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最近、紅茶とデーツが主な栄養源になりつつあります。
「ご覧下さい! 凄い……、あの巨人に向けて大勢の魔法使い達が一斉攻撃を行っています!!」
テレビには民家の窓から身を乗り出し、興奮した様子で実況するジャスミンさんと、周囲に展開した魔法使い達の総攻撃を受ける白い巨人の姿が映し出されている。
「凄い! 凄いよ、お姉さん!! 見て、あんなに凄いの……僕 初めて見たよ!!」
少年カズヒコは眩しい笑顔を浮かべながらシャーリーに言う。
シャーリーもその光景に釘付けになっていた。最初に巨人を貫いた魔法はウォルターがウヴリの白杖から放ったものだ。それはルナがまた、自分達の事を忘れてしまうのを意味していた。
「ウォルターさん……」
「お姉さん……?」
「あ……っ、何でもないわ」
シャーリーは彼に悲しげな表情を見せないよう必死に笑顔を作った。
「これは先輩の分! これは!! 目の前でイチャつかれる所を延々と見せられた分!!! そしてこれは!!!! 未だ彼女ができない俺の恨みだぁあああああああ!!!!!」
ロイドは溜まりに溜まったストレスを手にした長杖に込め、超高温の熱線を連発していた。すぐに杖先は焼き切れたが、その度に杖係として待機しているゲインズに新しい杖を手渡され、続けて魔法を放った。アーサーと大賢者は静かに彼の背中を見守る。
「貴女は、魔法を使わないのですか?」
「私はね、事情があって自分の意思で戦闘には参加出来ないの。それに、今は大事に育てた教え子たちの頑張る姿を見ていたいのよ……ふふふ」
「いやいや……、吾輩は段々とあの巨人が可哀想に思えてきたよ」
「くたばれえええええ! クソメガネェエエエエエエエ!! ふざけるナァァァァァアアアアアアアア―!!!」
「……相当鬱憤が溜まっていたのだね、君」
段々とウォルターへの嫉妬しか叫ばなくなっていたが、ここまで彼を追い詰めたのはあの巨人でもあるので、ここは甘んじて受け入れてもらおう。
「アンタのせいよ!! アンタのせいでブレンダさんがああなって、知らないおじさんやおばさんに泣きつかれて……、私は様子を見に行っただけなのに! だけなのにぃいいいいい!!」
「うおおおおおおおおー!!」
「この世界から出て行けぇー!!!」
サチコもヘリの上で魔法を連射していた。その表情には思いっきり感情が浮かび上がっており、同乗する魔法使い達も彼女に同調して叫びながら魔法を放つが
「……皆さん、今日のことは口外しないようにお願いしますね」
「あ、はい」
「お願いしますね?」
「あ、はい」
不意に冷静になるサチコの顔を見て何とも複雑な気分になった。表情に出ないだけで、彼女もまた年頃の女性という事である。まだ若いサチコにとって大賢者専属秘書官とは、それ程までに気苦労が絶えないウルトラハードな立ち位置なのだろう。
しかし、周囲に展開していた魔法使い達の魔力も尽きてきたのか、徐々に攻撃の手が緩んでいく。巨人の体は既に穴だらけで、白い肌の大部分は剥がれて黒い内部が露出している。彼も完全に心が折れたのか、その顔は苦しげで両腕はだらりと垂れ下がり、徐々に彼の体が暗雲に引きずり込まれていく……どうやら逃げようとしているらしい。
「ははっ! 何だよおい、もう帰んのかよ」
「情けないですわねー。ではクロ様、決めちゃってください」
その広場から真っ直ぐ伸びる道路の先で待機しているクロとマリア。クロは両手を地面に付け、クラウチングスタートの体制を取る。彼女の魔力に反応し、ブーツ型の魔導具から彼女の脚部全体に緑色の光る筋が伸びていく。そしてマリアは彼女から離れ、静かにバイクに跨る。
「んじゃあ、頼むわマリア……間に合うよな?」
「ふふふっ、お任せ下さい。ちゃんとキャッチしてあげますから」
その言葉を聞いてにんまりと笑うと、クロは白い巨人を見据えて言う。
「んじゃま、遊んでやるよ! 白タイツのオッサン!!」
地面を力強く蹴って走り出す。地面には大きな亀裂が走り、クロは風のように駆け抜けた。どう考えても人間が、地球上の生物が到達しうる速度を超えたスピードで巨人に向かって一直線に走っていく。彼女は笑いながら、彼の顔面めがけて飛び上がる。彼女の体は摩擦熱で赤熱化しており、衣服は徐々に燃え尽きていった。
