4
紅茶を飲むのが好きですが、自分で紅茶を淹れる一手間が楽しいのが理由の一つでもあります。
時刻は午前10時50分。マッケンジー邸前には魔法使いや警官隊の増援、そして救急隊が到着していた。先程の異世界種との戦闘で犠牲者は出なかったが、多くの負傷者を出してしまっている。
「本当に、気に入らないよ……」
屋敷の外でウォルターは不機嫌そうに足を鳴らす……先程の戦闘で彼の杖は二本とも使用不能になり、残る魔法杖は保険として持ってきた一本だけとなっていた。
世界広しと言えども、ここまで魔法杖の消耗が激しい魔法使いは彼くらいのものだろう。
「あの……ウォルター・バートン。報告を
「話しかけない方がいいぞ。見ての通り、そいつは今すっごい機嫌が悪いから」
話を聞こうとした協会の男性職員を制止する、濃い金髪の見事な天然パーマが特徴の眼鏡の男性。彼は協会関係者ではなく、魔法使いでもないがとある事情で呼び出されたのである。眼鏡の男は気怠げに頭を掻き、咥えていた煙草にマッチで火を点けた。
「ふー……。で、例の灰色の天使は何処いった?」
「さぁ、街をお散歩したい気分なんじゃないかな」
「まさか、あのウォルター・バートン大先生が、たかが動物一匹にムキになって本命のカワイ子ちゃんを取り逃がしましたと? キツいジョークだ」
「その通りだよ、先生。君は推理力も抜群だね、今から探偵にでも転職したらどうかな?」
「いいや、俺は医者で食っていく。アンタと一緒で自分の仕事に誇りを持ってるからな……、おっとアンタは金と余裕が有るから仕事しなくてもいいんだったな」
「患者を殺した数のほうが多い医者も考え物だけどね。余裕のある生活が羨ましいなら、君も客の選り好みはやめて真面目な医者になったらどうだね? すぐにでもお金持ちになれるだろうさ」
皮肉を皮肉で返し合う眼鏡達と、その光景をうんざりした目で見る協会職員とアレックス警部。実はこの二人、特に仲が悪い訳ではないが相性が非常に悪い。
「ルナたんやクロたんはどうしたん?」
「ん? 今日は屋敷でお留守番中だけど、それが何か問題でも?」
「いや別に? 顔を見たかっただけ」
「そういう君こそ、かわいい助手ちゃんはどうしたんだい?」
「一人は診療所のベッドで寝てる。もう一人は仕事中だ、それがどうかしたか?」
「君と一緒に外に出るのは嫌そうだからね、仕方ないね」
人間社会を斜めどころか複雑怪奇に捻じれ曲がった視点で眺め、弄れた人生観に申し訳程度の人情味を併せ持つ彼等が出会うとどうなるか それは見ての通りだ。要するに二人が揃うと面倒くさいのである。
「ブレンダさんはどうしたんです?」
「あー、ブレンダは二日酔いでダウンしてるらしい。だからオレが来た」
「今年もですか……」
「うん。一昨年のアレが相当トラウマになってるらしくてな」
年若い魔法使いはその眼鏡の男性に聞いた。本来、この場に来る筈だったのは協会の生物班所属のブレンダである。この案件は門から現れた異世界種が関与している為、その道のエキスパートである彼女が呼ばれるのは当然の事だ。だが、彼女は此処に来るのを毎回躊躇している。損傷の激しい死体や、ひどい怪我を負い苦しむ人の姿を見ても物怖じしないブレンダでも、耐えきれない程の悲劇が此処で毎年起きているのだろう……。
「天使が此処にいないんじゃ、とんだ無駄足だったな」
「何を言っているんだ君は。患者が目の前に沢山いるじゃないか、その誇れる技術で助けてあげたまえよ『Dr.キース』大先生?」
「男はサービス対象外だ。治療費高くつくよ?」
「女の子なら?」
「条件によっちゃ治療費最大90%OFFだ」
「さすがDr.変態眼鏡大先生、虫唾が突き抜けて吐き気がするよ」
彼の名前はキース・クランチ。13番街に小さな診療所を構える、30歳独身の闇医者だ。
豊富な医学知識と神が宿っているとしか思えない天才的技術を持ち、その気になれば僅かな例外を除き、どんなに困難な手術であろうとも片手間に成功させてしまうリンボ・シティでも頭一つ突き抜けた名医である。
「そうだな、一人3万L$。一括前払いな」
