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紅茶に限らず、お茶という飲み物が好きです
ほぼ同刻、魔導協会本営 『賢者室』
「はい、わかりました。今すぐ増援を送ります」
「……」
「大賢者様……」
「わかっているわ、街全体に外出禁止令を発令して。それと、巡回している魔法使いに厳重警戒態勢を取らせて」
「……了解です」
「寧ろ今回のようなトラブルが今まで起きなかったことの方が、奇跡だったのかもしれないわね……」
窓から外を眺める大賢者は静かな口調で言った。サチコは連絡端末を取り出し、魔法使い達に連絡を入れる。サチコは表情こそ変えないが、その心境は辛いものであった。
キャロライン・マッケンジー。130年前に起きた異世界種による史上最悪の獣害事案『マッケンジー家獣害事件』……その最初の犠牲となった家族唯一の生き残りだ。そして、この事件が未だ解決されていない最大の要因でもある。あの場に居た警官隊は、彼女を屋敷の外に逃がさない為に包囲していたのであり、魔法使いは彼女が屋敷から逃げ出さない内に処理する為に派遣されたのだ。
「彼女が使用した『跳躍時計』は、まだ発見されていません。130年前の起点に置き忘れてきたと思われますが……」
「……今日までに跳躍時計が見つけられなかった以上、私たちが彼女に出来ることは一つしかないわ」
「……わかっています」
サチコの喉に苦い胃液が逆流してきたが、彼女はそれを飲み込んで耐えた。サチコも今日までに何度もこの日を経験しており、その度に心を磨り減らしてきた。だが大賢者やウォルターはサチコ以上に深く、そして長い間この案件に関わってきている。彼等はそのキャロラインやマッケンジー家と親交があったのだから……。
「貴女は、私たちを軽蔑するかしら? サチコ」
「私には……何も言えません」
「そう……」
大賢者はそれ以上何も言わず、ただただ窓の外の空を睨みつけていた。
◆
「はぁ……はぁ……!」
キャロラインはひたすら走って逃げていた。どれだけの距離を逃げたのか、彼女にはもうわからない。とにかく一刻も早く、そしてあの場から出来るだけ遠くに離れたかったのだ。
「何よ……、何なのよ……!」
息が切れたキャロラインは道端の街灯に力なく手をつき、その足を止めた。彼女の足裏は血まみれで、逃げてきた道路には血の足跡が出来ていた。右腕や足裏の怪我に加え、肌を切るような冷たい風は彼女の体力を容赦なく奪い取っていく。
「パパ、ママ、キャサリン、ルーク……」
キャロラインは家族の名前を思わず口にした。あの日、家の中に突然現れた『黒い獣』……魔法使いの父親を倒し、母親や妹、そして赤子だった弟に容赦なく襲いかかったあの悪魔の姿が脳裏に焼き付いて離れない。その獣は体から赤い触手を伸ばし、家族の体と自分の右腕を貫いた。
それはまさに一瞬の出来事だった。まるで嵐のように唐突に、悪い夢のように理不尽に、彼女の日常は瞬く間に崩壊してしまった。
「こんな道……知らない。まさか本当に……」
そして気がつけば、あの場所に居た。其処で彼女を待っていたのは……
「おい君……大丈夫か??」
「……ひっ!!」
背後から急に声をかけられ、キャロラインは悲鳴をあげる。震えながら振り向くと、そこには黒いコートを着た褐色肌の男性が立っていた。協会から派遣された魔法使いだ。
「あ、あの……私」
「落ち着いて……あれ、君は」
「あの……」
「……!!」
彼女の顔を見た途端、魔法使いの表情が変わる。そして何も言わずに杖を構えた、あのウォルターのように。見知らぬ魔法使いもまた、突き刺すような敵意をキャロラインに向ける。
「な、何なの……」
「そのまま動くな!」
「私が、何をしたっていうの!?」
「静かにしていろ……。応答願います、キャロライン・マッケンジーを発見しました。場所は
「私は……!!」
「大人しくしろ!!!」
