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いつかイギリス旅行に行って、アイスティー片手に色々と冒険してみたいものです。
「ぬおっ! 超眩しっ!!!」
「大丈夫ですか? オジサン」
「超眩しいぞ!? 何が起きた!!?」
胴体から凄まじい光を放つゲインズは、自分から発せられる光に目が眩んで思わず顔を両手で覆う。暗雲で暗くなっていた周囲は、生きた光源となった彼によって照らし出された。
「おい、何かあの片眼鏡オヤジ光ってんぞ! あははははっ!!」
「そこに行けばいいのね、ウォルター」
「ああ……くそっ、そういうことかよ!」
別々の方向に散っていた他のメンバー達は、光を目指して移動する。
杖先が焼き切れた片手杖をゆっくりと降ろし、ウォルターは路地から姿を現した何者かを見据えた。周囲の住民達が上空の光り輝くゲインズに気を取られている中、その人物は目もくれずにゆっくりと歩き寄ってくる。その手には、例の黒い手鏡が握られていた。
「先輩!?」
「あの野郎……家に隠れる人たちを引っ張り出すためにわざと広場で騒ぎ出しやがったんだ!!」
「は!? 何のためにですか!!?」
「決まってるだろ! 彼らを餌にして記憶泥棒を誘き寄せるためだ!!」
ルナが提案したのは、ウォルター含めた3人が被害者役として街を歩き、その周囲を見張るようにして3人の捕獲係を高台に配置する囮作戦。被害者役が襲われた瞬間を狙って、その被害者役とペアになっている捕獲係が犯人を捕まえるという手筈だった……。
だが、ウォルターはルナの提案を独自に改変しており、誰にも言わずに勝手に自分だけの作戦を実行していた。記憶泥棒の目的は不特定多数の誰かの記憶を奪う事だ。その記憶を何に使うのかは不明だが、とにかく手当たり次第に大勢の人の記憶を奪っている。
ならば、彼等だけが街を出歩いたところで相手にされない可能性もある。
泥棒は恐らく彼等を怪しむ。誰も出歩かなくなった街を、怪しい眼鏡と幸薄そうな金髪の男とウサ耳美少女だけが歩き回っている……余程の馬鹿か、単純思考な愉快犯でもなければそう簡単には引っかからない。だからウォルターは更にもう一工夫加える事にした。相手が余程の馬鹿であれば話はそれで済んだのだが、どうやらそう上手くもいかないらしい。
「ふぁあああ! 目がっ、目がぁああああ!!」
「大丈夫です、目が悪くなってもお医者さんに診てもらえば解決です」
「ぬわぁああああー!」
まず、上空に吊るされているゲインズはブラフだ。泥棒の注意を惹きつけるという役目があるといえばあるが、空から誰かが叫んでいるところでそれがどうしたと突っぱねるのが13番街の住人というものである。その真の目的は彼が、完全に一人蚊帳の外で喚いている変な奴だと思わせる事にある。
そしてこの騒ぎ、これは新たなる被害者役の用意の為だ。いくら13番街の住人といえども、街中で魔法を乱射し、尚且つ『私がウォルターだ!!』とウォルター本人が叫びを上げれば誰でも顔を覗かせる。そして延々と魔法を連発されては怒って外に出てくる……そうなればいくら路地で彼等をやり過ごそうと身を隠す記憶泥棒であっても、姿を現さざるを得ない。
泥棒の狙いは、大勢の人間の記憶なのだから。
真の被害者役はウォルターを含めたこの場に集う何も知らない一般人であり、彼を除いたメンバー全員と騒ぎを聞きつけて向かってくるであろう警官達が真の捕獲係という事だ。上空の光源は暗くなってきた周囲を照らし、散り散りになったメンバーを別々の方向からこちらに集結させる為にあった。流石の彼もパーティーや悪戯用に片手間で開発した魔法が、まさかこんなところで役に立つとは思いもしなかった。芸が身を助くとはまさにこの事だろう。
「リーゼ、見ているかい? 面白い魔法だろ」