「えっ、それは」
「3万L$な。払えねえならオレは帰る」
法外な治療費に困惑する若い職員に向け、真顔で二回も請求するキース。名医なのは確かなのだが、その性格に多大な問題を抱えているのが最大の難点だ。
「全員で3万L$なら払おうか」
「一人で3万だよ?」
「全員で4万L$までなら払ってあげないこともないよ? どうする??」
ウォルターはキースにふてぶてしい態度で言う。キースの言葉は半分以上冗談だが、相手の反応によっては本気で多額の治療費を請求してくる。彼もまた、畜生眼鏡の称号を持つに相応しい曲者なのだ。
「一人でって言ってるだろうが。こっちはボランティアで闇医者やってるんじゃねえんだ」
「先生? 僕がその値段分の信頼を置いているのは、君の医療技術だけだ。それ以外に信頼できる物が一つでもあったら喜んで払っただろうさ」
「うわ、そこまで言う? 傷つくわー、精神的ショックで手が震えて治療失敗するかも」
「弁解があるなら後で聞くよ、じゃあ僕は彼女を探してくる」
「ちっ、5万L$な」
畜生眼鏡1号ことウォルターの鋭い一言に根負けし、キースは渋々引き受ける。負傷者の治療を彼に任せ、ウォルターはキャロラインの捜索に向かった。
「さて……、おう警部。何処か痛むところあるか?」
「俺よりも、こいつの足を何とかしてやってくれ。……変な風にしたら逮捕するからな」
「そこは信用してくれてもいんじゃないか」
「え、あの戻りますよね? この足」
「あんたの態度次第だな。あんまり疑うなら、その折れた片足だけを逆関節にしたまま歩けるようにしてやってもいいぞ?」
デューク刑事は彼の目を見て察した。このキースはウォルターと同じ目をしている……下手に口を出さない方が身の為だろう。畜生眼鏡2号との運命的な邂逅を果たした刑事は、軽度の眼鏡男恐怖症を抱えてしまう事になったという。
◆
午前11時、リンボ・シティ12番街の大通り
「彼女たちが逃げたのは何時頃だ?」
「50分頃にっ……すみません」
「あまり気に負うな……多分、俺でも殺せなかったと思うから」
「すみません……!」
「お前は立派だよ。俺なら……撃てなかった」
キャロラインを取り逃がし、消沈する褐色肌の魔法使いにスコットは励ましの言葉をかける。
協会に所属してから、彼は何度もこの案件に関わってきた。発した言葉の通りスコットは一度たりとも、キャロラインに向けて魔法を放つ事が出来なかった。言葉にできない沈痛な思いが胸中を抉り、鬱屈した表情になっている彼等に背後から何者が声をかけた。
「やぁ、スコッツ君。此処にいたのか」
「……よう、お前が逃がしたのか?」
「いいや。邪魔が入って取り逃がしたのは本当だけど、入らなかったらあの場で殺したさ」
「尊敬するよ、くそったれ」
ウォルターは軽い口調で言い放つ。彼の発した言葉は本当だ、邪魔さえ入らなければ躊躇せずにキャロラインを殺害していただろう。ずっと彼はこの日になるとそうして来たのだ。
「彼女を助けた男の特徴は覚えているか?」
「ええ、ぐっ……!」
「大丈夫かい? ……その調子じゃ肋骨が折れてそうだね」
「その男は、整えられた金色の短髪で紳士服を着ていました。身長は180cm程の若い痩せ型の男で……恐らくは人間だと思いますが……ッ!」
「わかった、今近くに例の医者が来てる。お前も手当して貰え」
「とんでもない脚力と強靭な足の持ち主で、蹴られた時は……まるでその足が鉄で出来ているように思えました」
「なるほど……。ありがとう、君は休んでいたまえ」
彼の供述を聞いて、ウォルターはキャロラインを助けた男性の目星がついたようだ。
「ははっ、本当に。彼はとことん面倒事に巻き込まれる男だねぇ」
「目星がついたのか? ウォルター」
「スコッツ君だって、本当はわかってるんじゃないのかい?」
「……まだそうと決まったわけじゃない」
「やっぱり君は、お爺さんのジェイムスにそっくりだよ。だが、それでいい」
満足そうに笑うと、ウォルターは一人歩き出した。そして小さく溜息を吐き、『彼』に向けて呟いた。何処か残念そうな、そして呆れたような何とも言えない笑みを浮かべて────
