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杖を没収されたウォルターはシャーリーに包帯を巻かれながら、ゲインズの話を聞いていた。
「吾輩は魔導協会の目を潜るように夜の闇を駆け、悪しき記憶に苛まれる哀れな子羊を
「肝心なところだけを言ってくれないかな?」
「大丈夫ですか? ウォルターさん……」
「うん、大丈夫。シャーリーさん思ったより肉体派なんだね」
「わーい、バキューン! バキューン! バキュゥーン!」
カズヒコは魔法杖に興味津々のようでそれを手に遊んでいる。もはや慣れてしまったのか、少年カズヒコの痛々しい姿を目にしても彼らは動じなかった。
「バキュウーン!!」
「で、話の続きは?」
「あ、すまない……実は」
ゲインズの言い分はこうだ。彼が人の記憶を盗むのは善意からであり、辛い記憶によって苦しむ人達からそれを取り除き、彼らの苦しみを断つのが目的のようだ。
「人は辛い過去がある限り前に進めない。ならば、その過去から開放してあげるべきだ」
「ふーん、それで?」
「自分でそれができるなら、それに越したことはないだろう。だがそんなことが出来る者など殆どいない。そうして過去に引き摺られたまま、彼等は暗い顔で同じことを繰り返すのだ」
「そういうものじゃないのかい? 人とは」
「吾輩には、それが我慢ならないのさ」
ゲインズは強い感情を込めて言った。
先程までの気障な雰囲気は鳴りを潜め、その表情は真剣そのものだったがウォルターは彼の話を聞くたびに苛立ちを募らせていく。言っている事は立派だが、やっている事は褒められたものではないからだ。
「過去は昨日で終わった、未来は今日からもう始まっている……吾輩は、その手助けをしているんだよ」
「……何のために?」
「趣味だ」
ゲインズは軽く言い放った。あまりにもキッパリと、そして一点の曇りもない少年のような瞳をしながら放たれたその言葉にウォルターは絶句した。
「いやね……」
「その為の道具があったのだよ。人の悪しき記憶のみを奪い取る道具がね」
「それは、今何処にあるんだ?」
「何者かに盗まれてしまった」
その言葉を聞いてウォルターはゲインズの胸ぐらを掴む。彼の表情には強い怒りが宿り、思わずシャーリーもたじろいでしまう。
「ふざけるな」
「お、落ち着きたまえ」
「ふざけるなよ……人の記憶を、何だと思っているんだ」
「吾輩は、その辛い記憶かr
「誰も、君にそんなことは頼んでいないんだよ。記憶は、他人がどうにかしていいものじゃない」
「……ッ」
「例え君が【善意】でその道具を使っていたにしても……結果としてそれは今、何を引き起こしている?」
ウォルターは滅多に怒りの感情を顕にしない。ましてや、余程の事がなければ誰かに掴みかかるような行為はしない。杖を出して脅したり、多少魔法を放ったりはするが
「自分の大切な記憶を、失ったことにも気づけない彼を見てどう思う?」
「……」
「愛する者から名前すらも忘れられた、彼女を見てどう感じる??」
「ウォルターさん……もう、そのくらいにしておきましょう」
「……ああ、今はこうしている場合じゃなかったね」
ウォルターはゲインズを放し、大きく息を吸う。
そして少年カズヒコがおもちゃのようにして遊ぶ片手杖を取り返した。いたく気に入っていたのか、杖を取り上げられた瞬間の彼の表情はとても悲痛なものだった。その表情を目の当たりにした、ウォルターの表情もまた悲痛なものだった……。
「ああっ!」
「すまないね、これは大事なものなんだ。代わりに後で素敵なプレゼントをあげよう」
「ぷれぜんと?」
「ああ、期待していてくれ」
勿論、どんなプレゼントを渡すかは考えていない。
次にカズヒコに会うのはこの一連の騒動を解決した後だ。彼だけではなくアーサーや記憶を盗まれた街の人々も助けなければならない。
「これから、どうしましょう……?」
「まずは僕の屋敷に向かう。どうやらその道具を手にした誰かは、僕のファミリーにも手を出したようだ」
「そんな……」
「ゲインズだったかな? 一つ聞きたい」
