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その頃、ウォルター邸ではルナ達がウォルターの帰りを待っていた。
「死亡した、大型魔導具メーカー『R.G.C社』の会長、ライザー・レイバック氏の葬儀が昨日執り行われました。彼の葬儀には親族や多数の著名人が出席しており」
「……遅いわね」
「ご主人の言うことは間に受けちゃいけねーよ?」
「もしかして、何かあったのかしら」
「どうだろな。何かあっても今日だけは一人でやりたいらしいんだよな」
二人はリビングのソファーに深く腰掛け、ニュースを流し見しながら憂鬱な表情を浮かべている。相変わらずクロは下着姿のままで、マリアに用意された着替えに手をつける様子もない。
「クロ様、そろそろお着替えになられたら如何ですの?」
「んー? めんどくせえ」
「いい歳どころか、年齢三桁越えちゃってるレディが下着姿で胡座をかくのは痛々しいですわ。女を捨ててしまうのも仕方ないお年かもしれませんが、少しは気にしてくださいな」
「喧嘩売ってんのか、腹黒冷血女給ゴリラ」
「悔しかったらさっさとお着替えなさってくださいませ」
マリアに急かされ、渋々と服を着るクロ。用意された服は、黒地のフリルパーカーとデニム生地のミニスカート。動きやすい服装を好む彼女は、ルナのようなワンピース服やドレスといった女性らしさを強調するものはあまり着ようとはしない。
「うふふふ、お似合いですわ」
「そっかー、もっと動きやすいのがいいんだけど」
「クロは可愛いから、何を着ても似合うわね」
「お前に言われると気になるわ……」
クロはルナに褒められても素直に喜べなかった。何とも言えない表情でルナの身体を見つめるクロを見て、マリアはくすりと笑った。
「対抗意識が芽生えるのはクロ様が女である証拠ですわね。……少し安心いたしましたわ」
「安心って何だよ!」
「だって……ねぇ? ルナ様」
「そうね、ふふふ」
「二人して何だよぉ!! 傷つくだろぉ!?」
和気藹々としながら時を過ごす彼女達とは対照的に、リンボ・シティは極度の緊張状態に包まれていた。
マッケンジー邸での即時処理が失敗し、キャロラインが街中を逃走しているという状況はまさに緊急事態であり一刻の猶予も争う。魔導協会所属の魔法使い達は総出でシティ中を捜索し、警察、治安部隊、果ては情報屋にまで協力を要請して彼女の行方を追っている。エイトが手を差し伸べた相手は、それ程までに危険な存在でもあるのだ。
しかし、彼女自身に危険な能力や潜在的な脅威が秘められているのではない。父親からの遺伝で魔法に対して優れた適正を持っているが、協会が危機感を抱く程ではない。その精神に異常がある訳でもなく、彼女そのものは至って普通の少女なのだ。
◆
「……うーん、参ったな。こりゃ地下道使った方がいいかもなあ」
「……」
「大丈夫か?」
「放っておいてよ……」
「ああ、もう気にしてねえよ。安物のジャンパーが台無しになっただけだし」
「……最ッッッ低!!!!」
路地の片隅にある朽ちかけた小屋に身を潜めるエイトとキャロライン。小屋の作りは簡素そのもので、所々に空いた小さな穴や隙間からは冷たい風が吹き込んできた。ボロボロの椅子に座り、キャロラインは膝を手で摩って寒さに耐えている。
「ちょいと脚見せてみな。それと右腕も」
「な、何するの!?」
「怪我してんだろ? 手当して
「いやあっ!」
「あだっ!!」
彼女の怪我の具合を心配し、手当をしようとしたエイトの顔面に鋭い蹴りが入る。彼に他意はないが、年頃の少女にとって見知らぬ相手にデリケートな脚部を気安く触られるのは我慢ならないようだ。
「いてーな! 何すんだ!!」
「こっちの台詞よ! この変態!!」
「怪我したままだと走れねえだろ!? いいから見せろ!」
「や、やめなさいよ!」
「手当したあとならもう一発くらい蹴られてやるよ!!」
「いやぁああー!!」
半ば強引に脚を取られ、キャロラインは恥ずかしさと屈辱のあまり顔を手で覆う。身体の痺れは殆ど収まっており、もう少しすれば走れるようにもなるだろう。彼女は隙をついてエイトから逃げ出す決意をした。
「……あ?」
「~っ!!!」
「何だよお前、怪我なんてしてないじゃねえか! 脚を怪我して倒れてたのかと思ったのによ……おら、右腕もみせろ!」
「え……っ?」
