12
紅茶を飲んで、小説を書く。小説を書いたら、紅茶を飲む。そうやって生きていきたいものです。
「……ええ、わかったわ。まずは本営に戻りなさい」
ロイドからの緊急の報せを聞いた大賢者は、静かに電話を置く。嫌な予感は的中した。その白い人型存在と空の暗雲の因果関係についてはまだ結論を出せないが、かの存在が度を越した脅威である事だけはわかった。賢者室の映像端末には『白い人』と単独で戦闘するスコットの姿が映し出されている。
「こういう時だけは、貴方が羨ましいと思うわ……ウォルター」
大賢者は悔しげな表情を浮かべながら呟いた。大賢者は魔導協会の代表にして一種の象徴だ。一人の魔法使いの為に、その役目を捨てて飛び出す訳にはいかない。彼女は協会とそれに所属する全ての魔法使い達を導く役目を担う、生きた道標なのだから。その命は、既に彼女だけのものではないのだ。
◆
「君はその黒い鏡を見て此処に来たようだが、誰に見せられたのかな?」
「誰って……」
鏡の世界で白いゲインズに質問されたウォルターは記憶泥棒の顔を思い出していた。その顔は目と思われる暗い二つの穴と、舌もない口だけがあった……あの白い巨人のような。
「あいつだったのか……」
「あいつとは?」
「僕が最後に見た顔は、あの巨人と同じ顔だった。大きさは僕より少し大きいくらいだったけど……」
「随分と冷静だね。普通はもっと驚くか怖がると思うのだが」
「手当たり次第に人々の記憶を盗んでいたのは、すぐにでも餌が欲しかったからか」
「まぁ、一部の記憶よりも人生の大半といったより情報の多い、上質な餌の方が好みのようだね。つまりは、今の君達のような」
ここでウォルターはまた疑問に思った。白いゲインズは何故、黒い手鏡についての情報を持っているのか。彼がゲインズの記憶の一部だとすれば、白いゲインズが鏡の記憶を持っている以上は向こう側のゲインズは鏡について何も知らない筈である。そもそも、鏡に関する記憶をこの世界に封じ込める理由がない。
「……君は何故、黒い鏡について知っている? 君が知っているはずないだろ、向こうのゲインズが鏡に関する記憶まで手放す理由がない」
「ああ、その事ならご心配なく。鏡の所有者が自分に使った場合、その記憶は鏡に関する情報を持ったままこの世界に送られるんだ。それが何の意味を持つのかはわからないがね」
「鏡の所有者は、他の被害者達と違って特別だということなのか?」
「そういう事だね」
嫌な予感を覚えたウォルターは急いで塔を出ようとするが、白いゲインズに呼び止められる。
「何処に行く気だね?」
「さぁね、やれることはやるさ」
「君にどうにかできると思うのか?」
「それこそ、やってみないとわからないだろう?」
ウォルターの答えを聞いて、白いゲインズは少し考えた後に笑った。それは先程までの人を馬鹿にしたような笑い方ではなく、彼の覚悟を、その勇気を称えた心からの賞賛だった。
「はははは、では幸運を祈っているよ。無理そうなら戻ってきたまえ」
「ゲインズ、君は向こうで違法道具の密売人をやっていたんだよね」
「ああ、そうだよ。向こうの私はその記憶を消し去りたくてあの鏡を使ったのだろう。つまり私は、その『密売人だった頃のゲインズ』だという事になるね」
白いゲインズは軽い口調で言うが、その表情にはうっすらと悲しみのようなものが浮かんでいた。
都合の悪い記憶を彼に押し付け、向こうのゲインズは第二の人生を歩んでいる。こちら側のゲインズには罪悪感というものはないようだが、密売人という職業は決して気分のいいものではなかった。そして、今は遠き生まれ故郷に関する記憶も持っている……彼もまた、この世界に望まぬまま送り込まれてしまった漂流者なのだ。
「ははは、無責任だな。同情するよ、ゲインズ・グレイマー」
「生きるために色々悪い事もしたからね、今の私にはわからないが……向こうの私はそれほどまでに過去を悔やんでいたのだろうさ」
「過去は、昨日で終わったよ」
ウォルターはゲインズに向けて言い放つ。その言葉を聞いた彼は、目の前に立つ眼鏡の男を真剣な表情で見つめた。
「未来は今日からもう始まっている。彼や、多くの人たちがそれに気付かずに、毎日暗い顔で同じことを繰り返しているだけだ」
「軽く言ってくれるな、君は一体何様のつもりだね?」
