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「警官隊、下がって!! そこは危険だ!!!」
「全員退避しろ、急げ! 急げー!!」
「ふざけやがってぇええええー!!!」
魔法使い達は杖を構え、警官隊にとにかく門から離れるように指示した。門からは獣のような呻き声が聞こえてきており、恐らくナニカがこちら側に這い出ようとしている事を容易に察知できた。ウォルターは思わず舌打ちし、彼等に対処を任せて屋敷の中に入ろうとする。
「此処は任せていいね? 僕は屋敷の中に入る」
「……お願いします。ウォルター・バートン」
「銃を構えつつ距離をとれ、何が出てくるかっ────」
警部が警官隊に声をかけた瞬間、彼の体が宙を舞った。門から突如現れた、赤黒く大きな腕が彼を殴り飛ばしたのだ。大柄な警部の身体はまるで人形のように軽々と打ち上げられ、ウォルターの目の前に落下した。
「警部!!!」
「くそっ、アレックス警部がやられた!!」
デューク刑事は思わずその腕に向かって拳銃を発砲する。それに続いて警官隊も手にした銃で攻撃するが、大したダメージは与えられていない。魔法使い達も杖に魔力を込め、門から這い出てきた怪物に狙いを定めていた。ウォルターは地面に叩きつけられて悶絶する警部に近づき、彼に手を差し出す。背後では何やら低い獣のような声と、銃声が聴こえてくるが眼鏡は振り向きもしなかった……。
《グルォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!》
「大丈夫かい? 警部」
「……大丈夫なわけないだろ!!」
「鍛えててよかったね。じゃあ、此処は任せるから後は
「うわああああー! 何だこいつは!!!」
「くそっ、化け物めええええ!!」
彼の背後では門から現れた何者かVS警官隊&魔法使い達の壮絶な戦いが繰り広げられていた。
魔法や銃弾が飛び交い、それを受けた何者かは獣のような雄叫びを上げて暴れまわる。そして何やら鈍い音と共に、誰かの悲鳴が聞こえてくる。
「頑張ってね、警部」
「そうだね、お前はそういう奴だったね。でもちょっと手を貸してくれると嬉しいな?」
「時間がないんだ、事が済んだら手伝うよ」
時刻は10時28分。急いで屋敷に入らなければいけない……30分になれば、屋敷の中に彼女が現れるのだから。
「ぐあああああああああああー!」
「腕がぁああー!!」
「ぎゃああああー!!!」
背後からは警官隊や魔法使いの悲鳴が聞こえてくる。どうやら、彼等には荷が重い相手のようだ。しかし優先度からすれば屋敷の中に現れる存在の方が上だ、戦っている皆様には申し訳ないが少し我慢してもらおう……断腸の思いでウォルターは歩を進めようとするが
《グギョアアアアアアアアアアアアアアア!!》
「……」
「くそっ、もういい!!」
警部は軋む身体を押して立ち上がり、拳銃を手に背後の怪物に立ち向かっていった。
「本当に……」
ウォルターは片足をトンと鳴らす。その様子から、彼は今非常に苛立っているであろう事が見て取れた。頭を強めに掻き毟り、深い溜息を吐いて片足を鳴らし続けている。
《グルアアアアアアアアアア! ヴェアアアアアアアアアア!!》
「何て奴だ……、あれだけの攻撃を受けてまだ動くのか!?」
「ぬわあああーっ!!」
「警部、無理しないでください!!」
「いいから此処は俺達がやるんだよ!!!」
時刻は10時29分……
「気に入らないよ……」
ウォルターはコートに手を忍ばせ、お馴染みの片手杖を取り出した。背後からは鈍い音が鳴り響いており、もしかすると彼等の中に犠牲者が出てしまっているかもしれない。
「くそっ!! しっかりしろ!!!」
「ぐっ……、足がやられました。すみません警部……俺
「これくらいなんだ、早く立てッ!!!!」
「え、あの……足折れて立てないんですけど
「アレックス警部! デューク刑事!! 危ない、逃げ
「少し静かにしてろ、耳障りだ」
その言葉と同時に杖を構えながら振り返り、ウォルターは魔法を放った。
放たれた魔法は小さな白い光弾となり、今まさに警部達を巨大な両腕で叩き潰そうとしていた赤黒いゴリラのような大型生物に命中し────
《ギャッ!!!!》
直撃と同時に爆発してその上半身を大きく焦がした。初撃に続けて二発目の光弾が放たれ、怪物に命中する。近くにいた警部達はその爆風に吹き飛ばされ、地面を転げ回った。
