6☆
時刻は正午を過ぎた頃、リンボ・シティ11番街の大通りにて
〈ヴァギャアアアアアアアアアアアア!!〉
「くそっ! 俺たちじゃもう無理だ、抑えられない!!」
「撤退だ! 撤退しろー!!」
機械と生物が歪に混ざりあった蜥蜴のような怪獣が街中で暴れまわる。駆けつけた警官達や特殊部隊の攻撃を受けても怪物は怯むこと無く暴れ続け、周囲に多大な被害を齎していた。
「ええ、こちらリンボ・シティ11番街です! 見てください、街のど真ん中に何かヤバイ生き物が突然現れて大暴れしています!!」
「こら、君! ここは危ないから離れなさい!!」
「ちょっと今、オンエア中だから邪魔しないで! こんなにいい絵を間近で撮れるなんて滅多にないんだから!!」
「命のほうが大事だろ、バカヤローが!!」
騒ぎを聞きつけた異人のニュースリポーターが自分の身を気遣う警官の声を無視してニュース中継を続けている。
「……何なんですか、アレは」
「見ての通り、化物だな」
「いえいえいえいえ、あんなのがいきなり出てくるとかおかしいでしょ!?」
暴れまわる怪物を前に動転する若い刑事。彼はこの街に最近転勤してきたばかりであり、あのような怪物を間近で見るのは初めてだ。
「……何もおかしくはないさ。この街はそういう所だからな」
刑事が目の前の現実を受け入れられずに本気で混乱する一方、アレックス警部はさも見慣れた光景であるかのように落ち着いた表情で言った。
「何で冷静なんですか、警部!? あんなの相手に一体どうしたら」
「とりあえず……俺たちは逃げるぞ」
「えっ!?」
「ボサッとするな! ほら、走れ! 死ぬぞ!!」
警部は走って逃げ、若い刑事も彼を追うようにしてその場を離れる。
他の警官達も『こいつは手に負えないな』と判断するや即撤退し、ギリギリまで粘っていた女性リポーターを含めたテレビ報道陣もようやく命の危険を察して大慌てで逃げ出した。
〈ヴァギャァァァァアアアアアア!〉
機械の怪獣は体から金属の触手で周辺の車両や逃げ惑う人々を突き刺し、ガバリと大きく開いた口に放り込んで捕食する。中の人ごと車がバキバキと噛み砕かれる音が響き渡り、11番街は更なるパニックに陥っていた。
「うわぁぁぁぁ! あいつ、車っ……車ごと人を食ってますよぉおお!!」
「あぁ、畜生! いつになったら来るんだよ、あの野郎!!」
「あの野郎って!?」
「さっき電話した助っ人だよ!!」
〈ヴァァァァアアアアアア!!〉
「わぁぁあああ、こっちに来るぅううううー!!」
怪獣は体から伸びる機械の触手で車や民間人を捕食しながら象のように太い四肢で街を蹂躙し、必死に逃げるアレックス警部と若い刑事を狙って触手を伸ばす……
その時、彼らのすぐ隣を白く輝く光の弾丸が横切った。
「え、今の……」
「ヤバイ、伏せろ!!」
警部は急に立ち止まり、若い刑事を強引に地面に押し倒す。白い光弾は怪獣に命中するとその醜悪な巨体に一瞬だけ白く発光する魔法陣を浮かび上がらせ、直後に大爆発を引き起こした。
「うおおおっ!」
「うわぁあああああっ!?」
距離を置いて地面に伏せていた警部達すら軽く転がりまわる程の爆発を受けて怪獣は大きく怯む。
「やっと来やがったか……あのクソメガネ」
「けっ、警部……今のは」
「あぁ!? 決まってるだろ、魔法だよ!!」
警部達に向かって猛スピードで道路を直進してくる黒塗りの高級車……その窓から身を乗り出して杖を構えるのは、アンテナのような癖毛を揺らす眼鏡の魔法使い。
「お見事です、旦那様」
「お世辞はいいよ。あと少し道を逸れてくれ、このまま行くと大切な友人がタイヤの染みになる」
「言われずとも」
老執事は静かにハンドルを切り、警部達を撥ねる寸前で回避する。猛スピードですれ違うウォルターのにんまりとした笑顔を見て、警部は反射的に拳を突き出しそうになったが何とか堪えた。
「……さて、やるか」
ウォルターは再び杖を構える。小銃を模った魔法杖の先端が発光し、初弾に続けて二発、三発、四発と白い光弾を連射する。放たれた光弾は怪獣の体に全弾命中し、白い魔法陣を浮かび上がらせた後に連鎖爆発を起こす。
〈ヴァギャァァァァアアアアアア!〉
怪獣は絶叫し、その巨体を大きく仰け反らせながら転倒する。隣の高層ビルを巻き込みながら機械の巨獣は倒れ、そのまま自分の体で倒壊させたビルの下敷きになってしまった。
「うん、いいね。この杖を持ってきてよかった」
彼が手にする杖はリー・エンフィールドMK-Ⅴライフル杖。
その名の通り杖がボルトアクション・ライフルの形を模しており、持ち手も銃のグリップ状になっている。歴史的名杖【リー・エンフィールド】の後期改良型で、生産数の少なさや既に生産が終了している事も相まって数あるライフル杖の中でもかなりの貴重品である。
