エピローグ
記憶泥棒事件、それは人の記憶を盗むおかしな泥棒が起こした騒動。
真犯人は記憶を奪う黒い鏡の中にいた、白い全身タイツの人ですわ。あの滑稽ながらも絶妙に気持ち悪いお姿はちょっとやそっとでは忘れられません……。
でもその方は、旦那様達の愛が篭った歓迎の儀を受けて改心し、最後は被害者の方々全ての記憶を開放した後に光になりました。綺麗でしたわねえ、あの金色の流れ星。
あんまりにも綺麗で、虫唾が走りそうになる光景でしたわ。あら失礼、言葉が過ぎました。
そうそう、その翌日の話なのですが……旦那様とゲインズおじ様が魔導協会の方々に捕縛されてしまいました。朝早くにお泊りしていたビッグ・バードに協会所属の魔法使い達が押し寄せてきましたの。
寝起きのゲインズおじ様は状況が理解できないご様子で、困った顔をしながら連れて行かれました。完全に二日酔いのお顔でしたわねえ、ご愁傷様ですわ。
「どうして、ウェルターが連れて行かれるの?」
「ええと、旦那様はちょっとした騒ぎを起こしてしまいまして……」
「おかしいわ、マリア。あの人が捕まるなんて間違ってる……ところで此処はどこかしら」
ルナ様は旦那様が連れて行かれる様子を、悲しげな表情で見ていました。あの杖を使った事で、ここ二ヶ月間のルナ様の記憶は失われてしまっています。何とか事情を話して落ち着かせようとしたのですが……難しいですわねえ。
「要するに、あのオッサンが全部悪かったって事なのか?」
「どうなんでしょう……、面白い人だったのに」
「ぅぁー…..ぁたまぃたぁぃ…….しぬぅ…….」
「大丈夫ですか……ええと」
「ェィトです…..ヴッ!!!!」
「ああー! 待って!! 此処で吐かないで!!!」
カズヒコ様やシャーリーさん、あと誰だったかしら……旦那様のお友達も吐きそうな顔で見送っていました。そのお友達さんはカズヒコ様に担がれてお手洗いに投げ込まれましたが。
え、アーサー君? 知りませんわ。死んだんじゃないかしら??
スコットさんと新人さんは連絡が来ていたそうですけど、爆睡して気付かなかったそうですわ。あの様子では仕方ないですわね……協会の方々が着た途端、飛び起きてお互いの頭をぶつけていましたが。ブレンダ様はどうやっても起きなくてそのまま寝かされていましたわ。
結局のところ、この事件はあのゲインズおじ様によって引き起こされたという事らしいのです。旦那様には詳しくお聞きしようとしましたが、口を硬く閉ざして何も教えてくれませんの……鏡の中で何があったのでしょうね。
旦那様は大賢者様にこっ酷く叱られた後、棚に飾られていた杖を全部没収されて一週間の外出禁止を命じられました。杖は旦那様がお屋敷に戻ってくる前に、いつの間にか協会の方々が接収していったようです。ご帰宅なされた旦那様にその事をお伝えした時の顔はもう……玩具を取り上げられた子犬のように可愛らしくて、思わず笑みが溢れてしまいましたわぁ。
尚、屋敷の地下にある杖は無事だった御様子です。不幸中の幸いですわね。
旦那様はというと、収監施設に入れられるのも覚悟の上だったようです。一応は街を守る為でしたし、何より巨人を倒す決め手の一つとなったのは旦那様とルナ様が力を合わせて放ったあの魔法でありましたので……そこを評価されて事なきを得たそうですわ。
大賢者様も口では責め立てつつも、何だかんだで旦那様に甘いですわねえ。