「……これは今朝知り合ったばかりの友人からの受け売りだけどね。僕自身、まだまだ過去を引き摺ってばかりの哀れな子羊さ」
「……その哀れな子羊の名は?」
「ウォルター・バートン。魔法使いだ」
名乗りを終えたウォルターは、振り返らずに塔を出る。白いゲインズはそんな彼の背中を、寂しげな笑みを浮かべながら見送った。
「いい名前だ、応援しているよ。ウォルター・バートン君」
そして塔の中からウォルターが現れる。カズヒコ達は仰天していた、彼等からして見ればウォルターはつい先程塔の中に消えたばかりだったのだから。
「え!? ちょっ、もう出てくんの!!?」
「流石です旦那様、1秒も経たずに帰ってくるとは……」
「ははは、中では結構お喋りしてきたんだけどね。気になるなら君たちも入るといいよ」
「……おう」
次にカズヒコが塔の中に入るが、ほんの1秒足らずで帰還した。帰ってきた彼の表情は不機嫌そのもので、その拳には血痕がついていた。
「おかえりカズヤン。どうだった?」
「うん、とりあえず殴ってきた。帰ったら向こうの奴をもう一発殴る」
「わ、私も入っていいかしら」
「俺も……」
「では私も」
アーサー達は次々と塔の中に入り、そして1秒も経たずに帰還した。その表情はやはり不機嫌そうであり、白いゲインズは彼等から見ても相当にムカつく性格をしているらしい。
「帰ったら、ゲインズ・グレイマーを拘束するべきね……」
「前から嫌味な奴だとは思ってたけど、あそこまでとは思わなかったわ。さすがの俺でも助走つけて殴りかかったね」
「いやはや、何とも言えませんな。マリアおばさんがまだマシに思えてきました」
「ところでエイト君、貴方もしかして違法
「何もしてねえよ? ただ知り合いにそういう奴が多いだけだって。魔導協会だってそういう奴らと協力関係を結んだりする時もあるだろ?? おんなじ感じだよ」
「……後で取り調べしてもいい?」
「彼は信用していいよ、ブレンダさん。それに今はあの白い変態について考えるべきだ」
とりあえずカズヒコ達も自分が置かれている状況を理解した。他の被害者達も続々と塔に集まってきており、その中には彼女の姿もあった。
「あ! 御主人じゃねーか!!」
「クロ……、どうして此処に?」
「んー、わかんね。なんか変な奴に掴まれたと思ったら此処にいた……ってじーさんやカズヒコおじさんも居るじゃねーか!」
「……うん、まだ許す」
「お久しぶりです、クロ様」
「え、クロ? あれ?? ルナさんそっくりなんだけど」
エイトは彼女を見て驚く。その美しい顔はルナと瓜二つだが、眼の色や特徴的なウサギの耳など細かい所に差異がある。特に胸辺りが。
「あ? だれだお前、気安く人の妹の名前呼ぶなよ」
「彼女はルナの双子さ。性格はまぁ、見ての通り間逆だと思ってくれ」
「あ、はい……」
「この子が黒兎さん? 思ってたより小さいのね……」
「ちょっ、おまっ。小さい言ったか!? なぁ! お前、小さい言ったな!!?」
「えっ! あっ、ごめんなさい……イメージと全然違って小柄で可愛い女の子だったから」
クロは小さいという言葉に過剰な反応を示す。ブレンダに殴りかかろうとするがウォルターに制止され、歯ぎしりを立てながら彼女は眼の前の赤毛の女性を睨みつけた……正確には彼女の豊かな胸にだが。
「ところで、クロ。君は変な奴に掴まれたと言っ────」
何かを言いかけた途端に、ウォルターは元の体に戻った。ルナはウォルターが正気を取り戻したのを確認するや否や彼に抱きついた。少し遅れて、クロもこの世界に帰還する。
「ああ、ウォルター……!」
「やぁ……ただいま。苦しいから離してくれないか」
「んあ、何だ? 俺どうなった??」
「ふぅ、おかえりなさいクロ様……。どうやらアレに直接記憶を盗まれても、鏡さえあれば助けられるようですわね」
クロはヘリの座席でマリアに膝枕されていた。視線を塞ぐ、大きな二つの脂肪の塊にクロは再び歯軋りを立て、マリアの胸を両手で鷲掴みにして揉みだした
「んだよぉおおおおおおお! どいつもこいつもデカくなりやがってえええええええ!! 嫌がらせかこらぁあああああああー!!!」
「あらあらあらぁ、クロ様ったら……あふうっ。いけませんわ、こんなところで」
「ぐあああああああーっ!!」
「すみませんが、バカ騒ぎは後にしてください。不愉快です」
