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「先輩―!!」
「操縦士! 命令だ、ヘリを上昇させろ!!」
「……ご武運を!!」
「おい! ちょっと……待ってくれ!!」
操縦士はスコットの覚悟を感じ取り、断腸の思いでヘリを上昇させる。ロイドは必死に止めようとするが、少年アーサーに機内で押さえつけられた。
「何するんですか! 先輩が!!」
「今は、耐えてください。貴方は 大人 でしょう??」
少年アーサーの一言に突っかかろうとしたロイドだが、彼の肩に優しく触れてマリアは諭す。
「今は耐えて、次に倒しましょう。スコットさんはあなたにその役目を譲りました」
「……ちくしょう!!!」
「ははは……」
ロイドは悲痛な面持ちでヘリのドアを閉めた。先程まで笑っていたウォルターは急に笑いを止め、ルナは彼とクロを抱きしめながら静かに震えていた……。
「そうか、あれに襲われたのか吾輩は」
「思い出したんですか? オジサン」
「どうりで覚えていないはずだ、あんなものを間近で見れば忘れたくもなるよ」
「はい、大変重要な情報をありがとうございます。既に手遅れですが」
白い人は何度吹き飛ばされても、不気味な笑顔を浮かべながら起き上がる。
身につけていた衣服が魔法によって引き剥がされ、ついにその姿が顕になった。暗い穴の様な目と、歯も下もない口だけがある異様な顔。そして真っ白な素肌……白い人の姿は、あの白い草原の巨人に酷似していた。
◆
「君も飲むかね? 遠慮はいらないよ」
紅茶をゆっくりと味わいながら、白いゲインズはウォルターにお茶を勧める。
「遠慮しておくよ……とりあえず聞きたいんだが」
「何かな? 私に答えられることなら何でも答えよう」
「この際、君が何だとか向こうの世界の君が本物なのかとかはどうでもいい」
「まだ若いのにあっさりしてるね君、少しは驚きたまえよ」
「この世界は、一体何なんだ?」
その言葉を待っていたかのように、ゲインズは不敵な笑みを浮かべる。その顔を見たウォルターは軽く殺意を抱いた。この世界のゲインズは、向こう側のゲインズに比べて落ち着きがあるが妙に嫌味っぽく……まるで何処かの誰かにそっくりだった。誰とは言わないが。
「この世界は牢獄……いや収容所だよ。我々の、そしてあの巨人のね」
「牢獄?」
「そうさ、あの黒い鏡から君は来たのだろう? あの鏡こそがこの世界に通じる門だ」
「向こうのゲインズは、あの鏡は人の記憶を自由に弄べる道具としか言わなかったよ」
「ああ、それも正解さ。実に巧妙な罠だろう? 便利な道具だと思わせて、色んな者の手でどんどん集めさせたいのだよ。人の記憶をね」
「……あの巨人のためにかい?」
「そうさ、君はそこそこ頭が切れる男だね。実に好感が持てるよ」
白いゲインズは淡々と話した。彼も恐らくはゲインズの記憶の一部なのだろうが、それにしては妙に落ち着きがある。ウォルターは知らないが、他の記憶の一部達はまともな思考能力すら持たない者が大半であった。彼だけが、何故か特別なのだ。
「あの巨人は、何をしようとしている? ゲインズ……いや鏡の所有者達に記憶を集めさせ、それを食べて腹を満たそうとしているだけなのか?」
「ははは、それもあるだろうが。当然それだけじゃないな」
「勿体ぶらないで教えてくれ、僕にも我慢の限界があるんだ。友達やファミリーの今後の人生に関わっているし、13番街のみんなまで巻き込んだんだぞ」
ウォルターは静かな怒りを込めて言う。顔や特徴も掴めなかったからとは言え、一人の泥棒を捕まえる為に関係のない人達も餌にしたあの作戦は彼にとって不本意極まりないものだったのだ。ノリノリのように見えたのは、あくまでも演技らしい。
「……より多くの記憶を食べるため、それも正解だろう。そして記憶を取り込むことで、あの巨人は力をつけていく。それこそ、やがて自力でこの世界から抜け出せる程にね」
