四肢の代わりとしていたが故に、移動と攻撃を同時に行う事ができない弱点があった。攻撃に触手を割きすぎると、身体を支える役割を担う触手が減って足元が不安定になり、かといって移動用に触手を割くと攻撃に転じる為の触手が減少する。また、ケイルスの触手は魔法を弾き飛ばせるだけの強度と靭性をもっていなかった。黒い触手の波状攻撃やそれに混じって伸びてくる赤い触手に注意して攻撃を凌ぎつつ、的確に魔法で触手を破壊していく事で弱体化させ、最後に胴体を破壊してようやく倒すことが出来た。
しかし、触手の魔人は違う。人のような手足でしっかりとその身体を支え、触手は魔法を片手間に弾く攻防一体の凶悪な武器と化している。更にデアヴォロソ種特有の生殖器の役割を担う赤い触手も備えている為、その危険性はケイルスの比ではない。彼はパイデスとは直接交戦していないのでその優劣はつけ難いが、恐らくはそれと同等以上の脅威であろう……。
(こいつは一体何だ、何故今になって現れた!? 何を狙っている……!!?)
魔人は近似種と思われるケイルスがウォルターに討伐された直後にその姿を現し、当時の彼と交戦した後に姿を消した。恐らくはこの魔人もケイルスと共に門から現れ、二体は同時に屋敷に侵入したと考えるのが自然である。
しかしそれならば何故、魔人は近似種である筈のケイルスの加勢に現れなかったのだろうか。
姿が大幅に異なる事から、この二体は敵対関係にあったとも考えられるが……やはり不可解な点は多い。何より、最初の遭遇から『130年後の11月15日』に突如として出現した理由も意図も全く見当がつかない。
(残る杖はこの一本……、せめてもう一本あれば)
ウォルターが思案を巡らせている時、先に攻勢に出たのは魔人の方だった。一斉に触手を前方に突き出し、魔人はウォルターを攻撃する。先手を取られた彼は咄嗟に青く半透明なシールド状の防御魔法で攻撃を防ぐも殺到する触手の勢いに圧され、そのまま壁に押し固められてしまう。少しずつ壁にめり込み、ウォルターは苦悶の表情を浮かべる。
「ぐ……ッッそぉおお……ッ!!」
(駄目だ……、押し負ける!)
連戦による疲労や蓄積したダメージで、既に意識を保つのが精一杯という程に追い詰められていたウォルターは成す術なく押し負けていた。
「はっ……はっはっ! これは……キツイなぁ!!」
情けなさのあまり自然と笑みがこぼれる……そしてキャロラインが自分から近づいてきた時、何故その場で彼女を殺さなかったのか、どうして殺すつもりだった彼女を触手から庇ってしまったのかと自問自答を繰り返した。
(僕は、覚悟してきたんじゃないのか? 13人目の彼女が死んだ時にもう迷いは捨てたんじゃなかったのか、今までずっと殺し続けてきたのに、まだ諦めきれないのか……!!!)
