13
その頃、鏡の世界に取り残されたままのカズヒコ達は空を見上げていた。
雲一つない唯の黒い空間だったはずの空は徐々に明るくなり、何処かの風景を不鮮明ながらスクリーンのように映し出している。白い巨人は既に逃げ惑う記憶達には目もくれず、ただ直立して空から見える何処かに向けて長い腕を伸ばす。
まるで、今にもこの世界から抜け出そうとしているようだった。
眼鏡の男とウサ耳美少女が突然消えたりしたが、白いゲインズから話を聞いていたカズヒコ達は大して驚きもしなかった。多分きっと恐らくは自分の体に戻れたのだろうと。
「おいおい、あの空から見えるのって……」
「どうやら、もうこの世界から出られる程の力を蓄えたようですな。……あれだけの図体を満足させるのに、一体どれだけの記憶たちを食べてきたのでしょうかね」
「早くみんなに知らせないと……!!」
「知らせてどうすんの……倒せると思う? あれどう考えてもヤバい奴じゃん!!」
エイトの言葉を聞いて、カズヒコは笑い出す。続けるようにしてアーサーも鼻で笑い、ブレンダも特に驚いた様子を見せずに彼を見る。予想外の反応を前にエイトは困惑した。
「なんだエイト。これくらい稀に良くあることだぞ? 5年前に見た目的にも、大きさ的にもあれより遥かにヤバい奴が街に出たこともあってよー……あれはホント笑ったな」
「それに、あの街自体にも少々アレな存在が眠っておりますしね。図体がでかくて、記憶を食べる程度の存在などまだまだ可愛げがあるものです。よく見たら愛嬌のあるお顔ですしな」
「ちょっと、アーサーさん!! その話は……でも確かに、あの巨人には最初は驚いたけど、彼から話を聞いた後だとそこまで」
「え、何? あんたら、あの街でどんな生活送ってきたの??」
だが冷静に考えてみればあの街はそういう所だった。エイトがリンボ・シティに住むようになってからまだ二ヶ月しか経過していないが、全身から熱戦放射を放つ変な生き物に足を溶かされ、なんだかヌルヌルした白くてキモイ生き物に尻を食われかけ、そして今日は13番街を歩いていたばっかりにこんな世界に閉じ込められている。彼は引越しを検討した。
「そんで何より」
「「「あの街には、ウォルター・バートンがいる」」」
三人は同時に言った。彼等の言葉には、嫌悪、諦観、呆れ、そして様々な感情と謎の信頼や安心感といったものが複雑に入り混じっていた。誰からも嫌われているが、いざという時には誰よりも頼りにされている存在……ウォルターとはそんな男である。
「え、何か……ごめん」
「いやいや、あと1年も暮らしたらわかるよ。あの街は楽しいところだからな」
「引っ越そうかな……」
「適応してしまえばどうということも御座いません。もしよければ、一緒に旦那様のお屋敷で働きませんか? きっと素晴らしい体験を」
「やだ、俺まだ死にたくねえ……でも、ルナ姉さんに毎日会えるならちょっと」
「ふふふふっ、面白い人達ねぇ」
「いやアンタも大概だよ!? 何一人だけ常識人みたいに振舞ってんの!!?」
エイトが先住民達の異常な豪胆さにドン引きしているところに、見覚えのある金髪の男が現れた。その男は疲労困憊の面持ちで彼等に近づいてくる。
「おや、スコット様ではありませんか。どうしたんですか、そんなに疲れ果てて」
「スコット君……ついに貴方まで」
「あ、ブレンダさん……思ったより元気そうですね」
「おいおい、大丈夫か? とりあえずあの塔の中入ってゆっくり休め。冷たい飲み物あるぞ」
「え、マジで? 助かったわー、ちょっと休憩する。なんか白くてデカい奴が見えるけど知らない、もう俺知らない。一人ですげえ頑張ったから」