「……何かな、ウォルター君」
「その道具で奪った記憶は、戻せるのか?」
犯人が誰であれ、とにかく一番聞かなくてはいけない事……それはカズヒコやアーサーを含んだ被害者達の記憶を元通りに戻せるかどうかだ。
「ああ、道具さえ無事なら戻せる。吾輩が自分で試したからな」
「自分に?」
「当然だ、怪しい道具は誰かに使う前にまず自分で試すべきだ……と思っているのだが」
「なるほど、少しは見直したよ。これが終わったら協会に突き出すけどね……ところでその形状は??」
「鏡だ、手のひらサイズの手鏡。鏡面が黒いから見分けはつくはずだ……が」
「だが?」
「その鏡面を見る機会があるとすれば、それは記憶を盗まれる瞬間だ」
ゲインズも席を立つ。この一件は自分の不注意から招いた事だ……何より手段はどうであれ、これまでの彼の行動は全て善意からのものだ。このように無差別に人の記憶を奪っていくやり方は到底容認出来るものではなかった。
「あの……」
「何かな、シャーリーさん」
「お願いします……ウォルターさん」
「任せろ」
縋り付く思いで涙ながらに見つめるシャーリーに力強く言い放ち、ウォルターは店を後にする。ゲインズも彼に続き、店にはシャーリーと少年カズヒコだけが残された。
「お姉さん」
「なぁに? どうしたの、カズヒコ君」
「お腹が空いちゃったよ、何か作って」
「……ッ。はいはい、じゃあ少し待っててねー」
シャーリーは込み上がってくる感情を抑えながら厨房に向かった。作るものは決まっている、彼が最初に教えてくれた 思い出の料理だ。
◆◆◆◆
「ところで聞いていいかな、ゲインズ」
「何かね、ウォルター君」
「その目立つ服装も君の趣味なのかい?」
「そうだとも、泥棒というものはまず服装からして格好良くなけれb
「格好つけてる割には、君の顔や服装は全く知られていないんだが……何故かな?」
ウォルターの鋭い指摘を受けてゲインズは沈黙する。黙り込んだまま歩く彼をウォルターは暫く問い詰めた。半分は嫌がらせも混じっているだろう。
「何故かな??」
「自分の姿を大衆に知られると動きにくいだろう? だから、悪しき記憶を取り除く時に私の姿に関する記憶も消させてもらっている」
「そうか、君は馬鹿なんだな」
ならその格好は最初からやめておくべきだとウォルターは言いたかったが、個人の趣味なら仕方ないと自分に言い聞かせた。きっと格好つけて登場したい年頃なのだろう。
街行く人達は二人を怪訝そうな表情で見つめる。ゲインズの服装は非常に目立つものであり、一緒に歩くウォルターは少々気分を害していた。この眼鏡も十二分に目立っているのだが。
「ところで、記憶泥棒をする前は何をしていたんだ?」
「服飾デザイナーさ。今でも続けているがね」
「じゃあその服は」
「自作だよ、当然だろう?」
ゲインズは自信満々に言い放った。
彼の眩しい笑顔にウォルターはさらに気分を害する。この男が下手を打たなければこんな事態にはならなかったのだ、全てが片付いたら彼に何らかの制裁を与える事をウォルターは固く決意した。そして問題となるのは盗まれた手鏡である。
「その鏡をどこで手に入れた?」
「どこでもないさ、吾輩の家に置いてあったんだ。実に運命的な出会いだったね……いや、正しくあの瞬間に世界の運命が大きく動き出し
「は?」
ゲインズが何気なく口にした言葉に思わずウォルターは突っかかる。目を見開いて此方をガン見する眼鏡の視線に身の危険を感じ、ゲインズは目を泳がせながら真面目な話に切り替えた……。
「いや買い取った家を掃除していたらね、意味ありげな箱が出てきたのさ。前の住人の物だろうけど好奇心に負けてしまってね……その箱を開けたんだが」
「その中にあったのが例の鏡かい? どうやって使い方を学んだ?」
「いやぁ、その鏡を取った途端に漠然と使い方が頭の中に流れ込んできたのだよ。あれも魔法のアイテムというものなのだろうけどね、いや魔法というものは本当に
「詳しい使い方は後で聞こうか……」
ウォルターは自分の屋敷の前で立ち止まった。
今日ばかりは、ルナが屋敷の外に出なかった事を天に感謝した。彼女まで襲われたら、さすがの彼でも平静を保つのは不可能だろう。