ウォルターが立つ広場には、今や隠れられる場所など殆どない。騒ぎを聞きつけた住民達がそこら中の路地から挙って集まってきているからだ。人気の少ない逃げ道として使える路地からはルナとスコットが、そして路地を見渡せる屋根の上からクロとロイドが向かってきている。極め付けに13番街どころかシティ全体からこちらを目指して急行してくるパトカー軍団……まさに八方塞がりである。
「ふふふ、ウォルターったら……本当に最低ね」
「あはははははっ! なんかすっげーことになってるな!! そこら中からパトカーの音が聞こえてくるぞ!!!」
「マジですか!? 正気ですか!!?」
「もう知らね。あいつがどうなっても、俺何も知らねえ」
「……流石ですわ、旦那様。ここまでのド畜生だったとは私でも気付けませんでしたわ」
例え記憶泥棒が今すぐ逃げ出しても、広場を目指す誰かによって確保されるだろう。
恐らくはこの13番街を知り尽くしているが故に、泥棒は此処から出なかった。だが、それが完全に裏目に出た。ウォルターがこの広場に辿り着いた時点で、もう詰んでいたのだ。
「なんだよ、あの光って……あれ?」
「えっ、何? 何が……」
「おい、どうした!? 急に倒れ……ッ」
ゲインズに気を取られてしまっている内に記憶泥棒に接近されて一人、また一人と倒れていく13番街の住民達。何が起きたのかわからないまま記憶を盗まれ、そして意識を取り戻した彼等は幼児退行を引き起こしていた。
「やばい、なんかやばいぞ! 早く逃げろ!!」
「畜生、ウォルターと関わると碌なことに……ってアイツは何だ?」
「何よあいつ、薄気味悪い!!!」
次々と倒れていく人々を目の当たりにして身の危険を察知したのか、住民達は逃げ出し……そして皆が記憶泥棒の姿を見た。泥棒が記憶を盗む瞬間は、近くの民家に逃げ込んでいた報道陣のカメラにもしっかりと撮影され、その姿は街全体に流された。魔法の効力が切れてきたのか、広場を中心に13番街を照らす光は徐々に弱くなり、周囲がまた薄暗くなってきていた。
「ピンポーンピンポーンピンポーン!!!! おらぁ、開けろ! 開けろ! 開けてくださいお願いしま
「ねぇ、お願い! 家の中に入れて!! お礼なら何でも
「うるさいな、ぶっ殺すぞ……って何だよお前ら!!」
「良いから、中に入れロ!!」
「あーッ、困る! 今入られると困るから! あーッ! 困るから、困るからァ! あーッ! あーッ!!」
その姿を近くで見てしまった不幸な数人は記憶を盗まれたが、多くの人は近くの家屋に逃げ込む事に成功した。その場に立っているものは、気がつけばウォルターと記憶泥棒だけになった。謎の暗雲を除けば、概ね自分の思惑通りに事が進んで御満悦のウォルターは満面の笑みで泥棒を迎える……。
「やぁ、初めまして。記憶泥棒さん」
因みにこの方法で失敗した場合に備えて更に3つ程の別プランを用意しているが、どれもこれも13番街の方々を巻き込む、若しくは生贄にする事を前提にしている。やはり畜生眼鏡である。だがこの蛮行もまたこの街の為だ。泥棒が13番街に居る間にケリをつけなければどうなるか……それは考えるだけでも恐ろしい。
それを防ぐ為ならば、笑いながら畜生にも悪魔にも身を落とす。彼はそういう男なのだ。
「馬鹿正直に引っかかってくれてありがとう、僕はここでおしまいだが」
「……」
「君も、ここでおしまいだ」
ウォルターの目前に立った記憶泥棒。顔をフード付きのレインコートで目深く隠して俯き、背丈や体格からは恐らくは男性であるという事だけはわかった。そして泥棒は黒い手鏡を彼に向ける。ほんの一瞬だけ記憶泥棒は顔を上げ、ウォルターはその素顔を見ることができた。
「あれ、君は……」
手鏡を見てしまったウォルターはその言葉を最後に、糸が切れた人形のように地面に倒れ付した。倒れた彼の表情は、笑顔のままだった。
「ウォルター! 返事をして!!!」
「……」
