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「さて、僕からも聞きたいんだが……こっちに向かってくるあの白くて細くて無駄に頭が高い全身タイツマンは一体何かな? 夢でも見ないよ、あんなファンタスティックな物体」
「ああ、俺達も気になってるところだ。とりあえず、この世界はあいつの餌場らしい」
「え? 何??」
「餌ですよ、旦那様。私達はあの巨人の餌としてこの世界に送られてしまったようなのです」
「え、何それ思ってたのと違う。ゲインズくんはもしかして僕を嵌めたの?」
「あ? ゲインズ??」
その名前を聞いてエイトは反応を示す。その表情はどうやら彼を知っているようだった。
「知っているのか、エイトくん」
「ゲインズ・グレイマーってやつか?」
「僕が聞いた名前は少し違うけどね。取り敢えず時代錯誤気味の派手な衣装を着た、茶髪でお喋りなオッサンさ」
「間違いねえな、そいつ俺の知り合いだよ。元密売人だったんだ」
「エイト君、彼を知っているの? 知り合い??」
ブレンダも彼の名前に反応する。ゲインズは色々と秘密のある男らしい。唯のいけ好かないハイテンションコスプレオヤジだと思っていたが、どうやら相当の曲者のようだ。
「僕が聞いた話では、彼は元記憶泥棒だ。本職は服飾デザイナーらしいけどね」
「そのナントカ泥棒については知らねえけど、デザイナーに関しては何か言ってたなあいつ。元々は別の世界に住んでて、門からあの街に放り出されてきたらしいが……生きる金に困って日陰者になったんだ」
「へぇ……日陰でどんなことをしていたんだい?」
「異界道具の密輸販売。街の中や街の外を問わずにヤバイ代物を売り捌いてたらしい」
「ウォルターさんも、彼に会ったの?」
「会ったも何も、今も向こうで頑張ってくれているよ」
ゲインズの名を聞いてからブレンダの表情が変わった。その表情からウォルターは彼女がゲインズについての情報を持っている事を直感し、ブレンダに問いかける。
「……彼について何か知ってるのかい?」
「実は彼、協会に指名手配されているの。一週間前から捜索されているんだけど……」
「え? 記憶泥棒としてかい?」
「いいえ、過去に行われていた異界道具の密売について調べていたら、ゲインズ・グレイマーという男に辿り着いたの。だから、彼の家を探し出して家宅捜索に踏み切ったんだけど……家には誰も居なかった。それからずっと彼の行方を捜索中よ」
ブレンダは真剣な表情で語り、その言葉を聞いてウォルターは沈黙する。
自分の記憶を他人にも植え付けられる、ゲインズは確かそう言った。なら、今向こうにいる彼の記憶は果たして『本人の物』か? もしかしたら、彼は自分達を騙しているのではないか?
ウォルターの胸中には、ゲインズに対する疑惑の念が渦巻いていった。
「なぁ、とりえあえず塔の中に入るべきじゃないか?」
「そうしましょうか、中がどうなっているのかはわかりませんが」
塔の入口であろう黒い門の取っ手らしき窪みを掴み、力の限り引いて開こうとするが、ビクともしない。腕力自慢のカズヒコや高性能老執事のアーサー、そして一般人代表のエイトも協力するが全く動じない。こうしている間にも巨人はゆっくりとこの塔に近づいてきていた。
「だぁあああー! 開かねえ!! これ入口じゃねえのかよ!!!」
「カズヒコ君、押してみたらどうだね」
「あ!?」
「引いてダメなら押してみなって奴だよ」
「そう簡単にいくか……」
取っ手らしき窪みから手を離し、強めに押して見ると黒い門はあっさりと開いた。あまりのあっさり具合にカズヒコとエイトは困惑し、アーサーも目を細めて門を睨んでいる。ブレンダは少し笑ってしまった。
「……で、本当にこの中に入んのか? 俺はやだよ??」
「まずは僕が行くよ」