「さてエイト君、どうやら君への恩を返してもらうのは……予定よりずっと早くなりそうだ」
その頃、エイト達は12番街にある薄暗い路地を逃げていた。キャロラインはまだ身体が痺れて動けず、不本意ながら彼に担がれたまま大人しくしていた。表通りにはパトカーや魔法使いが巡回しており、下手に表に出れば瞬く間に捕まってしまうだろう……
「なるほどねえ……、警察や魔法使いさんはアンタを捜し回ってた訳か」
「……」
「何やったの?」
「何もしてないよ……、私が聞きたいくらいだもの!!」
「まー、記憶を封じて逃げてたっていう可能性もあるし? 後でそれも調べてみるか」
「記憶を封じ……何を言っているの?」
「リンボ・シティじゃよくあることさ。過去にやばいことをしでかした奴らが自分の記憶を消したり、顔を変えたり若返ったりして隠れ住むってのはな」
キャロラインは困惑した。彼が何を言っているのか理解できないからだ。
「リンボ……?」
「この街の名前だよ。何だよ嬢ちゃん、街の名前まで忘れちまったのか?」
「この街は、『ロンディノス・シティ』でしょう?」
「は? 何それ聞いたことない。ロンディノスって何だよ」
「何って……初代国王陛下の名前よ!? 貴方、そんなことも知らないの!!?」
自分の言葉に驚くキャロラインの言葉を聞いて、エイトも困惑した。
『この世界』のブリテン某国には君主制は既に存在していない。140年前の『グレートブリテン民主革命』によって王権や貴族制度そのものが衰退し、100年前に起きた『門災害』がトドメとなって君主政体という概念そのものが完全に崩壊してしまったのだ。リンボ・シティが存在した『向こう側』では100年前の時点では君主制に加えて貴族制度も健在であったが、今でも続いているかはわからない。
「ええと、まぁいいや……とりあえず俺の職場に逃げ込むか」
「……ねぇ」
「何だよ?」
「もしかして私、誘拐されてないかしら??」
キャロラインが発した一言を聞いて、エイトは一瞬沈黙する。じわじわと彼の額に汗が浮かび、物凄く嫌な予感が胸中を駆け巡っていく。
「ごめん、ちょっと何言ってんのかわからない」
「だって……貴方さっきから怪しいわ! 言ってること滅茶苦茶だし!! 暗い路地から出ようとしないし!!!」
「待てやコラ!助けてやったんだぞ!? 感謝の言葉もなしに何てこと言うんだテメー!!!」
「いやー! 助けてえええー!! 誘拐よー!!!」
助けられた恩を忘れ、キャロラインは路地で叫んだ。彼女からすれば気がつけば知り合いの眼鏡に殺されかけ、逃げた先で知らない魔法使いにまた殺されかけ、そして今は身体が動かないまま初対面の誰かに甲斐甲斐しく担がれて暗い路地を進んでいる……。
「誰か助けてええええええーっ!!」
自分の置かれている状況が把握できていないキャロラインからすれば、とりあえず想像できる中で最悪の事態を思い浮かべるのは当然だろう。
「おまえーっ! ふざけんなよ、さっきの魔法使いの仲間が来たらどうすんだよ!!」
「助けてぇえええー! パパーッ!!」
そんな状態の彼女が出来る事と言えばただ一つ、大声で助けを呼ぶ。これに尽きる。エイトからすればたまった物ではないが、自分から巻き込まれに行ったのだから頑張ってもらうしかないだろう。
「パパー……ッ! ゴホッゴホッ!!」
「今度は何!?」
「うう……っ、気分が……」
「おいやめろ、今は吐くな。吐くなよ!? 頼むよ!!?」
「ウグッ……」
「うぉおおおおおお! やめろおおおおおおおお!!」
彼女に続いてエイトも叫んだ。
その悲痛な叫び声は辛うじて表通りに漏れる事はなかったが、このままではすぐに二人は見つかってしまう。背面が妙に生暖かくなってしまっているが、相手は可憐な少女だ。深く問い詰めずに励ましの言葉をかけるのが紳士というものだろう……。
ある時、友人に話すと「面倒だから 午後茶でよくね?」と言われました。「そうだね」と返してしまった事が今になって悔しくて仕方ありません