老執事は車を停め、ウォルターはそのまま車から降りる。杖のボルトハンドルを引くと内部から焼けた小型の杖が排出され、コトンと音を立てて地面に落ちた。
「色んな杖を使ってきたが、やっぱり今でもこの杖が手に馴染むよ」
「そんなに違うものですか」
「違うさ。昔の友達が設計した杖の改良型だからね、僕にとっては思い出の魔法杖さ」
「成る程、それは素晴らしいですな。旦那様が気に入るのもわかる気がします」
老執事の返答にウォルターはふふりと笑う。コートの中から新しい術包杖を取り出して杖の中に入れてリロードし、怪獣が埋まった瓦礫の山に杖先を向ける。
「先程の魔法で仕留めたのでは?」
「さてね、あれで仕留めきれたならそれで構わないんだが……」
瓦礫の中から数本の触手がウォルター達に向かって伸びる。
「どうやらそうもいかないらしい」
ウォルターは目前に迫る触手に狙いを定めて青白い光の弾丸のような魔法を連射し、一本一本正確に撃ち落として対処した。
「先程のものと比べると地味な魔法ですな」
「はっはっ、ここまで接近した相手にアレを使うとこっちも吹き飛ぶだろ?」
「その魔法の名前は……光魔の速射弾でしたか。 旦那様の十八番ですな」
「いいや、その上位版。これは光魔の穿甲弾……ああいう見るからに堅そうな相手には」
「そうでございましたか。私にはどちらも同じ魔法にしか見えませんがね」
魔法について詳しく説明しようとするウォルターの話を老執事はその一言で切り上げる。自分から言い出した癖に勝手に会話を終わらせる老執事に何とも言えない視線を向けたのと同時に怪獣は咆哮しながら起き上がり、ボロボロになった体を引き摺りながら此方に向かってくる。
「そんな姿になってもまだ動くのか。凄まじい執念だね、最近の若者に見習わせたいくらいだよ」
〈ヴァギャアアアアアアアアアアアアアアア!〉
ウォルターは杖を構え、道路を這いずる怪獣の頭部を狙い澄ます。
「でも、これでサヨナラだ」
怪獣に静かに別れを告げ、ウォルターは魔法を放つ。放たれた魔法は頭部に命中し、その顔面を吹き飛ばした。
頭を破壊された怪獣はドドォォンと大きな音を立てて地面に倒れ伏す。半分しか残っていない頭部から緑色の血を吹き出し、ビクンビクンと痙攣する醜悪な肉塊を見てウォルターは顔をしかめた。
「さて、後始末は協会の人たちや警察に任せて僕らは帰ろうか」
「お疲れ様です、旦那様」
「うぉぉおーい!」
屋敷に帰ろうとしたウォルターの所に警部達が息を切らせながら走り寄る。
「……終わったのか!?」
「見ての通りさ」
「そうか……ハァ……ハァ……良かった」
「それじゃ、後始末は頼んだよ警部」
「いや、俺にどうしろと……」
「瓦礫を運ぶお手伝いくらいは出来るだろ?」
「……」
怖い顔で睨む警部から視線を逸らし、ウォルターは携帯を取り出し、何処かに連絡を取る。
「ああもしもし、僕だよ。今から……」
相手に何かを伝えようとした時、上空をヘリコプターが通り過ぎる。機体を真っ白の塗料で染め上げ、胴部に生命の樹の紋様が刻まれたその機体は魔導協会が所有するものだ。
「おいおいおい、何だアイツは!? 何の冗談だ!?」
上空から怪獣の姿を目の当たりにしたスコットは目を見開いて驚愕する。
「……ったく、本当に今日は厄日だな!」
「でも、どうしてダウンしてるんだ?」
「理由はわかりませんけど相手は相当弱っているみたいです。これなら今の俺たちでも何とか……」
「何とかするしかないからな。よし、やるぞ! お前たち、気合入れろよ!!」
ヘリコプターに乗るスコットを含めた数人の魔法使いは身を乗り出して長いステッキ状の魔法杖を構え、怪獣に狙いを定める……
「杖が焼き付くまで、ブチ込んでやれ!!」
気合の入ったスコットの叫びを合図に、杖先に魔法陣を浮かび上がらせながら一斉に魔法を放つ。
上空から放たれる多属性が入り交じる魔法掃射は怪獣の身体に直撃し、眩いばかりの閃光と共に爆発音とも破裂音とも炸裂音とも付かない とにかくうるさいだけ の轟音を街中に響かせながらトドメを刺した……
「……ああ、すまない。もう終わったよ。え? あの子を連れてこっちに向かってる?」
「相変わらず女性は時間にルーズですな。仕事はもう片付いたというのに」
「……」
【11番外に出現した大怪獣、駆けつけた魔導協会職員の活躍で討伐される!】
今日の夕刊の見出しを想像しながらウォルターは通話を切り、車のボンネットにもたれ掛かる。若い刑事は暫く呆然としていたが、ふと何かを決心したのか深呼吸して気持ちを落ち着かせた後、ハッキリとした声で警部に言った。