「おう、糞眼鏡。お前先に行けよ」
「旦那様、お元気で」
「ははは、君たちブレないなあ……向こうに帰ったら面白いことを教えてやるよ」
「は? 何が??」
「期待していてくれよ、カズヒコ君」
カズヒコに不敵な笑みを向けながら、ウォルターは開いた門の中に入る。塔の外からでは内部は真っ黒な空間にしか見えなかったが、足を踏み入れた途端に白い広大な空間に変化した。そしてその空間にポツンと設置されている白い椅子に腰掛け、優雅にティータイムを愉しむ男性の姿があった。
「おや、此処に人が来るなんて珍しいな」
「あれ? 君……あれ??」
「初めまして、私はゲインズ。ゲインズ・グレイマーだ」
目の前で寛いでいた男は記憶泥棒ゲインズ・バック・ゲイザーそっくり……というよりそのままの壮年男性だった。彼はにこやかな笑顔を浮かべてこちらを見ており、その服装は外の世界とは対照的な白い貴族風の衣装で肌色は真っ白になっている。
「ゲインズ?」
「そうだよ、いやぁ此処に客人が来るのは本当に久しぶりだ。大したものは出せないがゆっくりして行きたまえ」
「ははは……」
「はははは、どうしたんだ? 混乱してしまっているのかな?? 無理もない此処は────」
彼の言葉を遮るようにウォルターは杖をゲインズの顔に突きつけた。彼は少し硬直した後、くすりと笑って言い出した。
「よろしい、私に聞きたいことがあるなら言いたまえ」
「君が、ゲインズ・グレイマーで間違いないんだね?」
「ああ、そうだよ。一応はね」
「だが、僕は元の世界でもゲインズに会ったぞ。喋り方は少し違うけど、君と同じ顔だった」
「それも恐らく私だね」
「じゃあ君は、一体何だ??」
「だから、私がゲインズだ。ゲインズ・グレイマーだった……というべきかな??」
ウォルターは困惑した。そんな彼の顔を見て、白いゲインズは愉快そうな笑みを浮かべる。
◆
「……さて、このクソ野郎はどんな面してるのかね」
ゴミ捨て場に吹き飛んで倒れ伏す記憶泥棒に、拳を鳴らしながらクロはゆっくりと近づく。そして彼女は泥棒のフードを掴み、乱暴に上体を起こしてその顔を見た……
「……あ?」
その男には人の顔がなかった。真っ白な肌に毛髪のない頭部、そして顔面には目と思しき二つの暗い穴と口だけがあった。その不気味な姿に思わずクロは彼の顔面を思い切り地面に叩きつける。叩きつけられた白い人は小さな鳴き声のようなものを発した。
「オイィイイイイイイ! 黒兎ちゃんダメ!! そいつ殺しちゃダメだから!!!」
「何だ……、何だこいつ!?」
「何だよおい、何を見た……って」
記憶泥棒こと白い人はゆっくりと立ち上がり、二人を見据えた。そして不気味な笑顔を浮かべた。歯や舌がない真っ黒な闇だけが広がる口を大きく裂かし、彼は肩を震わせている。その異質な存在を前に、スコットは反射的に杖を構え、クロも拳を握り締める。
「……何すか、あいつ」
「……駄目よ」
「え?」
「駄目、クロ!! 離れて!!!」
ルナは白い人を見て何かを察したのか、彼女に向けて叫ぶ。それを聞いたクロは距離を取ろうとするが、その瞬間に白い人は彼女に急接近してその腕を掴む。
「あ!?」
「 」
白い人は何かを呟いたが、クロはその言葉を理解する前に昏倒した。
スコットは何が起きたのか理解できず、無意識の内に目の前の『異常存在』に向けて風の弾丸を数発放った。魔法の直撃を受けた白い人は大きく吹き飛ばされ、硬い地面に頭から墜落した。
「おい! 黒兎ちゃん!! しっかりしろ!!!」
「……」
「くそっ! 何だあいつは!?」
「クロ!!」
ルナは倒れるクロに走り寄る。杖を持つスコットの手は震えており、彼にも相当な動揺が走っているようだった。
「大丈夫?! クロ……」
「……あ」
「気がついたか!?」
「クロ??」
「お姉ちゃん、そこにいたんだ……」