「はい、怪我なーし。この血はなんですか? 血糊ですか?? 馬鹿にしやがって!!」
エイトの言葉を聞いてキャロラインは困惑した。右腕は怪物の触手に貫かれて負傷していたし、屋敷から裸足で逃げ出した為、足裏は深く傷ついていた。それこそ途中から出来た血の足跡を追って、ウォルターが彼女の居た場所へと辿り着いた程だ。いつの間にか痛みは感じなくなっていたが、それは痺れる魔法を受けて痛覚が麻痺しているからだと彼女は思っていたのだ……
「嘘……本当に治ってる」
「え、何? 倒れて動けないフリしてたの??」
「違う……痛くてもう走れないくらいだったの。動けなくなったのは多分、魔法のせいだけど……」
「ふーん……」
彼女は片脚をあげ、足裏をしきりに摩りながら確認していた。年頃の可憐な少女が魅惑的な脚を大胆に持ち上げる艶かしい姿をエイトは暫く凝視していたが、その視線に気づいたキャロラインは顔を真っ赤にして
「何見てるのよ! 変態!!」
「ん? いやあ、綺麗な脚だなと」
「この……ッ!!!」
「羨ましいね、自分の脚で歩けるってのは」
エイトは寂しげに笑いながらぽつりと呟いた。彼の発言が気になったのか、キャロラインはエイトに聞き返す。
「……何よ、脚くらい誰にでもついてるでしょ」
「俺の脚は、もうねえんだ。失くなっちまったよ」
「ちゃんとついてるじゃない、変なこと言わないで」
「ああ、一応な。でも、こうなってる」
エイトはズボンの裾をまくり、彼女に脚を見せた。彼の脚はまるで機械のようになっており、中から小さな駆動音が聞こえてくる。表面は冷たく、鏡のように磨き上げられキャロラインの驚いた表情をはっきりと映し出した。
「何……これ」
「義足だよ、失くなった脚の代わりだ」
「まさか……両脚とも?」
「うん、両脚ともいっぺんに失くなった。自業自得だけどな……中々堪えたよ」
裾を戻し、エイトは立ち上がる。この小屋は人目に付かない場所にあるがこのまま隠れてもいずれ見つかってしまうだろう。
「このまま真っ直ぐ突っ切れば俺の職場なんだけどなぁ。表には人が居るよなぁ絶対……」
「……」
キャロラインの身体はもう殆ど全快の状態にあった。エイトの視線は自分から逸れているし、今すぐ走り出せば彼から逃げ切れるかも知れない。しかし、逃げ切ったところでどうすればいいのだろう。この街は、自分の覚えている街とは大幅に異なっていた。
勢いに任せて飛び出したところで、迷子になってしまったら元も子もない。それに、自分を襲った魔法使いの仲間に見つかってしまえば今度こそ無事では済まない。
「どうしたら……いいのよ……」
「何が?」
「私、これからどうしたらいいの……?」
「さぁな、今は俺と逃げるしかねえな」
「貴方と逃げたら? 貴方と逃げたら何かが変わるって言うの!?」
「まぁ、すぐに殺されることはないだろうな。あの魔法使いは魔導協会の奴だ、下手に街を逃げ回ったところですぐお仲間に捕まってアウトだよ?」
「魔導協会……?」
彼女はその組織名に心当たりがあった。彼女の父、クレイン・マッケンジーも魔導協会に所属しており、彼に連れられて家族で本営を訪れた事もある。だが、父が所属していた組織に自分の命が狙われているという事実は彼女には到底受け入れられないものだった。
「嘘よ……だって、パパは魔導協会の魔法使いなのよ!?」
「おいおい、冗談はよせよ。魔導協会ほど、身内に甘い奴らもいないぜ?」
「だったら、貴方が嘘をついてるのね! そうよ、やっぱり貴方は……
「しーっ! 声が大きい!!」
小屋の外から物音が聞こえた。今の声が聞こえてしまったかもしれない。エイトはキャロラインの口を抑え、息を潜める。誰かが小屋の前を通り過ぎたようだ。
「……ッ!」
「俺は、嘘はつかねえよ。アンタを襲った奴は協会所属の魔法使いだ」
「ぷはっ……、嘘よ、嘘……だって……」
「まぁ、理由はどうあれアンタは奴らに追われてる。それも殺されかけるくらいだ……普通じゃねえよな」
「私、私……ふっ……ぐっ……ッ!!!」
「大丈夫か?」
キャロラインはショックのせいか思わず口を抑える。彼女の瞳には大粒の涙が浮かび、小刻みに肩が震えている。そんな彼女を見かねたのか、エイトはジャケットを脱いで震えるキャロラインにそっと被せた。
「な、何よ……」
「いや? 寒くて震えてんのかと」
「……こんなので凌げるわけ、ないでしょ」
「無いよりマシだろ。んじゃあ……あー、名前なんて言うの?」