どんなに冷徹な自分を装っても、ウォルターはキャロラインへの情を捨てられなかった。彼は紛うことなき畜生眼鏡だが、かといって非情にもなりきれない中途半端な男であったのだ。
長い時を生きようとも、彼の内面は……
「ははっ……全く、嫌になる
「何で負けそうになってんだよ、御主人────ッ!!!!」
何処かから聞こえた、クロの声。彼女はウォルターがめり込んでいる建物の屋根から飛び出し、触手の魔人に強烈な飛び蹴りを食らわせる。彼女の攻撃をもろに受けた魔人はそのまま吹き飛び、近くにあった小屋の壁を突き破った。
「俺の御主人に何してくれんだ! 死ね!!」
「……あれ?」
「何だよ、御主人! 今日はなんかカッコ悪いぞ!!」
突然目の前にクロが現れた事に仰天し、ウォルターは目を見開いて呆然とする。
「あれ、クロ……? 何で?? 何で此処に
「あぁん!? そんなもん心配だからに決まってんだろうが!!」
「いや、どうやって僕の居場所が
「騒ぎを辿ればすぐわかるだろ! 街の騒ぎには、大体御主人が関わってんだからな!! 舐めてんのか!? どれだけ一緒に暮らしてると思ってんだコラ!!!」
「えぇ……」
「そうよ、私たちは貴方のことを誰よりも知っているんだから」
続いて彼の耳に入ってきたのは、ルナの優しい声だった。ウォルターは声が聞こえた方向を見て数秒硬直した後、力なく乾いた笑い声をあげた。
「あらあらあら、旦那様。なんて無様な姿を晒しておりますの? 今日は自分だけで何とかできるんじゃなくて??」
「全くですな。お一人ではベッドメイキングも満足に出来ないのに、何を思い上がっていたのでしょう……それにしてもカッコ悪いですなあ」
「彼の悪い癖だわ……本当に治らないんだから」
そこには、彼のファミリーがいた。マリアは精一杯の侮蔑の眼差しをウォルターに向け、アーサーもゴミを見るような目で彼を見る。ルナも実に不機嫌そうな表情を浮かべており……
「ウォルター? すぐに終わるんじゃなかったの??」
「あ、いやその……
「適当なことを言って誤魔化したの? ひどいわ」
「待って、これには理由が
「なー? 御主人の言葉は信用できねえんだよ。一人にしたら何やらかすかわっかんねーもんだしなぁ!!」
「いやいやいや、君ほどじゃ
「はー、ほんと……幻滅しましたわ! もう本当にありえませんわ!! 旦那様はああいうプレイがお好きなんですのね!!!」
「……」
「まぁ、性癖は人それぞれですからな。さすがは旦那様、私には到底理解できませんが」
パートナーや使用人の歯に衣着せぬ言葉の数々に心が折れたウォルターは、普段の姿からは想像もできないような弱々しい声で心情を吐露した……。
「そろそろ泣きそうだよ、僕……」
「泣いていいのよ?」「泣けよ」「うふふ、どうぞご自由に」「情けなさ十割増しになりますがね」
ファミリー達の愛の込もった叱咤激励にトドメを刺されたウォルターはがっくりと頭を下げる。そして彼は肩を震わせて笑った。今日は本当になんて日だ……と心の中で叫んだ。
「ははははっ、やっぱり君たちは最高だよ」
愛するファミリーの言葉で少し気が楽になったウォルターは再び立ち上がる。再起した眼鏡の姿を見て、双子の兎と使用人達は小さく笑ってウォルターに歩み寄った。
「今日の貴方は最低だけどね」
「だなぁ、帰ったらお仕置きルートだわ」
「うふふふ、旦那様。最高に気持ち悪いですわ」
「最低な旦那様をサポートするのは、最高の使用人として当然のことです」
吹き飛ばされた魔人が突っ込んだ小屋の中から無数の触手が伸びてくる。それは黒い蛇の群れのようにウォルター達に襲いかかるが────
「ルナ、僕から離れるなよ」
「はい、ウォルター」
「はっ! 何だよ、気持ち悪いもん出しやがって!!」
「さぁ、アーサー君の出番ですわ。皆の盾になりなさい?」
「ははは、御冗談を。おばさん先輩の方が余分な脂肪があるので肉壁に向いてますぞ?」
ウォルターはルナを庇いながら衝撃の魔法で、クロは脚を大胆に上げた蹴り技で、マリアは素手のビンタで、アーサーも流れるような手捌きで、次々と襲い来る触手を退けた。
魔人は静かに突き破った穴の中から姿を現し、触手で不機嫌そうに周囲を叩きながら彼等を見つめる……
「そうだね、130年前には居なかったからね……今更だけど紹介しよう」
「……!」
「彼らが 僕の自慢のファミリーだ」
魔人に向けてその言葉を言い放つウォルターの顔には、いつもの爽やかな笑顔が浮かんでいた。
やはり紅茶は偉大です。