「気に入らない、気に入らない、気に入らない……」
ウォルターは苦しむ怪物の頭部に向けて、青白い光の弾丸を連射する。どうやらその赤黒いゴリラは魔法に対して強い耐性を持っているようだが、ダメージを受けない訳ではない。それでも魔法で瞬殺出来ない分、十分な驚異と言えるだろう……だが相手が悪かった。
「気に入らないから、死んでしまえ」
呼吸を整え、赤黒い怪物の頭部に向けて一発の魔法を放つ。放たれた魔法はまるで青い閃光のように一直線に伸び、怪物の額を貫いた。既に両目は潰れ、何処が鼻だか口なのかも分からない程に怪物の顔面は徹底的に破壊されていたが、その一撃が決め手となった。怪物は力なく倒れ、少し痙攣したあと動かなくなる……。
「……ひでえな」
「あの人、怒るとやばいんですね……」
畜生眼鏡の無慈悲な顔面集中攻撃に、助けられた警部達もドン引きしていた。ウォルターは呆然とする彼等を一瞥すると
「君たち、もう少し頑張ってくれないか? 頼むから」
苛立ちが滲んだ眼差しで睨みをきかせながら言い放ち、ウォルターは足早に屋敷の中に入っていった。時刻は10時31分過ぎ……『その時間』から、1分以上もオーバーしてしまった。
屋敷の中は修復され、生前のマッケンジー家が愛した温かみのある空間に戻っていた。問題なく住む事も出来るだろうが、誰もこの屋敷を買い取ろうとはしない。今でこそ人が住めるようになっているが、130年前のこの場所こそが終わらない悪夢の発端となったのだから。
「……」
ウォルターは息を殺し、屋敷の中の様子を伺う……微かにリビングの方から物音が聞こえる。彼は足音を立てないように静かな歩調で進んだ。
「……やぁ、そこにいたのか。キャロライン」
「ひっ……!」
リビングにあるダイニングテーブルの下で、一人の少女が震えながら隠れていた。
「僕だよ、覚えているだろう?」
「ウォルター……さん??」
彼の声を聞いて机の下に隠れていた少女『キャロライン・マッケンジー』は姿を現した。
彼女の髪は父親譲りの薄い灰色の長髪で、瞳は母親譲りの淡い紫色。服装は妙に古めかしく、今時の少女が身に着けるには少し古すぎる感のあるS字シルエットのドレスだ。お洒落なハウススリッパを履いているが何らかの拍子に脱げてしまったのか、片方は裸足となっていた。
「な、何が起きてるの? パパは? ママは? ……私の家族は何処にいるの??」
「ああ、大丈夫。みんな一緒にいるよ……」
キャロラインは何故か右上腕部を負傷しており、左手で傷を抑えている。その表情も恐怖に支配され、ひどく怯えている様子だった。
まるで先程まで何者かに襲われていたかのように……。
「庭で、庭で何をしていたの!? 銃声と爆発の音が聞こえたわ……それに、それに」
「大丈夫、安心してくれキャロル。すぐに皆に会える」
「あの、あの怪物は……」
「キャロル、そいつはもう僕が倒した。君たちを襲った奴はもうこの世にいない」
キャロラインはウォルターの言葉を聞いていたが、何故か震えが止まらなかった。彼の表情は笑顔であったが、その瞳は笑っていなかったのだから。
「そう……、じゃあウォルターさん。皆に会わせて」
「ああ、わかった」
その言葉を聞いたウォルターは、彼女に片手杖を向ける。
「え?」
「……」
「ウォルター……さん??」
「すまない、僕たちにはまだこうする以外に……君を救う方法はないんだ」
「何を、言っているの?」
「許してくれとは言わない」
キャロラインは察した。彼は本気だ、本気で自分を殺そうとしている。
震えながら後退るが、足が上手く動かない。幼い頃から優しくしてくれた彼の豹変に、彼女はただ絶望するしかなかった。ウォルターは杖に魔力を込め、今まさにキャロラインに向けて魔法を放とうとした……
「ウォルター!! 気をつけろ、そっちに行ったぞー!!!」
屋敷の外から聞こえてきた、警部の叫び声。彼の声が聞こえたと同時に、何者かが屋敷の壁を突き破って現れる。その何者かは、先程倒した赤黒い怪物だった。
《グアアアアアアアアアアオオーッ!!!》
「何!!?」
ウォルターは怪物に気を取られ、キャロラインから目を逸らしてしまった。その隙をついて彼女は逃げ出し、すぐに気づいたウォルターも逃げる彼女に向けて魔法を放った。
「キャロル!! 駄目だ、君はッ……!!!」
「……ッ!!!」