「これは挨拶代わりだ! 受け取りなーッ!!」
クロは強化された脚力で助走をつけた勢いと全体重、そして更に摩擦熱を加えた超強烈な飛び蹴りを巨人の顔面に食らわせる。彼の目には最後に何が映ったのか、それは飛び蹴りを受けた彼にしかわからない。嫌な音を立てながら、ピンと伸びたクロの右足は顔面を抉っていき
「よく来たな、はじめまして────それじゃあ 死ね!!!!」
その言葉と共に、クロは巨人の顔を貫通した。彼女が装着していた魔導具は耐久値を遥かに上回る負荷に耐えきれずに砕け散り、透き通るような白く美しい足先が顕になる。服が燃え尽き、魔導具が砕けてしまう程の加速を乗せた規格外の飛び蹴りを放ったというのに、その足に目立った外傷は見当たらなかった……。
《ぎゃぁあああああああああああああああああ!!!!》
巨人は一際大きな叫び声をあげ、ぽっかりと穴が空いた顔を両手で覆って苦しむ。顔面を蹴り破ったクロは笑いながらゆっくりと落下し、彼女の眩しい裸体は広場を囲うように集結していた魔法使い達、そして民家の窓から外を覗く住民達や報道陣達の眼にしっかりと焼き付いた。
「クロ様ぁあああああー!!」
落ちていく彼女を目指してマリアは借り受けたバイクで爆走していく。しかし、思った以上にクロの落下速度が早い。彼女は今、地上数百mの高さから落下しており、流石にそのまま地面に叩きつけられれば無事では済まない。
「ああもう、仕方ありませんわね!!」
このままでは間に合わない───そう悟ったマリアは、バイクのステップから片脚を上げて座席のシートを踏みしめる。そしてハンドルから手を離し、走行中のバイクの座席を蹴って勢いよく跳躍した。空中に躍り出たマリアの背中から黒い蝙蝠のような大きな翼が生え、彼女はクロ目掛けてバイク以上のスピードで飛翔する。ふと視線を下に向けると、借り物のバイクがド派手にクラッシュする様子がちらりと見えた……。
(ああ、勿体無い……。素敵な子でしたのに)
黒い翼を生やして空を飛ぶマリアの姿はとても美しく、彼女の姿を近くのヘリから見ていた少年アーサーも思わず言葉を失くした。彼の視線に気づいたのか、マリアもアーサーの顔を見た。ほんの一瞬すれ違っただけだが、彼女にとってはその極僅かな時間でも十分だった。
刹那の瞬間、少年のような瞳で自分を凝視するアーサーに 少し照れ臭い笑みを向けて
(そんな目で見られるのは、あの夜以来ですわよ……アーサー君)
そう心の中で呟き、マリアは落下していくクロを空中でキャッチした。すぐ近くでは白い巨人が大声をあげて苦しんでいたが、その場に集った者達の視線は彼女達に釘付けとなった。
「……苦しいんだけど。お前やっぱ、乳デカ過ぎ」
「うふふふ、これは母性の表れですわ。お疲れ様でした……クロ様」
「へへへっ」
マリアの胸に顔を埋めて、クロは満足気に笑った。顔面に開いた穴から広がっていくように巨人の体に亀裂が走る。そして亀裂はやがて、彼の上半身全てを覆い尽くし……
《あああああああああああああああああ!!!!》
最後の断末魔を上げた瞬間、その体は砕け散った。巨人の破片は地面に落ちる前にボロボロに崩れて消滅し、上空を覆う暗雲が突然眩い光を放つ。
巨人が滅ぼされたのと同時に、鏡の世界にも異変が起きた。
「うおっ、眩しっ!!」
「これは……」
「え、何? 何が起きたの!?」
「光になってるよ! 俺たち!!」
草原に取り残された記憶達の体が、突然金色の光に包まれる。そしてスコット、ブレンダ、そして塔の周りに集まった大勢の人達が空に吸い込まれるようにして姿を消した。
「ああ、やっと帰れるのか。待たせてごめんな……」
カズヒコも吸い込まれるようにして、空の彼方へ飛び立つ。その姿を見ていた白いゲインズは残念そうに笑うと、塔の中に戻ろうとするがエイトは彼を呼び止める。
「おい……、どこ行くんだ?」
「エイト君は帰りたまえ。私は、此処に残るがね」
「は!? 何でだよ! 残ってどうするんだよ!!」
自分を呼び止めるエイトに白いゲインズは振り向き、そして穏やかな笑みを浮かべて言う……エイトは、ゲインズの笑顔にかつての仕事仲間の顔が重なって見えた。