「ウォルター!!」
ルナはウォルターの居る広場を目指し、走りながらその名を呼ぶが彼は答えない。
記憶泥棒は今更逃走を試みるも、目の前に突然現れたマリアに阻まれる。彼女は泥棒から黒い手鏡を素早く奪い取り、逃げようとする彼の足に自分の足を軽く引っ掛けた。
ふらつく泥棒は転ばないよう堪えるが顔を上げた瞬間、彼の目前に何かが飛び込んできた。
一瞬見えた白と黒の縞々模様の下着と、黒いニーソックスを履いた健康的な肉付きの脚部……そのまま顔面にクロの強烈な飛び回し蹴りが炸裂し、泥棒の体は錐揉み回転しながら宙を舞った。そして美しい空中回転を決める彼めがけて、同時に放たれる炎と風の弾丸。広場に到着したスコットとロイドが杖から放った魔法は見事に命中し、泥棒の体は炎上したと同時に消火されつつ更に数メートル吹き飛び、広場のゴミ捨て場に落下して動かなくなった。
「……本当に、最低ですわね。旦那様は」
手鏡を手にしたマリアは、複雑な表情を浮かべながら吐き捨てるように言った。その場に駆けつけた他のメンバーも倒れるウォルターを見て、マリアと同じような様々な感情が入り混じった表情を浮かべる。もうすぐ警官達もこの場に到着するだろう。
「ははは……はははははっ」
無垢な少年の心に戻ったウォルターは、ただただ笑っている。それは周囲の被害者達も同じだった。ある者は泣き、ある者は笑い、ある者は両親を探した
「ははははははっ、光ってる! 何だよあれぇ!! あはははははーっ!!!」
「大丈夫よウォルター、すぐに元に戻してあげるから……」
「御主人、ガキの頃からこんなムカつく笑い方だったのか……」
「……で、あいつが犯人か」
「生きてますかね……? 結構エグいコンボ食らいましたけど」
◆
白い草原の世界にいるカズヒコ達は無事に塔へと辿り着いていた。その塔は真っ白のレンガで組まれた円筒状の構造体で、黒い門のような入口が一つだけあった。
「ぜぇ……ぜぇ……、着いたぞおい」
「何だよ若いの、もうへばったのか。もっと鍛えねーと駄目だぞ」
「俺ね、義足なのよ! それもまだリハビリ中なの!!」
「着きましたな。……しかしあの影もこちらに向かってきています」
「あ、あの……もう大丈夫です。降ろしてください」
ブレンダを降ろし、周囲を見渡すアーサー。何故か塔の周辺には白い草が生えておらず、黒い地面が露出している。彼等に続くように続々とその塔に他の人達が集まってきた……が、よく見たら見覚えのある眼鏡の男性の姿もあった。
「おや……、旦那様?」
「やぁ、アーサー君。今朝ぶりだね、元気にしてた?」
「あっ!! アンタ、何で此処に!?」
「エイトくんじゃないか、可哀想に……また面倒事に巻き込まれたのかい」
其処に現れたのはウォルターだった。周囲の人達は彼の姿を見た途端に警戒するものの、全力で草原を駆け抜けて来た為にもう逃げる気力もなかった。その場にはアレックス警部も居たが、彼はウォルターを目にした途端、静かに人混みの中に消えた。
「何しに来た、糞眼鏡コラ。まさかこれお前も絡んでんの??」
「はははー、やっぱりその眼だよカズヤン。君にあの無垢な瞳は似合わないって」
「え、何? 気持ち悪いんだが」
「待って、ウォルターさん。貴方、どうやって此処に来たの?」
「やぁ、ブレンダさん。鏡だよ、黒い手鏡を見て気がついたら此処にいたんだ。そしたらみんながこの塔に向かって走っていてねー」
ウォルターの言葉を聞いて彼等に動揺が走る。どうやら、この畜生眼鏡は意図的にこの世界にやってきたようだ。彼が被害者役になったのは、黒い手鏡を使われたらどうなるかを自分で確かめる為でもあった。その為に13番街の皆さんを多少巻き添えにしてしまったが、この場合は泥棒を確保し、事件を可及的速やかに解決に導く為の致し方ない犠牲だ……。
何より、イギリス料理がどこまでマズイのかを実際に確かめてみたいです。