でもお気に入りの杖を取られた上に、外出禁止令を食らった旦那様は暫く落ち込んでいましたわ。何やら怪しい魔法で行動を制限されて、本当に一週間外に出られなくなったそうですの。魔法にも色んな種類があるのですね。何の為にあるのかもわからない、色物もたくさんあるようですし……
◇
「ああ……、少し勿体無かったですわねぇ」
旦那様が外出禁止令を受けてから一週間後、私は朝食後の後片付けをしながら無意識に呟いてしまいました。
「ん? どうしたんだいマリア」
「何でもございませんわ」
リビングのソファーで寛ぐ旦那様に私の呟きが聞こえたようですわ。
「ああ、例の鏡かい?」
「何も言ってませんのよ」
「だろうね、だから聞いただけだよ」
ああ、この話し方が嫌ですの。そうです、私はあの黒い手鏡にまだ未練がありました。もう壊されてしまいましたので、今更どうしようもないのですが……。
「忘れたほうがいいよ、それが君のためだ」
「マリアは記憶力も優れていますの、一度覚えたことはそう簡単に忘れませんのよー」
「おやおや、マリアさん。その割にはいつまでたっても料理の腕が上達いたしませんが、何故でしょうか??」
多大なお世話ですわ。何でこういう時に限って現れるんですか、アーサー君は。ずっとそのままゴミ出しに勤しんでいればいいのに。きっと、何処かで顔を出すタイミングを見計らっているのですわ、やだわやだわやだわ……。
「あらぁ、アーサー君。今日はまっすぐ帰って来れたのねぇ? 心配してましたのよお」
「ご心配ありがとうございます、マリアおばさん。もう大丈夫ですので」
「うふふふ、お爺ちゃんなんだから無理しないの。本当はそろそろガタガタなのでしょう?」
「はっはっはっ、あと30年は現役ですよ? おばさんは既に駄目かもしれませんが」
おばさん呼ばわりは、おばあちゃん呼ばわりよりも何故か屈辱的です。どうしてかしら? おばあちゃんと呼ばれると女である事に諦めがつくからでしょうか? どう思います??
アーサー君と睨み合っている頃、テレビのニュースから聞き覚えのある名前が出てきました。灰色の肌と綺麗な少年のような瞳がチャーミングな男性キャスターが、ゲインズおじ様に起こった不幸についてお知らせしていました。
「本日の朝7時頃、リンボ・シティ中央収監施設で服役中だったゲインズ・グレイマー氏が死亡しているのが職員に発見されました。体に目立った外傷はなく、死因は突発性の心臓麻痺と」
「あらあら、おじ様死んでしまいましたの??」
「おやおや、残念ですな……。彼とはいい飲み仲間になれそうだったのですが」
「ふたり仲良く昏倒する様は傑作でしたわよ~、白目をむいて泡を吹いて……」
「はっはっはっ、それもまた良い思い出です。そういう貴女も今朝は裸で屋敷内を」
「アーサー君?」
「事実ですよ?」
好きで裸のまま飛び出したのではありませんわ。あれはですね、洗面所に忌々しい悪魔の申し子が突如として降臨なされたせいですの。私は悪くありません。駆除を怠ったアーサー君が悪いんですわ、アーサー君のせいですの。
「本当に仲良しね、二人共」
「ああ、もう準備はいいのかい?」
「ええ、大丈夫よ。あの子は起きないけど……」
お着替えを終えたルナ様がやってまいりました。今日のお洋服は白いゴシックロリータ風ドレスで、髪型は珍しくストレートに伸ばしています。本当にルナ様は白い色がお好きで、とにかく身につけるものは出来るだけ白で纏めたいようですのよ。うふふ、確かにお似合いですが その雰囲気もあって少し儚く見えてしまいますね。
ところで、仲良しというのはどういう事でございましょうか。誰が? 私が?? 誰と???