「……」
「俺はエイトだ。れっきとした人間だよ、安心してくれ」
「キャロライン……」
「あ? 何??」
「キャロラインよ! キャロライン・マッケンジー!!」
「なんだ、いい名前じゃないか。じゃあ、イチかバチか小屋を出て職場まで走りますか」
怒っているのか、照れているのか、何とも言えない真っ赤な顔をしながら彼女はジャケットを着込んだ。ジャンパーがちょっとした理由で汚れて脱ぎ捨ててしまった為、エイトはカッターシャツに薄手のベストという軽装になっている。寒そうである。
「さーて、走れるか?」
「……」
「だよな、おら乗りな。背負ってやる」
「……変なところ触らないでよ、触ったら許さないから」
「わかってるって、安心しろよ。こう見えて女の扱いは心得てるんだ」
キャロラインは躊躇しながらも身を屈めて待つエイトの首元に手を回し、彼の背に身体を密着させた。気を許してもいない男の指が自分の太ももに触れ、少々喰い込ませながらゆっくりと身体を持ち上げる……その恥ずかしさのあまり彼女の顔はまた真っ赤に染まる。キャロラインの年齢は17歳。この歳になって誰かに背負われる事になるとは思いもしなかったであろう。ましてやさっき出会ったばかりのエイトに。
「~ッッ!!!」
「暴れんなよ? あと首も絞めるなよ??」
「いいから! 早く進んで!!」
「あいよ、キャロラインさん」
小屋のドアを蹴破り、エイトは周囲を確認する。どうやらこの路地にはまだ捜索の手は伸びていないようだ。この路地を真っ直ぐ進むと彼の職場であるバーがある。しかし、その店に行く為にはこの路地を抜け、大通りを跨いだ先にある別の路地に入らなければならない。
「それじゃ、突っ切るか」
「大丈夫よね??」
「俺はもう、大丈夫だと思うことにした。あんたは?」
「……」
「だよな、じゃあ行くぞ!!」
「ま、待って、やっぱり……はううううううーっ!!」
エイトは勢いよく駆け出した。ここからは見えないが、恐らく大通りには魔法使いや警察関係者が巡回しているだろう。地下道を進む手もあるが、かなり遠回りになってしまう。また、衛生上の難点に加えてその他諸々の問題が山済みで、とても裸足の女性が通れる道ではない。何より、大通りさえ突破してしまえば後はどうにでもなるからだ。
やがて薄暗い路地を抜け、二人は大通りに飛び出す。エイトは瞬時に周りを見渡す……丁度通りすぎたのか、それともマッケンジー邸の近くを重点的に見回っているのかは不明だがその大通りに魔法使い達の姿はなかった。
「よしっ……!!!!」
エイトは一気に大通りを駆け抜け、路地に飛び込んだ。この路地は複雑に入り組んでおり、隠れる場所や相手を撒くポイントはいくらでもある。エイトは一先ず安堵したが、そんな彼等の前に何者かが立ち塞がった。
「おわっと……、危ねぇな!」
「やぁ、エイト君。元気そうだね」
「なんだ、ウォルターさんか。丁度良かった、今俺たち困っててさー」
「……!!!!」
二人の前に現れたのは、ウォルター・バートンだった。
彼は実に機嫌が良さそうな口調でエイトに話しかける。薄暗い路地の中、エイト達から少し距離を空けた場所に立っているのでその表情までは窺えず、特徴的な丸メガネだけが怪しく光を反射していた。
「僕も困っていたところさ、いやぁ助かったよエイト君」
「ん? どうしたんd
「駄目、エイト! 逃げて!!」
「あ?」
「すまないね、彼女は置いていってもらう」
その言葉と同時に、彼はエイトに向けて魔法を放つ。それはキャロラインが受けたものと同じ、『麻痺の魔法』。直撃を受けたエイトはそのまま倒れこみ、身動きが取れなくなる。
「……え? ちょっ……何だよ、何するんだよ!」
「だから謝っただろ? 安心してくれ、少しすればまた動けるようになる」
「エイト……ッ!!」
「キャロル、駄目じゃないか。逃げたりしちゃ……」
「ひっ……!」
ウォルターはキャロラインに声をかける。路地の隙間から差し込んだ陽の光に晒された彼の表情はいつものように優しげな笑顔だったが、彼女から見たそれは正に『悪魔の笑み』そのものだった。
「どうしてよ……どうしてこんなことするの!?」
「すまない」
「わからないよ……私は、私は!」
「君は何もわからなくていい……君は何も悪くないんだ」
笑う眼鏡は、彼女に杖を向けて言い放った。ぞっとする程に優しい声で。
「だから、もう死んでくれ」