キャロラインは悲鳴を噛み殺し、身を屈めてウォルターが放つ魔法から逃れながら屋敷の裏口から外に飛び出す。外に出た際にもう片方のスリッパも脱げてしまったが、彼女はそのまま裸足で走り去った。
「キャロル……、くそっ!!」
ウォルターは歯を食いしばり、目の前に現れた怪物を睨みつける。徹底的に破壊された筈の顔面は再生しており、真っ赤な双眸は燃え滾らんばかりの怒りを宿しながらウォルターを睨みつけた。
「何だね、その眼は?」
《グルルルルルルルル!!》
「僕が気に入らないのか? ん??」
《グルルッ、グルァアアアアアアアアアアアアアア!!!》
「上等だ、この不細工ゴリラゾンビが!!!!」
空いた左手でコートから予備の魔法杖を取り出し、迫り来る怪物に向けてウォルターは魔法を連射する。怪物の咆哮は、屋敷の外で傷つき倒れる警官隊や魔法使い達にもハッキリと聞こえた。
「あのタフネスに再生能力持ちとか、嫌がらせか」
「警部、門がまだ閉じてないんですけど……アイツの仲間が出てきたりしませんよね?」
「出てきたらそれこそ遺書の出番だな」
「……用意してませんよ、そんなの」
キャロラインは彼等の死角である裏口から逃げ出し、彼女が屋敷から逃げたという事実はウォルターしか知り得なかった。そして彼も執拗に自分を狙う怪物に邪魔され、キャロラインを追う事ができない……。
「警部―ッ!! 裏口だっ、裏口からっ……!!!」
《グオオオオオオオオオッ!!!》
「ああ……畜生! 最悪だ、最悪だよ!! 今日は!!!」
《グオオオオアアアアアアアアアアアアア!!!》
「うるさい、死ね! お前のせいだぞ責任とれよ、赤黒腐れ霊長類モドキが!!」
ウォルターは憤怒の感情を顕にし、彼らしからぬ罵詈雑言の嵐をぶちまけながら魔法を連射する。青白い光の弾丸が赤黒い怪物に殺到するが、傷つくと同時に再生が始まってしまう。
「ああぁぁぁぁぁぁ! もう、何なんだその身体はッ!! ふざけているのか!!?」
常軌を逸したタフネスと巨大な両腕を武器に暴れまわる怪物を前に、ウォルターの怒りは頂点に達する。
怪物の攻撃を回避して少し距離をとり、両手に持つ杖にありったけの魔力を込めて狙いを定めた。エンフィールド型の特徴であるシリンダーを模した小型機関が青い光を放ちながら高速回転し、二本の杖先に青白い魔法陣が発生する。それに呼応するかのように彼の周囲に光の粒のようなものが浮遊し始め────
「もういい、もう沢山だ! 全力でお前を消し尽くす!!!」
その言葉と共に、二本の太く青白い光線が杖から放たれる。その光線はウォルターに飛びかかってきた怪物の胴体を一瞬で蒸発させ、そのまま屋根を突き破った。
「消えろ、消えろ、消えろ、全部消えろ! 消えてしまえ!!」
怒れる眼鏡は叫びながら光線魔法を連発し、ついに怪物の肉体は欠片も残らずに蒸発する。
この魔法は本来ならば片手杖で放つようなものではなく、下手に使用すればまず間違いなく杖が駄目になってしまう奥の手の一つだ。しかし完全にキレていた彼は、杖が焼け切れてしまう事もお構いなしにその魔法を使用してしまった。
「わー……」
「わー……」
「うわー……」
お洒落な屋敷の中から眩い閃光が次々と青空を突き抜けていく様を、警部含む警官隊や魔法使い達が唖然としながら眺めていた。
「……警部、あの人やっぱり規格外なんですね」
「今頃実感したのか。そうだよ、あいつこそ本物の化物だよ」
「これが、ウォルター・バートンの魔法……」
問題の門は収縮し、やがて消滅した。門が開いていたのは僅か13分程で、現れた訪問者も一体だけであったがそれでも深刻な損害を彼等に与えた。
屋敷を包囲していた警官隊や魔法使いは全員が先程の戦闘で疲弊し、本命である筈のキャロラインを今から追いかけるのはもはや無理だろう。神の悪意ある悪戯としか思えない、絶望的な不運の連続に警部も乾いた笑いを上げるしかなかった。
「はっはっはっ、どうするんだ? この状況。俺は暫く走れないぞ……、どいつも似たようなもんか」
「俺もです警部。足が折れて変な方向に曲がってます……ちゃんと戻りますよね?」
「生きてさえいたら、大体何とかなる。この街じゃ
「くっ……、こちら『キャロライン処理班』! 本営、聞こえますか!?」
「ところで警部……結局、屋敷の中で何が起きたんですか?」
デューク刑事は気になっていた事を警部に聞くが、彼は目を曇らせた後に視線を逸らした。