「……」
「誰があれをこの世界に封じ込めたのかは、私にも詳しくはわからない。当然、黒い鏡がどうやって作られたのかも、どうして鏡からこの世界に繋がるのかもさっぱりさ」
ウォルターは考えた。あの黒い鏡は、本来は記憶を食べる巨人を封じ込める為の道具で、人間の記憶を奪い取る能力など持たなかったのではないかと。だが、鏡に封じ込められた状態でも巨人にはまだ力が残されていた。そこで巨人はこの牢獄に何らかの方法で細工を施した。この牢獄を手にしたものに、餌となる人間の記憶を集めさせる為に。
一人脳内で推理するウォルターの姿を、白いゲインズは小さく笑いながら見ていた。そんな彼の顔を見てウォルターはイラついた。やはりどちらのゲインズも好きになれない。
「待ってくれ、この塔は何のためにある? 此処も巨人のためのものなのか??」
「違うよ、これは恐らく監視するためのものだ。この世界を生み出したのと同時に、鏡に封じ込められた存在を見張る役目を持った者のために用意されたのだろう。つまりは、鏡の中の監視役用の住居だね」
「じゃあ、今の君は」
「そう、何の因果か今は私がその監視役のようだ。もう殆ど覚えていないが、この塔に辿り着いてからそうなっていたらしい。それからは長い間ずっと此処で暮らしているよ」
ウォルターは彼の言葉に、何か違和感を覚えた。
「君はどれくらい此処に住んでいるんだ?」
「んー、数えるのをやめたからもうわからないが。少なくとも3億1536万秒は数えたかな」
「ふざけているのか!?」
「本当だよ、失礼だね。私は嘘をつかないし何時だって真剣だよ」
この世界の時間感覚は本来の世界とは大幅に異なっているのかもしれない。だが、ウォルターがこの世界に来た時はカズヒコ達とすぐに合流できたし、彼等が何年もこの世界に閉じ込められているようには見えなかった。鏡に奪われた記憶が草原の何処に送られるかは完全にランダムのようで、ウォルターは運良く塔のすぐ近くに居たが運が悪ければ巨人の目の前に放り出されるという事も有り得る話なのだろう……。
恐らくは『塔の中の時間の流れ』だけが異常なのだ。あの巨人と一緒に閉じ込められる者へのせめてもの配慮だったのか、それともただの偶然なのかは想像するしかない。
「全く、ここまでふざけた代物は久々だよ……。悪い夢でも見ているようだ」
「私もそう思うよ。まぁ、慣れてしまえば案外快適だよ? 君も移住してみては
「丁重にお断りさせていただくよ」
この牢獄の仕組みは、ウォルターでも原理がよくわからない程に高次元のものだった。
長い年月を生きてきた彼であっても、自らの知識が及ばない未知の理論と独自技術で生み出された異界道具の前ではさすがにお手上げのようだ。
「ゲインズ、君が向こうで住んでいた家はリンボ・シティ13番街の何処かかい?」
「ご名答……と言っても、どんな家かはもはや覚えていないが。どうしてわかったんだい?」
「今、13番街は酷いことになっているんだ。向こうの君が記憶泥棒になって色々やらかしてくれたのもあるが」
「ああ、上手く乗せられてしまったのか。向こうの私は流されやすいんだねえ」
白いゲインズは他人事のように小さく笑う。ウォルターの心中は、彼をこの場で殺すか殺さないかの瀬戸際で揺れ動いていた。これならまだ向こうのゲインズの方が、茶目っ気があるだけマシだったと彼の中で自然とゲインズ・バック・ゲイザーの評価が改められた。
◆
13番街 喫茶店『ビッグバード』二階リビング
「お姉さん……、空が黒いよ。怖い……」
「大丈夫、ウォルターさんが何とかしてくれるからね……」
シャーリーは、窓から見える暗雲に怯える少年カズヒコを抱きしめながら震える声で言った。彼女も言い知れない不安を多大に感じており、この街に大いなる災いが降りかかろうとしている事を察知した。
「大丈夫、ですよね……?」
彼女はウォルターが自分達に投げかけた言葉を何度も思い返していた。