一発、威嚇射撃のつもりだったのだろう。魔法使いは軽めの魔法をキャロラインの足元に向けて放った。命中はしなかったが、彼女の心を折るには十分だった。
「……」
「そうだ、大人しくするんだ……」
「どうして、こんなことをするの」
「何も言わないでくれ、頼む」
「もう嫌だ! もう限界!!」
「ま、待て!!」
キャロラインはたまらず走り出す。杖を構える魔法使いは、必死に声をかけるが彼女の足は止まらない……彼は覚悟を決めてその背中に狙いを定める。
「すまない……!」
褐色の魔法使いは彼女に向けて魔法を放つ。その魔法は逃げるキャロラインに命中し、彼女は力なく地面に倒れ付した。
「あ……うぅ……!!」
その魔法は殺傷力こそないが、命中した相手の身体を短時間麻痺させる効果を持つ。若い魔法使いは場合によっては彼女を処理することも命令されていたが、彼には出来なかった。
「……場所は12番街。リンボ・シティ第三図書館に続く大通りです、既に対象の無力化に成功しました」
『……殺したのか?』
「自分には……その」
『わかった、すぐに向かう』
彼は連絡端末を閉じ、地面に倒れるキャロラインに視線を戻す。視線の先ではいつの間にか現れた見知らぬ男が彼女を心配して声をかけていた。魔法使いは慌てて彼等に走り寄る。
「おいおい、大丈夫か? 嬢ちゃん」
「うぅ……!!」
「おい、君! 彼女から離れなさい!!」
「助けて……」
「へ?」
「彼女から離れるんだ!!」
倒れるキャロラインの側にしゃがみ込み、彼女に声をかける金髪で痩せ型の男。やや着崩した紳士服の上に薄いジャンパーを羽織った彼は、走り寄ってくる魔法使いを睨みつけた。
「酷いことするんだな? あんた」
「……仕方がないんだ」
「は? 何が??」
「いいから離れなさい、そして家に帰るんだ。彼女は我々が保護する」
「助けて、お願い……」
「保護? 保護だって?? おいおい、何処が保護だよ……やり過ぎだろ」
「彼女から、離れるんだ」
男は立ち上がり、自分を睨みつける魔法使いを見返した。そして彼は、物凄い勢いで魔法使いに頭を下げた。
「すみません、調子に乗りました! ほんとごめんなさい!!」
「いいんだ、早く家に帰りなさい……」
「助け……」
「じゃあ、俺はこれで───」
魔法使いの足めがけて金髪の男は鋭い蹴りを放つ。不意の攻撃を受けた魔法使いは足元をすくわれ、背中から地面に倒れ込んだ。
「ぐあっ、何を……!」
「ごめんな、恨むなよ!」
倒れる魔法使いの脇腹に軽く蹴りを入れる。軽めに放った筈の蹴りは深々とめり込み、その体を2m程吹き飛ばす……予想外の威力に蹴りを放った本人が動揺した。
「がふっ!!」
「だああっ! ごめえええん!! 許して!!!」
「あうう……」
「大丈夫か、嬢ちゃん!」
倒れるキャロラインを担ぎ上げ、その金髪の男は走り去る。脇腹にかなりのダメージを受けた魔法使いは立ち上がれず、咳き込みながら叫んだ。
「ま、待つんだ! ゴホゴホッ!! 彼女は────」
自分を呼び止める声に耳を貸さず、男は人気のない路地に脱兎の如く逃げ込んだ。
「……た、助けてくれるの?」
「あー、うん。ごめん深い意味は特にねえんだ」
「……??」
「体が勝手に動いた、悪い癖だ。別にアンタを助けたかったわけじゃねえと思う……」
「……何それ」
「とりあえず、今は逃げるのを手伝ってやるよ!!」
その男の名はエイト、この街に最近移り住んだ元運び屋の青年である。
「……ううっ」
「な、何だよ」
「酷い……何で、何で私がこんな目に遭うの……」
「……そういう時もあるさ。運がなかったんだよ、あんたは」
「毎日毎日、神様にお祈りしてるのに……」
「神様? ははっ、祈るだけ無駄だ。ただ祈っただけじゃ、神様は何も与えちゃくれねえよ」
啜り泣くキャロラインに軽い態度で言い放ち、エイトは暗い路地を逃げていった。
何故彼女を助けたのか、それは自分にもわからない。ただ考える前に身体が動いてしまった、彼が直そうと思っても直せない悪癖の一つだ。
ただし常飲するのは紅茶です




