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「……という具合なのだよ」
「屋敷の外に、出ようぜ……久しぶりに……キレちまったよ……」
「気持ちはわかるよ、スコッツ君。僕も彼を殴ろうかと思った」
「御主人、良くわかんねえけどこいつ殺していいか?」
「駄目よ、アルマ。テーブルが汚れてしまうわ、殺すなら浴室にしなさい」
「……燃やしてやろうかな」
「うふふふふ、凄いですわ……怒りすぎて自然と笑いが出てきます」
先程まで軽いパニック状態にあったマリアは、怒りのあまり逆に冷静さを取り戻していた。
彼らの怒りを一身に受けるゲインズは自分の胃袋に穴が開いているのかと錯覚してしまうほどの痛みを感じていた。このままでは胃袋どころか胴体に直接、穴を開けられかねないが。
「そもそも、何で盗まれたんだい」
「それがわからないのだよ、自宅の前で突然誰かに襲われたんだ。恐らくは泥棒か何かだろうが、その誰かは私から鏡だけを盗んで金品には目もくれずに去っていったんだ」
「おい待て、このオッサン今おかしなこと言わなかったか? 聞き違いか??」
「鏡を手にした途端、何かを思い立ったのかもね……」
「なるほど、話は大体わかりました。つまり僕はその鏡のせいで色々と忘れてしまっているんですね」
少年アーサーは軽い口調で言った。この場合は普通怒ると思うのだが、彼の表情は穏やかで至って冷静である。ルナはそんなアーサーを微妙な表情で見つめながら紅茶を飲んでいる。
「なぁ、御主人。つまりどうしたらいいんだ?」
「そうだね、相手を捕まえようにも向こうから来てくれないと」
「じゃあ、向こうから来てもらえばいいんじゃない?」
ルナがその言葉を口にした途端、その部屋にいた全員が彼女を見る。突然自分に視線が集中したせいか、彼女は少しはにかんだ表情を見せて下を向いた。
「……そんなに、見つめないで」
「いやすまない、続けてくれないか。さっきの話」
「……相手が何のために記憶を盗むのかはわからないけど、目的は記憶を盗むことでしょう? それも沢山の人から」
「まぁ、そうですわね」
「なら、こちらから出向いてあげればいいんじゃないかしら。外を出歩いていたら、泥棒の方から私たちの記憶を盗もうと襲いかかってくると思うのだけれど……」
今の記憶泥棒がどうして記憶を盗むのかはわからない。
だがその鏡は所有者が必要としている記憶だけを盗み出す能力を持つ……この場合、少年期以外の大半の記憶だ。そんな記憶の大部分を不特定多数の人間から盗んでいる様子から、盗む相手は誰であろうが関係ないのだろう。
ならばそれを逆手に取り、こちらから被害者になってしまえばいい。
囮となる被害者役と、犯人を捕まえる捕獲係に別れる。そして被害者役の前に犯人が現れたところで、捕獲係が確保するという単純かつ運任せな作戦だ。被害者役の記憶は恐らく盗まれてしまうだろうが、その犯人さえ確保して鏡を取り上げれば救い出す事ができる。
「上手く、引っかかってくれるのでしょうか……?」
「今までの被害者は一見して規則性がないように思えるが、もしこれが意図したものだとしたら……」
「その時は、みんな仲良く少年時代に戻ろうか。なぁに、人生をタダでやり直せると思えばお得じゃないか」
「おい待て、お前本気で言ってる? ねぇ、本気で言ってるの??」
「ウォルターのことは任せて。ふふふ、大事に育ててあげる」
「先輩、この人たちもう駄目なんじゃないですかね」
だが、今はその単純な計画に賭けるしかない。
「被害者役は、私と、ウォルターと……」
「あれ、僕も?」
「ウォルターは人気者よ、この街に住んでいる人なら誰でも知っているわ。例え私たちに興味がなくても、貴方の記憶なら……」
「ああ、なるほどね」
「納得すんの早いな、御主人」
「人気者って言われると、少し嬉しくなっちゃってね」
「うふふふ、旦那様。褒め言葉じゃありませんわよ?」
ニュースを見ると被害は何故か13番街だけに留まっている。被害者の総数は判明しているだけで既に50名以上に達し、街は大パニックに陥っていた。外出禁止令が発令される中、それを守らずに外を逃げ回る人々の姿がテレビに映し出されている……。
「吾輩は」
「貴方は餌よ、当然でしょう?」
「何言ってんだ、片眼鏡オヤジ。お前のせいだよ? 命張って責任取れよ??」
「当たり前ですわね」
「いっそのこと、ヘリから宙吊りにして大声で叫ばせよう。足止めくらいはできるかもしれない」
「僕もそれがいいと思います」
「ロイド君、ちょっとヘリからロープを持ってきてくれ」
「了解っす、先輩」
「吾輩、そろそろ泣きそうだよ……」
作戦は決まった。あとは行動を起こすだけだ……しかし二代目泥棒は恐らく単独犯なのだろうが、今日だけで50名もの相手に延々と話しかけたというのだろうか。それはそれで感心するべきなのかもしれないが、一体何が目的でそれだけの記憶を盗んでいるのだろう。
そして気になるのが、何故犯人は13番街から出ようとしないのかという点だ。
ウォルターはテレビを見ながら考えた。盗まれた記憶は、鏡の中でどうなっているのだろう。ゲインズは鏡の使い方は知っているが、その仕組みまでは知らなかった。