「アーサー、車を用意してくれ。ちょっと友人を迎えに行ってくる」
「かしこまりました、旦那様」
「ウォルター、どんな人なの?」
「ああ、まぁ……面白い奴さ」
私は、アーサー君の車に乗せられて『お友達の所』に向かう旦那様達をお見送りしました。そこまで仲が良さそうにも見えなかったのに、旦那様も何だかんだで甘いですわね。
◇
午前9時 リンボ・シティ中央収監施設『魔導協会関係者専用出入り口前』
「やぁ、ゲインズくん。元気そうじゃないか」
「ううむ、まだ胸のあたりが痛むのだが。あと頭痛が……」
「無理やり心臓を止めて短時間仮死状態にする薬だからね、生き返れるかどうかも五分五分だし」
「え、それは」
旦那様は、ゲインズおじ様と一緒に連行される時に彼にあるものを手渡していました。
それはMGS製薬開発の仮死薬。その中でも特に強力なもので、使用すると文字通り一定時間死んでしまうものなのだそうですわ。これは秘密組織や外の世界の諜報員が最後の手段として使用するもので、一般流通には載っていないグレーゾーンどころか文字通りのレッドゾーンを攻めるお薬だそうですの。蘇生率は5割といったところで、下手をすると一定時間が経過しても意識が戻らずにそのまま昇天してしまうそうですわ。
「……」
「ゲインズくん?」
「吾輩は……誰なのだろう?」
「本当に誰なのかしら。私、貴方のこと知らないわ」
「さあね、ゲインズ・グレイマーは死んだことになってる。そうだろう? スコッツ君」
「……バレたら俺、クビどころじゃ済まないんだが」
それで終わりではなくて、魔導協会内部にも協力者がいました。スコットさんに頼んで、おじ様の死体の引き取りを申し出るようお願いします。そして、おじ様そっくりの顔に整形した何方かの死体と入れ替えて頂きます。当然ながらこのままでは、その後の諸々の検査に引っかかる事になるでしょうが、それは第二の協力者にスルーして頂きます。
「ゲインズ・グレイマーは、鏡の中で死んだ。僕が殺してきた」
「……そうかね」
「そして、記憶泥棒ゲインズ・バック・ゲイザーも今日死んだ」
「なら、吾輩は?」
「それは、君が決めるといい」
「で、俺はこのゲインズ・グレイマーみたいな誰かを運んでいくわけか……よくブレンダさんも協力してくれたよ」
ゲインズおじ様は確かにこの事件の元凶ですが、同時に最大の被害者でもあります。
辛い過去の記憶に囚われた誰かを救う為に趣味で動いていたはずが、自分こそが過去の記憶に囚われ、良いように利用されていたのですから。色々と擁護できないところもございますが。
「吾輩は……」
「過去は、昨日で終わった」
「!?」
「未来は今日から始まる、そうだろう?」
「ふふっ、ウォルターはすっかりそれが口癖になったのね。素敵な言葉だと思うわ」
「……ははははっ、それは誰からの受け売りだい?」
「君だよ。この言葉は、君の本心からの言葉だろう?」
「……今、自分の名前を思いついたんだ。聞いてくれるかね?」
そこから、彼がどうなったのかはわかりません。顔を変え、新しい名前を手に入れて、今もどこかで人をイラつかせながら逞しく生きているのでしょう。そうそう、最近あの店に新しい常連の方がいらっしゃるようになったそうですわね……ふふふふっ。
私の名前はマリア。色々と事情があって、ファミリーネームはお教え出来ませんの。
皆様は、どう思いますか? 過去の思い出が、素敵なものだと思われますか??
私は、そうは思いません。ええもう大嫌いです、忘れられるなら綺麗さっぱり忘れてしまいたいですわ。……でも、今の私には過去を忘れる勇気はありませんの。
不思議ですわね、こんなにも忌み嫌っているのに……いざ本気で捨てられるとなると、立ち止まってしまうのですわ。
うふふふ、自分でも煮え切らないと思います。だから今は、このままでいいんですの。
過去を忘れたら、あの人と過ごした夜の事も忘れてしまうんですもの
chapter.5 「Tomorrow is another day」 end....