あえてエイトは何も言わずにスコットを見送った。1秒後、彼がどんな顔でこちらに戻ってきたかは推して知るべしであろう。
◆
時を同じくして、魔導協会本営ヘリポートにて
「只今、帰投致しました! 大賢者s
「やぁ、久しぶりだね ロザリー」
「……」
「うん、相変わらずだ。予想通りのリアクションで安心したよ」
大賢者は複雑な表情で彼等を迎える。尊敬する大賢者への挨拶を雑に遮られて消沈するロイドはとぼとぼとヘリを降り、ゲインズは彼女の顔を見て硬直している……どうやらその美貌に心を奪われたらしい。大賢者は動かないゲインズを雑に押しのけてヘリを降りる老執事の顔つきに何かしらの違和感を覚えたが、深く考えない様に努めた。今はそのような細かい事を気にしている場合ではない。
全員がヘリを降りるのを見届けた後、ウォルターを睨みつけながら彼女は冷たい口調で問い詰める。
「説明しなさい、何が起きているの?」
「いつものアレさ。空に異世界の門が開いて、中から何かがこっちに来ようとしてるんだ」
「ふざけないで……、今は
「本当よ、ロザリー。彼はよく隠し事をするし冗談を言うけど……今は嘘をついていないわ」
「そういうことだよ、相変わらずロザリーお姉ちゃんは御主人が嫌いだなー」
「そう……二人が言うなら そういうことにしてあげるわ」
ルナやクロにも言われれば、さすがに信じるしかない。大賢者はウォルターには冷たいが、彼を囲う双子の姉妹にはとても甘いのだ。彼女達の詳しい関係は不明である。
「私から説明致しますわ、ロザリー様」
「……ここでは大賢者と呼んでくれないかしら。せめて愛称で呼ぶのはやめてちょうだい」
「ロザリンド、これでいいかな?」
「ウォルターには言っていないわ」
ロザリンド・セオドーラ。それが大賢者の本名であり、100年前に『こちら側の世界』の人間と初めて接触した魔法使いの少女こそが彼女である。
◆
「……本来なら、ロイド君はともかく貴方たちが入れる場所じゃないけれど」
賢者室にウォルター達を案内した後、大賢者は椅子に深く腰掛けながら溜息交じりに映像端末を起動する。端末上で流される臨時ニュースは、問題の白い人が起こした騒動について報道していた。
「こちら、リンボ・シティ13番街の広場です! 先刻まで記憶泥棒と単独で交戦していた魔法使いが警官に保護されました!! しかし、駆けつけた警官にも被害が……」
「先輩……ッ」
「大丈夫、後で助けられますから」
ロイドは悔しげな表情で端末を睨みつけた。記憶泥棒こと白い人は空を見上げ、周囲を囲む警官達には全く興味を示さない。どうやら既に十分な数の記憶を集め、巨人の餌にしてしまったようだ。彼の奮闘は決して無駄ではなかったが、どうにも不憫である。
「一人でよく頑張ったよ、流石はスコッツ君……残念ながら被害者は出たけど」
「おい! アンタ涼しい顔で何て
「次に余計なことを言ったら、その口を縫い合わすわよ?」
ウォルターの不用意な発言に堪忍袋の緒が切れかけたのか、大賢者は普段の彼女からは想像もできないような鬼気迫る形相で彼を威圧する。流石の畜生眼鏡もその迫力に圧され、苦笑いしながら視線を逸らした。
「ウォルター君、流石に今は空気を読むべきだと思うよ」
「同感ですわね」
「こういう大人にはなりたくありませんね」
「彼の悪い癖よ、本当に治らないんだから……」
「なー、死にかけても治らねえもんな。病気だぜー、ホントに」
その傍迷惑さも問題だが、さらりと口に出す余計な一言こそがウォルターの嫌われる一番の理由らしい。本人も自覚しているが、中々直せずに困っているとかいないとか。