「アレックス警部……転属早々、大変申し訳ないですが」
「ああ、辞表なら受け付けないぞ。こっちは年中人手不足なんでな」
「えっ」
「安心しろ、トラウマを克服する方法なら沢山ある。後で教えてやろう」
「……う、うううっ!」
退職願をあっさりと受取拒否され、ついに感情のキャパシティオーバーを引き起こして咽び泣く若い刑事を宥めながらアレックス警部は重い溜息をつく。
「まぁ……別にいいか。あの子たちが到着したら一緒に屋敷まで帰ろう」
「よろしいのですか?」
「正直に言うと納得できないけどね」
いち早く駆けつけて怪獣を退治したのは自分なのに、手柄だけが彼らに持っていかれた……等と考えていたら怪獣の周辺を包む土煙から機械の触手が空に向かって伸び、協会のヘリコプターを捕縛してそのまま地上に引きずり下ろす。
「あっ」「おや」「はっ?」「えっ?」
一瞬、周囲がピカッと明るくなった後に鳴り響く爆発音。続けて聞こえてくるのは地面を這うような低い唸り声と、街全体を揺るがすような強い振動……
《ヴォォオオオオオオオオオオオオオオオン!》
そして街を震わす雄叫びと共に、以前よりもガッシリとした体格に変異した怪獣が土煙の中から出現する。
頭部を破壊された怪獣は半死状態になりながらも近場に乗り捨てられた車や周囲の建物の金属部品を取り込み続けていた。上空から魔法の集中砲火を受けながらも食事と修復を繰り返し、ついには魔法のエネルギーの一部すら取り込んでより強大な怪物へと進化してしまった……
《ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!》
まさかの強化復活を果たした半機械の災厄は、更に凶悪な形状に変化した触手を振り乱しながらウォルターに迫る。
「……別れの挨拶をしたのに食い下がるヤツは嫌われるよ?」
ウォルターはトレードマークである眼鏡を曇らせ、あのデカブツのしぶとさに心底辟易とする。
「ヘリに乗っていた方々の心配はしなくてよいのですか?」
「ああ、協会の魔法使いは多分大丈夫だよ……それよりも」
《ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!》
「今はこっちの心配をするべきだね。特にこの二人の」
撃墜されたヘリコプターに乗っていた魔法使いの安否について軽くスルーし、ウォルターは老執事に自分達の身を案じるように言う。
「警部、新入りくんと一緒に車に乗ってくれ」
「……あ、ああ。おい、しっかりしろ! 早く車に乗るんだ!」
「あんなの……一体、どうするんですか……」
警部は軽く放心状態に陥った若い刑事を車に押し込んだ後に自分も乗り込む。そしてドアを閉じる前に、ウォルターに問いかけた。
「……どうにかできるのか? アイツは見るからにヤバそうな相手だぞ」
「ウォルターお兄ちゃんを信じろよ。君は小さい頃からずっと僕を見てきたじゃないか」
警部の問いかけに、ウォルター達は笑顔で答えた。だがそんな余裕の笑顔を浮かべる彼の足元に小さな亀裂が入る。
「旦那様!」
「!!」
一瞬早く気づいた老執事の警告を受けてウォルターは大きく後退る。足元の亀裂から機械の触手が突き出し、彼の構える杖に巻きついて強引に奪い取った。
「ああっ! 僕のリー・エンフィールドMK-Ⅴがっ!!」
お気に入りの杖をへし折られてウォルターは憤慨し、コートの中から二本の短い魔法杖を取り出して触手を撃ち抜く。
「お前ぇーっ!!」
《ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!》
「その杖はかなり気に入っているんだぞ!? とっくに製造が終了したそのライフル杖を手に入れるのに僕がどれだけ苦労してると思って……痛ァ!!」
老執事はハンドル近くのボタンを押し、助手席のドアを勢い良く開けてそのままウォルターの背中を殴打する。
「旦那様、車にお戻り下さい」
「……」
「そうですか。では旦那様、お達者で……」
「まだ何も言ってないよ!?」
不機嫌そうにウォルターが助手席に乗り込んだと同時に老執事は車を全速力でバックさせる。
「……」
「……何だい、警部? 僕に言いたいことがあるなら言ってくれ」
「ううん、別に? 一瞬でもお前をカッコいいと思った自分が嫌になっただけだ」
「はっはっ、どうも。最近のアレックスくんは厳しいや」
後部座席に座る警部の心底落胆したかのような、本気でショックを受けているかのような何とも切なげな視線を振り払いながら、ウォルターは追ってくる怪獣に杖を向けた。