◆◆◆◆
「あー、見渡す限り白い草原と変な奴らばっかりだ! どうなってんだよ!!」
「何だか、さっきより人の数が増えてないかしら……一体何が起きているの?」
「それは私にもわかりませんが、最初にすれ違った方々と比べて話が通じるお方が増えてきているようですな」
塔を目指して三人は歩いていた。草原には彼らと同じように、何者かの手でこの世界に送られてきたと思われる人達が大勢いたが、その殆どが錯乱状態で会話どころではなかった。しかし徐々にこちらの話が通じる、またはこちらに話しかけてこようとする人の割合が増えてきた……というよりは、自我を持った人達が次々とこの世界に送り込まれているようだ。
「あれ、そこの……ああっ! じーさんじゃないか!!」
「はて、どちら様でしたかな」
「ひでえな、エイトだよ! 良かったー、やっと知り合いに会えたぞ」
「ん? 知り合いか執事さん……ってアンタ話が通じるのか?」
「そうみたいね」
この草原にはエイトの姿もあった。特徴的なトンガリヘアーはきちんと整えられ、服装もお洒落な紳士服になっている。どうやら彼も何者かに声をかけられてこの世界に飛ばされたらしい。
彼の足は義足になっているが、もう歩く事に不自由はなさそうで走ることすらできるようになっていた。
「あー、もう何なんだよここは。見渡す限り白い草原と、遠くに見える何だかよくわからん影と頭がイッちゃってる奴らばっかりでさぁ……」
「それだよなぁ。一体どうやったら出られるのかねえ、可愛い嫁さんを向こうに置いてきちゃってるんだよ。ああ、マイハニー、マイワーイフ」
「……さらっと嫁自慢すんなよ、オッサ
「カズヒコさんだ。オッサンはやめろ、いいね?」
エイトの不用意な発言に釘を刺すカズヒコ。どうやら、オッサンは禁句のようだ。
「とりあえず、私たちはあの塔を目指して歩いているところです。貴方もご一緒しませんか?」
「お、俺もそうしようと思ってたところだよ。そこのお二人さんは初めまして……だよな」
「初めまして、ブレンダと申します。一応は魔法使いよ」
「さっき言ったけど、俺の名前はカズヒコ。13番街で喫茶店経営してる、此処から出たら顔出してくれよ」
「ああ、よろしくな。俺はエイト……って何か、遠くの大きい奴が動いてるんだが」
エイトは塔の反対側を指差した。三人が振り返ると、遠くに見えた巨大な白い人影らしきものが動いている。それは四つん這いの姿勢を取り、ゆっくりとこちらに向かってきていた。
「……おい、あれって動くもんなのか? というかあんな姿勢だったか?」
「私、此処に来たときから時々あれを見ていたけど、動く気配なんて……」
「なぁ、とりあえず逃げたほうが良くねぇか? あの塔に行くんだろ??」
「ですな、とりあえず急いで塔に向かいましょう」
その人影は白く長い腕を伸ばし、地面から何かを拾い上げた。巨大な白い影は無造作に掴んだ何かを黒い穴のような大きな口に運んだ。
「おい! 何か食ってるぞあいつ!!!」
「この世界に食べられるもの、なんて……ッ!!」
何かを察してしまったブレンダの表情は一気に青ざめる。遠すぎてよく見えない為、推察でしかないが恐らくあの影が食べているのは、彼等のようにこの世界に送られてきた人間だ。
「なるほど、私たちはあれの餌としてこの草原に送られてきたようですな」
「おいー!! みんな、塔に向かって走れ!! 走れえええええええ!!!」
カズヒコの叫びが聞こえた人達は、一斉に塔を目指して走る。遠くに見える影は逃げる彼等には気づかず、ただ近くにいる【餌】を拾い上げては無造作に口に運んでいた。
あの巨人の正体が何なのかは不明だが、どう見ても友好的な存在には見えない。
その大きさは目測で100m程。手足が異様に長い痩せ型の人間のようで、顔には目と思われる二つの暗い穴と、歯も舌もない真っ黒な口だけがあった。
黒い手鏡とは、この世界に白い巨人の餌となる【人間の記憶】を送り込む為のものだったのだろう。
この鏡に閉じ込められた記憶はカズヒコ達のような生き餌となり、白い草原で彷徨う事になるのだ。ゲインズが盗んだ記憶は一部分だけ、それも辛い記憶のみであったのでまともな思考能力や発言能力も持たずに、ただ苦しみもがく存在でしかなかった。だが彼らのように人生の大半の記憶を鏡に送り込まれた者達は、このように強い自我を持って普段と変わらぬ行動をとる事ができた。
「はぁっ、はあっ、ちょっと待って……私運動が苦手、きゃあっ!」
「失礼いたします」
アーサーは隣で息を切らせて走るブレンダを静かに抱き上げた。
「申し訳ございません、ブレンダ様。今はペースを落とすわけにはいきませんので」
「は、はい」
ブレンダは頬を真っ赤に染めた。実は彼女、年上の男性……それも年が大きく離れた素敵なロマンスグレーが好みなのである。アーサーは決して軽くない大人の女性であるブレンダを抱きかかえながらも、全くペースを落とさずに二人の男と並走していた。
「あのじーさんほんと何者だよ……」
「ああ、一応人間らしいぞ。一応な」
カズヒコ達は塔を目指してひた走る。塔に辿り着いたところでどうなるかはわからないが、今の彼等に出来る事はそれしかなかった。