「13番街の広場での所業について、今は置いておくわ……終わったら覚悟しなさい」
「あの時はそれしか方法がなかったんだ……が、結果的に逆効果になってしまったからね。それに、罪に問われるのは最初から覚悟の上さ」
「ウォルター……!」
「……マリア、聞かせてちょうだい。記憶泥棒について、そしてあの白い怪物について」
淡々とマリアは話し出す。出来るだけ簡潔に、そして重要な情報も忘れず彼女に伝える。
彼女の話から察するに白い人は草原の白い巨人の分身なのだろうが、その正体以外にも気になる点が残されている。彼は何故13番街から出ようとしないのか、そして分身はいつこの世界に現れたのかという事だ。
「ゲインズくん、君は白い人に襲われて黒い手鏡を奪われたと見てほぼ間違いないようだが……何処で襲われたって?」
「え、ゲインズ? 彼がゲインズ・グレイマーなの??」
「自宅前だね。美しいお嬢さん、私の名前はゲインズ・バック・ゲイ
「今の家には、いつから住んでいる?」
自己紹介を雑に遮られたゲインズは複雑な表情を浮かべるが、畜生眼鏡の真剣な眼差しに気圧されて語りだした。
「……ええと、一ヶ月ほど前からだったかな。何だね急に」
「一週間前、君の家に魔導協会の魔法使いが家宅捜索に入った。だが、其処には君の姿はなく、それからずっと協会が君を探し回っているのを知っているか? 自宅前で襲われるまでの一週間、何処で何をしていたんだ??」
「そうだったのかね? いや、吾輩は家をそこまで開けた記憶も……あれ」
ゲインズは考え込んだ。家の場所は覚えているし、大枚叩いて買った愛しのマイホームを忘れる筈がない……それは聞いてもないのにさり気なく自慢されたウォルターも承知の上だ。だがこの一週間、何処で過ごしていたかの記憶がない。何かが、頭の中から抜けている。
「吾輩は、悪しき記憶に悩む人々を救うために……」
「聞きたいんだが、どうして人を救おうと思った?」
「え、それは皆が過去に後悔して
「だから? どうして、そこから顔も知らない誰かまで救おうと思ったんだ?? 君には関係ないじゃないか、誰かが自分の過去についてどう後悔しようと」
考えてみれば手鏡を家で見つけ、記憶泥棒として一ヶ月もの間活動していたのは覚えているのに、どうして記憶を盗んで他人を救おうと思い立ったのかがわからない。ゲインズは混乱する自分の記憶に頭を抱えた。
「あれ、吾輩は……」
彼の様子を見て、ウォルターは自分の中で渦巻いていた彼への疑惑が晴れていく。そしてこの記憶泥棒事件の全容が徐々に明らかになっていった。
「なるほど、どうやら白い人はゲインズも利用していたらしい」
「どういうこと? 説明しなさいウォルター」
「今の時点では推論でしかないけど、この街に記憶泥棒は少なくとも三人居たんだ。それも、ずっと前からね」
「旦那様?」
「ロザリー、記憶泥棒が最初に現れたのはいつからだ?」
「……記録にあるのは一ヶ月前の筈よ」
「なら、13番街周辺で起きた『連続記憶喪失事件』として残っている一番古い記録は??」
「……30年ほど前だったかしら。でも、あの時は」
「それが最初の記憶泥棒だ」
ゲインズは13番街の何処かの家を購入し、その家の掃除中に黒い手鏡を見つけた。
そしてそれに触れて鏡の使い方と巨人の情報を知った。まずそこでゲインズは過去と巨人に関する記憶を鏡に封じた。そこから彼は、自分と同じように過去を悔いる者や、辛い過去を背負う者を救おうと考えた。その苦しみをわかっている自分なら、彼等を救える筈だと