「私はね、もう疲れたんだ。あの世界は君達にとっては楽園かもしれないが……私にとっては違うのだよ」
「ゲインズ……ッ!! お前ッ」
言いたい事を全て言い切る前に、エイトも光となって空に消えた。アーサーは塔の中に戻っていく白いゲインズの寂しげな背中を見送り、そして空を見上げる。
「ええ、今戻りますよ。貴女を置いて行ったりはしませんとも」
誰に向けた言葉なのか、それはアーサーにしかわからない。
空を覆う暗雲から無数の金色の流星が飛び出し、まるで意志を持っているかのように空を駆け巡った。
やがてその流星の一つが、少年アーサーのところに向かって飛んでくる。彼は、その流星を間近で見た途端に何かを理解した。
「ああ、貴方が……アーサーだったのですか」
そして彼の体に流星が飛び込み、アーサーは昏倒する。大賢者は自分の胸元に倒れこむ彼を大慌てで起き上がらせる。どうでもいい事だが、彼女のバストサイズはルナと同じである。
「な、何すか!?」
「大丈夫!? アーサー君!」
「……おや、お久しぶりです。大賢者様」
「何の光!? 一体、何が起きているのだ!!?」
「おやおや、ゲインズ様ではありませんか……こちらでは、初めましてでしょうかな?」
流星は、次々と自分の体を目指して飛んでいく。そして、その中の一つが少年カズヒコ目掛けて真っ直ぐに向かっていった。何も知らないシャーリーは慌てて彼を庇おうとするが
「大丈夫だよ、お姉さん。ありがとう」
「えっ!?」
「おかえり、僕……」
金色の流星が体の中に入り込み、カズヒコは意識を失って力なく倒れた。シャーリーは倒れた彼に駆け寄り、必死に揺すった。彼女は我慢していた一言をついに口に出してしまった。
「あなた! あなたっ!! 嫌、お願い行かないで……私をおいて行かないで!!!」
「……ああ、何処にも行かねえよ」
シャーリーの声は、彼に届いた。カズヒコは静かに笑い、自分の顔を覗き込む最愛の妻の頬に優しく手を触れた。
「ただいま、シャーロット」
「……ッ!!」
「ごめんな、辛い思いさせちまった」
「カズヒコ……さん……ッ!!」
シャーリーの目からは自然と涙が溢れる。だがその顔は満面の笑みを浮かべていた。震える彼女を抱きしめ、カズヒコは小さく誰かにお礼を言う。誰に向けて言ったのかは、小声すぎてシャーリーにも聞こえなかったが……彼女にはわかっていた。
「ありがとう……ありがとう、ウォルターさん……」
空を駆け抜けていった記憶の流星達は皆、在るべき場所に戻った。だが、戻る体を既に持たない記憶は、空の彼方へと消えていく……その光景を、ウォルターはルナを抱えながら疲れた顔で見守っていた。そしてようやくルナが意識を取り戻す。
「……ウォルター?」
「やぁ、おはよう。終わったよ」
「私たちは……、勝ったの?」
「当然だろ? 僕らが負けるわけがないじゃないか」
「ふふっ……良かった」
ウォルターはルナを抱きしめる。二人を上空から見ていた大賢者は寂しげな笑顔を浮かべた後、連絡端末を起動して広場に集った魔法使い達に連絡を取る。
「作戦は終了よ。みんな、よくやったわ……」
その言葉を聞いたロイドは集中が切れたのか、ふらついてゲインズに倒れこむ。ゲインズは彼を起き上がらせて賞賛の言葉をかけた。
「若いのに頑張ったじゃないか、流石は魔法使いだよ!」
「ははは……、オッサンも頑張りましたよ。やるじゃん、ゲインズ」
ロイドとゲインズは笑顔で互いの右拳を軽く合わせた。その光景をアーサーは複雑そうに見ていたが、今は素直にこちら側のゲインズを賞賛する事にした。
空を覆っていた暗雲は晴れ、13番街を暖かい陽の光が再び包み込んだ。
やがて青空から聞こえてきたのは、まるで歌のように美しい鳴き声。空を泳ぐ、半透明の鯨は彼等を讃えるように歌いながらその姿を現した。ゴストム・ファラエールはクロを抱えたまま空を飛ぶマリアの近くを通りかかり、クロは思わず興奮する。
「うおー、空鯨じゃねえか! でけえー!! ていうかなんだ、まだ昼間だったのかよ!!!」
「ああ……、あんなにいい天気だったのに。不愉快ですわー」
午後3時。13番街を大混乱に陥れた記憶泥棒事件は、その幕を降ろした……。
それだけあれば生きていけるのが大きいですね