「さて、アーサーはどうなってしまっているのかな」
「いやいや、素晴らしい屋敷だな。随分と年季の入ったジョージアン建築風の一軒家だ、私の住んでいる家もいいものだが この屋敷には敵わないよ」
「ああ、少し黙っていてくれ。さすがの僕でも殴りかかりそうだよ」
深呼吸をして気持ちを落ち着かせた後、ウォルターは屋敷の門を開ける。心安らぐ愛しのマイホームの門がここまで重く感じられたのは初めての事だった。
「……はぁ」
「溜息をつくと幸せが逃げてしまうよ。ウォルター君」
「ありがとう、とてもいい言葉だ。お礼に後でマリアの手料理をご馳走してあげよう」
空気を読まないゲインズに遠回しな死刑宣告を告げた後、ウォルターは緊張の面持ちでドアを開けて玄関に足を踏み入れる。そしてただいまと一声あげた瞬間
「旦那様ァァァァアアアアー!」
マリアがリビングから飛び出し、泣きながら駆け寄ってきた。彼女の豊満な胸は激しく揺れ、その見事な揺れ具合にゲインズの視線は彼女の胸部に釘付けになった。そしてマリアはウォルターに抱きついて咽び泣く。
「ああ、すっごいデジャヴを感じるよ」
「アーサー君が! アーサー君がァアアアア!!」
「落ち着いてくれ。君に抱きつかれるのは久しぶりだし、とても気持ちがいいが」
「嫌がらせですか! これは神からの試練ですか!?」
「とりあえず、離れてくれないかな?」
屋敷内は重々しい空気に満ちていた。重い足取りでリビングに向かうと其処にはソファーの上で年老いた男が膝を抱えて蹲っていた。ルナの姿は見えない、恐らくは自室に戻ったのだろう。
「ルナは?」
「ぐすん……、ルナ様は少し眠るといってお部屋に……」
「ああ……」
「ところで、あの蹲っている白髪の彼がそのアーサー君かね?」
「そうだろうね」
自分の名前を呼ばれたのに、彼は反応を示さない。嫌な予感は留まることなく増幅し続け、ウォルターは唾を飲み込みながら声をかけた。
「アーサー、聞こえるかい?」
「……」
「そこの君、顔を上げてくれないか」
アーサーは顔を上げる。その顔を見てウォルターは硬直し、ゲインズは目を見開いた。見事な白髪のオールバックに皺だらけになった精悍な顔つき、そしてきらきら星の如き眩い輝きを宿した無垢な瞳。
例の少年カズヒコと同じ、無垢な穢れなき少年の眼だ。
「アーサー君?」
「初めまして、貴方は誰ですか? そして僕は誰でしょうか??」
「あれ、何か思ってたのと違う」
カズヒコのように稚拙な少年のような言葉遣いかと思いきや、彼の言葉は非常に丁寧な敬語であった。だがその瞳は一点の曇りもない純粋無垢な少年そのもので、そのきらきら光る夜空の星の如き眩き双眸に見つめられるだけでウォルターは全身の肌が粟立った。
「僕はどうしてこのような場所に居るのでしょう?」
「いや、君はこの屋敷で長年雇われている執事なんだけどね??」
「記憶にございません」
「だよね」
記憶を失っている彼から発せられた、切れ味抜群な一言にウォルターは苦笑する。
「ああ、アーサー君。いつもの澱みきったヘドロの海みたいな腐った眼差しは何処に行ったの!? そんな綺麗な瞳は、アーサー君には似合いませんわ!!!」
「お姉さん、そんな言葉遣いはレディとして失格ですよ。お嫁さんになれませんよ? 貴女」
「どうして性格だけはそのままですの!? おかしくないですか!!?」
マリアは半泣きで彼を責めるが、アーサーは表情一つ変えずに淡々と返答する。少年時代からしてこの言葉遣いで可愛げのない性格だったとは思わなかったが、とりあえず記憶の大部分を失っているのは明白だ。
「あぁあ、アーサー君! 頭を叩けば治りますか!? 治るんですか!!?」
「お姉さん、子供に乱暴してはいけませんよ」
「誰が子供なんですか!? 鏡を見なさい、鏡を!!」
「……一応聞いておくけどゲインズくん、彼も?」
「うむ、間違いないだろうな」
ウォルターはパニック状態でアーサーを責めるマリアと、表情一つ変えずにそれを受け流す少年アーサーをただ見つめながら大きく溜息を吐いた。