だが、それこそが白い巨人の罠だった。鏡は他人の記憶を植え付ける事ができる。巨人はその能力を利用して、ゲインズが最初に鏡を見た瞬間に『誰かの記憶』を植え付けていた。
誰かの記憶とは、ゲインズの前に黒い手鏡を使っていた『最初の記憶泥棒』にして、ゲインズが住んでいる家の元の持ち主の物だ。前の所有者が、どんな人生経験を経てそのような事を考えるようになったのかはわからないが、彼も道行く人達の悪しき記憶を盗んで鏡の世界に送り込んでいた。それを続けていく内に巨人の分身である白い人が鏡の外に放たれ、彼は己の記憶の一部を盗まれた上に恐らくは白い人によって殺害されてしまった。
そして白い人はその手鏡を意味ありげな箱にしまい、姿を消した。この時点では、まだ短時間しか分身は鏡の外に出られなかったのだろう。次に黒い手鏡を見つけた誰かにその記憶を植え付ける為に、彼は鏡の中で待つ事にした。
30年後、住む者が居なくなった家を買い取ったゲインズが、その鏡を見つけた事で『第二の記憶泥棒』が誕生した。ゲインズは見知らぬ誰かの記憶に突き動かされるようにして記憶を集め続ける。白い人が鏡の外で行動できるようになったのが一週間前で、その時からゲインズは何処かに監禁されていたと考えるべきだ。夜になった時にだけ監禁されているという記憶を奪って街に開放し、記憶を集めさせる……そのような事を繰り返す。そして頃合になったら彼に見切りを付け、その手鏡を奪い取り『第三の記憶泥棒』として行動を開始した。
これはあの白いゲインズと会話をしてわかった事だが、元々があの性格だったのなら過去の記憶を消したところで、どうひっくり返っても鏡を使って人を救おうとは考えつかない筈である。恐らく、今のゲインズの性格は先代記憶泥棒の記憶と人格が混じった事で完成したものだろう……どちらにせよゲインズという男は相当な曲者だった。
「「気に入らないわね」」
ウォルターの話を聞いて、ルナと大賢者は同時に呟いた。彼女達は同じような表情を浮かべて互いの顔を見合わす。そしてルナは小さく笑い、大賢者も照れくさそうに笑った。
「吾輩、泣いていいかな? そろそろ泣いていいよね??」
「ハッピーエンドまで泣くんじゃない。君にはこれからも手伝ってもらうことがある」
「さすが御主人、容赦ねえな」
半泣きどころか既に涙が溢れているゲインズに向けてウォルターは言い放つ。だがゲインズへ向ける表情はどこか優しげで、多少の同情の気持ちが込められていた。
「どうするつもりなの? ウォルター。その巨人はもうこの世界に」
「決まってるだろう? 向こうからわざわざ来てくれるんだ」
「そうね、ロザリー。決まっているわ」
「うふふふ、ですわねぇ」
「だよなあ、決まってるよなぁ!」
大賢者は不敵に笑う彼等を見て深い溜息をつく。少年アーサーの顔にも自然と笑みが浮かび、ロイドも覚悟を決めた力強い眼差しで大賢者を見ている。
「歓迎してあげよう、盛大にね」
だがその言葉を言った瞬間に、ウォルターの胸中には新たな疑念が生まれた。
今の話はあくまでも推論だ。一週間前に自由に行動できるようになったのなら、今日までゲインズに鏡を使わせていた意図がわからない。ゲインズを監禁した時点で、既に白い人が手鏡を使っていた可能性もあるがそれならば今日まで記憶を一部しか奪わなかった理由に説明がつかない。何より、用済みになった彼に危害を与えず街に開放したという最大の謎が未だ残されている。この一週間どんな行動をしていたにせよ、彼を殺さない理由が何一つない。
まだまだ、この事件には裏がありそうだ。だが今はあまり時間が残されていない、今は目に見えている脅威を排除する為に奔走する事が先決だ。