少年アーサーは、じゃれ合う彼女達に侮蔑の眼差しを向けながら冷たく言い放つ。クロはそっと手を離して起き上がり、ゲインズとロイドは肩身が狭そうにヘリの外に視線を向けていた。
「ところでアーサーは戻さないのかい? マリア」
「今は、このままのほうがよろしいかと思いまして」
「ああ、うん……」
この期に及んでもアーサーへの態度を改めないマリア。彼女なりの考えがあるのだろうか。
「ウォルター……実は今、大変なことになってるの」
「そのようだね」
「え?」
「向こうでゲインズくんに少し話を聞いた」
不意に出てきた自分の名前に、ゲインズは驚いて振り向く。文字通り記憶になかったとはいえ、やはり今回の件は大体この男のせいである。何らかの制裁は下されるべきだろう。
「ほ? 吾輩に??」
「ああ、とりあえず君にも言いたいことがある」
「な、何かね」
「これが終わったら、飲みに行こう。ゆっくりと話がしたい」
「え、それは……。吾輩、まだ心の準備が」
頬を染めて顔を覆うゲインズに、穏やかな笑みを向けるウォルター。傍から見れば若干問題発言に思われるが、勿論彼にそんな気は毛頭ない。ウォルターの『ゆっくり話をしよう』という言葉は、ある種の死刑宣告と同意義のものである。
「……御主人、ついにそっちに」
「安心してくれ、それはない」
「……大丈夫よ、ウォルター。貴方が忘れても、私が女の良さを何度でも思い出させてあげるから。男なんかよりずっと……」
「ルナ君? ややこしくなるから、今はその話を忘れようか……じゃあ、状況を聞かせてくれマリア。白い人は今、どうなってる? そして、僕たちがヘリで逃げている理由は??」
マリアは話し出す。白い人は既に黒い手鏡が無くても触れただけで、相手の記憶を直接鏡の世界に送り込めるまでになっていた。手鏡に触れた彼女にも、その使い方が流れ込んできたがそれと同時に『白い人や草原の白い巨人に関する知識』も断片的ながら得る事ができた。他の所有者達もその知識を得ていたのだろうが、得体の知れない存在である巨人に関する情報に恐れを抱き、真っ先にその記憶を鏡に封じ込めたのだと思われる。
ゲインズが自分に対して鏡を使用した理由は、過去に対する嫌悪だけでなくあの巨人の事を一刻も早く忘れようとしたからだろう。
「あの貧相な全身白タイツの人は、もうこの黒い鏡を必要としないまでに力をつけています。そしてあの雲は、この鏡の世界とこの世界を繋ぐための……」
「どうするんすか!! そんな相手……ッ!!!」
「決まっているだろう、新人君。君も魔法使いなら、覚悟を決めたまえ」
ロイドは震えていた。今まで彼は、ここまでの怪物を間近で目にしたことはなかったのだから。スコットの攻撃は、白い巨人の分身でしかない人間サイズの白い人にも殆ど効果が無かった。もしも本体である巨人が、鏡の世界からこちらの世界にやって来てしまったら……
「あら、逃げてもよろしくてよ?」
「そうよ、怖いなら逃げなさい……無理はいけないわ」
「足でまといになるからな!」
そんな彼に向けてマリア達は言う。ゲインズは逃げるか逃げないかで迷っていたが、とりあえず今は結論を出さない事にした。少年アーサーは、何も言わずにロイドを見ている。
「もう、逃げてます……」
「ああ、そうでしたわね。彼がその身を犠牲にして私たちを逃してくれましたわね。スコットさん、貴方の勇姿は決して忘れません」
「え、あっ……そういえばスコッツ君がいなかったね」
「さすがに酷いわ、二人共。彼は私たちのために、自分から餌になったのよ……」
彼等の言葉に思うところがあったのか、ロイドは拳を握りしめる。そして震える声で言った。
「俺は、この街を守る……魔法使いになったんだ」
「なら、どうするんだ? 新人君」
「決まってるでしょ! そのクソッたれ野郎に後悔させてやりますよ!! この街に、手を出したことを!! 野郎がくたばっちまう瞬間まで!!!」
「その言葉を忘れないことだね。それじゃあ奴に思い知らせてやろうじゃないか、ロイド君」
ロイドの覚悟を聞いたウォルターは笑顔を浮かべて言う。マリアや双子のウサギ姉妹、そして少年アーサーも小さく笑って彼を見る。時刻は午後2時、ヘリは協会本営のすぐ真上に到着する。本営施設のヘリポートでは既に着陸準備が完了し、大賢者が彼等を待っていた。
勿論、紅茶のお供はスコーンです。もしくはクリスプ。