目覚めたクロの口調と表情は、いつもの彼女とは違っていた。
「探したんだよ? 急にいなくなって……早く みんなのところに帰らなきゃ」
「クロ……ッ」
「うぉるたーお兄さんが、ずっとお姉ちゃんを」
ルナは彼女を抱きしめた。クロは記憶の大半を失ってしまった、あの一瞬で。今の彼女は幼い頃に戻ってしまっている……ルナを『お姉ちゃん』と呼ぶ誰かと見間違えてしまう程に。
「聞こえますか!? アーサー君! 緊急事態です、早く降りてきてください!!」
ロイドは慌てて上空に居るアーサーにヘリを降下させるように指示する。その場で幼児退行を引き起こしていた人達は、手鏡を手にしたマリアに黒い鏡を見せられて記憶を取り戻していた。どうやら鏡を見せると記憶を戻せるのは本当のようだ。
「あ、え? オレ??」
「早く此処から逃げてくださいませ」
「えっ、あ!?」
「死にたくなければ、逃げなさい!」
記憶を取り戻し、正気に戻った彼等は慌ててその場から逃げ出す。この広場で白い人に襲われた者達はウォルターとクロを除き全員が無事に助けられた。ウォルターは白い人を見て笑い続けている……何故、すぐ近くにいるのに彼だけ記憶を戻されないのであろうか。
「さすがマリアさん……だけど、何だよこの展開。普通は犯人確保したらハッピーエンドだろ!?」
白い人はゆっくりと起き上がった。彼は怒ったような素振りも見せず、言葉すら発さずに不気味な笑顔を浮かべながら歩み寄ってくる。スコットは白い人に杖を向けて魔法を放つ、吹き飛ばされてはいるが目立ったダメージを受けている様子はない。スコットの額に汗が浮かぶ。
「……少しは効いてる素振りを見せてくれねえかな? 頼むよ」
彼は今、相手を殺す気で魔法を放っているのだから。その本気の魔法を受けて、白い人は何事もなかったかのように立ち上がってくるのだ。上空からはヘリが降下しており、長時間吊るされていたゲインズはぐったりとしている。既に胴体から光を放たなくなっていたゲインズを吊るすロープをアーサーは急いで引き上げて彼を機内に入れた。
「おや……、もういいのかね?」
「お疲れ様です。よく頑張りましたね」
「ははは……、やっと褒められたよ」
予備の杖に持ち替え、白い人に魔法を放ち続けるスコットは動揺するルナに声を掛ける。
「黒兎を連れてヘリに乗れ! 乗ったらすぐにウォルターを叩き起すんだ!!」
「……」
「お姉ちゃんだろ!? 妹を守れ!」
「……ッ!!」
「お姉ちゃん……? どうしたの」
クロの手をとり、ルナは着陸したヘリに向かう。ゲインズという光源を失った途端、周囲は一気に薄暗くなった。上空の暗雲はとぐろを巻いており、今にも何かが這い出てきそうな不気味さを漂わせている。クロを連れ、ヘリの側まで辿り着いたルナはマリアに向かって叫ぶ。
「マリア、ウォルターを!」
「……」
ルナから名を呼ばれても、マリアは手鏡を握り締めたまま動かない。その瞳は忌々しげに白い人を睨みつけ、彼女はあの異常存在が何かを知っているかのようだった。
「マリア!!」
「はっ、失礼いたしました!!」
マリアはウォルターを抱え上げると、急いでヘリに向かう。ルナやクロが先に搭乗し、続けてマリアは機内にウォルターを放り投げてから乗り込む。少し遅れてロイドもヘリに乗り
「先輩―! 急いでください!!」
「さっさと行け! 飛び立ったら大賢者様に連絡するのを忘れるな!!」
「は!? 先輩はどうするんですか!!」
スコットは振り向かずに魔法を放ち続けている。間も無くこの場に何も知らない警官達がやって来る。このまま逃げれば、次に餌食となるのは彼等だろう。
「ああ、畜生。やるしかないよなぁ……」
スコットは覚悟を決めた。警官達が逃げるまでの間、自分がこの白い人を食い止めると。残る杖はあと2本、先程持ち替えたこの杖も既に先端が焼け始めていた。




